距離感バグ ~他人との適切な距離感がつかめない~
皆様は、距離感バグを起こした人に遭遇したことがあるでしょうか。
距離感バグなんて言葉聞いたこと無いと思います。今私が作ったので。
でも、なんとなくニュアンスは通じるかと思います。
要は他人との精神的な間合いを適切に保てない人です。
実は……私自身が距離感バグを起こしていた人間でした。
まぁ、ちょっと昔話でもしようと思うので、聞いて行って下さい。
私は子供のころ、中学生、高校生と成長していくにつれ、周囲から置いてきぼりにされているような感覚を覚えました。
他の子供たちは月並みに成長して社会性を獲得していくのに対し、私はずっと心が子供のまま。そんな状態に違和感を覚えていたのですが、受験が迫り、いよいよ大人になる時期が近づいて行くにつれ、危機感を募らせていました。
私はまだ大人になれていない。
時間は待ってはくれません。
私の心が子供のままであったとしても、年齢は大人になって行くわけですから、否応なく社会に出て行かなければならなくなるのです。
そんな状況に不安を覚えていました。
どうして私が大人になれていないと思ったかと言うと、それは人との適切な距離感がつかめていなかったからだと思います。
私はいわゆるいじられキャラで、周囲から与えられた課題をこなすことで、居場所を確保していました。
与えられる課題というのは、黒板の前で踊れとか、モノマネをしろとか、そう言う類の指令でした。
私は言われたとおりに与えられた課題をこなし、注目を集めました。もちろん、悪い意味で。
プロのお笑い芸人でもないわけですから、笑いが取れるはずもなく、私が何かやるたびに教室がしんと静まり返るのです。
今でも唖然としたクラスメイト達の顔と冷たい視線を思い出すことができます。
ただ、誤解のないように言っておきますが、私はこれが「いじめ」だとは思っていません。私が居場所を確保するために自ら買って出た役割であり、無理強いされたことではありません。
今でも数人の同級生と交流があり、当時のことを笑って話すことができます。
また、この経験はのちに生かされ、高校を卒業後に入学した専門学校では、かなり面白いやつとして受け入れてもらえました。
まぁ……失敗したわけではないのですが、経験をばねにしたわけです。
……ははは。
いじられキャラの私ですが、こういったポジションに落ち着くタイプの人間には共通点があると思っています。
それは……他人との距離が保てない人です。
何故、距離感が保てないといじられキャラになってしまうのか。
それにはある明確な答えがあります。
他人との距離感が保てないと、周囲から「普通の」人たちが離れて行ってしまうからです。
距離感の保てない人には二タイプいて、過剰に離れすぎてしまう人と、過剰に近づきすぎてしまう人です。
前者にとっていじってくる輩は害悪以外の何者でもありませんが、後者にとってはよき友となる可能性があります。
私の場合、成長しても適切な距離感がつかめず、前者と後者を行き来していました。
仲の良い友人には依存して近づきすぎてしまうのですが、あまり交流が無い人とは過剰に距離を置いてしまいます。
放っておかれたら確実に孤立していたでしょう。
ですが、運が良かったのか、悪かったのか、私の周囲には積極的に絡んでくる人が多く、役割が与えられ、孤立することは避けられました。
私が望んでいじられキャラを買って出たのも、それが理由です。
群れの中で孤立することは何よりも恐ろしい。
そのことを当時の私もよく理解していました。
長いようで短い学生生活の中で様々な人と出会いましたが、私と同じようにいじられキャラに落ち着く……と言うよりも、否応なくいじられる人には共通点があって、私と同じように距離感がつかめていない人が多かったです。
距離感がつかめず、不用意に相手の触れられたくない領域へと踏み込んでしまうと、「普通の人」はさっと離れて関わろうとしなくなります。
友達同士の集まりにも呼ばれず、登下校でも集団からはぶかれてしまいます。
そう言った人が集団と繋がりを保つには、面白がっていじってくる人たちの求めに応じるか、あるいは受け入れてくれる「やさしい人」を探すしかないのです。
私はどちらかと言うとレアケースだったようで、前者を選択しましたが……たいていの場合は後者を選択することが多いようです。
私が目にした距離感が保てない人たちのほとんどは、限られた人数の中から受け入れてくれる人を探すか、あるいはネットなどの学校外の環境で繋がりを作っていました。
中には退学に至った人までいます。
私が目にしたケースが一般的であるとは思いませんが、距離感が保てない人が繋がりを保つには、興味本位で近づいてくる人か、受け入れてくれる人を探すしか選択肢が無いように思えます。
残酷ではありますが、これが現実なのです。
何故なら、私を含め、距離感を保てない人たちは、相手がされて嫌なことが分からないからです。
相手が苦痛に思っているようなことでも平気でやってしまい、それが普通だと思い込んでしまいます。
だから距離を置かれ、場合によっては拒絶され、孤独になってしまうのです。
私は「いじられる」ことで、それを理解しました。
専門学校へ上がっても、いじられキャラであることは変わらず、笑いをとることに必死になっていました。その過程で仲の良い友人たちが何人もできたのですが、彼らは私が変な行動をとると必ずいじってきます。
当時はちょっと苦痛に思うこともあったのですが、あれは一種のブレーキだったのだなと思います。
何故なら、私がとった変な行動とは主に他人との関わりのなかで起こしたものだったので、いじられることで抑制され、破滅的な失敗が回避されていたのです。
私は本当にいい友人を持ったと思います。専門学校ではこんな私でも、傍にいて離れないでいてくれる仲間が沢山出来ました。
だから……遠慮なく頼れたし、苦しさや悲しさを好きなだけ吐き出せました。
私が今こうして文章を打っているのも、彼らのおかげかもしれません。
距離感が保てなかった私ですが、友人たちのいじりのおかげで、ある程度は距離を保つことの大切さを理解できました。
ですが……やはり失敗はします。
社会に出てからと言うもの失敗続き。
会社の同僚や上司からはたびたび叱責を受けました。
それでも、距離はなんとか保てていたと思います。私が勤めていた会社の方々はみんないい人たちだったので、私が人との距離感を見誤ってしまった時は、必ず誰かが間に入って止めてくれました。
私は少しずつ、人との距離をとる手段を獲得していきました。
今ではまぁ……それなりに空気も読めるし、距離も保てるのかなと思っています。
しかしながら、人と適切な距離を保つ能力は、早ければ中学生、遅くても高校生くらいには身に付くものだと思っています。
「普通の人」と比べると、随分と遅かったのかなと。
こう振り返ってみると、私は運が良かった。
あと、結構頑張った。
いじりに応じるには苦痛を伴うこともありましたが、私のような人間が適切な距離感を把握するには、他者との交流を通して学ぶほかなかったのです。
それは普通の人たちも同じでしょうが、どうしても大人になり切れていなかった私は、他人の力を借りるしかありませんでした。
途中で人間関係から逃げ出していたら、大人になっても距離感がつかめないままだったでしょう。
そう考えると恐ろしくてたまりません。
もし……これを読んでくれている人の中に、距離感を誤って誰かを傷つけてしまった、あるいは過ちを犯してしまったという人がいたら……どうか聞いて欲しいです。
自覚があるのであれば、まだ引き返せます。
アナタにできる唯一のことは距離を置くこと。
傷つけてしまったという自覚があるのなら、二度と関わらず、視界にも入らないようにすることです。そっと距離を置いてその人がアナタのことを忘れてくれるのを待ちましょう。そして二度と思い出させないよう、永遠に離れたままでいてください。
それが唯一の償いだと思います。
アナタの思う「やさしい人」はアナタを決して孤独から救ってくれたりはしません。
むしろ救ってくれるのは「やさしい人」ではなく、遠慮なくものを言ってくれる「きびしい人」です。
どんなに苦痛を伴ったとしても、距離感に関して呈される苦言から耳を塞いではなりません。それはアナタにとって唯一の救いの言葉。
その言葉を無下にしてしまったら……おそらくもう、孤独からは逃れられない。
孤独は何よりも恐ろしい。
そのことを忘れないで欲しい。
そして……人との適切な距離をわきまえ、同じ過ちを犯さないで欲しい。
これは私自身にも向けた言葉でもあります。
私と同じ苦しみを抱えている距離感を保つのが苦手な人に、この言葉が届いたら幸いに思います。