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第5話



 この1週間、苅部は仕事中も馬瀬の方へ視線がいくようになっていた。番野からあんな

ことを言われてから、変に彼女のことが気になってしまい。

 ただ彼女が自分に気があるなどと考えるのは思い上がった話であって、自分自身にもそ

んなことはありえないと言い聞かせる日々が続いた。

 1週間前に馬瀬を食事に誘ったときも大した展開にはならなかった。以前の飲み会のと

きのような彼女を傷つける言葉は避け、いつものような会話を続けるぐらいの。

 それでも、彼女の頭の上の蛍光球は黄を照らし続けていた。これに関しては、もう自分

の中で否定をすることをやめることにした。黄は嬉しかったり喜んだりするときに点る色、

そう定める。焼き鳥屋で仕事をしながら常連客とワイワイ談笑しているときの番野、スカ

ッとする勝ち方をしたときの巨人の試合を見ているときの康恵、そして普段目にするいか

にも楽しそうな人たちの頭の上に黄が浮かんでいるから。

 なぜ馬瀬が自分といるときに黄になるのかは分かりきれない、だが彼女は嬉しいのだろ

う。自意識過剰になる気はないが、それが現実なのだとした。

 他にも、いくつか意味を解読できたものがある。

 緑の蛍光球、これはおそらく「嫌」ということだろう。よく寝起きで鏡に映す自分に点

るのは、また会社に行ってピーピー言われるのかという気持ち。自分に接している先輩た

ちに点るのは、仕事のできない後輩に感じる苛立ち。そして朝の通勤時にサラリーマンた

ちに多いのも、自分と同じことがいえるのだろう。

 黒の蛍光球、これはおそらく「怒り」ということだろう。営業部の人たちが外出した営

業先から結果を残せずに帰ってきたとき、平社員たちが部長クラスの人から説教をああだ

こうだと受けたとき、そして飲み屋で見かける帰宅途中のサラリーマンたちが愚痴ってる

ときに頭の上に浮かんでいるから。

 そんなふうに、苅部は少しずつ己の能力について把握しだした。


「そういうわけで、どうぞご検討の方をよろしくお願いします」

 社長室から出てきた男がそう言う。淡いスーツを着た短髪の男に、他社からウチへ営業

で来たのだろうと印象を抱く。

 ウチのような小さな会社に営業の人間が訪れるのは珍しい。通常ならば、こちらから出

向く機会が自然と大体を占めることになるから。こちらから商品を宣伝していき、相手先

にそれを認めてもらう展開が。

 その点で、ウチの会社における営業部の重要度は高いといえる。実力でそう見極められ

たといえど、その中に自分が入らなくてよかったなと苅部は思う。見くびられたといえど、

そこに配属になっていたら結果を残せずクビも覚悟しなければならなかったことだろう。

財務部でよかった、つくづく思う自分自身を嫌に思ったりもした。

 その日の仕事終わり、苅部が毎度のように残業をしていると違和感が生じた。社長室へ、

各部署の部長と馬瀬が呼ばれていたのだ。さらに、その後にその全員で会社を後にしてい

く。今日のあの淡いスーツの男とのことではないか、なんとなくそう察することができた。

目にしたことのない展開だったため、苅部も心内に嫌な感情が生まれていた。



 翌日、会社での仕事中は誰も昨日の残業中に起こった展開を引きずる様子はなかった。

社長も部長たちも馬瀬も、自分の仕事へと通常のとおりに打ち込んでいる。

 なんだ、昨日のことは大したことではないのか。そう苅部も思った、わだかまりのあっ

た心内をスッと和らげることができた。

 しかし、それは違っていたようだ。

 その日の仕事終わり、苅部の残業も先が見えてきた頃合になる。フウッ、馬瀬が頬杖を

つきながら鼻息を大きくついた。たまたま彼女の方へ目線がいったときだったが、その姿

は強く苅部にインプットされる。残業中といえど、彼女のそこまで崩れた姿はあまり目に

した機会がないから。背筋のスッと伸びた隙の見当たらない女性という普段の印象とは離

れ、家でなにやら物思いに耽るように目の前のパソコンの画面を眺めている。正直ここに

自分と馬瀬の2人しかいない状況であるなら、「どうかしました?」と声を掛けるところだ。

ただ、この時間にはそういう環境になることは少なく、今も2人を含めて4人の社員が会

社に残っていた。

 そうとは分かりつつも、苅部は馬瀬が気にかかった。何かいい方法はないだろうかと考

えると、そうだ、と思いつく。

 苅部は目の前にあるキーボードに指を走らせていく。


「どうかしました? さっきから、なんだか考え事をしているようだったので」


 社内メール、それを利用して彼女に言葉を投げ掛けることにした。私用で使った試しが

なかったので、なにか悪いことをしてるような気になりながら。

 送信ボタンを押すと、遠くで一点を見ていた馬瀬の表情が変わるのを見やれた。小さく

動く彼女の手元を見てると、やがて彼女の目元がこちらに向く。なんとも言えない表情で

向いている自分と彼女の目線が合う。

 やがて彼女の目線は外れ、その手元が動いていく。10秒ほどで、苅部のパソコンに受

信メールを知らせるアイコンが動いた。メールは当然に馬瀬からのもので、それを開く。


「分かりました?」


 馬瀬の方を見ると、彼女はクッと口角を上げた。

 苅部は再びキーボードを打つ、その文章を馬瀬に送信する。


「少し考えあぐねてる様子だったので。仕事のことですか?」


 メールを見た馬瀬は苅部と目線を合わせ、また返信を打っていく。彼女の頭の上の蛍光

球が、さっきまでの白から黄に変わっていた。


「はい、ちょっと難しい展開になってまして」


 難しい展開、昨日のスーツの男に関することだろうか。そうだとしたら、やはり只事で

はないのかもしれない。

 苅部は返信メールを打つ、しかし途中で手が止まる。「よかったら、相談に乗りましょう

か?」という文章を打ったが、送信ボタンを押せなかった。相談に乗りたい気持ちはやま

やまだが、自分にそれほどの技量がないことも分かってる。社長や部長たちが集まるほど

で、馬瀬があれほど頭を悩ませるほどの件だ。自分なんかが聞いて、あれこれ的確なアド

バイスを送れるとは到底思えなかった。下手に手を貸そうとして、逆に自分の非力さを露

わにしてしまう。

 そう思考しているうちに、彼女の方からメールが送られてきた。


「もしよかったらですけど、相談に乗ってもらえませんか?」


 馬瀬の方を見ると、彼女は目を細めてこちらを見ていた。その瞳の中に「お願いします」

という言葉があるようだった、それが苅部の心に響く。自分なんかに頼ってきてくれる彼

女の思いに応えないという選択はできなかった。


「いいですよ、自分なんかでよければ」


 返信するとともに、身体に責任感が宿る。それを送ったからには、ある程度の覚悟が必

要だという。

 メールを受け取った馬瀬は、申し訳なさそうにこちらに少し頭を下げる。

 そこからはメールをやり取りしながら残業を終わらせて、時間差で会社を後にした。



 その後、2人が訪れたのはなんてことないファミレスだった。よく大通り沿いに目にす

る、外には誘い文句のかかれた多数の幟が風になびき、入口のすぐ側に子供用のおもちゃ

が置いてある、20〜30のテーブル席が並ぶ、いたって普通の店。馬瀬の方から、長時

間いられる、うるさすぎず静かすぎない空間ということで決まった。

 店内に入ると、インパクトの薄い制服を着た店員に席まで誘導される。店内には時間帯

から、ほとんどの席に客が埋まっていた。こういうところなら家族連れが多いのだろうが、

場所柄から仕事帰りの人間が目立つ。それぞれがそれぞれのテーブル内の世界に入りこみ、

大きな一つの空間であるはずなのに中味は20〜30に分けられた小世界になっている。

 その中の1つの小世界である2人は、とりあえずコーヒーをオーダーする。ごはんを食

べてしまう前に、まずは馬瀬の話をすることにした。

「昨日、ウチの会社に他社の営業の方が来られたのって分かります?」

「はい、ウチに営業が来るのはあまりないですから」

「実は、あの人のことで難しい展開になってまして」

 やはり、あのスーツの男の話なのか。

「昨日、社長と部長たちと一緒に会社を出てってましたよね。あの後、どこかに行ってい

たんですか?」

 あっ、それを苅部に見られていたのかと馬瀬の顔に出る。

「あれは、全員で夕食に行ったんです。もちろん、今回のことについての話し合いという

ことで」

 そう言うと、馬瀬は本題に入りはじめた。

「昨日来られた方なんですが、今月末に新しくファッションショップをオープンさせるシ

ョップの代表の方でして。デザインや服飾の専門学校を卒業した人たちがチームを組んで

出店するらしいんですが、当日までの店舗に関する費用は自分たちでなんとかしたけれど

当日からの経営に関する費用などが賄えてないそうで。融資をしてくれる会社を探して、

ああやって周っていたみたいです」

「融資、ですか?」

 想像していたものと大きくはずれた話だった。

「はい、その代わりにウチの会社で扱ってる商品を店内に置いてくれるそうです。店のP

OPのような感覚で、ウチのインテリアの宣伝代わりになればという」

 確かに都合の悪い話ではない。

「それで、社長や部長たちは?」

「悪い話じゃないけれど、見送る方向がいいんじゃないかって。素人に毛の生えたぐらい

の奴らのショップに関わって、そんなにうまいこといくと思えないっていう」

 まぁ、そうなるだろう。

「それはもう、向こうの人たちには言ってあるんですか?」

「いえ、明日にまた代表の方がウチに来るので、そのときに」

 そうか、それでこの話は終わりということに。

 まてよ、なら彼女はどうして決着のついた話を自分にまた掘り起こしているんだ。

「それで、相談というのは?」

 そう言うと、馬瀬は彼女のバッグから黒のケースを取り出す。

 それを苅部に差し出し、

「見てもらっていいですか?」

と言う。

 苅部はその言葉の通りにケースの中身に目を通していく。そこにあったのは、色とりど

りのポップな洋服の数々の写真だった。

「これは?」

「そのファッションショップに置かれる洋服です」

 なるほど、こういうタイプのショップになるのか。

 そこにある全ての写真を見ていくと、ポップなものからストレートなものまで幅広い種

類があった。苅部にはおそらく縁がないんじゃないかと思われる、若者にウケそうな感じ

だ。

 良い意味において、それらは素人っぽいと思えた。社会に出て、企業にもまれることで

携わっていく規制にとらわれてない遊び心がそこにはあったから。

「どう思いますか?」

「いいと思います、あんまり洋服のことは詳しくないんですけど」

「本当ですか?」

 そうですよね、そう馬瀬がうなずくように言う。

「すごくいいと思うんです、ウチのインテリアにも合いそうだし。きっといいショップに

なります、この人たちと一緒にできれば。私は是非やってみたいです、あくまで個人の意

見なんですけど」

 馬瀬にはその写真に写ったファッションたちが煌いたように見えた。社会の重責を担っ

てきた社長や部長たちには感じ取れなかったかもしれないが、まだそこに大きく身を注ぎ

こんでいない彼女には感じ取れた。

 そうだった、自分も社会に出るときにはこんな煌きを携えていたんだ。それがいつのま

にか、日々をやりくりする中で片隅の方へ置いてしまっていた。それを再び思い起こさせ

てくれた、こういうことが自分はやりたかったんだと。

 馬瀬の感情を表に出した言葉に、苅部は特にといった言葉が出なかった。確かに悪くな

いとは思う、ただやる以上は会社としては利益を求める。社長の言葉の引用だが、素人以

上プロ未満といえる人たちにそれをするのは難しいのだろう。会社を背負ってる社長や部

長たちがOKを出さなかったことも汲み取れる。

「・・・・・・でも、私1人がなにを言ったところでどうにもならないんですよね」

 そう言って、馬瀬は息をつく。

 何か、何か今の彼女に効く良い言葉はないだろうか。インテリアの知識もそんなにない、

会社の経営の知識はもっとない、それでも眼前で元気のない彼女に何か言葉を。

「・・・・・・ごめんなさい、なんか白けちゃいましたね」

 馬瀬はフッと微笑む、無理に作ったものであるのは容易に察しれた。

 結局、苅部は何もしてやれなかった。つくづく自分が嫌になる、せっかく備わった能力

でさえ何も効果をもたらさない。人の今の感情を見れるようになっても、眼前の彼女を元

気にさせることもできない。

 こんなんじゃダメだ、こんなんじゃ・・・・・・。

 帰り道、夜空に包まれながらそう歩を進めた、変わりたいと心底に思えた。



 翌日の朝だった、苅部はキッチンで朝食を作っている康恵を目にして驚く。青・白・金、

横に並んだ3つの蛍光球が頭の上に浮かんでいた。

 思わず目をこすってみるが、眠りの余韻でかすんで見えたわけじゃなかった。慌てるよ

うに洗面所へ急ぎ、鏡に自分の姿を映す。青・銅・緑、苅部の頭の上にも3つの蛍光球が

同じように浮かんでいた。

 一体なんなんだ、これは。

 どう考えようにも、その答えがあっさりと分かるはずもなかった。



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