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第2話



 居る。


 俺は息を詰めたままメモ帳アプリの上書きアイコンをタップして閉じた。

 長シートに座ったままスマホをのぞき込む形で動けない。ほんの2メートルほど離れたドアの横に気配がするのだ。ドアは開いていないはずだ。いつの間にかそこに居るのだ。


 気が付くとメモアプリのアイコンが浮かんでいた。ぐッと長押しをしてしまってアイコンが浮いていた。急いでスマホから指を離す。


 お袋に似ている女性。思えばお袋が死んでから同じ電車に乗りあわせる事に気が付いた。毎週金曜日にドアの横に立っている。毎週若くなっている印象がある。たぶん10歳ずつくらい若くなっているんじゃないか。実際若返っているようにみえる。

 そんな、およそ現実とは思えない事が毎週起きている。


 そして、お袋と同じく左の目じりにほくろが。



 幽霊か?


 まさか。

 それに命日なら土曜日だ。金曜日に現れるのっておかしくないか。

 頭の片隅で冷静な部分がどうでもよいことを指摘する。



 俺は先週までははしゃぐようにその姿を目で追っていたにもかかわらず、今日はスマホを覗き込むような姿勢のまま、まったく顔を上げる事ができなくなっていた。


 もう一度ちゃんと見てみたい。確かめたい。


 ただ、幽霊だとしたら?

 

 本当に幽霊だとしたら?


 幽霊だと思ってその姿を見たら?


 生きた人間に気づかれたからと、居なくなってしまったら?



 二度と、その姿を見ることができなくなってしまったら……。



 たまらず顔を背けた。


 逃げた目線の先――車両の後方には数人の乗客がいた。誰もこちらの事を気にもしていない。

 外は真っ黒。車内だけに広がる無機質な蛍光灯の明かりが煌々とする中、音の無い車両に俺とその女性の周りだけ、空間がぽっかりと空いていた。


 俺の視線に気づかれて他の乗客にこちらを注目されるとまずい。

 そう思った俺は再び、何を見るともなくスマホに目線を戻した。

 左半身に意識を集中して女性の気配を捉えようとする。



 本当の幽霊だとしたら……。

 気づいたことがばれると二度と会えないかもしれない。


 幽霊でもいい。

 それでいいから。

 姿が見えるだけでいいから。

 会いにきてくれたんだと、思えるだけでいいから。


 このままでいいじゃないか。あえて確認しなくていいじゃないか。


 俺はスマホの画面を覗きこむふりを続け、ひたすら意識をドア横の気配に向けた。



 ふと、スマホの時刻表示に目が留まった。

 乗り換えだ!


 途端に、電車のモーター音と線路をこする音がドッと耳に飛び込んできた。乗り換えの車内アナウンスが流れ、車両が揺れる。

 ドア横の気配はまだある。


 お袋の顔が見たい!

 幽霊でもいいから。幽霊だとわかってもいいから、ちゃんと確かめたい!


 乗り換え駅に到着した。座席の向かい側のドアが開く。

 俺はスマホをのぞき込む素振りをしたまま立ち上がり、同時にドア横の気配に目線だけを向けた。


 いつもの女性だ!

 若い! 32歳の俺より年下になっている!!


 俺の肩くらいの背丈。年老いて小さく軽そうなお袋の背中じゃない。ヒール付きの靴を履いているのか!

 綺麗な立ち姿。長い黒髪を高い位置で結び、チラリと見える表情は快活できらきらしている。先週と同じく気のせいか微笑んでいるようにも見える。

 左の目じりにはほくろ!



 これが、お袋の若い時の姿なんだ。

 俺はもう、そう思えてしかたがなかった。


 開いた向かい側のドアからマスクをした沢山の人が乗り込んできた。会社に行かねば。

 彼女はそのまま降りる気配はない。


 俺は夢見ごこちのまま、人々をかき分けて車両から出た。

 振り向くと乗客たちの向こうに女性の後ろ姿が見え、そしてドアが閉まった。



※※


 その日の晩、俺は最終電車のつり革を握り、揺られながら、真っ暗な車窓を見つめていた。

 黒いガラスに車内の姿が反射している。

 俺の背中越しに、長シートに座った学生風の男女が仲良さげに見つめ合っているのが見える。


 見下ろすと目の前の席にはクリスマスツリーが描かれた赤い紙袋をひざに乗せた男性。その中身は……ケーキの箱のようだ。



 そうか。今日はクリスマスだったんだ。



 親父が町で買ってきたクリスマスケーキと、七面鳥の代わりだとお袋が鶏の骨付きのもも肉を焼いてテーブルに並べてくれた光景を思い出した。

 親父がケーキにろうそくを立てて、妹がそれを見ながらはしゃいでいた。


 いつもは質素な食卓に、ごちそうが並んだ。フライドチキンなんてものは手軽に買えるものじゃなかった。親父もお袋も奮発してくれたんだな。


 子どもの俺は口をめいっぱい開けて、大きな大きな鶏のもも肉にかぶりついた。妹は食べきれないのに一本丸ごと握ってうれしそうに笑っていた。

 

 一年に一度、両手で握るような肉をほおばって、ケーキを食べて、サンタからプレゼントがもらえた日だった。


 俺はその赤い紙袋を見つめ、ふとよみがえってきた記憶をそこに重ねていた。



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― 新着の感想 ―
[一言] 何だろう、泣けてしょうがないのです。 ある程度の年齢になり、自分の生活基盤が実家と遠くになると、どうしても懐かしい風景が思い出されますよね。 その彼の気持ちが手にとるようにわかる。 泣いて…
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