第三章 嵐の夜の祈り 2
レントが落ち着くのを待ってサンドラが優しく言った。
「今まで黙っててごめんね。このまま知られずにいた方が良いのかどうか迷ってたの。」
「僕の方こそごめん。気付かないフリができなくて・・・・」
「アイリス、レントがごめんね。ホントにもう、こう言う人だから。」
そう言ってレントに向き合ったサンドラにレントが問いかけた。
「ねぇサンドラ、どうにも解せないんだけど3人の中で一番強かったって言うワイズさんが相手に手傷も負わせずにむざむざ囚われるってのはどう考えてもおかしいよ。」
その言葉にサンドラとアイリスが顔を見合わせた。
「もしかしたらだけど・・・・ミスリルを刺されたんじゃないの?」
「レント、あなた何でそんな事知っているの?」
サンドラの答えにレントとカルビが目を合わせてやっぱりと言う顔をした。
「実は精霊の特性とミスリルによる作用をカルビから聞いたんだ。」
「・・・そう。だったら話が早いわ。私たちは待ち伏せをして攻撃を仕掛ける時に敢えてミスリルを使ったわ。復讐の為にね。」
相変わらず草を振っていたアイリスが不意にレントに話しかけた。
「レントさん、この草何て言うか知ってるッスか?」
「え?ああ、来る途中で引き抜いてきたのか。それは昼告げ草だろう?それがどうかしたのか?」
「太陽が真上に来た時だけ1時間ほど花を咲かせる草。レントさんはそれ以外にこの草の事は知らないッスか?」
「いや、それしか知らないな。」
答えながらもレントが怪訝そうな顔をした。
「この草には同じ読みでもう一つ意味があるんスよ。この茎の所にある瘤が見えるッスか?これ蛭が草の汁を吸った後に出来るんスけど、なまじな魔法なんかよりよっぽど強力な切り傷の薬になるんスよ。」
そう言ってアイリスは石の上で茎の部分をナイフで切った。ドロリとした赤黒い粘液が石の上に広がった。
「手で触っちゃ危ないっスよ。指が癒着するかも知れないッスからね。」
レントはその言葉に伸ばしかけた手を引っ込めた。
「なるほど、蛭接げ草って事か。」
「大当たりッス!」
大当たりか・・・・とレントは思った。
話の流れ的にレントにはある予感があった。
「じゃあレント、前置きが長くなったけど奥に行きましょうか。」
サンドラがそう言って歩き出した。
真っ暗な通路の先から微かなうめき声が聞こえてきた。
広場の入口にある灯火油の溝にサンドラが火をつけた。灯火が壁を走り広場全体を明るく照らし出す。
中央の石柱を囲むようにナニカが輪を作っていた。
そのナニカを見たレントの背中に戦慄が走った。
ほとんどミイラのように干からびて、切断された足を投げ出して座っている男たちの輪だった。
縛られて繋がっているのではない。切断された腕と腕とが接合されているのだ。恐らく蛭接げ草で接合されたのだろう。
「最初は5人だけだった。」
サンドラの言葉の意味が分からずにレントが首をかしげた。
「待ち伏せていた所に来たのは5人だけだった。もっとも、その中に精霊の騎士が混じっていたから死なずにこうやって苦しんでいる。体が繋がっていると命も共有できるみたいだな。」
事も無げにサンドラが言い放った。
「仲良く悪事を働いて来たから仲良く繋いでやった。所がその途端にこいつらは仲たがいをして必死に命乞いをした。聞いてもいない仲間の居場所も喜んで話したよ。」
吐き捨てるようにサンドラが言った。口調までレントが初めて出会った時のようになっていた。
男たちを眺めていたレントがつぶやいた。
「7人しか居ない。」
冥い目をした2人もつぶやいた。
「そう、7人しか居ない。」
「7人しか居ないッス。」
男たちの口から漏れるような声が聞こえる。
「ロメロはどこに居るのか分からない。」
「ロメロが一番悪いやつなのに」
「お願いだからもう殺してください。」
「ロメロ、憎い。憎い。どこだ?」
レントはじっと無言で男たちを見据え続けた。
その目には怒りと困惑があった。
男たちは目をくり抜かれ、耳や鼻を削がれ、体には無数の傷があった。
「むごいことだ・・・・・・」
レントのその言葉に2人がうつむいた。だが・・・・
レントは男たちの所業についてむごいといったのだ。
「お前たちのせいで、俺のサンドラは今も苦しんでいる。8年だ。わかるか?その地獄の苦しみがお前らに分かるか?」
レントは振り向くとサンドラに言った。
「憎めば憎むほど、ますます憎くなるんだろう?憎しみで醜く歪んだ自分の事も、許せないほど憎いんだろう?」
そこまで言うとレントは下を向いてボロボロと涙を流した。
「俺には何もできない。殺す事が懲罰ではなく救済、慈悲になるから殺す事もできない。サンドラ、君の苦しみを和らげることすらできない。」
サンドラもアイリスもだからこそ殺せなかった。
憎んでいる相手に慈悲をかけるなど、とんでもない事なのだ。
ではどこまで、いつまでこれを続けるのか。
憎しみは消えるのか。
否、消えないからこそ、こうして自身が地獄に苦しみながらも男たちを殺せずに日々苦しめ抜いているのだ。
「ご主人様」
それまで黙って聞いていたカルビがレントに歩み寄った。
「出過ぎた真似とは思いますが私に任せてはもらえませんか?」
レントが怪訝そうな目でカルビを見つめた。
「どうするつもりだ?」
「私の仕事の一つに罪人の魂を使って冥府の門を作ると言うのがあるんです。この者たちの輪をそのまま門にしてよろしいですか?」
レントはサンドラに伺うように目を向けた。
「それは、この者たちを苦しめるのですか?」
サンドラの問いにカルビが嬉しそうに笑った。
「言葉にして言うよりも、想像するよりも苦しみます。1000年苦しんだ後で冥府に落ちて3000年苦しめられます。最深層に落ちて磨り潰されて消滅するよりは軽いですが、・・・・どうしますか?」
「お願いしようかしら。カルビちゃんよろしくね。」
「私からもお願いするッス。」
「だ、そうだ。頼むよカルビ。」
カルビはそれを聞いて嬉しそうに足元から黒煙を巻き上げた。
煙の中で猫の姿からおぞましい大きな黒い獣の姿へと変貌していく。
怯える男たちの傍まで行くと中央の石柱を薙ぎ飛ばした。
見ていたレント達さえ背筋が寒くなる光景であった。
次いで大きな手で手近に居た精霊を宿した男の体からミスリルを引き抜いて、無造作に男の頭を掴む。
肉の焦げる匂いと緑色の煙が漂う。手を離すと、そこには頭頂部に禍々しい緑色の刻印を刻まれて絶望しきった男の顔があった。
「何?なんなのこの子?レント、本当にこの子下級魔獣なの?」
容易く軽々とカルビは次々と男たちの頭に刻印を刻んでいく。
最後の男の頭に刻印を刻むとその頭を掴んで横に振り回した。
7人全員がぐるぐると回転しながら地中に没していく。
うめき声と土煙を上げて完全に地面の中に入ってしまったが、地面が透けて男たちの苦しんでいる様子が見える。
うめき声や哀願の声が聞こえる。
ほっと一息付いたレントがサンドラに言った。
「最後の一人、ロメロと言う男は俺が捕まえて始末をつける。だからもうこれで終わりにしよう。」
憑き物が落ちたようにサンドラとアイリスが頷いた。
輪になった亡者たちが苦しげにつぶやく。
「ロメロは生きている・・・・」
「ロメロが死んだら必ずここに引きずり込む・・・・」
「苦しいよう・・・・ロメロが憎いよう・・・」
それを満足げに聞きながらレントはホッと安堵した。
これでアイリスやサンドラがこれ以上手を下す事は無くなった。
「ご主人様、こんなもんでいかがでしょう?」
いつの間にかまた猫の姿になったカルビがレントに問いかけてきた。
「上出来だ。ありがとうカルビ。」
「えへへー、ご主人様に褒めてもらっちゃった。」
「さて・・・」
レントはサンドラに向かって微笑んだ。
「ワイズさんの、そして他の少女たちの墓に行こうか。」
思わずサンドラとアイリスがレントをまじまじと見つめた。
「え?変?だって、サンドラの大事な人なんだもん。僕だって冥福を祈るべきだし、そうしたいと思ってるよ。」
レントの言葉にサンドラが穏やかに微笑んだ。
「あなたを好きになって良かった。本当に良かった。」
そう言ってそっとレントに抱きついた。
「あーもー、あんまり見せつけないで欲しいッス」
アイリスが冷やかしたその時、亡者たちが叫んだ。
「ロメロが死んだ!」
「首を刎ねられて死んだ!」
「ミスリルを刺されて首を刎ねられた。」
その言葉に3人が驚いて顔を見合わせた。
ただカルビのみが落ち着いて亡者に指示を出した。
「よおし、そのロメロ、ここまで引っ張ってこい!!」
そして振り向きながらレントに笑ってみせた。
「ご主人様、これは偶然じゃないですよ。世界の色んな歯車が運命を軸にして回るとこうなるんです。ここに3人が揃っている事も私が居合わせた事も、そして今ロメロが死んだ、いや、殺された事もです。」
「それも不在の神の代理ってやつか?」
「まぁ瑣末な事ですがそういう事です。」
言いながらカルビは石柱の土台の窪みに前足をかざしてコップに一杯ほどの暗緑色の液体を滴らせた。
「ロメロが来たぞ!」
「引きずり込んでやったぞ!」
亡者の叫びの直後、風の走る音と共に白い光が飛んできた。
亡者の輪の中に吸い込まれるように入り込んだその時、カルビの前足が素早くその光を捕らえた。そのまま石の窪みに叩き付けると同時に口から赤黒い炎を出した。石の上に暗緑色の炎が燃え出した。
炎は苦悶に喘ぐ男の顔をしていた。
「ご主人様、ちょうどうまい具合に誘導灯が出来ました。これで冥府の門は完成です。何もなければ千年は持ちます。」
カルビが誇らしげに言った。
その言葉を証明するかのように白い光がいくつも飛んできて亡者たちの輪の中へと入っていった。
その中の一つをカルビがサッと捕まえて口に放り込んだ。
いずれ罪人の魂だろうと思い、レントは見て見ぬふりをした。
洞窟から出ると雨が止んで満天の星空が広がっていた。
来た時とは逆にゆっくりと歩きながらレント達は帰路に着いた。
普通の道を通ると歩いても2時間ぐらいの道のりであった。
案内されたワイズと少女たちの墓はサンドラと夕日を見た場所の下に降りた所にあり、レントは改めてサンドラの心の傷を思い悲しい気持ちになった。
墓の前に来たとき、風もないのにレントの濃紺の長衣が不意にはためいた。
ああ、そうかとレントは気付いた。
思えばこの長衣も妻に先立たれた男が着ていた物だった。
名も知らぬ悲しい男。言葉を交わしたことさえない男。だが、
(あなたも一緒に悲しんでくれて居るんだね)
心の中でそう思いながらレントが静かに手を合わせた。
サンドラとアイリスもそれに倣う。
お祈りが終わりレントが顔を上げた時、上で声が聞こえた。
「お嬢様、レント様、お迎えに参りました。」
見上げるとルネアが手を振って立っている。
カルビがレントの耳元で囁いた。
「ご主人様、あの人やっぱり普通じゃないです。」




