第4話
会社での朝礼の時間、社長から新しい契約が結ばれたことが発表された。以前、馬瀬が
苅部と昼休憩に顔を合わせたときに言っていた接待の相手先とのものだ。
それに、社員たちは喜びを見せて拍手する。社員たちが製品と取引先を見つけ、重役が
契約まで結びつける。会社としての形はうまくいっている、小規模であることが結束力を
強くさせてる部分もあるのだろう。
「おい、俺の出張費できてるか?」
とはいっても、苅部はその中で弟気質をいかんなく発揮させる日々が続く。
「はい、これでお願いします」
先輩たちからの態度は強いものが多い、何もしてないのに怒られ口調をされることも何
度となくある。彼は生粋の子分肌だった、損な役回りであることは昔から充分に悟ってい
る。出来ることなら変わりたい、だがそんな勇気もない。
苅部はふと周囲を見渡す、その瞳に映る社員たちの頭上の蛍光球に目は留まる。どうい
うことかはさっぱりだが、この能力は完全に自分に入りきってしまったらしい。身に付い
た当初は数日で消えるものだろうと思っていたが、そうではなかった。これは自分だけに
備わった能力、きっと神様が堕落した自分のような人間にチャンスをくれたのだろう。
無論、天上界だとか黄泉の国だとかを信じているわけでもない。ただこうでも設定を置
かないかぎり、この不可思議な現象を説明する術はない。
こうなった以上、せっかくの能力を有効活用しない手はない。使用法を自分のものにし
て、こんなダメな自分を卒業しよう。そう言い聞かせると、再び目先の仕事へ意識を戻し
た。
少しだけだが、この能力について分かったこともある。「分かった」というより、自分の
中で仮説を立てたということではあるが。
よく目にする、苅部に対して強い態度を取る先輩たち。彼らに共通する蛍光球は緑と黒
が多い、またかと思うほど。彼らが自分と接するときに抱く感情について考えてみる。お
そらく、苛立ち、見下す、嫌う、といったものではないだろうか。苅部自身、起床したと
きに鏡に映る自分に緑が点っていることはある。朝の自分について考えてみる、今日も会
社での億劫な時間があると息をつくことが多い。だとすれば緑は嫌悪感というものに近い
のでは、そして黒も近似した意味合いであるのだろう。朝の出勤時間に見かけるサラリー
マンの波に緑が多いのも、これで頷ける。
あと、よく見る色が黄だった。康恵や馬瀬しかり、昼休憩やアフター5のときに目にす
ることが多い。おそらく、喜び、楽しみ、といったものではないだろうか。先程の朝礼の
とき、拍手をして喜びの顔をしている社員たちの蛍光球が黄であったことも納得できる。
この3つの色については、なんとなく掴めてきた気がする。
ただ一つ、納得のいってないところもあったが。それは馬瀬だった、彼女が自分と接す
るときに黄であることが多いのだ。30人余いる社員の中でも、自分に対して黄が点るの
は彼女ぐらいといえる。なぜ彼女は黄なのか、もしかして黄はまた別の意味合いなのだろ
うか。それとも、自分と接する前に彼女になにか良いことが起こってるのだろうか。昼食
が美味しかったとか、仕事先で褒められたとか。それにしても、毎回それが起こってると
も言いがたいが。
まだまだ謎が多いのも事実だ、もっとこの能力について調べないと。
「苅部さん、どうぞ」
「あっ、すいません」
そう勧められると、苅部のグラスに馬瀬が白ワインを注いでいく。
その日の夜、新しい契約のお祝いの飲み会が開かれた。会場は会社からも歩いていける
距離にあるスタンディングのバー、会社の祝会が行われるときにはよく使用している場所
だった。昨日の契約成立での今日のだったが、馬瀬がお願いすると貸し切りにすることが
できた。常連ということで多少の融通は利くらしい。
「乾杯していいですか?」
「あっ、はい」
そう言うと、2人のグラスがカンとガラス製の音をたてる。
「契約、おめでとうございます」
「いや、私は何もしてませんから」
苅部の言葉に、馬瀬は恐縮をする。
「でも尊敬しますよ、秘書は大変な仕事でしょうし」
「尊敬だなんてやめてください、大したことしてませんから」
「そんなことないですよ、自分は絶対できないと思うし」
その言葉に、馬瀬はかぶりを振る。まだ半人前の自分があまり上に見られたくない、そ
れが本心だったから。
「白ワイン、飲まれること多いですよね?」
これ以上は続けたくなかったため、話を変える。
「あぁ、あんまり強いのは飲めなくて」
「私もです、やっぱり飲みやすいものがいいなって」
そう言いながら、馬瀬は右手に持っていた白ワインの入ったグラスを見せる。
「僕の場合、ただ冒険心がないだけなんですけどね。いつもはビールを飲んでて、普段飲
んでるものに落ち着いてしまってるっていう」
「いいじゃないですか、飲みたいものを飲むべきですから」
お互いにコクッと白ワインを含ませる。
「馬瀬さんは普段からこういうオシャレなところに来るんですか?」
「そうですね、こういう明るめなところが多いかもしれません」
「どうしてですか?」
と、馬瀬が訊く。
「なんか、似合うなと思って」
苅部の方を見やり、馬瀬は溜め息のような言葉をもらす。
「それは単なるイメージですよ」
馬瀬が目線が向いてると、やがて苅部の目線も彼女に向いた。
「確かにこういうところも好きですけど、それだけじゃありませんから。そういう決めつ
けで言われるのって・・・なんか嫌です」
すいませんと言うと、馬瀬はそこから離れていった。
同時に、黄を保っていた彼女の蛍光球が緑に移ったのも確認した。
「間違いねぇな、そいつはお前に惚れてるよ」
帰り道、焼き鳥屋「どうよ」に立ち寄ると番野から言われる。
「えぇっ」
苅部は驚きの声を出す、当然のことだろう。
「あんまでかい声出すなって」
そう注意され、ごめんと答える。
「今、何て言ったの?」
「聞こえてんだろうが、驚いてんだからよ」
もちろん聞こえてる、でも彼の言葉は容易に理解することができない。
「なんで、なんでそうなるの?」
「俺にも分かんねぇよ、そんな綺麗どころがお前なんかになんて。でもよ、俺の経験上、
お前の話を聞いてると答えはそうなるんだよ」
そんなこと言われても、苅部の頭は混乱するばかりだ。
一度自分の中で整理してみる、少ししてかぶりを振る。
「やっぱり無いよ、そんなこと」
「だろうな」
あっさり番野は言う。
「だろうなって、一体どっちなのさ?」
「だから俺の経験上では彼女は惚れてる、でもお前の姿を見てるとそうは思えない」
そりゃそうだ、ここにいるのはしがなく冴えないサラリーマンなんだから。
「単なるイメージで決めつけられたくない、ってんだろ。そりゃあな、人間には表向きと
裏向きの顔があるわけだし。お前が見てるのは彼女の表向きだ、お前はそこから推測した
意見を言った。それを彼女は嫌だと言った、表だけでの発言は嫌だってことさ。要は、裏
も見て言ってくださいってことだ。裏向きの自分も見てください、飾らない自分を見て欲
しいっていうな」
番野の言葉を自分なりに考えてみる、やはり苅部はかぶりを振る。
「どうも信じきれないな、なんか」
「それはお前がモテないからだよ、物事を否定的に捉えるようになってんだって。彼女の
頭の上はいつも黄色なんだろ? それが嬉しいって感情だったら、少なくともお前に対し
て嫌悪感はないよ」
「それはそうかもしんないけど」
だからと言って、馬瀬が好意を持ってるとは信じがたい。
「とりあえず、その彼女を誘ってみろ」
「はっ、どういうこと?」
苅部は驚きを顔にままに出している。
「どういうことって、そういうことだろうが。みすみすチャンスを逃すのか、バカなやつ
だな。せっかくのラッキーボールなんだから、思いきりかっとばせ。こんなこと、滅多に
ありゃしないんだから」
そうは言っても、あまりに勇気を伴う行為だ。
「それに、お前の言ってる能力を試すチャンスでもあるだろ」
「どういうこと?」
「それでOKもらえたら、黄色は嬉しいってことに決まりだろ?」
ハッとする、確かにそれはそうだ。
「いいから、玉砕覚悟でいってみろ。傷つけちまったお詫びみたいに言えば、やらしくは
感じ取られないだろうし」
なんだか少し自信のようなものが湧いた。
そうだ、この能力で自分の堕落した人生を変えるんだ。
翌日、苅部は仕事終わりの時間帯を見計らっていた。苅部は通常のように遅れた分の仕
事を残業でこなし、 馬瀬も取引先のデータをまとめる仕事を残業でこなしている。
先に残業を終えたのは馬瀬だった、お疲れ様ですと帰っていく。苅部も慌てるように5
分後に残業を終え、そそくさと会社を後にした。今から追っていけば最寄り駅までには追
いつけるだろうか、彼のその考えはいらなかった。
エレベーターで1階まで下りると、フロアに彼女の姿があったのだ。
「お疲れ様です」
そう彼女が軽く頭を下げると、苅部も同じようにする。
「どうしたんですか?」
何気なく訊ねる、自分の描いてた展開と違う状況に彼は少し気が焦っていた。
「あの・・・昨日のことなんですけど」
昨日のこと、思い出そうとするが焦りがあるからか、うまくいかない。
「私、生意気なこと言いましたよね、すいません」
馬瀬は大きく頭を下げる。
それに苅部は何かを言いたかったが、いい言葉が見つからなかった。
「あれから申し訳なく思って、失礼なことしちゃったなって」
「いえ、そんな・・・・・・」
動揺もあって無表情で返答をすると、
「じゃあ・・・すいませんでした」
と、馬瀬はまた一礼して帰ろうとする。
その姿を目にしながら、どうする、どうする、と心内に問いかける。
「あのっ!」
そう言うと、後ろ姿の彼女が振り向く。
言え、言うんだ、と心内を奮わせる。
「この後、時間とかありませんか?」
「えっ?」
言え、言うんだ、もう一度心内を奮わせる。
「よかったら、食事でもしませんか?」
苅部の言葉に、馬瀬は気持ち目を丸くさせる。
少しの間が生じる、それがなんともその場の2人に緊張を張り巡らせる。時間にすれば
わずかだが、心持ちを時間に例えるなら数分ぐらいに思えた。
「・・・・・・はい」
彼女からの返事だった、それになんともいえぬ感情が湧いてきた。




