序章
その噂を聞いた時はそんな事があるわけがない、そう思った。
ジキール王国の兵卒として雇われたレントはもうすぐ勤めて2年になるが、さしたる手柄は立てていなかった。
いや、敢えて手柄を立てなかったと言うべきであろうか。
やむを得ず部隊が全滅しそうな時だけ血路を開く為に剣を奮うぐらいの事しかして来なかったのである。
そのレントに部隊を預けると言う噂が流れたのだ。
思い当たる事がまったく無かった。
だが王直属の騎士団長シグナスに呼ばれて執務室に入った時、やっと状況が飲み込めた。
シグナスの隣に立つ小柄で痩せこけた男がレントを見るなり
「よう、こんな所に隠れていたのか。王族殺しのレント」
と話しかけてきたのだ。
かつてレントがファウンランドの部隊長をしていた時の部下で名前をターバと言った。
卑屈で小心者である一方で虐殺や略奪の大好きな男だった。レントは元々好きになれなかったのだが少なくとも自分に対してこんな口を利けるほどの度胸など持ち合わせては居ない。
明らかに優位に立っていると思っている者特有の傲慢さだった。
そのターバの横で訳知り顔のシグナスがこう切り出した。
「部隊長になる気はないかね。」
いきなりの申し出である。
「まさか我が軍にファウンランドの猛将レントが居るとはね」
「いや、私は部隊長になどなる気はありません」
「ではどうする?受ける以外にここで君が生きる道はないのだよ?」
シグナスの言葉にレントは黙り込んだ。
言葉の意味は良くわかっていた。
かつてレントは鎧に身を包みジキールの将兵を数え切れないほど斬り倒していた。
部隊長になるなら良し、そうでなければ憎い仇として始末すると言う事だ。
なるほど昇進すればそれなりに豊かな暮らしも出来るだろうが今までのようにファウンランドとの戦闘を避ける事は出来なくなるだろう。
だがそもそも自分の素性が知られれば命が危うい。それほどにジキール兵士のレント個人に対する恨みは深い。
レントは深々とため息をつき、ゆっくりとシグナスを見た。
「どうだね?悪いようにはしないよ」
「表向きはともかく俺の命令は絶対だがな、レント。それでいいですよねシグナス様?」
「当然そうなるな。当座の金も用意している。これほどの優遇措置は滅多に無いぞ」
その時にはもうレントの肚は決まっていた。
突風のようにレントが踏み込んで通り抜けた直後シグナスとターバの首が血しぶきと共に転げ落ちた。
レントはシグナスのマントで剣を拭うと執務室の机を調べ3つあった金貨の袋を手にすると足早にテントを後にした。
居場所が無くなったが別に珍しい事ではない。
ファウンランドを飛び出してからはすっかりこんな事には慣れてしまっていた。
どこへ行こうかと思案していると後ろから駆けてくる足音がした。
同僚のサリティだ。
部隊に入ってから文字通り生死を共にし2年前からレントと同じく生き残っている猛者である。
他は戦死による欠員、そして補充を繰り返す中で大概死んでいる。
「なにシケたツラしてんだよ。飲みに行こうぜ」
そう言いながら肩をドシンと叩くサリティにレントは思わず泣きそうになった。
この部隊に入ってから友と言えるのはこの男だけだった。立ち去るにあたって友情に報いる意味で懐から金貨の袋を1つ取り出すとレントはサリティに手渡した。
「僕も後から行くから、先に行って飲んでてくれよ。」
「こんなにどうしたんだ?これ!金貨じゃねえか!」
薄く微笑むとレントはサリティに背を向けて歩き出した。そう、このまま立ち去ればいい。
その時兵舎で怒声が沸き起こった。
シグナス団長が殺されてる。
近くに敵がいるぞ、と兵士たちが口々に騒ぎ立てた。
「レント・・・まさかお前がやったのか?」
サリティの声に振り向くとレントは頷いた。
「そうだ。命をネタに強請られちまってな。サリティ、俺を斬るか?」
サリティを斬ってまで逃げる気がレントには無かった。
斬られてやってもいい。そう思った。
「馬鹿野郎!何モタモタしてやがるんだ!逃げるぞ!!」
言うなりサリティはレントの手を取って走り出した。
草原を走り抜け、森林を走り抜けしながらサリティが言った。
「俺の知り合いがよ、アルム鉱山に居るんだ。」
レントに向かってニカっと笑う。
「一緒にそこに行こうぜ。2人で鉱山を仕切っちまおう。兵士なんかヤメだ」
「それも良いかも知れないな」
レントも走りながらサリティに向かってニカっと笑う。
2人は剣を捨て、革鎧を捨てて笑いながら走っていった。
時にレント17歳であった。