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乾燥注意報

作者: 山木 拓


 玄関で靴を履こうとしている時。

「乾燥注意報が出ているから、外にでない方がいい」

 お義父さんは確かにそう言った。43歳、農家になって初めての冬。今までの人生で一番理解し難いことを言われた。


 私がこの土地に根を下ろしたのは今年の春。コトのきっかけは、仕事に追われ体を壊しかけていたあの頃だ。私を見かねて嫁は「私の実家継ぐのなんてのはどう?」と提案をしてくれた。幸いたくさん働いていたので、貯金は高級車を現金一括で2台買える程度あった。しかも息子は全寮制の野球の強豪高校に通っている(もっといえば嫁の実家とは隣の県だ)。嫁はリモートワークで月イチ程度会社に行く程度。私自身、夏場に農業を手伝ったこともある。外堀の条件は完全に揃っていた。

 私は、サラリーマン人生に終止符を打つという決断をした。


 嫁の実家は部屋がかなり余っていたので、そこで寝させてもらっている。最初は嫁のご両親に「いくらか家賃として納めさせてください」と支払いの意思を見せたのだが、「いや、継いでくれるだけで充分ありがたいのにそんなのはいらない」と跳ね返された。

 田舎なので車は必要だろうと思って手元に残していたのだが、「ウチのを共有してもいいんだよ?」と厚意を見せてくれた。おかげで前の車は売りに出して現金が手に入ったし、駐車場代も税金もかからなくなった。

 正直収入がどうなるかは、かなり心配していた。しかしそれも、かなりキッチリした取り決めがお義父さんと交わされた。「収穫の時期だけバイトを雇っていたんだけど、まずその際の日給20日分が基本だ。それ以外の仕事もやってもらうから当然さらに上乗せもするよ。それと手が回ってない土地があるからそこで一緒に作物を作るとしよう。そこで採れた分の売り上げは君のものだ。で、今後ワシらが逝ってしまったら本命の畑は君のものだ。でもだからって、早く逝くように願わないでね」こんな具合で、冗談も交えながらの会話だった。

 食事は毎日豪勢だった。「若い人が体力仕事したんだから! たんとお食べ!」と茶碗の白米がなくなる度、お義母さんに追加を盛られた。そういう田舎の食卓での定番は20代が限界ではないだろうか、そんなことを心に感じつつも美味しくご飯を頂いた。農家とあって野菜は若干多いのだが、食事のバランスは良い。以前と比べて健康体になっている気がした。


 変な祭りもなかった。変な風習もなかった。変な悪徳宗教もなかった。ご近所さんは気のいい人ばかり。それだけに「乾燥注意報が出ているから、外にでない方がいい」が私の脳内で浮いている。なんて答えればいいのか分からず、靴を片方だけ履いたまま固まっていた。

「新しい電球を買いに行くだけだろう。別に一箇所だけだから気にならないし、それに今日は乾燥注意報が出ているよ」

「そう…ですけど、車で出かけるだけです。心配には及びません」

「バカなことを言うんじゃないっ!」

 お義父さんの大きな声を初めて聞いた。野菜を踏んで駄目にしてしまった時もトラクターをパンクさせた時も全く声を荒げなかった、あのお義父さんが。

「すみません」

 とりあえず反射的に、謝ってしまった。

「あのな、波浪注意報が出るのはどんな時だ?」

「えっと…海が荒れて危ない時です」

「じゃあ、大雨注意報が出るのはどんな時だ?」

「えっと…大雨が降って危ない時です」

「だったら、乾燥注意報が出るのはどんな時だ?」

「えっと…乾燥して………、いやちょっと分からないです」

 一瞬流れで言いそうになったが『乾燥して危ない』ってどんな状況だ。外に出た瞬間身体中の皮膚がアカ切れだらけになるとか? まぁ、それはそれで危ないけども。

「分からないのか。乾燥注意報は、乾燥して危ない時に出るんだ」

 イメージがわかない。私の知っている乾燥注意報は、たとえば火がよく燃えるから火災に気をつけるとか、ウイルスが空気中に残りやすくて流行しやすいから気をつけるとか、そんなものだ。あとは洗濯物がよく乾きそうとか。

「そうなんですね」

 当たり障りのない言葉しか出なかった。

「よく考えてみろ。強風注意報なら、風でモノが飛んできたりするだろう。大雪注意報なら雪で滑ったり立ち往生したりするだろう。な?」

 いや「な?」じゃなくて。乾燥したらモノが飛んでくるのか? 乾燥したら立ち往生するのか? まぁ、私は今玄関で実質立ち往生の状態だけども。

 突然、チャイムが鳴った。来客だ。

「どうぞ、開いてますよ」

 お義父さんが玄関の向こう側の人に伝えると、ドアが開いた。郵便だった。ウチへ届けに来た大きい箱を、幾つも台車に乗せている。

「こんにちはー、こちらにサインお願いします」

「はいはい。印鑑どこだったかな」

 お義父さんは下駄箱の戸を開けて探していた。私は邪魔になっていたので、玄関の端に避けた。

「署名でもいいですよ」

「いや、いっつもここに置いてあるから…、あったあった。お待たせしました」

「あ、じゃあここにお願いします」

「はいはい。いやー、到着日がこんな乾燥した日になってしまって申し訳ないねぇ。大丈夫でした? ここに来るまで外の乾燥大変じゃななかったですか?」

「バイクだと外走るの大変ですけど、仕事なので仕方ないですよ。乾燥なんて関係ありません」

「そうですか。あと何件回るんですか?」

「いやー、まだまだ沢山ありますねぇ」

「乾燥してる中、ご苦労様です」

「ありがとうございます。では、次もあるので」

「そっかそっか、すみませんね仕事止めてしまって。ありがとうございました、乾燥にお気をつけて!」

「ありがとうございましたー」

 ドアが閉まった。

 乾燥って、そんなに危険だっけ? 乾燥の中外を歩くのって、そんなに気合が必要だっけ?

「見たか、今の配達の方。すごく乾燥していただろう」

「…ですね」

 とりあえず賛同しておいた。

「だからね、今日はもうやめておきなさい。明日でもいいから、乾燥が収まってから行きなさい」

「わかりました」

 そもそも乾燥が一日で収まるようなモノなのか分からなかったが、色々と面倒くさくなったので理解するのを諦めた。



 部屋に戻ると、お義父さんは届いたダンボールを開けた。中には加湿器3台と大量のニベア、保湿パック、アロエクリーム、ワセリン、リップクリームが入っていた。

「これで今年の乾燥も乗り切れそうだな」

 お義父さんはそう呟いた。


 『乾燥』って、なんだっけ…?


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