第2話
異変に気づいたのは、朝目覚めて洗面所の鏡に映る自分を見たときだった。
なんだ、これは・・・・・・。
自分の頭の上に銅の蛍光球がふわふわ浮かんでいる、漫画なんかで死者の頭の上に浮か
んでる輪っかのように。
錯覚かと思い、目をパチクリさせるが消えない。手で振り払っても、頭を振ってみても
一向に緑はそこからなくならない。
まだ夢を見てるのか、そう思いこみたかったが違った。明らかに現実にいる、なのに頭
の上には緑の蛍光球がある。
そうだ、康恵に訊こう。そうリビングに行くと、我が目を疑った。康恵の頭の上には、
白の蛍光球がふわふわ浮かんでいるのだ。
「おはよう、お兄ちゃん」
返事はしなかった、そんな余裕なんかない。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
目を見開いて自分を見る苅部に、妹は眉間に皺をよせて言う。目の前の康恵は自分を見
て何も言わない、何も見えていないのか。
「なぁ、俺の頭の上に何かついてない?」
そう、訊いてみる。
「何もないけど」
あっさり返される。
「そう・・・・・・」
「変なの」
そう言い、康恵は朝食の準備に戻る。白の蛍光球を浮かせながら、キッチンで魚を焼い
ている。
彼女にはこの蛍光球が見えてない、自分だけにしか見えないものなのだろうか。
一体これは何なんだ、疑おうとも答えは全く見えてこない。
黄、青、緑、紫、白、多色な蛍光球に苅部は動揺を隠せない。
会社に行くために外に出ると、視界に入る全ての人間の頭の上に蛍光球が浮かんでいる。
満員電車に乗っても、スーツを着た人ごみの上部には数かぎりない蛍光球だ。それぞれが
いろいろな色味を発していて、同じ色でも濃度に差が表れている。
しかも不思議でならないのは、自分以外の人間はその蛍光球の存在に気づいている様子
すらうかがえない。
まさか、これは自分の瞳にしか映っていないのか。なら自分が明らかな少数派で、この
瞳にこそ不具合が生じているのではと思えた。
「おはようございます」
おはようございます、同僚は彼を見やってから目線を合わすことなく挨拶を返す。同僚
からの挨拶に二言目はない、ただ今にかぎってはそんなことはどうでもいい。
会社を見渡しても、同僚の全員の頭の上に蛍光球が浮かんでいる。その中では黒と緑が
1番多い色だろうか、紫や青や白もところどころに見やれる。
どうなってんだ、自分の目はどうにかなってしまったのか。
「おい、おいっ!」
「あっ、はい」
思考を続かせていると、先輩から強い声が飛ぶ。
「なにボッとしてんだよ、上の空か?」
「いえっ、すいません」
「これ、この前の出張のとかのな」
そう、雑に苅部のデスクに領収書を投げる。
「はい、分かりました」
自分のデスクに帰っていく先輩の頭の上には黒の蛍光球があった。なんとなく察しては
いたが、この色の違いにはなにか意味があるのだろうかと考える。だが、もちろん解答を
出そうとも答えなど分かる由もない。
「苅部さん」
はいっ、声を掛けられて我に返る。馬瀬がそこには立っていた、少しの緊張が生じる。
「昨日渡したやつ、大丈夫ですか?」
あぁ、と馬瀬の言葉を理解する。
「はい、これでどうぞ」と用意しておいた金額を渡すと、
「ありがとうございます」と馬瀬は口角を上げて受け取る。
戻っていく馬瀬の後ろ姿に息をつく、彼女の頭の上には黄の蛍光球があった。
仕事帰り、苅部は焼き鳥屋「どうよ」に寄る。
「どうした、昨日の今日で」
週に1回2回しか訪れないのに、2日連続で現れた親友に番野は訊く。どうせ仕事の悩
みだろう、と思いながら。
「いや、なんか今日おかしいみたいで」
「お前はいっつもおかしいじゃねぇかよ」
そう笑う番野に、そういうことじゃなくてという目を向ける。
「なんだよ、言ってみろよ」
茶化さないから、と番野は姿勢を正す。
苅部は息をつき、
「実はさ・・・・・・」
と、朝から起こっている現象を話した。
最中の番野の様子といえば、話を疑ってるとしか思えないように耳にしていく。
「どうかな?」
おそるおそる訊いてみる。
「いやぁ、そりゃ無理な話だろ」
信じろっていうのが、と番野は言う。苅部がこんな冗談を言うやつじゃないのは分かっ
てるが、信用するというには無理がある。
「でも本当なんだ、信じてよ」
「でもなぁ」
と、番野は首をかしげる。まぁ仕方ない、苅部だって全部を受け入れてくれというのは都
合がいいのだろうと思っていたし。
「じゃあさ、俺の頭の上には何色のがあんの?」
一応気にはなったので、番野は訊く。
苅部は視線を上にあげ、
「金色」
と、教えた。
「金色って、そいつは結構いいんじゃないの?」
「いいって、良し悪しかどうかなのかも分からないし」
「何なんだろうな、金色って」
「さぁ、初めて見たし」
結局、番野も半信半疑といった反応でしかなかった。
翌朝、息を呑んでから鏡の前に立つ。
その翌日、そのまた翌日も、自分の頭の上には緑の蛍光球が浮かんでいた。1日限りの
現象だと自分に言い聞かせたかったが、そうはなってくれなかった。この蛍光球は限定的
なものじゃない、そしてこれは自分だけに備わったものなのだと悟る。同時に、これは一
体どんな能力で、どんな意味を為すのかという疑問も置かれてしまう。
一体なんなんだよ、そう頭を悩ませる。
「おいっ!」
先輩からの言葉に、苅部はハッとする。
「最近いつにも増してボッとしてるな、集中しろよ」
「はい、すいません」
急に備わった能力の代償は、仕事にまで差し支えてしまっていた。
「ちゃんとやることやってけよ、お前が遅いだけなんだから」
「はい」
そう先輩は帰っていく、気づけば時計の針は20時になっていた。残業で残っているの
も苅部だけになっていた、そこには空調の音が空しく響いている。
急に自分に起こった現象に仕事も思うように手につかず、ただでさえ遅れがちなペース
はさらに遅れをみせていた。
それでも周りに人がいなくなれば、蛍光球が瞳にちらつくこともなくペースを戻せた。
溜め息混じりに仕事をしていると、コツコツと耳慣れた音が聞こえてくる。
「あっ」
と、会社に入ってきた彼女は呟く。
馬瀬遥だった、瞬間的に彼女の頭の上にある蛍光球が白から銅に移るのが分かった。
「どうしたんですか?」
まさか彼女がここに来るなど思いもよらず、心情が定まらない。
「忘れ物しちゃって、取りに来たんです」
あぁ、そう小さく言うと2人の空隙に言いようのない間が生じる。それを埋めるように
「まだ残業ですか?」
と、馬瀬が言う。
「はい、なんというか・・・仕事が思うように進まなくて」
言葉に少しためらう、彼女のような出来る人間に言うには恥ずかしみのあるものだった
から。
すると、馬瀬はフッと笑みを見せて
「分かります、なんだか変にいろいろ考えちゃうときってありますよね」
と言ってくれた。きっと、自分に合わせてくれた言葉なんだろうと苅部は感じた。
馬瀬が自分のデスクに忘れ物を取りに行くと、苅部は仕事に意識を戻す。
といっても、そこは暗闇に照らされた電気の中の静かな一室に変わりはない。この空間
において馬瀬が気にならないはずはないが、下手に気を向けると彼女に変に伝わってしま
うかもしれない。
馬瀬の存在を心の中に置きつつ、仕事に向かっていると視界に何かが入ってきた。目を
向けると湯気のたったコーヒーがあった、その向こうには馬瀬の姿がある。
「どうぞ、少しは休憩した方がいいですよ」と言い、
「じゃあ、頑張ってくださいね」と帰っていった。
余りに嬉しい心遣いだった、彼女以外の同僚だったら絶対に彼にこんなことしないだろ
う。自分みたいな人間にここまでしてくれるなんて、勘違いをしたくもなる。
ただそれはいけない、好感触を持ったところで報われるはずのないことだから。馬瀬は
ここにいたのが誰だろうと同じことをしていた、そう言い聞かせた。
「お兄ちゃん、遅かったね〜」
「あぁ、ちょっと残業でね」
家に帰ると、リビングにいた康恵はファッション雑誌を眺めていた。彼女の頭の上には、
黄の蛍光球が浮かんでいる。
「なぁ、今日って巨人どうだった?」
「勝ったよぉ、二岡が3打点で猛打賞の活躍で」
「ふぅん、そうか」
そう聞くと、苅部は自分の部屋へと入っていく。
だんだんと興味が湧いてきてるのが事実だった、この自分の瞳にしか映らない蛍光球に。
この現象がこれからも続いていくのなら、この能力について知っておく必要がある。




