序
テケシュの城塞で怪我の養生をする事およそ2週間。
ウルグァスト王は再生した腕を撫でながら、彼ならばどうするだろうか?その事だけを思っていた。
自分の体が乗っ取られていた6年の間に国土は5倍にまで膨れ上がった。
私腹を肥やす重臣や反乱分子は粛清され、王の立場は磐石な物となっていた。
葡萄酒をすすりながら王がつぶやいた。
「そう。アモンはワシの代理をして国を栄えさせてくれたような物だ」
幸いな事にウルグァストには身体を乗っ取られている間に得たアモンの知識と経験があった。
その知識の中には魔法の儀式や呪文、そして精神と身体を入れ替える術も含まれていた。
鏡に映る老いた姿を眺めながらウルグァスト王は決心していた。
自分の寿命が残り少ない事と【精神と身体を入れ替える術】がおそらく自分にも使えるだろう事、それらを重ね合わせればおのずとその結論にたどり着く。
問題は誰と入れ替えるかだが既に候補は決めてある。嫡子の居ない王にとって血族の中では次期国王となってもおかしくない人物。若過ぎもせず歳をとりすぎていても居ない最適な素材。今は牢獄で監禁されてはいるが精神支配は充分に施してあるし王印と勅命詔書も候補者の独房に隠してある。
「む?」
思索を妨げるようにグラスの葡萄酒に波紋が広がり、やがて小さく居室が揺れた。
「地震とは珍しい。火山半島とは言えここ数十年地震など起こった事は無いのだが、・・・これは吉兆か?それとも凶兆か?どちらだ?マージ」
傍らに侍る半裸の女魔道士がアモンに甘えるように抱きついて言った。
「吉兆に決まっているではありませんか国王陛下」
「こやつめ、適当な事をぬかしおる」
「私には国王陛下の輝かしい未来への祝福の歌と足音しか聞こえませんわ」
「ふはは、かわいいやつめ、またかわいがって欲しいのか?」
「嬉しいですわ国王陛下」
そう言ってアモンに抱きついたマージが階下の騒がしさに怪訝そうな顔をした。
「・・・なにかしら?」
「どうかしたのかマージ?」
女魔道士の身体を撫で回していたアモンも異変に気付いて戸口の前で身構えた。
剣を交える鋭い金属音と叫び声が聞こえ、階段を駆け上がる足音が響いた。
扉を蹴破って屈強な兵士数人が剣を構えて飛び込んできた。
自軍の鎧ではない、だがウルグァストには見覚えのある鎧。
そして忘れる事の出来ない豪胆な若者、ウルグァストの腕を斬り飛ばしたレントが進み出てきた。
「アモーン!その首貰いに来たぞ!!」
振り上げられた剣が星のようにきらめいた時、その一瞬の時間の中で王は自分の人生を再体験した。初陣の朝の空気、冬の行軍、戴冠式、凱旋、毒見役の死、父王の誇り高き姿、庭園の美しい薔薇・・・
今この瞬間、定められた死から逃れられない事を肌で理解した。
彼ならどうしていただろうかと自問した。アモンならばこの運命からきっと逃れたに違いない。
輝く刃が振り下ろされる直前、その手がピタリと止まった。
レントが無言で見つめる中、ウルグァストは無意識にレントに向かって制するように手を突き出していた事に気が付いた。
「何か言い残した事でもあるのか?」
その問いに対して何を思う訳でもなく自然と言葉が口から漏れた。
「この女を見逃してやって欲しい」
「それだけか?」
「ああ、それだけだ。さぁ、為すべき事を為せ」
「・・・わかった」
レントのその言葉を聞いた直後、世界が回り、そして目の前が真っ暗になった。
彼ならどうしていただろう。その気持ちだけが王の心にあった。
「随分大きな地震だったな」
「ああ、安全の為にひとまずイルケル様を独房からお出しした方が良いだろう」
看守たちが鍵束を持って牢内に入るとひときわ強い地震が起こった。
「これはマズイな、早くお出ししないと・・・」
小走りで独房の前にたどり着いた看守の目の前に信じられない光景が映し出されていた。
驚きと衝撃に動けずにいる看守の目の前でイルケルが事も無げに手をひと振りすると鉄格子が吹き飛んだ。
「さてさて、これから忙しくなるな」
そう言ってイルケルは血まみれの口を袖でぬぐうと貪り食っていたカラスを地面に放り投げた。




