10.
大きく伸びをしてコリを解す。
見張りは結局、何事も無く無事に終わった。
およそ三時間間隔で交代した見張りは、セリスさんの二回目の途中で朝日が昇り切る前に終了となった。
昨晩と同じくセリスさんが作ってくれた朝食を食べてから、まだ朝靄が残る森を歩きだす。
できれば今日中に森の外にある村を超えて、近くの町まで戻りたいらしい。
その町がセリスさんのホームタウンだそうだ。
順調に行けば昼過ぎには村まで帰れるとのこと。
森歩きはお互い問題無かった。
レベル2の体力では無いと呆れられ、やはりどこかがバグっているんだと笑いあう。
寝たら直ったということは残念ながら無かった。
二回目の小休止を挟んだ少し後から、空気が僅かに変わる。
森の外まで一時間。村までは一時間半の距離。
気のせいかと思った。そのくらい僅かな変化だった。最初はただの勘違いだと自分を納得させていた。
だがそのさらに少し後には明らかに風が違う物を含んでいた。
感覚で物を言うなら『良くないモノ』という奴だ。
「セリスさん」
「どうしました?」
「何か変じゃないですか?」
前を歩いていたセリスさんが足を止める。
「何か変ですか?」
「『何か』が変です」
「私は特に」
やはり勘違いだろうか。この森のことはセリスさんの方が詳しい。
だが嫌な気配がずっと先の方から漂ってくる。
いや、ゆっくりとだが向こうから近付いている気さえする。
非現実的な悪臭が徐々に。
「シュウ、その正体―――理由は分かりますか?」
「残念ながら。虫の知らせって奴です」
「――――」
可能性の取捨選択。
「確認の意味も含めこのまま進んでみます。正体に気が付いたり他に変わったことがあったら教えて下さい」
止めておこう、という言葉が喉まで出たがそれを飲み込む。
確証も何も無い言葉で、相手に無駄な労力を払わせるのを躊躇った結果だ。
「分かりました」
セリスさんも真剣な顔で頷く。警戒はしてくれるだろう。
だが恐らくその時点で詰んでいる。
そう思うのに強く出れない。
(恩のある弊害だな…………)
面倒な性格だと思う。
ああ、だから優しいヒトが苦手なのかと納得する。
相手が下衆なら、良心の呵責なんてものは必要ない。そしてその方がきっと楽だ。
(楽しくはないだろうけどねぇ)
ともあれ何とか詰む前に止めるだけの確証を得たい。
やや速度を落として歩みを再開する。
歩く度に軽やかに揺れる金髪を見ながら記憶を失う前はどうだったかと、ぼんやりとした曖昧な記憶が意識の奥底をたゆたう。
広範囲を知覚できる術を持っていたような…………。
もどかしい。
思い出せないことが、忘れてしまったことが。喉に引っ掛かった小骨のようにチクチクと痛む。
不幸中の幸いなのはコレに関しては思い出そうとしても悪寒を覚えない事だ。
都合が良いのか悪いのか。
明後日の方向に遊びに行こうとする思考を押し留め、なんとか取っ掛かりを探っている間に致命的なモノを踏み抜いてまった事に気付く。
「ッ!?」
さっき立ち止まってから五分と経っていない。
それなのに。
失敗の原因は呆れるほど簡単だ。まだ距離があると油断していた。それに尽きる。
「セリスさん!!」
焦った語気で名を呼ぶ。
「どうしました?」
暢気とも言える問い返しに、苛立ちにも似た絶望感を味わう。
気付いていないのか? この異常な気配に。
ああ、気付いていてその暢気さを保っていられるのなら何と心強い事か。
だが現実は残酷で―――
「来ます!!」
言い終わるのが早いか、至近で着弾した爆風に煽られる。
「ぐっ!!」
「きゃぁ!?」
薙ぎ払われる木々と一緒に二人仲良く吹っ飛んでいく。
(なんとかしないと!!)
どうやって?
考えるより早く、爆風の中を泳ぐようにして移動し、セリスさんを捕まえる。
そのまま抱きかかえて
「ッ」
痛みが背骨から全身へ、肺からは空気を押し出された。
木の幹と女体にサンドイッチされたのに嬉しくない、全然嬉しくない。
数度咳き込んでから立ち上がる。
目の前には開けた視界の森だった場所だ。
地面は抉れ、倒木が散乱している。場所によっては炭化した所もある。
延焼がないのは救いか。
(ちげーな)
延焼してないのではない。させてないだけだ。
きちんと魔力を制御できるが故の当然の帰結だ。
(厄介な)
分割し並列処理を行う思考が言う。
記憶を失っている自分がなぜそんなことが理解できるのか。
別の思考が言う。
そんなことを冷静に考えている暇は無い。
更に別の。
現実に意識を向けろ!!
抜き放ち、防御姿勢をとった剣身にぶつかったのは身の丈程もある大鎌。
眼前で飛び散る火花。その先に写るは髑髏。
落ち窪んだ眼窩の奥で謎の球体が禍々しく明滅する。
纏うのは擦り切れた黒い外套。どんな理術か足は地面に接しておらず宙に浮かんでいる。
紛うことなき死神だ。
カタカタと不気味に開閉する顎がこの上なく癇に障る。
「S.F.にホラーを混ぜんじゃねぇ!!」
気合一閃。強引に振り抜く。
先程の一撃の重さはどこへやら。簡単に押し切れてしまう。
「――――」
想像以上に距離が開いてしまったことに苛立ちにも似た焦りを覚える。
さっきの爆発は発射から着弾までに距離があったから身構えれた。
この距離で撃たれたらどうしようもない上に、直撃したら即死は確定。
自滅を恐れるだけの自我があれば、馬鹿な真似はしないだろうが―――
「やっぱそうするよね!?」
死神の手元に魔力が集まっているのを見て悲鳴にも似たツッコミを入れる。腰に差してあったナイフをノータイムで投擲。
ダメージは期待しない。ただあの爆発を阻止しなければ。
死神の手元を目掛けて投げたナイフは相手の集中を乱し発動をキャンセルさせた。
その間にも距離を詰め、斬りかかる。
剣身は空を切った。
目測を誤った訳でも、相手が避けた訳でも無い。
相手が消えた。
それは驚きに値しない。
初撃の時に現れた不自然さ。まるで湧いて出たような。
そもそも発射地点から着弾地点までの移動時間が短すぎる。
非現実的な悪臭元は一つ。それならば現象を予測し、それに合致する単語で浮かぶのは瞬間移動とか転移とかだ。
だからどうせこんなオチだろうと先は読めている。
故に気にせず追いすがり、二刀目を叩き込む。
今度は避けた。
更に次。
今度は鎌で防いだ。
更に次。
浮かんだまま高速でバック。
一撃も見舞えてはいないが、安堵する。
当たらないように回避行動を取るということは、物理的に干渉が出来ることの裏返しだ――――と思うことにしよう。
ゴースト枠ではなく、ゾンビ枠らしい。
もっとも鎌を振り回してくる段階でゴースト枠だったら理不尽極まりないのだが。
「ッ!?」
大鎌が迫る。
安堵するのはまだ早いと意識を改める。
干渉出来ても当てれなければ意味は無い。
打ち合いには応じず、回避し、踏み込む。
敵の技量はさほど高くない。厄介なのが転移と魔法だ。
そしてそれ以上に厄介なのが感覚のズレ。
速さがまるで足りていない。
こんなにも自分は遅かったのかと驚きすら覚える。
(そうじゃない)
一挙手一投足が遅すぎる。意識に体が追い付いてこないのは十中八九、記憶喪失が理由だ。
平静を心掛けようとするが、焦りと苛立ちが募っていく。
剣先が再び空を斬る。
今はまだ体力がある。だがこのままではいつか底を尽く。
ゾンビ枠の相手に体力切れを期待するのは難しそうだ。
「シュウ!!」
横からセリスさんが死神に斬りかかる。死神はそれを鎌で防ぎ距離を空ける。
「すみません、遅くなりました」
無理に追撃はせず、剣を構えたまま会話を行う。
ヒソヒソ話なんて無理。声を張ってでも意思疎通を優先させる。
敵さんが人間の言葉を理解してないことを祈るばかりだ。
「セリスさん、アレは手に負える奴ですか?」
セリスさんはその言葉に驚愕の目でこちらを見た。がすぐに視線を戻す。
(敵は目の前ですよー)
危なっかしいなと場違いな感想。
「あれはネームド手前のモンスターですよ!?」
悲鳴に近い返答来ましたー。
残念ながら単語の意味が分からんのでそれがどれくらい手強いのか判断がつかん。
要は手に負えないってことなんだろうなと素直に脳内変換しておく。
だったら
「撤退できると思いますか?」
「――――二人揃っては絶望的ですね」
返って来たのは暗い声。
困ったなーと思いながら踏み込み、相手の動きを牽制する。
どうにかできないもんかと。
相変わらず当たらない剣戟。
距離が空いたところへ、すかさずセリスさんが割り込み剣戟を引き継ぐ。
それだけ見れば戦いは互角だ。短い休憩を挟むことによって体力の回復も出来るし、隙を見て追撃を仕掛けることも出来る。
だがセリスさんも気付いている。この均衡は相手にとってお遊びでしかない。
猫が気紛れに羽虫をいたぶるのにも似た状況。
それがどれだけ絶望的か。
順当に行けば逃げの一手を考える以外、全てが悪手。
けれど、たぶん、なんとなく。
俺を置いて逃げろ、とセリスさんに勧めたところで拒否されるんじゃないかなぁと、大鎌を避けながら思う。
じゃぁ自分だけ逃げる、という選択肢が脳内に表示だけはされているが残念ながらグレーアウトしていて選択不可。
本当に全く困ったもんだ。
――――本当に?
いや、だってそうでしょ? 短距離転移なんて出鱈目な技術持ちの手に負えない死神相手に何が出来るっていうの? しかも距離が空いたら大砲ドカンだよ?
――――じゃぁ、緩々と死んでいくしかないね。
なんかムカつく言い方だな。なんかいい案があるなら寄越しやがれ下さい。
――――。
無いんかい!?
――――脳内相手に期待なんかすんな。だが良く考えろ。本当は理解してんだろ?
分かんねぇ、分かんねぇよ。記憶喪失の一般人に一体何が出来る?
――――本当にそう思ってるんなら緩々なんて生温い。今すぐ死ネ。
その単語を聞いた瞬間、意識だけの世界が凍った。
永久凍土でもまだ温い。絶対零度も鼻で笑える。そんなレベルで世界が凍る。
現実では振りかぶった大鎌を止め、死神が距離を空ける為だけに転移した。
さっきまで愉しそうに開閉していた顎が、今は閉じている。
明らかな警戒。
それを意に介さず前へ出る。
疾く。
意識と体のズレが少しだけ修正される。
さっきよりはマシに動ける。
だが足りない。
まだ足りない。
何が足りないのか、分からない。
どうすればいいのか、それすら知らない。
剣を振るいながら、阿呆の極みだなと自嘲する。
唐突にああ、そうかと気付く。
なぜ昨日、セリスさんが戦う姿をみて既視感を得たのか。
記憶を失った所で、自分がド阿呆であることに変わりはないのだと。
愕然とする。自分のアホさ加減に。既に視界は現実を映してはいない。
何となくの感覚で大鎌を回避し、打ち返し、踏み込み、攻め入る。
かつての自分を幻視する。
剣を手に。今よりも早く、速く。
苛立ちが再燃する。
ズレが修正されたことで、余計にその違和感が大きくなる。
僅かな差。だが似ているからこそ、その差が際立ってしまう。
そしてその差が。
届くはずの一手を、足らずの一手へと変えてしまう。
(どうすりゃいい?)
自問しても答えは無い。
当然だ。何も知らず、何も覚えていないのだから。
体が休息を求め、喘ぐ。
勢いに任せて我武者羅に動いた結果だ。
その間隙を突かれた。
態勢を自ら崩し、強引に殺傷範囲の外に転がり出ようとする。
迫る銀弧に対し回避が間に合わない事を悟り、痛みを覚悟した。
そこに割り込みが掛かる。
「シュウ!!」
そのまま鎌を滑らせ攻勢に転じる。
「少し休んで!!」
それだけ言い残すと突きを繰り出し、死神を押し返していく。
早鐘のような鼓動と冷や汗に気付けたのは、助かったことに安堵したからだ。
そして冷静になれ、とも思う。
視界を広く保つ。今も押されながら必死に敵に喰らい付くセリスさんを見て、一人暴走していた自分を恥じる。
その上で再度、冷静になれと。
状況は最悪だ。ゆっくりと思考に没頭している暇は無い。
それでも起死回生の一手を得る為に時間が欲しい。
だから
「セリスさん!! 少しだけ耐えてて下さい!!」
「出来るだけ善処しますが流れ弾くらいは覚悟して下さい」
予想以上に頼もしい答えが返って来た。
頼んでみるもんだなと味方が居ることを心強く思
「ゴっ!?」
――――っていたら腹にいいのを貰った。