12.
一人で逃げろと、言いたかった。
自分ならなんとか出来ると、そう信じたかった。
――――妄想だ。
理想の自分は何と高潔で。
現実の自分は何と浅ましいことか。
頼れない程に、頼りないのに。
それでも一緒に戦ってくれる少年の勇ましさに救われた。
サベージベアーを屠る力に期待しなかった訳では無い。だが彼はレベル2だ。期待し過ぎてはいけない。
けれどその考えとは裏腹に、戦う姿はまるで歴戦の剣士の様で。
弧を描く銀線は舞に似て。しかし纏う空気は飢えていた。
――――何に?
戦いに、では無い。もっとずっと切実な。
思考を頭の隅に追いやり、体を動かす。
差し迫った危機の方が余程重要だった。
彼へと迫る大鎌に対し、剣を挟み、滑らせる。
「少し休んで!!」
それだけ伝え死神に攻撃を仕掛ける。
(当たらない!!)
連続して振るう剣は、フラフラと宙を歩く様に避ける死神に届かない。それを楽しそうに死神は嗤う。
「くっ!!」
力任せに放った突きが胴を捉える。だがまるで手応えが無い。
やはりユラユラと嗤っている。表情を動かす筋肉も無いくせに感情表現が豊かな所が腹立たしい。
「セリスさん!! 少しだけ耐えてて下さい!!」
「出来るだけ善処しますが流れ弾くらいは覚悟して下さい」
そしてそれはやはり唐突だった。
まるで大槌で幹を殴りつけるような、否、それ以上の一撃。
黒衣が吹っ飛んでいく。
「え?」
理解が追い付かず、思考に空白が生まれた。それくらい突然だった。
そして眼前、そこには悠然とした姿の背が映る。
「セリスさん、すいません。遅くなりました」
敵を視界に収めたまま、肩越しに声を放つ。
「交代します」
そのまま消えたかと錯覚するほどのスピードで態勢を直しつつあった死神へと接近、剣を振るう。
「は?」
視界の先で展開された光景に意識が追い付かなかった。
死神の持つ鎌を、刃の部分と柄と腕を纏めて断ち切る。
死神はそれに拘泥することなく、彼の死角に転移し、
「―――」
突きを喰らった。死神が、だ。
まるでその転移先が分かっていたかのようなタイミング。そして驚くべきことに有効打として効いている。
本来、アンデット系のモンスターに物理ダメージは効果が薄い。
低位のアンデットならさほど気にしなくてもいいが、高位のアンデットにはまずダメージを通すだけで一苦労だ。
いくらその突きが鋭くても有効打にするには、武器そのものに祝福か属性が乗ってないと厳しい。
(聖属性のエンチャント?)
彼の持っている剣に属性の付与が無いのは分かっている。仮にもし高位アンデットにダメージを与えられる剣なら一生を遊んで暮らせる。
そうでないのは分かっている。だから考えられる可能性といえばエンチャント。だがエンチャントにしては
(違和感が…………)
彼の攻撃は続く。
霞むような速さで剣を振るい、相手に反撃の機会を与えず、転移で距離を空けてもその先をまるで知っているかのようにすぐに肉薄する。
圧倒的な実力差による封殺。
振るう剣閃の鋭さと美しさに。
一人の剣士としてああなりたいという憧憬。
しかし届かないだろうという諦観。
それを発揮する才能への嫉妬。
そういった感情を吹き飛ばすほどの流麗さ。
ああ、ヒトは。こんなにも自由で綺麗になれるのか。
目を奪われることへの悔しさも無い。
防御一辺倒になった死神と突如目が合う。
一瞬意味が分からなかった、がすぐ意味を悟る。
視界に残ったのは彼の姿だけ。死神はどこへ消えた?
理解するよりも早く、真横から漂う濃密な殺気に身が強張る。
気を抜きすぎていたことに対する後悔や自省の念。魔力が収束する感覚。
慌てて構えるが遅い。
発動直前の魔法が至近にある。
目だけは逸らすまい。それが精一杯の抵抗だ。
それでも『その先』を想って情けなく視界が滲む。
ささやかな決意をあざ笑うかのように死神が笑う。世界がゆっくりと進んでいく。
あざ笑う死神の表情は自暴自棄のようにも見えていい気味だと暗い気持ちで思う。
仇はすぐにとってくれる。―――多分。
「さっさと還れ」
怒気を抑えた低い声と共に死神の体が斜めにズレる。
「――――」
さっきから一体何度目の驚きだろうか。
残身をとったままの彼の表情はかつてない程に鋭い。
死神が外套を残し、灰となり消えていく。
ゾンビよろしく復活する気配が無いのを確認して、大きく息を下ろす。
すると彼はそのまま歩いて鞘を拾いに行き、剣を収めて戻ってきた。
その表情はフラットで戦闘による高揚も、先程の鋭さも無かった。
「セリスさん、お疲れ様です」
「え? ああ、はい」
「怪我とかあります?」
「――――特に大きなものは」
「そうですか。――――良かった」
安堵の声も表情も、年相応以上に彼を幼く見せる。
その一方で圧倒的な戦闘力は熟達の戦士を軽く凌駕していて。
まるでその印象が噛み合わない。
全くの別人と言われた方がまだ納得できる。
二度も命を救ってくれた恩人だ。だから悪人ではないのだろう。だからこそ何者であるのか、知りたいという感情を抑えきれない。
意を決して口を開いた誰何は傾いていく彼の体に遮られた。
「ちょっと!?」
慌てて抱える。
「すみません。ちょっと、寝ます」
呂律がやや怪しくなった呟きで。
既に彼の目は閉じられていた。