第一章 (3)真紅の長衣
パブの中は煙草の煙と酒の匂いで溢れていた。
この日ビールを1樽飲み干し、ウイスキーのボトルを開けた所にパブ『ガリンペイロ』のマスターがやってきた。
「サリティさん、主任技師のレントさんから電話です。」
サリティはボトルをラッパ飲みしながら電話口へ歩いて行った。
「よお、レント今どこだ?これから飲みに来ないか?」
「いや、悪いんだけど少し遠い所に居てさ・・・」
「遠い所?どこだよ」
「イリア村なんだけど今日はちょっと帰れないから・・・」
「ははぁん。なるほどなぁ、よしわかった。所長には俺から休みだと言っておくよ」
「悪いねサリティ。よろしく頼むよ」
「おう、じゃあレント頑張れよ。」
「え?頑張れって一体何をがんば・・・」
サリティは話の途中で電話を切るとカウンターに向かった。
「マスター、ロックを2つだ。」
サリティは出されたウイスキーの1つをマスターの方へ押した。
「これでいい。さぁマスター、レントの大人の仲間入りに乾杯だ。」
「え?レントさんがどうしたんです?」
「ハッキリとは言わなかったが俺にはわかるんだ。レントはな、今夜惚れた女の家に泊まるんだよ。」
サリティはレントの顔の傷を見た時にピンと来ていたのだ。
自分と同じようなキズの付き方をしていた。
間違いなく女性に叩かれ、引っかかれ、殴られた跡だ。
「レント主任に好きな女が出来たのか?」
「カシラ、詳しく教えてくださいよ。」
いつの間にかサリティのまわりに人だかりが出来ていた。
「何だ何だ、お前ら人の話を聞いてたのかよ。」
「そんな事よりも教えて下さいよカシラ、どんな子なんすか?」
一同がじっとサリティを見つめる。
そう言われてもサリティも見ていないのだから答えようがない。
「う・・・うん、まぁ・・・・気の強い女だな。」
(あれだけ容赦なくレントを殴るんだから気の強い女に違いない)
おおおお!!
一同がざわめいた。
「それで、あれだ、うん。少し年上だな。」
(年下の女があれほど殴ったりはしないだろう。ソフィーじゃあるまいしな。)
「まぁお互いが好き合ってりゃいいんだ。明日レントが帰って来たらみんなで冷やかしてやろうぜ。」
そう言い放ったサリティの前にマスターがビールの樽をドンと置いた。
「さぁ、これは私の奢りです。みんなで乾杯しようじゃないですか。」
全員のジョッキにビールがなみなみと注がれる。
そしてマスターがサリティを促した。
「サリティさん。乾杯の挨拶をお願いします。」
これは大ごとになったと思いながらも酔った勢いで言っちまったとはサリティもさすがに言えない。引っ込みがつかないまま大声を張り上げた。
「いいかみんな、よく聞け。今夜われらが主任技師のレントが惚れた女の家に泊まると言って来た。」
言葉を切って一同を見渡す。
「これであいつも大人の仲間入りだ!これは乾杯しなくちゃいけねえ。」
サリティの言葉に仲間たちが呼応する。
「そうだそうだー」
「祝ってやらねぇといけねえぜー!」
「カシラー、かっこいいぞー!」
一同が静まるのを待ってサリティは声を張り上げた。
「今夜のレントに、カンパーーーイ!!」
カンパイの声がパブに響き渡った。
一気に飲み干したジョッキをカウンターに置くとサリティはマスターに向かって指を2本立てて見せた。
「ビールを2樽くれ。今度は俺の奢りだ。さぁみんなジャンジャンやってくれ。」
周りの全員が歓声を上げた。
「サリティさんかっこいいっ」
そう言ってパブの女の子が抱きついてキスをしてくる。
「そうか?うんうん。かっこいいのか。がははははは・・・」
サリティは笑いながらまたビールを喉に流し込んだ。
切れた電話の通信音を聞きながら
どんなに遅くなっても帰るべきだったかなとレントは思った。
村の唯一の電話がフェイの家にあると言われて、
ついふらふらフェイの後を付いて来てしまったが、それが村長の家とは思わなかったし、ましてや泊まっていけと言われるとも思って無かったのだ。
「どうしたレント、電話は済んだのか?」
「う、うん。・・・・・まぁ・・・・うん。」
「そうか。父上がお前に会うと言っている。さぁ、行こう。」
避けては通れない関門である。
まぁ、まだフェイには自分から好きと言っただけでキスをした訳でもないし
フェイの気持ちも聞いてないのだから気後れする事など無いのだが
派手にやらかした事はすでに聞いているだろうし、当然レントがフェイの事が好きだと言うのもわかっているだろう。
「あ!!」
「ん?どうした?」
レントは不意に思い出した。確かにキスはしてないが抱きついていた。
恐らくフェイに抱きついたのを村の住民に見られてるはずだ。
「あ、あのさ、フェイ。お父さんって怖い人?」
「私には優しいぞ。確かに厳しいし戦場で相当敵を斬り倒して居るから怖いと思う者も居るだろうがな。」
「あ!あああ!!」
「何なんだレント、さっきからうるさいぞ。」
戦場で会ってるかも知れない事を不意に思い出してしまったのだ。
それがジキール王国ならまぁいい。
最悪なのはファウンランドで出会ってた場合で、それなら当然例の王族殺しの話も知ってる筈だ。それも一般に出回ってる話としてだ。
考えてみればこの村の男は傭兵を生業としてる者が多いとも聞いている。
遅かれ早かれいずれどこかでバレるに決まっていた。
「レント、顔色が悪いぞ。緊張しているのか?」
「いや、大丈夫。何でもないんだ。」
フェイに案内されて大広間に入ると中央の上座にフェイの父親らしき人物が座っていた。彼もまたフェイと同じく体に刺青を施していた。
「父上、連れて参りました。」
確信は持てないが少なくともレントが知っている顔ではない。
「は、初めまして・・・ぼく・・・いえ、私は・・・」
そこまで言ってレントが口ごもる。
フェイが心配そうにレントの顔を覗きこんだ。
「どうした?」
「いや、何でもないんだ。」
レントは気を取り直してもう一度挨拶を仕直した。
「私はレント・オルフィスと申します。よろしくお願い致します。」
レントの名前を聞いてフェイの父親の目が丸くなった。
まじまじとレントの顔を見て信じられないと言うように首を振った。
やはり知られていた。その思いがレントの気持ちを沈ませた。
「懐かしいな。私の顔を覚えてないのかね?怪力ぼうやくん。」
レントは耳を疑った。
「・・・・・え?」
そう言った途端フェイの父親の顔から刺青が掻き消えた。
レントは驚きと共に子供の頃に師と仰いでいた男の元へ駆け寄った。
「先生!ハンニバル先生!!お久しぶりです。」
「私も驚いたよ。立派になったなぁ。」
あっけにとられていたフェイが2人に問いかけた。
「父上とレント・・・・知り合いなのですか?」
「彼は私の弟子だよ。もっとも光の谷に滞在していた3年の間だけだったがね。所でレント君は今どこの隊長をやってるんだね?いや、団長かな?」
「いや・・・それが・・・」
「ファウンランドの英雄は謙虚だなぁ。もっと堂々としたまえ。」
「・・・はい?」
どうも話が食い違ってる気がした。レントはてっきり王族殺しとして非難されると思っていたのだが、ハンニバルはそんな事を言う素振りすらない。
不意にレントに閃くものがあった。
「ハンニバル先生、もしかしてあの鬼畜バ・・・いや、王太后様はくたば・・・お亡くなりになったのですか?」
「ああ、エリムン王太后様は2年前にお亡くなりになった。それがどうかしたのか?」
すべてが理解できた。そしてレントはもう追われる身では無くなった事を知った。
「先生。少し長い話になりますがお付き合い願えますか?」
「もちろんだとも。そこにかけたまえ。フェイ、お前も今夜は出かけてはいかん。」
「父上、私がいつも夜出歩いてるように言わないで下さい。」
フェイがちょっとふてくされたように言う。
ハンニバルが合図をすると侍女たちが料理と酒を運んできた。
昼間の侍女がレントに言った。
「この猪肉はお嬢様が昨日獲って来て下さったんですよ。それからこの魚と鳥と山菜もお嬢様が・・・・・」
「ルネア、そういうことは言わなくてよい。」
フェイが不機嫌そうに言うとルネアが肩をすくめてレントに笑ってみせた。
グラスにワインを注ぎながらハンニバルがレントに言った。
「実はこいつは男嫌いでな。言い寄る男を打ちのめしたりはするが今夜のような事は初めてなんだ。だから私もどんな男を連れて来るのか内心穏やかじゃなかったが、まさか君を連れてくるとはなぁ。」
「父上も!そう言う事は言わなくていいです。」
言われたハンニバルが肩をすくめてレントに笑ってみせた。
「ではレント君、10年ぶりの再会を祝して乾杯だ。」
ハンニバルとレント、そしてフェイがワインを飲み干した。
「さぁ、では君の話をゆっくりと聞かせてもらおう」
ファウンランドの16代王エルリックが65歳で死去。
続く17代王リシュエールが在位2年、38歳で没した。
リシュエールの嫡子ハイネルドが王位に就いたのは弱冠14歳であった。
だがエルリック王妃であるエリムン王太后はこれを不服とした。
リシュエールの妻の血筋が不満だったのである。
エリムン王太后はエルリックの側室が産んだレサールを王位に就けるべく後見人の大臣や側近をそそのかしクーデターを企んだ。
28歳になるレサールはハイネルドにとっては叔父にあたる人物だが放蕩癖があり、
王族である事をかさに着て非道な行いも多かった。
その夜レントは手柄を立てるためにレントの部隊を孤立させ見殺しにし、あまつさえ権威を振りかざしレントを侮辱した男、ガーラ公爵を始末する為に夜道を歩いていた。星も無く暗い闇の中で足音を殺しながら進むレントの前を兵の一団が走り過ぎていった。まさしくガーラ公爵の屋敷の方向である。
自分を警戒して兵を集めたのではないかと言う考えをレントはすぐに捨て去った。
ガーラの部隊や私兵とは鎧が違うのである。
レントは追いすがると一番後ろを走っていた小柄な兵士に飛びかかった。
口を押さえながら締め上げて気絶させると素早く鎧を身に付け列に加わった。
兵士は路地裏に放置して来たが、2,3時間は目が覚める事は無いだろう。
ガーラの屋敷に着くと既に2000人ほどの兵が集まっていた。
ガーラの部隊兵や私兵も居る。
そして兵たちの前には痩せ狐のレサールが立ち、その隣に憎むべきガーラが居た。
そのガーラが兵たちに言った。
「これより我らは離宮に居るハイネルド王を始末する。我らが王はレサール様ただ1人である。門は内通者が開けてくれる事になって居るし、何よりも我らにはエリムン王太后様が後ろ盾となってくれるのだ。」
レントはこれだけ聞けば充分であった。急がなければならない。
そっと抜け出すと元来た道を引き返した。
途中迷ったが裏路地に捨て置いた兵士の喉を掻き斬った。
離宮の前まで一気に駆けつけると門の横の通用口を叩いた。
「ガーラ様の部隊の者だ。手違いがあった。とにかく開けてくれ。」
レントの声に通用口が開き、2人の兵士がレントを招き入れた。
「手違いとはどういう事だ?」
取り乱す2人にレントは剣をかざした。
「こういう事だよ。」
2人を峰打ちにして倒すとレントは叫んだ。
「敵襲だー!みんな出て来い。」
その声に慌ただしく兵たちが飛び出してきた。
ひざまずくレントにハイネルド王が声をかける。
「どうしたんだレント、誰が攻めて来るんだ?」
「恐らくあと1時間後、レサール様がガーラ公爵を伴って攻めてまいります。黒幕はエリムン王太后様。手引きの者はこの2人でございます。」
そう言ってレントは気を失っている2人の門番を指さした。
「なるほどなるほど。で、人数は?」
「恐らく2000人程かと、」
「そりゃ面白い。レント、2人で蹴散らすか。」
「王様。おやめ下さい。それでは私が報せに来た意味がございません。」
「王様って言うのやめろよレント。んじゃどうする?ここには200人ぐらいしか兵は居ないぞ?王宮に逃げ込むか・・・・いっそエリムンのババァを始末するか。」
それが出来たら苦労はしない。やるのは簡単だろうが大問題になる。
「あ、そうだ!ハイネルド、裏の城壁に穴を開けて中の通路を逃げよう。」
「それだ!みんな急げ、レントは穴を開けてくれ!」
「任せろ!!」
そう言うとレントは城壁近くまで駆けつけると離宮の屋根に飛び乗り、勢いを付けて城壁に体当たりした。勢い余ってレンガごと中の通路に転がり込んだ。
側近が怯えてハイネルドに聞いた。
「王様・・・・あれは人間なのですか?」
「さぁな。俺にもよくわからん。さぁ、とにかくハシゴを架けて早く登るんだ。」
次々と離宮に居る者たちが城壁の中に消えていく。
「よおしレント、行くぞ!お前で最後だ。」
城壁内の通路に立ったレントが門の外を見た。遠くに松明が見える。
「悪いなハイネルド、俺は俺の用を済ませなくちゃいけねぇんだ。先行っててくれ。」
「ふぅん、お前ばっかりずるいな。俺、王様やめちゃおうかなー」
「ふざけんなよ。いいから早く行けよ、王様。」
ハイネルドが走り去り、足音が聞こえなくなった頃クーデターの兵達が門へとやってきた。門は開けてある。
訝しげに入ってきた兵達の先頭にガーラが居た。
レントは城壁の穴からガーラに声をかけた。
「おーい、手柄乞食のガーラ。王様はもう逃げちまったぞ。」
「貴様、レント!王はその通路の先か!!」
「ああそうだ。追いかけるなら俺を倒して追いかけるんだな。もっとも俺がお前のような手柄乞食に負ける事など有り得んがな!!」
言うが早いかレントは穴の中に身を隠した。
「おのれ!ハシゴだ!早くハシゴを架けて追いかけるんだ!!」
兵達が穴に殺到し、通路を駆けていく。
その先に剣を構えたレントが立っていた。
「地走り」
そうつぶやいた次の瞬間、レントはうつ伏せに寝そべったような姿勢のまま稲妻で出来た蛇のように兵達の間を何度もすり抜けた。
レントが立ち上がった時、足を薙ぎ払われた40人ほどの兵達がのたうち回っていた。そしてレントの手には兵達から奪い取った10本ほどの剣が抱えられている。
兵の1人が怯えて叫んだ。
「剣聖ハンニバルの四帝流剣術!!それは誰も伝授されて居ない筈!!」
「ほう、見た事がある奴が居たか。ならば教えてやろう。奥義に至った者のこの剣術の呼び名はそうではない。一皇四帝流剣術と言うのだ。」
そう言いながらレントは奪った剣を横に5本並べた。
「影越し」
つぶやいた次の瞬間レントは消えた。
レントが影のように兵達の後ろにおぼろに姿を表した時、5人の兵士の胸に深々と剣が突き刺さっていた。
「小手先のお遊びじゃねぇか。」
声の主はガーラである。
レントはゆっくり一歩前に踏み出すとガーラに言った。
「待ってたぜ手柄乞食。後ろで震えて居るのかと思っちまったぜ。」
城壁の穴に向かって公子レサールがガーラに向かって叫んだ。
「グズが!早くハイネルドを追いかけろ!そんな小僧に手こずってるんじゃない!」
その声にレントが笑った。
「はぁっはっはっはっは、ガーラよ、良い上司に恵まれてるなぁ。」
「う、うるさい、黙れ!」
「お前がな!」
そう言うとレントはガーラに影越しを仕掛けた。
ガーラの背後に姿を表したと同時に突き刺すべく放った剣が5本全て弾き返された。
なんとガーラの周りには10数本の剣が宙に浮いて居る。
その全てがガーラを守るべくレントに刃を向けていた。
「ガーラ、お前ただの剣士かと思ったら魔導剣士だったのか。」
「いいや、魔導士さ。」
「魔導士が剣を身に付けてるのか。ははははは、道理で役立たずな訳だ。*1」
「ほざくな。これでも喰らえ!」
その言葉と共に10数本の剣がレントに襲いかかった。
それを苦もなく躱し薙ぎ払う。
「ダメだなぁ。金と女に走って心の曇った奴の魔法じゃつまらねえよ」
「お前の浮遊掌も似たような威力だろうが!」
「あ、やっぱり見破られてた?」
これはガーラが地走りと影越しを看破したという事である。
浮遊掌は本来手のひらの物を浮かび上がらせる魔法だが、その応用として片手で腕立て伏せをする要領で上半身部分を浮かべて足で地面を蹴って高速移動する。それが地走りであり、手のひらからの反発力により剣を飛ばすのが影越しである。
技を看破するガーラも凄まじいが、技を見破れなくても臆する事無く打ち破るレントも流石といえよう。
「じゃ、まぁ剣で決着を付けようか。来いよガーラ!」
「寝ぼけるな。おい、こいつを矢でハリネズミにしてしまえ。」
「またお前はつまらん事を・・・・」
レントは倒れた兵を抱えて盾にすると矢を射ってくる兵達に突っ込んでいった。
弾き飛ばされた兵が壁や天井に打ち付けられる。
レントはくるりと向きを変えると再度群がる兵に突進した。
こんなバカバカしい戦いなど誰も経験した事がない。
ガーラの部下たちは戦意を喪失し逃げ出した。
時を同じくして遠くから銅羅の音が響いてきた。王宮殿で打ち鳴らされたのだろう。
「はいお疲れさん。時間切れだガーラ。」
「くっ貴様!よくも邪魔だてしたな!!」
「お前こそよくも俺の部下を見殺しにしやがったな!まぁいい、これでお前は反逆罪で死刑だ。当然お前の家族も一族も全て道連れだ。」
城壁の下ではまたレサールがわめきたてていた。
「ガーラ、どうなっておる。あの銅羅の音は何じゃ?」
ガーラは皮肉っぽく笑うとレントに言った。
「確かに俺は手柄乞食さ、そのためには誰だって始末するし見殺しにもする。その中には当然俺自身も含まれるのさ。」
「どういう事だ?」
「この俺ガーラはクーデターには参加しておらん。なぜなら俺の死体は絶対に見付からんからだ。だから一族が道連れになる事も無い。」
そう話すガーラの体が黄色い光を放ち始めた。
「これが俺の最後の魔法だ。体の組織を粒子単位にまで分割させ、その粒子構造を高火力の爆発物に変換する。レント、お前にこれが受けられるか?」
ガーラがレントを睨み付け、レントも睨み返す。
「面白い。手柄乞食よ、その攻撃で見事に俺を殺してみせろ!」
レントの言葉にガーラがニヤリと笑う。
レントも笑い返した。
その直後、城壁内で大爆発が起こった。
南の城壁の周囲約200メートル程が完全に崩れ落ち、その場に居合わせた兵の殆んどが生き埋めになったり巻き添えを喰らったりした。
もうもうと土煙が漂う中で瓦礫から這い出たレントがゆっくりと立ち上がった。
周りで騒ぎ逃げ惑う兵を見ながらゆっくりと歩き出す。
爆発音が凄すぎて一時的に耳が聞こえなくなっている。
鎧も兜もボロボロで剣はどこかにいってしまっていた。
「やっぱり大した事ねぇじゃねえか。命を懸けてこの程度かよ。」
よろよろと歩きながらつぶやく。
「だから欲に目が眩んだ魔法使いは駄目だって言うんだよ。」
よろめいたレントが倒れた。
再び立ち上がり歩き出す。
「だがまぁ、駄目は駄目なりに頑張ったじゃねえか。」
この翌日レントに対してレサール公子殺害とクーデター首謀者として罪状が読み上げられた。兵権も派閥も持たないハイネルドにはこれを覆す事が出来なかった。
判決は死刑。レサールが死んだ事に対する憤りがレントに向いたと言えよう。
企みを打ち砕かれたエリムン王太后の最後の意地でもある。
これに対しレントは弐路を放つ事で答えた。
弐路は玉座に座るエリムン王太后の首の両脇に深々と突き刺さった。
そして身を翻すとレントはステンドグラスを打ち破って逃走した。
話し終えたレントはしゃぶっていた鶏の肋骨を脇に寄せると、
皿に残った脂をパンで拭い取って口に入れた。
話を聞き終えたハンニバルがヤレヤレと言うように首を振った。
エリムン王太后が精神に支障を来たしたのが5年前、そして崩御したのが2年前だから恐らくレントのせいで3年もの間恐怖を味わっていた事であろう。
それを思うとエリムン王太后が哀れに思えたのだった。
「父上、お話があります。」
不意にフェイが口を開いた。
「ふむ?あらたまってなんだね?」
「実は私、レントに求愛されました。」
ハンニバルとレントは食後のコーヒーを同時に吹き出した。
「たった今レントが肉汁をパンに浸けて食べたのを見て決めました。私はレントの求愛に、前向きに応えようと思います。」
「そんな訳の分からない理由で決めたのか?」
「はい。私には彼の食べ物に対する誠実さと作った者に対する敬意が感じられました。それだけで充分です。」
そこで言葉を切りフェイはハンニバルを見た。
「それに父上はレントには勝てないでしょう。殺す以外に負けを認めさせたり私を諦めさせる自信がおありですか?」
フェイの言っているのが勝負の優劣や勝敗で無い事は明らかだった。
レントを殺す事無く、心を折る事が出来るのかと言う問いである。
「私は生まれて初めて殺す以外の術が無い相手に求愛を受けたのです。そして私は今まで私に言い寄って来た男達とは違い、彼を殺す気にはなれません。」
ハンニバルはフェイの言葉をじっと聞き、ニヤリと笑った。
「もっと正直に言え。お前、レントに惚れたんだろう。」
正面から問い詰められてフェイが赤面して黙り込んだ。
侍女のルネアがあっけらかんとハンニバルに言った。
「お嬢様はレント様に一目惚れしたかも知れないと言ってられました。」
フェイはサッと立ち上がると何も言わずに足早に部屋を出て行った。
そしてドアが閉まると同時にけたたましく階段を上がっていく音が聞こえた。
廊下や階段にある調度品が倒れたり壊れたりしたであろう大きな物音と共に。
コーヒーカップを持ったまま呆然としているレントにハンニバルが問いかけた。
「君が私の娘を気に入ってくれたのは嬉しいが・・・・本当にいいのかね?」
「もちろんです。・・・ただまぁ気になるのは今までフェイに言い寄って来た者たちがどうなったのかって事ですが・・・・・」
ハンニバルはコーヒーを飲み干してから呟いた。
「私は知らないし知りたくもない。なぜなら知らない方が良いと思うからだ。」
レントはその言葉を噛み締めるように言った。
「先生。お教えありがとうございます。」
そして深々とハンニバルに頭を下げた。
夜半に庭に出て木の根元に座ると、レントは木に寄りかかりながら空を見上げた。
フェイと出会ってから数日、あまりにも色々な事があり過ぎた。
そして別の部屋とは言えフェイが同じ家の中に居る事にドキドキして寝付けなくなってしまったのだ。
「どうしたレント、眠れないのか?」
空耳かと思いレントが声のするほうを見るとフェイが立っていた。
レントは立ち上がるとフェイに近づき抱き寄せてキスをした。
途端にフェイの痛烈な平手打ちがレントを襲う。
「・・・・・フェイ?・・・・・・本物?」
「いきなり何をするんだバカモノ!」
「いや・・・・空耳が聞こえたと思ったらフェイが立ってるのが見えて、幻かと思ったら消えないから夢だと思った。夢だったらキスしてもいいかなと思って・・・・」
「呆れて言葉も出ないバカだなお前は・・・・・」
「えへへ」
「褒めてない!まったく!初めてなのにお前ときたら・・・・」
「え?・・・えーと・・・・・ごめんなさい。」
「そういう事は今まで全て撥ね付けてきたからな。・・・・そう言えば以前一度だけ服の上からだが胸を揉まれた事はあったな。」
その言葉にレントが殺気立った。
「今からそいつを始末してくるからどこの誰か教えてよ。」
レントの言葉にフェイが嬉しそうに笑った。
「20メートル以上の高さから落ちて死んだよ。まぁ、自業自得だな。」
「僕も同じ目にあってもいいからフェイの・・・・」
「ダメだ!!」
フェイが厳しく言い放った。
「それよりもレント、今更だが結界を張ってる今日、どうやって村に来れたんだ?」
レントがかいつまんで説明するとフェイは感心したように頷いた。
「そのとっさの対応力、洞察力は凄いな。お前は魔導の素質があるかも知れんな。」
「女なら良かったのにって小さい頃におばぁちゃんに言われた事があってね、僕の血筋では魔力は隔世遺伝で女にだけ引き継がれるんだって。だから僕に素質はないと思うよ。」
「いやいや、わかないぞ。父上も修行を始めたのは20歳の頃だと言っているが、この村では5本の指に入る魔導師だぞ。まぁ、一番はドルテだがな。」
「えー!ハンニバル先生が?」
「そうだ。どうだ?やってみる気になったか?」
「フェイが教えてくれるなら・・・・・・うん。」
「よし、じゃあ今夜はまず、基本の魔法を教えよう。」
そう言ってフェイは手のひらを上にして両手を前に出した。
フェイが説明をした。
「まずはイメージをできるだけリアルに再現する事が大事だ。わかりやすい例を言うと火や氷だな。さぁレント、私の手のひらの上に手を乗せてみろ。」
言われるままにレントがフェイの両手に自分の手を乗せた。
フェイはレントを驚かすつもりで両手に炎を燃え上がらせた。
だがレントは叫びもしなければ手を放そうともしなかった。
黙って炎とフェイを見つめた。
「レン・・・ト?熱くないのか?防ぐ魔法を知っているのか?」
「いや、全然知らない。熱いけど平気だよ。」
見るとレントの手の皮が水膨れになって剥けている。
「バカ!離せ!手が使い物にならなくなるぞ!!」
だがレントはフェイの手を放そうとはしなかった。
「ねえフェイ。考えたんだけどさ、今ならフェイにキスしても両手がふさがってるから叩かれることはないよね。」
「そんな場合じゃないだろう!早く、手が駄目になる!」
「キスしてくれたら離すからさ・・・・」
「・・・・・・なるほど考えたな。いいだろうレント、目をつぶれ。」
「え・・・う、うん・・・・」
目をつぶって顔を近づけたレントの鼻柱にフェイは頭突きをした。
鼻血を吹き出してのけ反るレントからフェイは無理やり手を離した。
「ひどいよフェイ。」
フェイは返事をせずに襟首を掴むとレントに平手打ちをした。
「馬鹿!大馬鹿!この・・・・・大馬鹿レント!!」
掴んだ襟元に顔をうずめてフェイが泣き出した。
「お前はいつもそうだ。私を困らせて悲しい気持ちにさせる。」
ハッとしたフェイが家に向かって叫んだ。
「誰か!誰かおらぬか!治癒師を呼べ!!」
言い終わると同時に玄関が開いて侍女たちと白い頭巾の治癒師が走ってきた。
「早く、レントに火傷の治療をしてくれ。」
素早くレントの手に包帯が巻かれ、薬液がかけられ、治癒師が呪文を唱える。
「レント様、完全に治癒した手を想像して下さい。」
「間違っても黒焦げになった手を想像したりしないで下さい。」
「あ、ごめん。言われてつい想像しちゃった。」
「ふざけるなレント!真面目に治癒した手を想像しろ!!」
ドタバタしている最中にルネアがバタバタと走ってきた。
やがて治癒師が安堵のため息をついた。
「終わりました。完全に治癒致しました。」
「そうか・・・・よかった・・・・だが、」
フェイは一同を見回した。
「お前たち見てたな。呼んでから来るのが早すぎる。」
言われた侍女や治癒師はフェイの視線を避けるために横を向いた。そんな中、
「はーい。まるまるっと見てましたー、旦那様も見てましたよ。」
ルネアが嬉しそうに言った。
「ついては旦那様より伝言を預かっておりまーす。」
そう言って目を閉じ再び開けた時、ルネアの黒い瞳が青白く輝いていた。
そしてハンニバルの声で話し始めた。
「こら、レント!頭突きをされたぐらいで手を離す奴があるか!それでも私の弟子か!そんな奴に娘はやれんぞ!!」
「す、すいません先生!!」
言うなりレントは手をついて謝った。ルネアはしばらく動かずに空を見つめていた。
「フェイ、これは?」
「ルネアは言葉を再生できるのだ。それはともかく父上の言っている意味が分からないのだが・・・・・どういう事だ?」
不意にルネアがフェイに顔を向けてハンニバルの声で言った。
「フェイ!お前もお前だ!なぜレントを試した!こいつはお前が死ねと言えば死ぬ覚悟で居るのだ。炎を燃え上がらせて驚かせようなどと思い上がるな!お前はレントに愛される覚悟などあるまい!お前などにレントはもったいないわ!」
フェイは初めて悟った。レントは命懸けで自分に対して愛を訴えていたのだ。
試したと言われれば返す言葉すら無い。
それなのに自分はレントの気持ちも知らずに罵り頬を打った。それでもレントは自分に対して詫びたのだ。フェイは自分が恥ずかしくなった。
「レント、ごめんなさい。あなたの覚悟に気が付かなかった私を許してください。」
「え・・・いや・・・それは・・・僕が勝手にやってる事だから・・・」
お互いの想いが強まった実感にフェイは嬉しさを噛みしめた。
その時・・・・・ルネアが口を開いた。
「はぁっはっはっはっは、これだけ言えばあの2人も少しは反省するだろう。時には厳しい事も言って父親の威厳ってやつを分からせんとなぁ。じゃあルネア、私の伝言をしっかりと2人に伝えるんだぞ。」
そう言うと目を閉じ再び開けた。目の色は黒く戻っていた。
「以上でーす。・・・・・・って、あれ?・・・・お2人ともどうしたんです?」
「・・・・・いや、何でもない。さぁ、レントの火傷も治ったしみんな家に戻ってくれ。」
フェイの言葉に侍女や治癒師が家の中へと戻っていった。
2人になるとレントは頭を掻きながら照れくさそうに言った。
「何て言うか、先生らしいなぁ・・・・」
「ああ、父上らしいな。」
「ねえ、フェイ。手を握ってもいい?」
「手を握るだけだぞ。それ以上は許さん。」
並んで座るとレントはフェイの手を握った。
「なぁレント、お前魔法は浮遊掌しか使えんのか?」
「いや・・・ええと、あと2つ使えると思う。」
「何だ、歯切れの悪い言い方だな。」
「1つは使えるよ。ただもう1つは教えられたけど使った事がないんだ。崩壊の魔法なんだって。だから本当に使えるかどうかわからないんだ。」
「何だか穏やかじゃないな。誰に教わったんだ?」
「8歳の時におばぁちゃんから教わったんだ。おばぁちゃんは僕が10歳の時に亡くなったんだけどね。」
「そうか・・・・うん。で、もう1つの使える魔法ってのは何だ?」
「え?いや・・・・言えない。」
「ふーん・・・・・隠し事するんだ・・・・・」
「いや、そうじゃなくて魔法名がそのまま呪文になってるから言えないんだよ。」
「そんなに使うと大変な魔法なのか?」
「うん・・・まぁ・・・・うん。」
「見てみたい。レント、お前がその魔法を唱えるのを見せてくれ。」
レントは少し考えてから意を決して言った。
「わかった。でも後悔しないでね。」
レントは手を三角に組み薬指を突き出した。
深く息を吸い込んで止める。
組んだ手を口に当てて全ての息を吐き出すように呪文を唱えた。
「東 天 紅」
ざわりと空気が動いたような音がした。
そして・・・・・
コッ コッコ コケッ コケコッコー コケコッコー
コッ コッコ コケッ コケコッコー
コケコッコー コケコッコー コケコッコー
コッコ コケッ コッコ コケッ
コッ コッコ コケッ コケコッコー コケコッコー
コッ コッコ コケッ コケコッコー
コケコッコー コケコッコー コケコッコー コッコ コケッ
コッコ コケッ コケコッコー コケコッコー
「レント・・・・・何だ?何なんだこの魔法は?」
「近隣の鶏をすべて目覚めさせて鳴かせる魔法。」
「バ・・・カモノ・・・私もバカ者だ。・・・なぁレント、こいつらはどのぐらい鳴くんだ?」
「大体2時間ぐらい」
レントが申し訳なさそうに言う。
「そうか、そんなに鳴くのか。・・・・まぁ仕方ないな。」
窓からハンニバルが何か怒鳴っているが鶏の鳴き声で全く聞こえなかった。
割れ鐘を打ち付けるような大きな音でレントは飛び起きた。
2階の窓から外を見るとドルテがカブト虫をひっくり返したような形の黒い車の横に立っていた。信じられない事だがエンジンのアイドリング音だけで地響きがする。
なんて凶悪そうな車なんだろうとレントは思った。
「おはようございますドルテさん。」
「おはようレント、良く眠れた・・・・・また随分怪我が増えたもんじゃなぁ。」
「いや、何というかしつけが厳しくて、はい。」
「まぁ若いうちは色々あるからのう。さて、鉱山に送ってやろう。早く降りておいで。」
ドアを開け外階段から下に降りるとルネアが立っていた。
ルネアが目を閉じ再び開けた時、黒い瞳が青白く輝いていた。
そしてフェイの声で言った。
「私は別れの言葉を言うのが嫌いだ。だからお前が起きる前に出かける事にした。
3日後に会えるのを楽しみにしている。」
そう言うと目を閉じ再び開けた。目の色は黒く戻っていた。
「以上でーす。」
「3日後・・・・例の戦士の資格を得る為の儀式か。」
「それと、レント様にこれを渡すように頼まれましたー。」
それはレントがフェイと初めて会った日に拾った耳飾りだった。
横からドルテが割って入った。
「レントや、それを身に付けると言う事はこの村の若者に戦いを挑まれると言う事じゃよ。ザルドスの娘が認めた男に勝ったらそれだけで英雄扱いだろうし、婿候補として扱われる事にもなるからのう。」
「なるほどね、逃げても負けても駄目か。だからと言って身に付けないのは論外。」
そう言うとレントは自分の耳に飾りのピンを通した。
「だってさ、フェイがそうして欲しいと思ってるなら身につけるのは当然だもんね。」
「レント、お前は気持ちのいい若者じゃの。」
「プレゼントは誰だって嬉しいですよ。それにきっとフェイも・・・・あ!!」
レントは言葉を切るとドルテに詰め寄った。
「ドルテさんは今フェイが居る所を知る事が出来ますか?」
「誰に物を言っとるんじゃ。よおし、見ておれ。」
そう言うと近くにあった水の入ったバケツを持って来た。
両手の人差し指をバケツに入れると口の中でモゴモゴと呪文を唱えた。
沸騰とは別種のあぶくが湧き上がり、黄色い水蒸気がバケツの上を漂う。
その蒸気の中にぼんやりとフェイの姿が風景と共に浮かんできた。
「この丘と山の位置、太陽の向きで言うと・・・・2山向こうじゃな。大方狩りをしておるんじゃろう。何じゃ?もう会いたくなったのか?」
「うん。さっそくこれを付けた所をフェイに見て欲しいんだ。」
「よかろう!はよう車に乗るんじゃ。」
レントが乗り込むが早いかドルテが車を急発進させる。
リアタイヤが空回りして左右に車体を振り、土埃と排煙を撒き散らしながら、あっという間に見えなくなった。ルネアが手を振って見送った。
「レント様行ってらっしゃーい。死なないで下さいねー・・・さてと、アイスでも食うか」
乗っているレントも気が気ではない。カーブの50メートルも先からハンドルを切って
車を横向きのまま直進する。そのくせきちんとカーブに入ると前の道路に進んで行く。砂利道で所々に大きなくぼみがあるのを軽々と跳ねていく。
しかもボンネットから何本も突き出しているカブト虫の足のようなパイプからは黒煙がもくもくと吐き出されてまともに前なんか見えないのだ。
「よーしレント、あの小山の向こうあたりじゃ。真っ直ぐ行くぞえ。」
小山を乗り越えて跳んだ先で急ハンドルと急ブレーキで20メートルほどスライドしながら車が停まった。そしてその先にフェイが立っていた。
「レント、行っといで。私はここで待っておるでの。」
ドルテがいたずらっぽくウインクして見せた。
「フェーイ!」
レントは車から飛び出してフェイの所へ走っていった。
「フェイ、見てよ。どう?似合うかな?」
そう言って付けたばかりの耳飾りをフェイに見せた。
あっけにとられていたフェイが、やがて小さな声でクックック・・・・と笑い出した。
つられてレントも笑い出した。
「あ、そうだ。僕ばっかり貰っちゃいけないよ。えーと・・・・」
ポケットを探っていたレントが小さな金属板をフェイに差し出した。
「フェイ。これ・・・・貰ってくれるかい?」
レントが差し出したのはファウンランドの旅団長の肩章だった。
レント・オルフィスと名前が彫ってある。
フェイがレントの名前を指でなぞった。
「レント。王都の暮らしが恋しくはないのか?私はきっとあそこでは暮らせないぞ。」
「僕もあそこの暮らしには向いてないと思うよ。それに僕はフェイが居てくれさえすればどこでだって暮らせるから。」
フェイはじっとレントを見たまま何も言わなかった。
無言のまま空に向かって弓を引き絞り矢を放つ。
大きな猛禽が奇声をあげて地面に落ちてきた。暴れる鳥を押さえつけると、フェイはその喉に噛み付いた。
そのままごくごくと生き血を飲む。やがて猛禽の動きが止まった。
口を血だらけにしたフェイがレントに言った。
「レント、ここで暮らすと言う事はこういう事だ。」
レントは軽く首を横に振るとフェイの手から鳥を取ると同じように血を飲んだ。
それを見たフェイが泣きそうな顔をする。
血を飲み終えたレントが鳥を地面に落としてフェイを見る。
フェイが泣いていた。
レントはフェイのそばに歩み寄ると顎に付いた血を舐め取った。
そのままフェイを抱きしめた。
「3日後僕はここに帰ってくる。そしてもう2度と出て行かない。駄目だと言ってもこれからずーっとフェイのそばに居る。」
フェイは返事をする代わりにレントの肩に顔をうずめたまま頷いた。
車に寄りかかっていたドルテがあきれ顔でつぶやいた。
「まったく。この村の誰が鳥の生き血なんぞ飲むものかね。」
ファウンランドの西に位置するキュプ王国は魔力と軍事力で独裁政治を敷いていた。その絶対的な統治者、国王のウルグァストの叫びが宮殿中に響き渡った。側近の者が国王の寝室へと駆け込む。
ウルグァストは上半身裸のままベッドの上に起き上がっていた。
その全身からは汗が流れている。
目は恐怖で虚ろになり口元には阿呆のような笑みが浮かんでいた。
「王様、どうなされました?」
「何があったのですか?ひどい汗ではないですか。」
周りから声を掛けられて次第にその虚ろな目に平静さが戻ってきた。
「ここは・・・・我が居城か?・・・・そうか・・・」
辺りを見回してウルグァストは安堵のため息をついた。
「ワシは今鳥となって空を飛んでおった。若くて力強い翼を持った尾長鷲に入り込んで青い空を飛んでいたのじゃ。」
ふいにウルグァストの目に凶暴な光が宿る。
「ところがじゃ、事もあろうに翼を矢で射貫いた者が居たのじゃ、しかも痛みにのたうち回るワシの首に齧り付いて生き血を飲んだのじゃ。間一髪で尾長鷲から抜け出たからいいような物の、思い出してもぞっとするわい。」
側近たちが驚いて王を見つめる。
「どれ・・・あの顔を忘れんうちに・・・・」
そう言って立ち上がると壁に手をかざした。低く呪文を唱えるうちに指先に赤い靄が現れた。どんどん量と密度を増して壁の前に赤い渦が巻いた。
やがて靄が晴れた時、壁に赤くフェイの顔が描かれていた。
「ふむ・・・お前たちの中でこの娘に見覚えのあるものはおるか?」
周りにいた側近が首をひねる中、1人の武官が言った。
「この娘には見覚えはありませんが、この顔の刺青には少々思い当たる事がございます。」
「ほう、言うてみよ。」
「はっ、ファウンランドの西、我が国との国境から200キロ程の山岳地帯に住む民が自分の体に精霊を寄生させ、その印が刺青のように体に浮き出ると言う話を聞いた事がございます。」
「おお、その話ならワシも聞いた事がある。確かにワシが射抜かれた場所もそのあたりであったわ。」
ウルグァストは手を後ろに組んで思案げに歩き出した。
やがて立ち止まると側近たちに言った。
「以前よりワシは国土をもう少し広げたいと思っておった。ファウンランドから少しばかりの領土を切り取った所で何の問題もあるまい。もとよりファウンランドの軍事力など恐るるに足らぬと思わんか?」
側近だけではなく駆けつけた家臣たちもどよめいた。
明らかな協定破り。だが・・・・
王のこの言葉は立身出世を求める武官たちにとって甘美な響きであった。
「ファウンランドの王都ブリオライでは2世3世の貴族どもが剣の代わりに女を抱え、鎧の代わりに絹の服を着飾っている。軍を二手に分けてまずはファウンランドの西を攻め、軍勢が出向いて来た所で王都を攻め落とす。」
その時若い武官が飛び出した。
「王様、お待ち下さい。」
「・・・・イルケルか。何か不満でもあるのか?」
「戦に挑むための準備も出来ぬまま攻め込むのは軽率に過ぎます。ましてや小国と言えど軍を二分して挑むのはいかがなものかと。何よりも手薄になった我が国を他の国が見逃す訳がございません。」
ウルグァストの顔が真っ赤になった。
じっとイルケルを睨んだまま搾り出すように怒声を上げた。
「ワシは殺されかけたのだぞ!あの娘を捕らえずにおける訳が無かろう!それに戦という物はやってみなければわからんのだ!!」
一瞬イルケルに呆れた表情が浮かんだ。”それが本音か”と思ったのだ。その為に人民を死なせ、国を滅ぼそうとしている。
だが反論する代わりにイルケルはウルグァストにひざまずいた。
「王様、お許し下さい。私が間違っておりました。」
「フンッ分かればよいのじゃ。他に何か意見のある者はおるか?」
「はっ、恐れながら先陣は是非私めにお命じ下さい。」
「いやいや、是非私めにお命じ下さい。」
武官たちが先を争って王に願い出た。
「うむ、頼もしく思うぞ。さっそく戦の準備にかかるがよい。イルケル、お主もじゃ。ワシを失望させるなよ?」
この言葉を聞き武官たちは先を争って出て行った。ファウンランドとの戦争の準備をする為に・・・
1人残ったウルグァスト王はそっと自分の首をさすった。
そしてじっと壁に描かれたフェイを見つめた。
「ククククク・・・・後悔させてやる。お前を死んだほうがマシだと言う目に遭わせてやろう。・・・それにしても生命を吸い取られ、貪られると言うのはまったく何と言う快感なのだろう。もう一度この娘に・・・いや、ワシとしたことが何を馬鹿な事を・・・」
ウルグァスト王は壁に描かれたフェイに背を向けると歩きだした。
そして振り返らずに歩み去った。
ドルテの車から吐き出される音と煙は5キロ先からわかるぐらい凄いものだった。あまりの音に会話もままならない。
それ以前に会話ができる状態ではない。砂利の道を氷の上を滑るように走って行くのだ。それも考えられない程の猛スピードで。
鉱山事務所に着いた時、レントは冷や汗でびっしょりになっていた。
ドアを開けて車の外へ出た途端、足がもつれて転んでしまった。
と、事務所の影から中から100人以上もの作業員が出てきて口々にレントを冷やかした。
「主任。朝帰りとはやりますねー」
「主任、腰がフラフラなんですかぁ?」
「太陽が黄色くないっスかー?」
これは一体・・・と思っているとサリティが声を掛けてきた。
「レント。彼女に送って貰うたぁ隅に置けねぇなあ。早く俺達に紹介してくれよ。」
声の方を見るとサリティが嬉しそうに立って居るのだが・・・・
頭には包帯を巻いて両目はアザが出来、顔も傷だらけだった。
レントとサリティはお互いの顔を見て苦笑した。
その時運転席のドアが開いてゆっくりとドルテが降りてきた。
その瞬間冷やかしてた者達がざわついた。
「カシラは相手は年上って言ってたけど上すぎねえか?」
「ありゃ運転手だろ?後ろに乗ってんだよ。」
「主任って枯れ専なのか?」
口々にささやきあう声がレントにも聞こえて来た。
サリティはつかつかと車に近づくと後部ドアを開けた。
当然誰も乗っていない。
首をかしげたサリティが手をポンと叩いて車のトランクルームを開けた。
籠に入ったジャガイモしかない。
サリティはちらりとドルテを見て首をかしげる。そしてまた手をポンと叩くとボンネットを開けた。エンジンしか入っていない。
ドルテがレントの耳元で囁いた。
「レントや、この男は頭が変なのかえ?」
「奴が何を考えてるのか分かる気はしますが・・・・これは・・・・」
言いながらレントは嫌な予感に襲われた。サリティが腰に手を当ててドルテをじーっと見ているのだ。首をかしげながら・・・・
やがて手をポンと叩いてドルテに近づいた。
そしていきなりドルテの髪と顔を引っ張った。
「あいたたたた、何をするんじゃ、この馬鹿たれが!!」
ドルテが持っていた杖でサリティを滅多打ちにした。
(こいつ・・・絶対やると思ったよ。)
そう思ったレントの方に来ると腕を掴んで離れた所まで引っ張っていった。
「レント、気を悪くするなよ、まさかとは思うがお前、あの婆さんを相手にしたのか?」
レントの肩に腕を回して小さい声で聞いてきた。
何とも返事に困ったレントにサリティが続けた。
「まぁ相手はどうあれ、これでお前も大人の仲間入りだ。だがなぁ、お前水臭いぞ。俺に一言いってくれればあんなババァよりも・・・・」
言いながら振り向いたサリティの鼻の先にドルテの顔があった。
「ひぃぃぃぃっ」
驚いて尻餅をついたサリティを引っ張って今度はレントがドルテから離れたところに移動した。そして真顔でサリティに言った。
「サリティ。大事な事だからはっきり言っておくぞ。口の利き方と言葉に気をつけてくれ。」
「あん?何カリカリしてんだよ。別にいいじゃねえか。」
「礼儀の事を言ってるんじゃない。現実問題としてあの人を怒らせたらこのへん一帯、下手したら鉱山そのものが無くなるかも知れない。」
「おい、それって・・・」
「その時は多分俺もお前もきれいに無くなってるだろうよ。」
「あ、あのババァ魔法使いかよ!!」
「バカ!声がでかい!」
慌ててレントがサリティの口を塞いだ。おそるおそる振り向いた先に目を細めたドルテが立っていた。だがその目は笑ってはいなかった。
「い、いや、ドルテさん。こいつサリティって言うんです。いい奴なんですがちょっと口の利き方が悪いもので・・・すいません。」
そう言いながらレントがヒジでサリティをつついた。
「ん?あ、ああ、ドルテさん初めまして、サリティって言います。いやぁ、それにしてもドルテさんはお目が高い。レントに目を付けやが・・・いや唾をつけ・・・じゃなくてモノにするとは歳を取って益々盛んってやつですねえ。いよ!憎いよこの大魔法使い!」
(こいつわざとやってんのか?ここはふざけるところじゃねえぞ!マジで死ぬぞ、周りの人間全部巻き込む気かコイツ・・・・)
青ざめてサリティを止めようとしたレントにドルテが言った。
「レントや、友達は選んだ方がよいぞ。こやつはイリア村にも居ない程の掛け値なしの大たわけじゃ。」
そう言って今度はサリティの方を向いた。
「サリティとやら、一応言っておくがレントの相手はわしではないからの、もっと全然若くて・・・・危ない奴じゃ。」
それを聞いてサリティが照れ臭そうに頭をポリポリ掻いた。
「そ、そうですか。そうですよね、レントがこんなバァさんに熱を上げる訳がねぇと思ってましたよ。」
ドルテの眉が片方だけ吊り上がった。
「お前さん本当に鼠にでも変えてやろうか?」
「あっ!いや、すいません。勘弁して下さい。」
サリティがハッとなって謝った。
「さてと、じゃあそろそろ帰ろうかね。」
そう言って車に乗り込んだドルテが窓からサリティを手招きした。
「3日後の満月の夜、レントは儀式の為にわしの村に来る。これは持って帰るつもりじゃったがお前さんにやろう。」
そう言って竜の牙をサリティに手渡した。
「気が向いたらそれを持ってレントと一緒においで、待っとるぞえ。」
「お、おう・・・」
サリティが竜の牙を受け取るとドルテはフルアクセルで車を発進させた。
土煙を上げてあっという間に3つ先の坂道を猛スピードで走って行くドルテの車に見とれて
2人は立ちつくした。
「なあ、サリティ。話があるんだ。」
前を向いたままレントがサリティに言った。
サリティもまた前を向いたまま返事をする。
「ああ、お前が2年前の顔つきになったのを見た時からそう言ってくるだろうと思っていたよ。」
結局午後からレントは仕事に追われて、サリティと最終的な話を詰めたのは夕方だった。無論今までの事も包み隠さずに言った。仮に行きがかり上サリティの戦友を手にかけていたとして、恨まれるのは承知での事だった。
「なるほどな、お前を見て猛将レントだと思う奴なんか居ねえだろう。俺ももっと恐ろしい顔をした奴を想像してたよ。」
「おとなしい顔してるからねえ。」
「それはともかく仕事の事だが、辞めるんじゃなく長期休暇を取る形にしようぜ。最終的に辞めるにしてもその方がいい。」
「どうしてだい?」
「俺も一緒にその村に行くからに決まってんだろう。まぁ地元の友人の結婚式に出席するとか言えばいいだろう。」
言うが早いかサリティは立ち上がってドアに向かった。
「俺は所長に伝えてくるからお前は食料を買って来てくれ。ピクニック気分で今夜出かけようぜ。」
「ち、ちょっと待てよサリティ。別に3日後にバスで行ってもいいんじゃないのか?」
レントにそう言われたサリティがちょっと照れたように横を向いた。
「俺はな、戻って来たらソフィーとの事を所長に言うつもりなんだよ。結婚させてくれってな。で、その前にちょっと旅がしたくなったんだ。」
「あ・・・サリティ、お前もしかして・・・」
「・・・・まぁ男ってのは責任を持たねぇとな。」
「良かったなぁ。ああ、本当に良かった。」
「ありがとよ」
「よおし、じゃあ3日分の食糧を買ってくるか。寝袋代わりの外套と食器もついでに買ってこよう。」
「おう、じゃあ8時に事務所前で待ち合わせようぜ。」
サリティが出て行った後、レントは自分の部屋を見渡した。2年暮らした部屋にはそれなりに雑多なものがあるが・・・・・
(持って行くほどの物は特に無いか・・・)
ふと、元騎士だったと言う酒癖の悪い作業員から取り上げた大槍が目に付いた。案外と本来の用途以外にも結構役に立つのだ。
現に今も部屋干し用の竿として使っている。
レントは大槍を吊るし紐から外した。
「なぁ、サリティ」
「ん?どうした?」
「いくらなんでも2時間歩いてメシだとは思わなかったぞ」
焚き火の小枝を取ってタバコに火をつけながらサリティが照れ笑いした。
「いやぁ、夜目が利かなくなっちまってなぁ・・・」
「まぁ急ぐ旅でもなし、いいけどね。」
そう言いながらフライパンでソーセージを焼いていたレントの手が止まる。
少し考え込むように炎を見つめる。
やがてまたコロコロとソーセージを焼き始めた。
「なぁサリティ、焼き加減ってこんなもんかな?」
そう言いながらレントは指で合図をして振り向かずに後ろに目配せをした。
気付いたサリティがさり気なく足元の大槍に手を伸ばした。
レントも薪を足す動作の流れで小石を拾い上げる。
林の中に誰か居る。
音を立てずに近づく目的は恐らく2つしかないだろう。
強奪か殺害。あるいはその両方である。
おそるおそる様子を見に来たと言う可能性は無い。
それならば気配に殺気を含んだりしないからだ。
「おうおう、程よく焼けてうまそうだな。」
サリティは細身のナイフでソーセージを刺して口に運んだ。
レントが体を動かさずに右後方に声をかけた。
「林の中の君もこっちに来て一緒に食べないか?」
これでどう反応するか待った。
この場合の目安は大体5秒、飽くまでも隠れる気でない限り何らかの動きをするものだ。
「いやぁー、まいったまいった。君たち凄いね、完全に気配を消してたつもりだったんだけどなぁー」
そう言って姿を現したのは長衣をまとった若者だった。武闘用ではなく、幅広の襟のついた法衣のようなものである。
ただし、それはあざやかな真紅の長衣であった。
細い槍を持ち、不釣り合いな毛皮の帽子を被っている。
「あーダメダメ、腹が減ってるんだろう?そんなのが食い物を目の前にして気配を消し切れる訳がねえよ。」
そう言うとサリティは手をひらひらさせた。
「まぁそんな所に立ってないで座りなよ。」
そう言ってレントがパンとソーセージを乗せた皿を若者の前に置いた。
若者は何も言わずに飛びつくようにガツガツと食べ始めた。その様子を見てやっと2人は緊張を解いた。
人心地が着いた所でサリティが話しかける。
「自己紹介がまだだったな。俺はサリティ、こいつはレントだ。」
「私はナッシュ、イリア村の者です」
そう言ってレントからコーヒーを受け取るとうまそうに飲み始めた。
「お前、俺たちの荷物を盗もうと思ってたな。」
サリティのこの言葉にナッシュがむせた。
「いえ、そんな・・・・私はただ・・・・」
「腹が減ってたから食い物が欲しかった。そうだろう。」
疑問ではなく確認するように問いかけるサリティにナッシュが黙り込んだ。
「まぁいいさ、実際に盗んだ訳じゃねえからな。だが何でイリア村の者がこんな所で腹を減らしてるんだ?」
黙り込んでいたナッシュがポツリポツリと話し始めた。
「・・・・イリア村では年に1回戦士を名乗る為の行事があってね、その参加者は2つの試練が課せられるんですよ。私は第1の試練はパスしたのですが第2の試練で落ちましてね。」
レントとサリティは目を見合わせ、サリティが小さく頷いた。黙ってもう少し話を聞こうと言う事だ。
「それで1年旅に出てたんですよ。第1の試練は免除されるんでね。まぁ、個人的な事なんですがイリア村にたった1人だけ女戦士が居ましてね。その子と結婚できる条件の1つが戦士になることなんですよ。だから私は何としても今年の試練に合格したいと思ってるんです。」
その言葉を聞いてレントとサリティが顔を見合わせた。
「それってやっぱりアレか?レント?」
「間違いなくそうだと思う・・・・」
「あれ?2人ともどうしたんです?」
レントが気まずそうにナッシュに聞いた。
「それってやっぱりザルドスの娘の事かな?」
ナッシュが意外そうに返事をした。
「へぇ、フェイ・ザルドスって有名なんですか?まあ美人だし強いですからねえ。だけど残念ながらあなた達のような他所者にはどう頑張っても手の届かない存在でしょうね。」
レントとサリティが顔を見合わせた。
そしてやれやれという表情で2人とも服の下から竜の牙を出した。
「ナッシュ、お前ならコイツが何かわかるよな。」
「それ!・・・・竜の牙!でも・・・あなたたちはイリア村の住民ではないんですよね?だったらなんで?」
「まぁ、話すと長くなるからそれは置いとこうぜ。それよりも・・・」
サリティがレントにアゴをしゃくった。
観念したようにレントがナッシュに左を向いてみせた。
「君ならこれが何かわかるだろう?」
そう言ったレントの左の耳にはフェイからもらった耳飾りが光っていた。
怪訝そうに耳飾りを眺めていたナッシュの顔が不意に険しくなった。
素早く槍に伸ばした手を一瞬早くサリティが踏んで押さえた。
もう片方の手がナイフを抜くと同時にその手をレントが抑えた。そのまま捻り上げてナイフを取り上げる。
「殺してやる!レント!お前を殺す!!」
「飯を食わせてやった礼がそれかよ。単にお前は第2の試練に落ちたのと同じでザルドスの娘にも認められなかったってだけの話じゃねえかよ。」
サリティはそう言いながらナッシュの槍を手に取ると穂先をその首に当て、そのままじっとナッシュを見つめた。
「今殺すと言ったよなぁ。実は俺もお前を殺そうかどうするか迷ってるんだよ。どうしてか分かるか?」
サリティのいきなりの行動にナッシュが震え出した。
「お前の話を聞いて、この長衣がお前の物じゃねえって判ったからだよ。」
「いや・・・それは・・・」
「お前自分が今着てる物が何だか分かっているのか?」
「あ・・・いや・・・それは・・・・」
ナッシュは助けを求めるようにレントを見た。だがレントはナイフを持って座ったまま黙って炎を見ていた。
「その真紅の長衣はな、連れ合いを失った奴がその魂を慰め祈る為に僧籍に入った時に初めて着るのを許される物だ!伊達や酔狂で着たり買ったり出来る代物じゃねえんだよ!!」
焚き火の炎を見つめながらレントが口を開いた。
「サリティ、聞いても答えは判りきってるじゃないか。私は殺してないって言うんだ。それ以外の答えをしたら死ぬのが分かってるからな。」
レントはゆっくりとナッシュの方を向いた。
「飯の代金を貰おうか。槍とナイフ、そしてお前が今着ている長衣だ。」
レントとサリティを交互に見ていたナッシュが観念したように長衣を脱いだ。麻のシャツに木綿のズボン、そこに返り血と思われる汚れがあった。
やっぱり、と言う表情が2人に出る。
次いで首からぶら下がってる竜の牙にサリティが手を伸ばした。
「サリティ、それはダメだよ。」
焚き火に枝を放りながらレントが言った。
「君がどんな奴だろうと同じ女を好きになった事に免じて今回だけは見逃そう。だが次に姿を見たら殺す。この意味が分かるか?」
体を震わせながらナッシュが首を横に振った。
「イリア村で見かけたら殺す。第2の試練を受けに来たら殺す。イリア村に戻って来たと言う話を聞いたら殺しに行く。そういう事だ。」
そう言ってレントはまた焚き火の炎を見たまま黙り込んだ。
サリティが行けと言うようにナッシュにアゴをしゃくった。
「簡単な事だろうが、殺し合うか逃げるかそれしか選択肢は無ぇんだよ。」
ためらった後にナッシュは林の方に駆け出した。
10数メートル離れた所で立ち止まると振り返って叫んだ。
「次に会ったときは殺すだと?こっちのセリフだ!お前たち2人に命乞いをさせてやる。その上で必ず殺してやるからな!!」
そう言うと同時に走り去っていった。
レントは焚き火を見つめながら、飛び出しそうになる足を抑えていた。
「なあレント、あいつ夜中に来ると思うか?」
「いや、それは絶対にない。・・・ただイリア村に入る時には待ち伏せているかも知れないな。僕たちが村に入ったら具合が悪いだろうからね。」
そう言いながらレントはリュックから肉の塊を取り出して炙り出した。
「今日は腹いっぱい食べて寝よう。明日は日の出前に出かけるぞ。」
サリティがタバコに火をつけて答えた。
「俺もそう言おうと思ってたところだ。」
翌早朝、薄明かりの中で出発した2人が窪地の中で巡礼者の遺体を見つけたのは午後になってからだった。
2人の予想通り食料や金目の物は奪い去られていた。
お互いに提案するでもなく枯れ枝を集めて窪地に積み上げた。
その上に遺体を乗せ、真紅の長衣をかけた。
その長衣が何度やってもズレ落ちたり風で飛ばされるのだった。
「奥さんに会えたから必要無くなったって事なのかな?」
「もしかしたら葬儀をする礼かも知れねえな。」
サリティがそう言った瞬間に風もないのに長衣がレントの方へ飛んで来た。
「こういうのは逆らっちゃいけねえよ。レント、貰っときな。」
「服に仕立て直してもいいなら礼として受け取ろう。巡礼者さん、それでいいかな?」
レントのこの言葉に呼応するかのように森の中で無数の小鳥たちが鳴いた。
聞き入っていたレントがサリティに主を務めると申し出た。
無論サリティに異存は無い。
レントは巡礼者の前に跪くと葬送の言葉を語った。サリティがそれに続いて同じ言葉を語る。
「私はこの巡礼者の名前も素性も知りません。」
「私はこの巡礼者の名前も素性も知りません。」
「けれども愛する者の為に巡礼を行う彼に私は畏敬の念を持ちます。」
「けれども愛する者の為に巡礼を行う彼に私は畏敬の念を持ちます。」
「願わくば彼の行き着く先に愛する者が居られます様に。」
「願わくば彼の行き着く先に愛する者が居られます様に。」
レントは持っていたすべての食糧を巡礼者の周りに積み上げた。
サリティも文句など言わずに手伝った。
「今の私に出来る全てを以て彼を安らぎへと導け。」
「今の私に出来る全てを以て彼を安らぎへと導け。」
レントは枯葉の付いた枝に火を点けると巡礼者にかざした。
燃え盛る炎の前で2人は手を合わせた。
全てが灰になり、土を盛り墓標を立てた時にはもう日が傾いていた。
「レント、いい葬儀だったな。きっと天に召されただろう。」
「ああ、サリティ、ありがとう。」
その後イリア村への道を日が暮れるまで歩いた2人は食事をとる事も無く眠りに就いた。
*1 魔法使いが身に剣を帯びるのは性的不能を補う魔法をかける為だと言われている。