第六章 邂逅の獣 29
スミスの悲鳴など意にも介さずレントは更に体を回転させて腕を絞り上げた。
すでに肩の周囲は熟れ落ちた果実のように黒く変色し、水疱のように膨らんでいる。逆に関節部分は縄のように細く絞られ、身割れした箇所から血が滲み出していた。
なんとか逃れようと身をよじり、うめき声を上げるスミスの口に大きく振り上げた踵を叩き落とした。
2度、3度と蹴られて弱ったスミスの脇の下と首に足をかけて力任せに引っ張ると筋肉繊維がブチブチと切断され、やがてブツリという音と共に右腕が力任せに引っこ抜かれた。
腕と肩口からドス黒い血が噴き出す中、レントは腕を放り投げてスミスの喉に掴みかかる。
かろうじてそれを逃れたスミスが転がりながらレントと距離を取った。
「まったく容赦なしですね。まるで狂犬だ」
「甘く見て手を抜いた報いだ。ところで普通の奴ならもう戦えないがお前はまだやれるだろう?」
「もちろんやれますとも。しかし手を抜いた覚えは無いんですがね」
「単に打撃だけなら俺はそのスピードについて行けなかった。だがお前は俺の肋骨を掴んで折った。しかも力を誇示するためにわざわざ同じところに手を伸ばした」
「あ!」
「そう、掴んで折ると言う時間のかかる動作を2度繰り返したんだ。これで掴めなかったらそっちの方がどうかしているよ」
「ふ、ふふふふふ。だがなぜそれを私に説明するんですか?レントさん、あなたの方がよほど私を甘く見ているのではありませんか?」
「違うんだ。もうお前には最初のスピードが出せないとわかっているから言っても構わないのさ」
「ならば試してみましょうか?」
言い終わるやいなやスミスが一気に距離を詰めて左手1本で攻撃を仕掛けてきた。
そのことごとくを軽々と避けて逆にレントがスミスの顔面を打ち抜いた。後ろに吹っ飛んだスミスが足を震わせながら立ち上がる。
「スミス、お前は今まで腕を失った事も隻腕の戦士と戦った事も無いんだろう?」
「ええ、そうです。ありません」
「腕1本無ければどれだけ体のバランスが崩れるのかも知らない。スピードもパワーも格段に減少する事もな」
「なるほど、レントさん、確かにあなたの言うとおりです。ですが・・・」
「待て、お前に腕を再生させる能力があるかどうかは知らんがオレはそれを見逃すつもりは無いぞ」
「そんな気はありませんよ。ただ私は取り引きを持ちかけたいのです」
「取り引き・・・悪魔とか?悪い冗談だな」
「どうでしょう?この戦いを無かった事にしてくれるなら私は2度とアスタクリス王女にもサンドラさんにも関わりません」
「エイボンとの契約はどうするんだ?」
「苦渋の決断ではありますが契約する前にまで遡って・・・」
「いや、それはダメだ。今この時点でエイボンとの契約を破棄してくれ」
「そ、それは・・・」
「出来ないのか?だったら取り引きも無しだ」
「悪魔は契約に対する不履行は許されないのです。そこはどうかわかっていただきたいですね」
「わかっているさ、お前は契約に対しては誠実だ。オレとの約束も守るだろう」
ホッとした表情を浮かべたスミスに素早く近付くと、レントは下からすくい上げるように顎を打ち抜き、そのままシャツの襟元を掴んでグッタリとしたスミスを引き寄せた。
「だが守るのは約束した事だけだ。当然約束の中に含まれるであろう言ってない部分には踏み込んでいく。お前はそう言う奴だ」
「とんだ言いがかりですね。いったい何を根拠にそう断言しているんですか?」
「その丁寧な言い方が証拠だ。お前はまだ狡猾な偽りの仮面を被っている」
「ああ、なるほど。見誤っていましたよ。以前には無かったその洞察力と自信はトリトンから受けた叡智だったんですね」
「どうやらそうらしい。だからもう一つ判っている事がある。スミス、ダメージを受けているフリはやめておけ」
「フリ?」
「右腕が無いのはともかく今のお前はたいして弱ってなどいない。そうだろう?」
「さぁて、どうですかね?」
言うと同時に襟を掴んでいるレントの手を弾き飛ばした。そのままの姿勢で頭突きをしてレントを後退させると顎に向けて蹴りを放つ。咄嗟に避けたレントの頬が切り裂かれた。勢いのまま拳の連打を放つが今度は躱され、ヒジでガードされた。
「ほぉ、我の動きに追い付くとはさすがだな。小僧、人の子にしておくのが惜しいぞ」
「やっと口調が変わったな。だがスミス、オレがお前のスピードに追いついたんじゃない。腕を失った体のバランスを取るせいでお前が遅くなったのさ」
「なぜお前はわざわざそんな事を言うのだ?」
「万全のおまえの攻撃を見切れる確信が持てたからに決まってるだろうが」
「フフフ、お前ずいぶんと楽しそうだな」
「スミス、お前ならわかるだろう?オレは強くなりすぎた。もう誰とも本気で殴り合いや斬り合いなんて出来ないと思ってた。だがお前は恐ろしいほど強い。身体能力だけで言えばオレよりも遥かにな」
「わかるとも、良くわかる。退屈なんだろう?自分よりも強い奴と戦いたいんだろう?」
「その通りだ。さぁ、早く腕を再生してくれ。仕切り直しをしようじゃないか」




