第6話
家から会社までの時間、苅部はパニックに陥りそうだった。右も左も、前も後ろも、周
囲の人間の頭の上の蛍光球が3つずつに増えている。その色は全て同じ人もいれば、全て
ダブらない人もいる。
これはどういうことなんだろうか、そう考えようにも簡単にはいかない。1つでさえ理
解に苦しんだのに、いきなり3つにもなられると対処に難する。恋人に妊娠したと聞かさ
れる男は大抵は大きな衝撃を身に受けるだろうが、それが3つ子だと聞かされたら心内の
対処に困るはずだ。そんなように、彼もまた眼前に起こる現実に頭を悩ませていた。
ただ、考えを進めていくうちに少し仮説をたてることもできた。ヒントは青、この色に
ついても苅部は感情の意味合いを察することが出来ていた。青は悲しさ、巨人が負けた試
合の後に康恵の頭の上に点ることが多いことから予想がついた。
そして、朝に苅部と康恵の左端の蛍光球がともに青だったという共通点。2人の悲しみ
について思い浮かべる、それは昨日の夜に正解があった。苅部は馬瀬からの相談に何もし
てやれなかったこと、康恵は巨人のボロ負けがそれにあたる。ならば、左端の蛍光球は昨
日のその人の感情、もしくは近い過去の感情ということか。
中央の蛍光球については自信に近い予想がつく、おそらく現在のその人の感情を示した
ものだ。苅部の銅は彼にこの能力が備わったときに点っていた色だった、つまり銅は発見
だとか驚きなどを意味する色ではないだろうか。康恵の白は大概の朝には彼女に点ってい
る色だ、色からして無心を意味してるのではないだろうか。
左端が過去、中央が現在、じゃあ右端は・・・・・・。
自分のたてた仮説に、苅部はかぶりを大きく振った。まさか、そんなことがあるってい
うのか。
未来を点す蛍光球、そんなものが現在に存在するというのか。
そんなたどたどしい思考の中、会社に到着すると1番に馬瀬の姿を探した。彼女はすで
に出社しており、社長室の手前にある自分のデスクに向かっている。
緑・金・緑、彼女の頭の上にあった蛍光球はその3つだった。苅部の仮説を置くのなら、
彼女は過去に嫌なことがあり、未来にも嫌なことがある。中央の金はまだ解明できてない
色だった、番野によく点っている色であることは分かっていたが詳しくは分からない。
自分のデスクにつくと、しばらくもしないうちにパソコンの受信メールを知らせるアイ
コンが動いた。どうしようかと思っていたところで、彼女の方から動いてきてくれた。
「昨日はごちそうしてもらって、ありがとうございました。話も聞いてもらえて、少しス
ッキリしました」
なんだか、形式張った文章のように感じた。
苅部はキーボードを打ち、返信を馬瀬へ送る。
「ごちそうといっても、ファミレスですけどね。それに、相談に乗るはずなのに何一つ的
確なこと言えずにすいませんでした」
文章を打ちながら、自虐の念に駆られる。自分の中にあるしこりを取り除くように、そ
れを文章へ吐き出した。
「そんなふうに思わないでください、多分私も話を聞いてもらいたかっただけだから」
その文章に苅部はホッとする。彼女の気遣いによるものかもしれないが、彼はそれを良
いように捉えることにした。
同時に疑問も生じる、苅部の仮説によるなら彼女には昨日嫌なことがあったはずだから。
彼の頭内を見透かしていたように次の馬瀬からのメールが届く、タイトルには「でも」と
書かれていた。
「でも・・・優しい言葉を掛けてもらいたかったのかもしれない。考えあぐねてる自分が
いて、その姿を慰めてもらいたい自分がいて。そんな自分を嫌に思いました、なんか自分
の弱みを逆に利用してるようで」
社内メールはそこで交信が途絶えたが、苅部の疑問は解決された。馬瀬は苅部に嫌悪感
を抱いたのではなく、自分自身を嫌に感じたのだった。
ただ自分が何もしてやれなかったことに変わりはない、彼女に何かしてあげたい。
その日の午後、一昨日の淡いスーツを着た短髪の男が会社を訪れた。
社長室に入っていった数分後、出てきた彼の姿はどことなく小さく感じた。おそらくは
社長から融資はできない旨が伝えられ、それに肩をすぼめているのだろう。会社を後にし
ていく彼の姿を馬瀬は目で追っていた、彼女の会釈はスーツの男の目に入っていなかった
ようだ。
茶・青・黄、スーツの男の蛍光球に苅部は引っ掛かる。過去の感情、茶はこの会社内で
も何度と目にしている色だった。この色を点す人たちの共通点は、日々の気忙しさ、焦り
といった感情だ。スーツの男に置き換える、融資の額の集まらない状況に生じたものだろ
う。
現在の感情、青は先述のように悲しさの色だった。スーツの男に置き換える、抱いて来
た一抹の希望を消された現状に生じたものだろう。
そして未来の感情、黄はこれまでに幾度と目にしている喜びの色だった。スーツの男に
置き換える、彼には未来に喜びが待っているということなのか。ウチの会社以外から融資
をしてもらえるという未来、それが考えられる妥当な線だ。
もう少し苅部は考えてみる、すると1つの仮説が浮かんだ。オープンした彼らのショッ
プが軌道に乗る、それも充分に考えられる線だった。もしそうなるのなら、ウチは融資を
しなかったことを失敗と位置付ける結果になるだろう。馬瀬もより悲しむに違いない、ま
た彼女のその顔を見ることになってしまう。
そんな未来は嫌だ、そんな未来なら変えてしまいたい、そう苅部は思った。自分に問い
かける、「何のための能力なんだ?」と。未来が分かるのなら、未来が変えられるのなら、
またとないチャンスのはずだ。これまでのダメな自分ごと変えられる、それをしない手は
ないはずだろう。
その日の仕事終わり、苅部の姿をとらえた馬瀬の瞳がわずかに見開く。なんとか残業を
手際よく終わらせ、彼女の帰宅を1階のロビーで待っていた。
「苅部さん」
「すいません、ちょっといいですか?」
驚きの表情を崩さないまま、はいと馬瀬は口だけを動かす。
「今頃こんなことを言うのはどうかと思うんですが・・・俺はあのファッションショップ
の件、やった方がいいと思います」
苅部の言葉に馬瀬は驚く、ただ「そんなこと、今頃言われても」というのが現状だ。
「馬瀬さん、是非やってみたいって言ってましたよね?」
「はい」
確かに言ったけれども、もう会社としての判断は為されている。
「何か、今からでも出来ることってないでしょうか?」
「でも・・・ちゃんとした話し合いの上で決まったことですし」
いくら熱意を見せたところで、会社の意見は変わりはしないだろう。理由やら根拠が立
たないかぎり、会社というものはリスクを冒さないはずだ。
「俺は今からやれることってあると思ってます、具体的に何をってなると分からないんで
すけど・・・・・・」
でも、とだけ言うが馬瀬は次の言葉が見つからなかった。
「やりましょう、やらないと次に進めない気がするんです」
苅部は自分に言うように言った。
眼前の彼女は困った表情を見せた、それに我に返る。
「いや、今すぐにということじゃないんで」
すいません、と言うと、苅部は会話をもどかしくしたままでその場を後にしていった。
残された馬瀬は、帰り道に苅部からの言葉を頭に思い起こす。彼の言葉と自分の気持ち
を重ねて、私はどうしたいんだと問いかける。昨日は「やってみたい」と言っておきなが
ら、実際それを訊かれると渋っている自分。それじゃ昨日と何も変わらない、自分自身を
嫌だと思った昨日から。
心内がそわそわしてくる、身体内での葛藤が活発になってくる。モヤモヤしたものが体
の下から込み上げる、早くどうにかしたい。次第に気持ちが変わっていく、本来あるべき
ものへと向かっていく。もしかしたら最初からそれは自分の中にあって、それに上塗りさ
れていたものが剥がれていっただけなのかもしれない。
ピタリと立ち止まる、覚悟を決めたように馬瀬は行き先を変えた。これでいいんだ、そ
う自分に言い聞かせて。
暗闇の中でおぼろげに移っていく景色の中、だんだんと足が速まっていくのが分かる。
重かった足取りが軽くなる、きっと自分の中の正解を選択することで重みが取れたのだろ
う。
コピーしてあった資料をもとに馬瀬はそのファッションショップを訪れる。
電気が点いている、まだ人はいるようだ。店に近づいていくと、人の声も聞こえてくる。
到着すると中の様子をうかがう、6〜7人が作業をしているところだった。まだ工事も
終わりきってないようで、内装は荒いままにある。
「どちら様でしょうか?」
あっ、と馬瀬は声を上げる。
中を見ていたのを気にかかった女性が声をかけてきた。不意を突かれたので、言葉が見
つからず少したじろいでしまう。
「もしかして・・・・・・」
その近くにいた男性が近づいてくる、記憶にある顔だった。
「はい、そうです」
そう馬瀬が答えると、男性は「やっぱり」と口にする。その男性は昼間に会社に来てい
た淡いスーツの男だった。シャツにジーンズというラフな服に着替えてたので、気づくの
に時間がかかった。
「いやぁ、あなたも手伝いに来てくれたんですか?」
「えっ?」
ありがとうございます、と感謝を告げられるがさっぱりだった。あなたも、という言葉
が引っ掛かってしまい。
頭の中をごちゃごちゃさせてると、聞き馴染みのある声を耳にする。
「すいません、ちょっとここ聞きたいんですけど」
声の主はすぐ分かった、こちらにやってくる姿を目にするとそれが正解だったことも分
かった。
そこにいたのは苅部だった、奥の部屋にいたようで最初に店内を見渡したときには気づ
けなかった。
「苅部さん・・・・・・」
その言葉で、苅部はそこに馬瀬がいることに気づいた。
「馬瀬さん・・・・・・」
お互いがお互いの存在に驚いている、なんでここにいるんだと。
「どうしたんですか?」
苅部が先に言った。
馬瀬は本心を言うことにためらう、さっき彼の前で曖昧にしてしまったので。それを読
み取ったようにして、苅部からの言葉が来た。
「ありがとうございます、手伝いに来てくれたんですね」
そう苅部が微笑むと、彼女も自然と表情を崩した。
「私にも出来ることありますか?」
馬瀬の蛍光球の真ん中に黄が点る、素直な自分を出せたことに喜びを覚えて。




