第二章 魔王の宴 1
泉の上ではフェイを含めた数人が結晶化した従魂の取り壊しをしていた。
「ダメです。スコップやツルハシでもビクともしません。」
「こんな物初めてで・・・・どうやって壊せばいいのか・・・・」
そのやりとりを聞いていたフェイが、不意に精霊の騎士が腰に帯びている剣を引き抜き地面に構えた。
フェイが纏っている精霊がその手に集中する。
そして手から剣へと伸びていく。
青黒い光がフェイの手と剣を覆い尽くした。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
叫び声をあげて剣を突き刺した。だが剣が粉々に砕けただけだった。
地面には僅かな欠け傷が付いただけである。
「レント、出て来い。私はお前が居ないとダメなんだ。」
フェイが悲痛なつぶやきを漏らしたその時、黒い地面が振動を始めた。
他の者が慌てて泉の外に逃げ出す中、フェイは泉の中央で手をついて地面に呼びかけていた。
「レント、出てくるんだ!早く!!」
次の瞬間黒々とした地面が地響きを立てて泉の中に沈み込んだ。
タールのようになった泉に投げ出されたフェイが泳ぎながらレントを探す。
その泉も次第に色が薄くなり水晶のように透き通った水に変わった。
誰かがつぶやいた。
「薄紫色だった精霊の泉が・・・透明になっちまった。」
泉の遥か下の水底でまばゆい光が弾けた。
目も開けられないほどの光が洞窟内を照らし出し、
やがてゆっくりと消えた。そして人々は泉のフチにフェイを抱き抱えたレントが立っているのを見た。
肩には硬い岩で作ったような鎧を纏った猫が乗っている。
「遅くなってごめんね。フェイ、心配だった?」
「心配などしていません。このぐらいの事で心配していたら散歩に行っても気が気じゃなくなります。」
フェイを降ろしながら耳元でささやいた。
「そう、心配しなくていい。僕は君に世界で最強だと思われたいからね。」
唖然としたフェイが笑い出した。
「あなたって結構図々しい人なのね。でもそういうの嫌いじゃないわ。所で精霊はどうだったの?宿せたの?」
「それなんだけど話すと長くな・・・・」
レントが話している最中に洞窟の入り口が騒がしくなった。
間もなく覆面をした数名の者たちが入り込んできた。
「命が惜しかったら動くな、この連射弓が見えねェか!」
そう言うと泉に駆け寄り懐から竜の牙を取り出した。
「俺達は聞いちまったんだよ、この泉の秘密をな。それで俺達もその恩恵に預からして貰おうって訳さ。」
そう言うと自らの手の甲に竜の牙を突き刺して泉に手を入れた。
「あいつら!」
いきり立つフェイを手で制してレントは片目をつぶってみせた。
「居ないよ。」
「なに?」
「この泉にはもう何も居ないんだ。」
「レント、何を言って・・・」
「全部、そう、最後のひとかけらまで全部僕の中に入った。」
「な・・・」
絶句したフェイの肩を抱きながらレントは覆面の男たちを見た。
男の手から流れる血は透明な泉にただゆらゆらと流れるだけだった。
「なんでだよ。血が網のように広がるんじゃなかったのかよ!」
「貸せ。俺がやってみる」
そう言って牙をひったくった男が手に突き刺して泉の中に入れた。
だが血は同じようにただ流れ出るだけだった。
最初の男が絶叫をあげる。
「血が、血が止まらねえよ!このままじゃ俺死んじまうよ!」
「ナッシュ!てめぇ騙しやがったな!」
「ちくしょう!お前らみんな殺してやる!」
血迷った男が連射弓の引き金に指をかけたその時、黒い影が男達を取り囲んだ。レントの足元から伸びたその影はまさに黒いレントと言ってよかった。
その数、男達と同じ7人。
7人のレントが一斉に指をひと振りした。
たったそれだけで連射弓がへし折れ、男達が倒れた。
村人たちが一斉に駆け寄って男達を縛り上げる。
ナッシュも殴られ、縛り上げられた。
騒ぎが収まり、ドルテやアイリスが気付いた時にはもうレントの姿もフェイの姿も無かった。
大きく黒い翼を羽ばたかせてレントは空を飛んでいた。
腕にはフェイを抱き抱え、肩にはカルビが乗っていた。
翼を出して飛ぶ事をレントに提案した時には、カルビが人間の言葉を話せる事に驚いたフェイだったが、下級魔族だからと言うレントの説明に納得したようだ。
カルビは下級魔族と呼ばれた事にとても不満そうだったが、さすがにレントもフェイに本当の事を告げる訳にもいかない。
知らない人など居ない程の最上級魔獣、地獄の番犬に関わりたい者など居ない。レント自身関わる事による障りに危機感を感じているのだ。
「大丈夫?怖くない?」
「怖くなどないわ。私は今すごく幸せよ。」
「どこまで行こう?どこにだって行けるよ」
「だったらあの森の向こう。細い道の先に西瓜畑があるの。」
レントはあっという間に西瓜畑の真ん中に着くとゆっくり降り立った。
月明かりに照らされて西瓜が青白く光っている。
フェイは慎重にあちこちの西瓜を手で叩いて音を確認している。
「カルビちゃんは西瓜好き?」
「えっと、私人間界の物って食べたことないん・・・・」
話してる途中でレントがカルビの頭を叩いた。
すかさず小声でカルビに発言に気をつけろと注意する。
「うん?カルビちゃんどうしたの?」
「いえ、えっと・・・・西瓜、大好きです!」
「良かった。さぁ、これが一番おいしそうよ。」
言うが早いかフェイは腰の剣であっという間に西瓜を切り分けた。
「さぁどうぞ、レント。」
そう言ってレントに西瓜を手渡す。
2人で並んで地面に座り西瓜を食べた。
レントがタネをプッと飛ばすのをフェイが面白そうに眺める。
「私は面倒だからタネごと食べてしまうけど、それ楽しそうね。」
「小さい頃にタネごと食べるとお腹から西瓜が生えてくるって脅されたからタネを飛ばす習慣が付いちゃったんだ。」
「今でも怖い?信じてるの?」
「え・・・そ、そ、そ、そんな事ある訳無いじゃない。」
「プッ、フフフフッ」
「ははははは、」
ひとしきり笑った後でレントがフェイの肩に手を置いた。
そのまま引き寄せてフェイの頬にキスをする。
そして照れながらお互いに見つめ合い、キスをした。
レントの手がフェイの胸に伸びた時、フェイが耳元で囁いた。
「ねぇレント、大好きよ。」
「僕も、フェイの事がだいす・・・・」
言ってる途中でフェイがレントの顔に西瓜を押し付けた。
「ぶはっ、ひどいよフェイ、あーもー顔がベトベト」
「ふふふ、大好きだけど今日はここまで、」
そう言ってフェイは立ち上がった。
そっとレントに手を差し出す。
「手を繋いで歩いて、ゆっくり帰ろ。」
「えっあっ、うん!」
夜の小道を歩きながらフェイがつぶやいた。
「ねぇレント、反対されても結果は同じだけど、帰ったら父上に結婚の許しをお願いしてね。」
「うん。もちろんだよ。」
村の明かりが近付いて来たところでレントは立ち止まってフェイを抱き寄せようとした。
それを軽くかわしてフェイが笑いながらレントに言う。
「少し遅かったわね。ルネアに見つかっちゃったわ。」
見ると遠くでルネアが手を振って立っていた。
「お嬢様ー!おかえりなさいませー!」
ため息をついたレントだったが、ふともう一度フェイの手を引いて反対側に走ろうかなと思った。
気配を察したフェイがレントをたしなめた。
「ホント、あなたって子供みたいなんだから。もうあきらめなさい。」
「・・・・はい。」
ハンニバルの家に入ると賑やかな音楽を奏でながら昼間の2人、シカとナノが歌を歌っていた。
「ようレント、やっと帰ってきたな。」
「えへへ、デートしてた。それにしてもすごく賑やかだね。」
「何を言っとるかレント、お前さんが試練を乗り越えた祝いじゃろうが。」
「あ、ババァ、俺だって精霊を宿したじゃねーか。」
「お前はオマケじゃ、このバカモンが。」
「ちぇっ、まぁいいや、さぁレント、お前も早く飲め飲め。」
「いや、その前に先生に挨拶をしないと・・・・」
そう言うとレントはフェイを連れて広間の一番奥へと歩いて行った。
フェイはそのままハンニバルの横に立ちレントは2人の前で片膝をついた。
「ハンニバル先生、ただ今戻りました。」
「うんうん。よくやったレント、話は聞かせてもらったぞ。」
「あの・・・・それで・・・ですね。」
言いよどむレントにフェイがしっかりしなさいという顔をした。
「・・・・ついては先生に折り入ってお願いしたい事があります!」
レントの言葉にしばし沈黙していたハンニバルが意を決したように言った。
「うむ、いいだろう。では庭へ出ようか。」
「は、はい・・・・」
「誰か刃引きの剣を二振り持って参れ!」
「・・・・・え?」
ハンニバルは不安そうな顔のレントを連れて庭へ出ると一本をレントに渡し、もう一本の剣を抜き放った。
「刃引きとは言っても一歩間違えれば死ぬ事もある。さぁレント、どれほど強くなったのか見せてもらおう。」
「あ・・・あの?・・・・先生?」
「どうした。自分から立ち会いを願っておいて臆したか。」
この時になってやっとレントはハンニバルが勘違いしてる事に気が付いた。
だが既に立ち会いの形勢になってしまった今、引く訳には行かなくなった。
フェイが苦笑いしている。
「レント、本気でやっていいわよ。」
本気か、とレントは思った。
実際にハンニバルから指導を受けたのは3年、その後は自分1人で教えを自分の物にしていった。
兵学校に入り尚研鑽し、傭兵として戦場も駆け巡った。
そして今日図らずも手に入れた精霊の力、実際には途方も無い量の従魂の結晶の力である。
試してみたいと思った。
恐らくいまレントが本気を出してもなお戦う事の出来る相手はハンニバルだけだろう。
レントは心を決めた。
「先生、では参ります。」
そばに居たカルビがレントに声をかける。
「ご主人様、全てを出した上で広げずに鎧を纏うようにして下さい。」
「ふむ。こう・・・・かな?」
試した瞬間にレントの周りには輝く白銀の渦と漆黒の闇の渦が轟音を立てて交差して渦巻いた。
その低く不気味な響きにハンニバルは恐怖した。
動物的な直感、あるいは本能と言っていいだろう。
その直感が自身の死を告げていた。
その一方でカルビもまた驚愕していた。
本来ならば漆黒の闇の渦だけがレントを覆う筈だったのだ。
光り輝く白銀の渦は明らかにもう一方の従魂である。
ほんの僅かならば確かに普通の人間にもある。
だがレントのそれは漆黒の従魂と同等の質と量を備えていたのだ。
巨人族が神の眷属と言えども、これは有り得ない事であった。
ゆっくりと、ゆっくりとレントが剣を振りかぶった。
これが振り下ろされた時には自分は確実に死んでいるだろうとハンニバルは思った。剣が中天にかかる直前でレントの動きがピタリと止まった。
無造作に歩いてきたフェイが、ハンニバルとレントのあいだに入って立ち止まったのだ。
「レント、もう充分よ。剣を収めて。」
フェイの言葉と共に轟音を伴う渦が急速にレントの中へと戻った。
「フェイよ、なぜ立ち会いに水を差すのだ!例え我が子と言えども・・・」
「父上!」
フェイはハンニバルの言葉を遮ってつらそうに言った。
「父上・・・これ以上退く場所など・・・無いではないですか。」
フェイの言葉と同時にハンニバルの背中に何かの感触があった。
振り返ったハンニバルが愕然となった。
植え込みの生け垣がそこにあったのだ。
「まさかそんな、・・・・私は後退っていたのか?」
ハンニバルはそのまま膝から崩れて座り込んでしまった。
立ち上がろうとするのだが膝が震えて立ち上がる事が出来ないのだ。
だがその姿勢のままハンニバルは叫んだ。
「フェイ!フェイよ、お前はなぜ間に立って平気でいられるのだ!」
「レントは私に刃を向ける事など絶対にありませんから。それがどれだけ脅威だとしても私がそれを恐れる訳が無いではないですか。」
「その刃が誤ってお前を切り裂くやも知れぬのにか?」
ハンニバルの言葉にフェイが嬉しそうに言った。
「その覚悟無くしてこんな事は言えません。いいえ、覚悟なんか要りません。信頼とはそう言う物ですもの。」
その言葉にハンニバルが諦めたように肩を落とした。
「うぬぬ・・・・お前は恐れを飼い慣らすつもりか!」
「ところで父上、父上はなぜレントが立ち会いを願い出たと思われたのですか?」
「なぜって、そりゃ当然・・・あれ?レント、もしかして違ったのか?」
ハンニバルがそう言うとレントがバツの悪そうな顔をした。
すかさずフェイがレントに言った。
「さぁレント、もう一度きちんと父上に願いを言ってちょうだい。」
「い、いや、その・・・また改めて・・・・」
「ふぅん・・・・レント、このまま何も言わずに帰ってもいいわよ。」
「いやいやいや、今のナシ!きちんと言います。」
「そう、ならいいわ。それと言い方が私の意に沿わなかったら何度でもやり直して言ってもらうわよ。いいわね?」
「・・・はい、わかりました。」
レントはそう言うとハンニバルの前に片膝をついた。
「ハンニバル先生。・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・」
2人がお互いに何も言わないのを見てフェイが剣の入ったままの鞘でレントの頭を叩いた。
「早く言いなさいよ」
「は、はい。」
そう言うと再びレントはハンニバルに向き合った。
「先生。私はフェイと出会ってまだ5日しか経っていません。」
「ほう、・・・・で?」
「一目見て恋に落ちてしまいました。」
「なんと、・・・・で、それを娘に言ったのか?」
「・・・・はい。」
「ふむ・・・お前、よく無事だったな。」
「ええ!?」
「父上!そういう事は言わないで下さい。」
うろたえたフェイがハンニバルに抗議した。
それを見て笑い出したハンニバルがレントをうながした。
「それで?レント、続けなさい。」
「は、はい。で・・・ですね。えっと・・・」
口ごもり、やがて意を決してハンニバルに言った。
「僕はいつ死ぬかわからないですし、もしかしたら他にも好きな女性が出来るかも知れません。絶対と言い切るほど無責任にはなれませんから。」
「ふむ。理屈だな。口からでまかせを言うよりは遥かにマシだ。で?」
「ですから幸せにするとは言えません。ただし最大限の努力はするつもりですし他の女性に目をくれたりする気もありません。」
しばしの沈黙のあとレントがフェイを見つめた。
「僕は初めて会った瞬間からフェイが好きで、大好きで、他の全てを捨ててもいいぐらい好きで、フェイの事を何も知らないけど好きなんです!」
レントに見つめられて言葉を聞いていたフェイが真っ赤になった。
「だから先生!結婚を視野に入れた交際をお許し下さい!」
言い終わると同時にフェイがレントに抱きついてきた。
「レント、私も大好き。ありがとう。私うれしい。」
ハンニバルがあぐらをかいて座り込んだ。
フェイに抱きつかれたままのレントがそれを見て不安そうな顔になった。
黙り込んだままのハンニバルがじっとレントを見つめる。
「それだけか?」
「・・・はい?」
「だからお前の願いはそれだけかと聞いているんだ。」
「は、はい!!」
レントの返事を聞いてハンニバルが半ば呆れ顔になった。
「許すもなにも娘から何も聞いてないのか?」
「えっと?何をですか?」
フェイがハッとなってハンニバルに向き直った。
「父上!ちょっと待ってください。」
「待てぬわ!いいかレント、私はかつてこいつに結婚相手として3人の弟子を選んだ。その内1人は半死半生で逃げていった。」
「それは相手が私にけしからぬ事をしようとしたからです。」
「それはまぁいい。問題は2人目だ。」
「その者も同じようにけしからぬ事をしようとしたのです。」
ハンニバルが冷ややかな目でフェイを見る。
「それで前回の教訓を生かして逃げられぬように脚を折ったのだったな。」
「そ、それは・・・・・」
「レント、フェイはそう言う娘だ。お前はそれでもいいのか?」
「はい。その話を聞いてますます好きになりました。」
レントの返事にハンニバルはやれやれと言う顔をした。
「ところで先生。3人目はどうしたんですか?」
「ああ、そいつはフェイに会わせる前に戦場で死んだよ。ジキールの騎士団長まで勤めておきながら剣を抜く間もなく首をバッサリさ。」
その言葉にレントがギクリとした。
「シグナスと言う剣の手練だったが世の中には強い者がゴロゴロしているよ。レント、お前も慢心せずに剣に励みなさい。」
「は、はい。」
ハンニバルもまさかレントがシグナスの首を斬り落としたとは夢にも思っていないだろう。まかり間違えばフェイの夫になったかも知れない男を、レントはそうとは知らずに排除した事になる。
「まぁ2人とも気性が荒い部分もあるからぶつかる事もあろう。一緒になるも別れるも好きにしなさい。」
そう言ってハンニバルはゆっくりと立ち上がった。
「この村の精霊の騎士の歴史も終わった。今日より後2度と現れる事は無い。役目から解放された清々しさで一杯だよ。さぁ、みんなの所に戻って盛大に飲もうじゃないか。」
そう言って楽しそうに屋敷に向かうハンニバルの目に光るものをレントは見た。そしてフェイもまた気付いていた。
宴会場に戻る途中でカルビがレントの耳元で囁いた。
「ご主人様、精霊の騎士について後でお話がございます。」




