第二章 夜会 1
顔を洗いながらサリティが庭に出るとレントがベンチに座っていた。
「よお、おはようさん、ずいぶん早いな。」
「ああ、サリティおはよう。」
「て、おい。また怪我が増えてるじゃねえか。」
「まぁ昨日は色々とあったからなぁ。とにかく長い夜だったよ。」
「よくわからねぇがまぁいいや。顔洗って飯食いに行こうぜ。」
「先に行っててくれよ。すぐに行くから。」
そう言うとレントは大きなあくびをしながら水場に向かった。
置きっぱなしのカミソリでまぶたを切って血を絞り出す。
顔を冷たい水に浸して熱を取りつつ数日前に手を癒してもらった感覚を思い出しながら血を洗い流した。
20分ほど後に食卓についたレントは顔の腫れも引き、普段通りであった。
驚くサリティを横目で見ながらパンにバターを塗り・・・・
周りを見回して言った。
「あれ?フェイは?」
「お嬢様は昨夜から何か作業をされてます。まだお見えになりません。」
侍女がそう言いながらレントのカップに紅茶を注いだ。
「ふむ・・・」
レントは不意に立ち上がるとパンのバスケットにワインとハムを乗せて歩き出した。
「フェイの部屋で一緒に食べる。案内してくれ。」
そう言うとレントは周りが止める間もなく部屋から出ていった。
3階の突き当たりの部屋の扉の前に案内されたレントはノックしようとして止め、ドアの横に座った。背中を壁につけて目をつぶる。
何となく邪魔をしたくなかったのだ。
部屋にはフェイの気配が感じられる。当然レントにも気が付いているだろう。声をかけないのはきっと忙しいからに違いない。
レントはそのまま眠りに落ちた。
1時間ほど経った頃、部屋から出た侍女がレントを手招きした。
口に人差し指を当てて目配せをする。
そうっと入ったレントが目配せされた方を見るとフェイが壁に寄りかかって眠っていた。ちょうどレントが座っていた反対側だった。
外に座って寝てるのをわかっていて、背中合わせに眠ったのだと気付いたレントは思わず照れ笑いをしてしまった。
「レント、おはよう。待ってたわよ。」
目を覚ましたフェイもまた照れ臭そうに笑った。
カゴからリンゴを取り出してほおばりながら、フェイがレントに隣の部屋へ付いて来る様に促した。
部屋に一歩踏み入れたレントが目をみはった。
「これは・・・すごい・・・・・」
壁には常人には扱えないような大きな剣や槍、そして見た事もないような武具が飾られ、棚には様々な薬品や鉱石が並べられている。
そして大きなテーブルには一面に広がった鳥の羽と工具類。
「朝までかけてやっと作ったの。レント、プレゼントよ。」
そう言ってフェイはテーブルの中央にある首飾りをレントに差し出した。
「これは・・・・?」
「このあいだ射止めた尾長ワシの羽とクチバシで作ったの。最高に効き目のあるお守りよ。」
受け取ったレントがさっそく首につけた。
鶏卵ほどもある大きなクチバシには黒地に黄色い稲妻が無数に走ったような模様が付いている。それを取り囲むように深い茶色と白のグラデーションの羽が綺麗に切り揃えてあしらってある。
「気に入ってくれた?」
「うん、すごくいい。ありがとうフェイ。」
レントはそう言ってお守りを手にして眺めた。
「あれ?なんか中でカラカラ言ってる。」
「それがお守りの本体なの。でも開けちゃダメよ、閉じ込めて置くことで効果が出る物なんだから。」
レントは耳元でカラカラと音をさせると嬉しそうにお守りを服の中にしまい込んだ。
「いよいよ今夜ねレント。」
「うん。・・・・・でも・・・」
「でも・・・・なに?精霊を体に宿すのが嫌なの?」
「そうじゃなくってさ・・・・フェイはナッシュって奴を知ってるかい?」
「ああ、知ってはいるけど何でここでその名前が出るの?」
レントはここに来る途中でナッシュに会った事や起こった事をフェイにかいつまんで話した。
「精霊の騎士と結婚出来るのは精霊の騎士だけ・・・・・もしも僕がナッシュのように精霊を宿す事が出来なかったらと思うと不安でさ、」
話を聞いていたフェイが笑い出した。
「何だ、そんな事気にしてたの?」
「そんな事って、それがこの村の決まり事なんでしょ?」
「そうよ、だから許されないなら決まり事の外に出ればいい。」
「それって・・・・?」
「この村から出ればいいだけよ。あなたが私の立場だったら間違いなくそうするでしょ。だから私もそうするの。」
立ち尽くしたままレントはボロボロと涙をこぼした。
フェイはレントを抱きしめて耳元で囁いた。
「それにね、私はあなたがとても大きな精霊を体に宿す予感がするの。だから安心して試練を受けなさい。」
その言葉にレントは小さく頷いた。
2人が1階の広間に降りてくるのをシユケとサリティが待っていた。
「おう、やっと来たか。あんまり遅いんで寝てんのかと思ったぜ。」
サリティに言われてレントがきまり悪そうに返事をする。
「いや、ごめん。本当に寝てた。」
レントの言葉に周り中が静まり返った。
ハンニバルなど口を開けたまま固まっている。
「え・・・?ど、どうしたのみんな?」
戸惑うレントの肩に手を置いてフェイが静かに言った。
「レント、あなたの言い方が悪いからみんな勘違いしてるのよ。」
「・・・・え?」
「つまりみんなは・・・・もうレント、最後まで言わせる気なの?」
そこまで言われて思い当たったレントが真っ赤になった。
「いやいや、そう言う意味じゃなくてフェイの部屋の前でつい眠っちゃったんだよ。ホントそれだけだから。」
一生懸命に弁解するレントを見てフェイがクスクスと笑った。
「ところで・・・・」
不意にフェイはシユケとサリティの方を向いて言った。
「シユケ、それと・・・お前の名は何というのだ?」
「サ、サリティだ。」
「お前たち2人とも私に変な事を言ったら殺されると思っているんじゃないのか?」
ギクリとした2人にフェイはやっぱりと言う顔をした。
死を覚悟するような威圧感をフェイに感じて居るのだから、そう思うなと言う方が無理である。
「やだなぁフェイ、この2人がそんなこと思うわけがないよ。」
レントだけがあっけらかんとしている。
「だよね?シユケ、サリティ?」
レントの問いかけに2人はぎこちなく笑ってみせた。
「じゃあ、そろそろ出かけましょうか。あなたたちも一緒よ。」
そう言って立ち上がったフェイに3人が怪訝そうな顔をした。
「行くって・・・どこへ?」
訊ねたシユケに冷たい目を向けながらフェイが答えた。
「あなたたちは昨夜アイリスにした事をもう忘れたのかしら?それとも取るに足らない些細な出来事なのかしら?」
「やったのはレントだろう。何で俺まで・・・・・行きます。」
「俺は関係ねぇからここで留守番して・・・・お供します。」
フェイの無言のプレッシャーに耐えられずに2人が同意した。
広場の噴水のそばで木の枝にワイヤーを張ってる女性に仲間のもう一人の女性が話しかけた。
「ねぇ、シカちゃん。やっぱりバイトしてギター買おうよ。」
シカと呼ばれた女性が手を止めて声を荒げた。
「何言ってるのよナノ!私たちは芸人よ!歌って踊る事以外でお金を稼いじゃいけないのよ!」
「いや・・・まぁそうなんだけどさぁ・・・・」
「ギターが無ければ両手を叩け、スティックが折れたら指で弾け、昔の有名なシンガーが言った言葉よ!」
「その人まだ生きてるよ。まぁ、うん。わかった、がんばろう!」
2人は不恰好な手作りの楽器を作ると噴水前に座って音を調整した。
そして目を合わせると大きく息を吸い込んで叫んだ。
「みなさんこんにちわー、シカでーす。」
「ナノでーす。」
「2人合わせてツインリーフでーす!!」
「今日は私たちの歌を聴いて下さい。」
2人が歌いだすと一人、また一人と集まり出し、やがて50人ほどの人達が歌を聴いてくれるようになった。
(よかった。ギターケースにも少しづつお金が入って来てるしみんな乗ってきてくれてる。)
3曲目が終わり、トークからのイチオシ曲に移行する頃合いだった。
これでお客さんのハートを鷲掴みにしなければいけない。
シカは祈りを込めて語りだした。
「私たちは昨日この村に来ました。そして今こんなにもたくさんの人にこうやって歌を聴いてもらえてます。」
少し間を置いて再び語りだす。
「この幸せな気持ちと感謝を一番のお気に入りの曲に込めて・・・・聴いて下さい。ハッカドロッ・・・・あ・・・あー!!あいつよナノちゃん!!」
シカの指差した先に通りかかったレントが居た。
レント、そしてフェイを見た瞬間に村人たちは我先に逃げ出して広場はガランとしてしまった。
「え?えーと・・・・なに?」
「何じゃないわよ!私たちのギターをメチャクチャにしてしらばっくれるつもりなの?サイテーね!弁償してよ!!」
シカの剣幕にタジタジとなりながらレントが困ったように答えた。
「いや、しらばっくれるも何もたった今ここに来たんだけど・・・・」
「昨日の事を言ってるのよ!覚えてないの?」
「き、昨日ですか・・・・ギターを壊した覚えは無いんですが・・・」
「あなたが暴れて投げ飛ばした大男が私のギターの上に落っこちてきたんでしょうが!お気に入りだったのに・・・・原型すらなくなって・・・・」
半べそをかいたシカを見たレントがおろおろしながらフェイの方を向いた。
「あなたが悪い。」
フェイがきっぱりとレントに言い放った。
「あなたが見境も無く、後先も考えずに暴れるから周りの人がこんなにもひどい目にあうのよ。反省しなさい。」
そう言いながらふとフェイがギターケースを見た。ケースは2つ。
「ギター、1本は無事なんじゃないの?なぜそんな木の枝に弦を張った物で歌を歌っているの?」
フェイの問いに今度はナノが答えた。
「私たち広場から逃げたんです。それで離れた所でギターの状態を見ていたんです。・・・・そしたら・・・・そしたら今度は無事な方の私のギターに空から馬車の車輪が落ちてきて・・・・」
時間が止まったかのように場が静まり返った。
この2人以外は馬車の車輪が落ちて来た理由を知っていた。
レントもシユケもサリティも、そしてフェイも・・・・
「見境もなく」とレント、
「後先も考えずに」とシユケ、
「暴れるから」とサリティ、
言葉に詰まったフェイに3人が口を揃えて言った。
「反省すべきだよ」
無言のままスっと目を細めたフェイがいきなりサリティの襟首を掴んで引きずり倒した。
「お前の名前は・・・・何といったかな?」
「サ、サリティだ。・・・・です。」
「サリティ、このお2人を家に案内して丁重にもてなすように伝えよ。」
「は・・・・はい。」
「それと一つ言っておく、私は問題を話し合って解決するよりも、問題を解決してから話し合う事を好む。その場合相手の是非など問う所ではない。」
(そりゃ、力ずくで服従させるって意味じゃねぇかよ。この女危なすぎて関わりたくねぇよ。)
サリティはそう思いながらふとレントたちを見た。
2人とも離れた所に避難して高みの見物をしている。
つまりはこうなる事を予測して距離を取っていたと言う事だ。
「ずるいぞお前ら!自分たちだけ逃げやがって!!」
2人は返事をする代わりにサリティにあかんべえをして見せた。
通りのカドを曲がって病院の前に来ると、入りきらずに外で座り込んでいた包帯だらけの若者たちが我先にヨタヨタと逃げ出した。
「あー・・・逃げてる逃げてる。ずいぶん殺したもんなぁレント」
「そう・・・だっけ?怪我しかさせてないような気がするんだけど。」
「ああ、そう言えば実際に殺したのはフェ・・・・」
そこまで言ってシユケはフェイの視線を感じて口をつぐんだ。
ドアを開けると昨夜同様廊下にまで怪我人が溢れている。
その誰もが3人を見て硬直する。
もはやレント達に対して怯えと恐怖しか無い。
廊下の突きあたりのドアまで来るとフェイがノックもせずにドアを開けて中に入った。レントとシユケにも入るように促す。
魔法陣を思わせる円の模様の入った絨毯が部屋いっぱいに敷かれ、その奥の小さな文机の前にアイリスが座っていた。
アイリスの体から黒い幅広の布のような物が伸びて目の前の患者を包み込んでいる。更に細い紐状の物が患者に突き刺さっている。
時おりその紐が光って消え、また新しい紐が別の場所に突き刺さる。
「あ、フェイねぇさん、来てくれたんスね。もうすぐ終わるから待ってて欲しいっス。」
光の明るさが増し、やがて閃光となってレント達を照らしだした。
その光が消えると布のような黒い影がスルスルとアイリスの中に戻った。
「おい、終わったッスよ。さっさと出て行くっス。」
そう言うとクルッと振り向いてフェイにニッコリと笑いかけた。
「いま紅茶入れるッスね。フェイねぇさんが来てくれてうれしいッス。」
患者に対する態度とは大違いである。
「所で何か大事な話でもあるッスか?今日のフェイねぇさん、思いつめたような顔をしてるッスよ。」
「アイリス、私ね、自分でも信じられないんだけど好きな人ができたの。」
「レントさんッスよね。昨日会ったッス。」
「男の人を好きになるなんて絶対にないと思ってたのに、彼は私が今まで見て来た男とは全然違ったの。・・・だから、・・・ごめんなさい。」
フェイが詫びるとアイリスが嬉しそうに笑った。
「フェイねぇさんが好きになった人なら間違いないッス。きっと幸せになれるッスよ。」
そう言ってアイリスがレントの方を向いて続けた。
「そのレントさんを昨日、本気で殺そうとした私こそ謝らなければいけないッス。」
フェイがハッとしてアイリスに言った。
「その事でも謝らなければいけないわ。レントがあなたにひどい事をしたって聞いてとても気になってたの。本当にごめんなさい。」
「誰から何を聞いたのか分からないッスけど、ひどい事なんて何も無かったッスよ?軽くあしらわれただけッス。」
「でも・・・」
「きっと悪口や告げ口が好きな者たちが何か作り話をしたんスよ。」
「そ、そう?それだったらいいんだけど・・・・」
アイリスはレントに近づくと手を差し出した。
「レントさん。これからよろしくッス。」
「あ、ああ。こちらこそよろしく、アイリスさん。」
そう言ってアイリスとレントが握手をした。
その時アイリスがレントにだけ聞こえるように耳元で囁いた。
「昨夜遅く運ばれてきた『5人』は治療の甲斐なく死んだッス。それとフェイねぇさんを襲おうとした者たちの事務手続きも済んだッス。」




