第8話
爽やかな空気、ほんのりぬるい風、まぶしく光る太陽、そこにあるどれもが今の自分の
ことを差してるような気がした。
苅部は待ち合わせ場所になっていた駅前の時計台の近くにいた。休日の昼前にもなると、
この場所には駅舎から流れるように出てくる人の多さが目立ちだす。彼と同じように待ち
合わせに使うにも絶好の場所で、そこには離れ離れになった片割れを待ちぼうけるような
人々の姿が見やれる。
かくいう自分もその1人であって、彼女がいつ来るのかと待ち侘びている。
しばらくすると、この晴れ晴れとした気候によく似合う声が聞こえてくる。
「苅部さんっ」
右肩をポンと叩かれ、振り返ると馬瀬の姿に瞳はとらわれる。
「ちょっとだけ遅れちゃいました、すいません」
「いや、全然いいんですよ」
本音でそう言った、彼女の姿を見たら多少の出来事なんか吹き飛んでしまう。馬瀬の着
ていた白のワンピースと羽織っていたベビーピンクのカーディガンは、いつもの彼女の淡
い色合いのスーツとの比較で結構に輝いて見えた。
「じゃあ、行きましょうか」
「はい」
そう言うと、そこからすでに視界に入っていた大型ビルの中にある映画館へ2人で向か
った。
ここに来るのは、もう3回目になる。先々週、先週、そして今、同じように馬瀬と2人
でここを訪れていた。先々週は馬瀬が見たいと言っていた恋愛映画、先週は苅部が見たか
ったアクション映画、そして今回は世間的に大作と騒がれているファンタジー映画を観る
ことにした。
こうして2人で映画を鑑賞し、その後にファッションショップに顔を出す。それが週末
の恒例のような流れになっていたが、当然2人の心持ちは後者を理由付けにして前者を主
目的にしていた。
「お前、話が違うじゃねぇか」
馬瀬がトイレに行った際、番野は苅部にお門違いの言葉をぶつける。話が違うといって
も、その話は番野が勝手に自分の中で創ったものでしかない。
「話が違うって、どういうこと?」
「あんなに美人だなんて聞いてねぇぞ」
苅部と馬瀬は映画を観た後にファッションショップへ顔を出し、焼き鳥屋「どうよ」を
訪れていた。
こうやって2人で会う機会が増えたことを番野は自分のことのように喜んでくれ、そう
いうことになったのなら是非この店に連れて来て欲しいと言っていた。苅部としては、ま
だ付き合うともいえない微妙な関係でそうするのは恥ずかしさがあったし、馬瀬のような
タイプをこういう大衆的な店に付き合わすのもどうかと思った。ただ番野のことを馬瀬に
話してみたところ、彼女も是非その店へ行ってみたいと言ってきた。そう言うのなら連れ
て来ないわけにもいかず、彼女には不似合いともいえる友人の店を夕食の場とした。
そして、馬瀬の姿を初めて瞳にした番野は驚きを表面に見れるようだった。苅部からの
話でレベルの高そうな女性であることは分かっていたが、あくまでも人生で大学の学部一
のブーちゃんとしか付き合ったことのない苅部の視点での話だと高をくくっていたから。
目の前にいる馬瀬は「本物」だった、大学の学部どころか大学一になれるほどの美人だ
った。苅部の話を半分にしか捉えていなかった番野は、結果苅部にだまされたような気に
なってしまっていたのだった。
「言ったじゃんか、とっても綺麗な人だって」
「そうはいっても・・・なぁ?」
学部一のブーちゃんのときも釣り合いが取れてるとは言いがたかったけれど。
「なぁ、って何さ?」
「いやぁ、お前にはちょっと勿体無くねぇか」
友人としていじめてるわけじゃなく、世間一般論として。
「そりゃあ・・・まぁ、そうなんだけど。でも番ちゃん、応援してくれてるじゃん」
まぁな、と番野は言いつつ首をクッと傾げる。
「何を話してるんですか?」
そこに、戻って来た馬瀬が割って入った。
「いや、特に何も」
そう苅部がかぶりを振ると、馬瀬は2人を交互に見て言う。
「嘘だ、私のこと何か言ってたんでしょ?」
本人たちに意識はなかったが、どことなく変な雰囲気を醸していたようだ。そこに気づ
いた彼女が詰める、どうしようかと思ってるうちに番野が口を開く。
「いやさぁ、こいつには遥ちゃんみたいな子は似合わないんじゃねぇかって言ってたんだ
よ」
「どうしてですか?」
その返答に、番野は少し考えて言う。
「どっちかっていうと、遥ちゃんはこいつよりエリートっぽいやつの方が似合う気がする
んだよね」
確かに、そう苅部は心の中で言った。
「でも、そういう人って一緒にいると疲れそうじゃないですか? 仕事で結構緊迫感ある
中にいるのに、プライベートまでそんな空気になりたくないんです」
なるほど、また苅部は心の中で言った。
「つまり、こいつといると緊迫感がない、と」
「いえ、そういう意味じゃなくって」
番野の裏をとった言葉に、馬瀬は反射的に首を大きく振る。
「じゃ、なんでこいつなの?」
なんとなく失礼な気はしたが、苅部自身も気になるところだった。
馬瀬は一度チラッと苅部を見て、それを元に戻して答える。
「苅部さんといるとホッとするんです、一緒にいると気が落ち着けて和むんです」
心臓をユラリと撫でられるような感覚になった、これまでに味わったことのない大きな
悦楽。そんな言葉など今まで言われたことなんかなく、なにか勇壮な感情も芽生えた。
番野もその言葉で納得したようで、そこからは変に2人に首をつっこむこともしなかっ
た。
「お兄ちゃん、やったじゃん!」
馬瀬を最寄り駅まで送っていき、家に戻ると康恵は芯から出したような言葉で言った。
まさか、毎日近くで見てきた冴えない兄に、あんな綺麗な女性がきてくれるなんて微塵も
思っていなかった。兄に対して失礼な見解ではあるが、彼女自身はとてつもなく嬉しいの
である。
「絶対に離しちゃダメだからね、もう二度とあんな人は現れないよ!」
釘を打つように言われるが、そんなこと本人が誰よりも承知している。
「分かったから、そんな言うなって」
実は、さっきまでここに馬瀬の姿があった。
番野と別れて焼き鳥屋「どうよ」を後にすると、2人は苅部の自宅を訪れることになっ
た。店から近いこともあり、康恵が馬瀬に会いたがってることをそれとなく言うと、彼女
の方から行ってみたいと言ってきた。
康恵が馬瀬のことを知っていたのは、番野が口をすべらせたからだ。口を閉めきれない
タイプなのは知っていたが、逆の意味で彼は期待を裏切らなかった。そのうち、波状的に
ここら一帯の人たちに知れ渡ってしまうんじゃないかと危惧するほどに。
なんにしても、今回はそれが良いように働いてくれたのは事実だった。彼の口がすべり
やすいおかげで、彼女が家にまで来ることになったわけだし。
少々の展開の早さは否めなかったが、康恵がいる分だけ馬瀬も気を楽にすることができ
る。
「お兄ちゃん、おかえり」
そう言いながら2人を瞳にした康恵は、瞳を点にさせた。
「おじゃまします、馬瀬と言います」
その言葉に、風呂上りの通例のようにラフな格好でナイターを見ていた彼女は跳ねるよ
うに立ち上がって
「あっ、はじめまして、苅部康恵です」
と、挨拶をした。
ここからは意外だった、康恵と馬瀬は思いのほかに話が弾んでいたから。意外といって
も、同い年ということで話は合いやすいのだろうが。
3人での時間は一向に時の流れを感じさせず、気づくともう深い時間に差し掛かろうと
していた。馬瀬をここに連れて来たのは正解だった、初対面の女性同士はあっさりと友達
のようになっていた。
「また来てね」と康恵は玄関口で手を振り、
「はい、また来ます」と馬瀬は軽く会釈をして帰路についた。
順調だったのは2人の関係だけではなく、ファッションショップの方もだった。
なんと、ショップがテレビで紹介されることになった。タレントやアイドルが毎週1つ
の街を歩いて気になる店を訪れていく、という実に簡単な番組だ。ただこういう簡単なも
のにこそ人々は感情が入りやすく、年齢層を問わず好感度の高い番組だった。
この吉報を知らせると、ショップのメンバーは一様に喜びを見せた。自分たちが創り上
げた店が全国に伝わる、そう思うだけで心は躍るようになる。
「ありがとうございます、本当に何から何までお世話になって」
「いえいえ、私は自分の好きなお店をオススメしただけですから」
馬瀬は謙遜するように言う。
今回の件は馬瀬のお手柄だった、彼女の手づるが全てだったから。彼女の大学時代の友
人が番組に関わっており、馬瀬も以前からその友人にショップをPRしていたことが実に
なった。
にもかかわらず本当に彼女の言葉には嫌味がない、持ち上げてくれる周囲におごること
もない。そんな彼女が自分に気を向けてくれてるという現実を苅部は未だに疑問に思った
りしてしまう。
そういう苅部も微小ずつではあるが、変わろうとしていた。周囲の人間の感情を読み取
れるという能力を活かし、それを有効活用できるよう心掛ける。
あれから調査を重ねていき、ある程度の蛍光球については意味を知ることができた。金
の色の示す感情は興味、番野が苅部の能力について聞いているときに点っていたのも納得
できる。銀の色は疑い、康恵が刑事モノのドラマを見てるときに点っていた。銅の色は驚
き、ファッションショップのメンバーが今回のテレビ取材の件を耳にしたときに点ってい
た。茶の色は焦り、時間に追われている様子の小走りのサラリーマンたちに多く点ってい
る。オレンジの色は好意、馬瀬が苅部と接しているときに点っている。紫の色は悪意、先
輩たちが苅部に強くあたったりするときに点っていた。黄緑の色は心配、営業部の人たち
が大事な取引に出掛ける前に点っていることが多い。水色の色は悔しい、以前のミスの多
かった自分自身に点っている色だった。
などなど、街中ですれ違う数多の人間に目を向け、初めて目にする色を見つけると後を
つけていき、その色がどういう意味であるかを調べていく。そうやって己に備わった能力
を徐々に自分のものにしていき、同時に自信も身につけていく。
他人の感情を読める、それは他には誰しも持たないものであり、それが苅部に優越感に
近い余裕をもたらす。これまで彼に足りなかったものが一つ一つ築かれていく、その成長
は自分自身にとって楽しいものだった。
そして、あとはそれを結果につなげていけばいい。青や緑や黒など、悪しとされる色を
点してる人間には極力の接触を避ける。下手に近づいたところで、以前の苅部のように嫌
悪を抱かれるだけだ。もしも相手側から接触をしてきた場合、なるべく彼らの怒りの線を
踏まないように気をつける。黄やオレンジなど、良しとされる色を点してる人間にはどん
どんと接触を図る。彼らは大概のことでは気分を害したりはしない、苅部に対してでも優
しくしてくれる。自分自身がそういうところにいれば、自然と他人にもそうできるものだ。
そういうふうにして、要領よく苅部は毎日を過ごせるようになってきた。
同一人物に対しても、悪しとされるときは近づかず、良しとされるときに近づく。
苅部本人に急にそこまでの大きな変化が為せるわけじゃなかったが、接する人たちの心
持ち一つで彼への印象は大きく変わっていこうとしていた。
要はタイミングだ、知力や体力で衰える分を運でカバーすればいい。運といっても、他
人からしてみればということであり、苅部は計画的に自分の運を作ることができる。
彼はこれまでの人生のマイナスをプラスへと変えていった。




