災獣の影(前編)
銀河歴1597年 6月21日
新天歴4111年 7月16日
戦艦〔フランドール〕艦橋。
修理を終えた〔フランドール〕は、修理完了の確認と訓練を実施するため、世界樹海峡の南岸側付近、航路から逸脱した密林区域に進出していた。
「先行する〔η8〕より報告。本艦前方4千に障害物。半年前に伐採した切り株のようです。深度10~15。駆逐艦はともかく、本艦は座礁の危険があります」
「航海長、回避するデス。取り舵5」
「取り舵5、宜候」
「〔ζ62〕より緊急信! 『我、世界樹の流木に接触。一部浸水あるも、戦闘、航行に支障なし』」
「全艦に連絡。世界樹の成長が例年よりも大。各艦、海流の変動に注意されたし、デス」
部下が復唱し、全艦に警報を発令したのを確認したフランは、夏の日差しに目を細めながら、正面に広がる海上密林に視線を向ける。
「訓練前から損傷デスか……。先が思いやられるデスね」
フランがこの海域に来るのは初めてのことではない。半年前、同じように訓練でこの海域を訪れている……はずだ。
はず、というのは、座標上では確かに訓練を行った場所であるはずだが、その時に彼女が自身の目で見たものとは、まったくもって違う景色だからだ。
「まさに魔の海域デスね。ま、だからこそシゴキ甲斐がある、ってもんデスが……」
世界樹は成長が早い。
幼木期は特にそれが顕著で、1年で100mに達する。
つまり半年で50mも成長するのだから、景色が一変するのも当然と言える。
同時に海中から巨大な障害物が生み出されることにもなるので、それによって海流が変動し、場所によっては戦艦クラスの大型艦にも損傷を与える潮流を作り出すのだ。
1年経てば海底地形と海流が変化するため、連合軍は無論、帝国軍ですら海底ソナーで34時間体制(ノイエの1自転周期だ)で監視している、第四艦隊司令部以外には海流情報を持ってはいないと言われている。
まさに魔の海域なのだ。
「うっぷ……、さ、左舷に……影を……」
「見張り員。船酔いでキツいのは分かるデスが、報告ははっきりと」
「は! も、申し訳ありません……うぶっ! 左舷海面に、影を、確認……! おそらく、プロレマ、カリス……」
「了解。ま、気持ちはわからんでもないデスよ」
それだけに揺れも酷い。
〔フランドール〕は排水量3万トンを超える巨艦だが、それでも船酔いし、通路が吐瀉物で汚されるのは恒例行事だ。
それとは比べ物にならない小型艦の内部など、想像しただけで鼻の奥が酸っぱくなりそうだ。
「ま、あと1時間ほどで、開けた海域につくはずデス。そこで小休止してから――」
「艦長。訓練時間を繰り上げましょう」
「マジですか?」
それまで沈黙を守っていたパラトリアの言葉に、フランが呆れた声を上げた。
が、今回の作戦――訓練内容の管理は、パラトリアの管轄であり、彼女がどうこう言える立場でもない。
「相変わらず意地の悪い……。本当、良イ性格してるデスね」
だがフランにも、パラトリアの真意もわかる。
実戦ではここが魔の海域だろうが、船酔いをしていようが、敵は襲ってくる。それに対処するための訓練なのだ。
「全艦に通達。訓練内容を変更する。総員戦闘配置」
フランが命令を下すと、〔フランドール〕や周囲の駆逐艦の艦内で、青ざめた表情の兵士たちが怨嗟の声を上げながら、定められた部署へと駆け足で向かっていく。
「主砲、魔導砲戦用意。術式〔焔龍の怒り(サラマンドル)〕。目標、左舷前方の世界樹。管理番号SLE03!」
「目標、方位334、距離8千6百。ターゲットアルファに指定。目標の全高、約1330m、直径、92m」
「取り舵20。回頭後、速力10ノット」
射撃訓練の目標は、世界樹の幼木だ。
航路確保の目的もあるが、世界樹が育ち過ぎれば、それらの葉が悉く日光を奪ってしまうため、別種の生物が育たなくなる。
「ソナー、海中スキャン開始。海中生物に注意デス」
「了解……。乱反射が酷いですが、動いている物体は20mクラスが最大です」
「レーダーに反応は?」
「こちらの騎龍兵以外に、5m以上の飛行物体は確認できません」
「油断するなデスよ。災獣の出現には十分気を付けるデス」
一方で暗闇と静寂を好む存在もいる。
災獣と呼ばれている、古代の生物だ。
惑星ノイエの9割が焼けたと言われる神魔戦争を生き抜いた種族であり、その戦闘力は街一つ、艦隊一つを屠ることもある。
そんな生物が基地近くに良質な寝床を見つけないようにすることも、間伐の目的だった。
「艦長。全主砲、術式描画完了。照準よし。いつでも行けます」
CICで待機するアンドレ砲術長の言葉を聞いて、パラトリアが小さくうなずく。
「砲術長、左砲戦、目標アルファ、撃ち方始め!」
「主砲、撃ち方始め!」
フランの命令、そしてアンドレの復唱と同時に、主砲の砲身と砲口に赤い魔法陣の光が灯る。
直後に打ち出された術の名は〔サラマンドル〕。かつてアナスタシアの前で〔愛宕〕を沈めた魔導だ。
魔力を熱に変換して打ち出すだけの簡素な術だが、それ故に安定性が高く、兵器では良く使用される。
戦艦の魔道炉を動力源とした38センチの火柱は、その火葬範囲を拡散しながら目標とされた世界樹に突き刺さった。
「命中数7!」
12本の内命中した3本は直径百メートルはある大木に巨大なクレーターを同数構築し、4本は輪郭付近をえぐりとった。
だが、世界樹は折れない。
十分な水分を含む上に、世界樹自体が持つ防衛機構が、樹皮と木部の間に結界を展開し、エネルギーの過半を霧散させたのだ。
「チッ。相変わらずカテー奴デスね。本当に木材なんデスか?」
「ま。世界樹の名は伊達じゃないということでしょう。しかし、この距離の静止目標への初撃で命中率6割とは……。砲術長、次は8割程度いけませんか?」
「無茶を言わんで下さい。こっちはこちとらベテランを引き抜かれて、ヒヨッコどもを替わりに寄越されたんですよ? 射撃指揮装置も新型への交換は遅延状態ですし――」
「文句なら戦争相手の連合と、予算も時間も人もよこさない本国に言ってください。なんならこの〔フランドール〕の砲弾に思いを載せて、海軍省にぶち込んでみましょうか?」
そりゃぁ良い、と艦橋やCICに笑い声が響く。
「冗談はさておき、アーニャ女史に被害はないだろうな?」
「ムスタファ少佐騎、高度2千にて旋回飛行中です」
双眼鏡を覗きながら上方へと双眼鏡を向ける。日光と枝葉のモザイク模様の中を飛ぶ、小さな影を確認し、パラトリアは次の指示を出した。
「艦長より砲術長。射撃続行。あのカタブツが折れるまで、ぶっ放すデス」
「了解。第二斉射、テッ!」
〔フランドール〕の主砲が2度、3度と咆哮を上げる。
真紅に焼き焦げた熱波が、が音速を超えるスピードで〔フランドール〕と世界樹とを数本の線で結ぶ。そのたびにいくつかの爆発が世界樹で発生し、巨木を大きく揺らす。
だが世界樹の防衛機構は硬く、樹皮こそ吹き飛ぶものの、芯の部分は少しずつしか削れて行かない。
それでも〔フランドール〕は大樹を削り倒さんと、38センチ砲という斧を幾度も振り立てる。
「私の知っている間伐と違う……」
漆黒の竜の上で、アナスタシアはため息をついた。
彼女は飛行服に身を包みながら、高度千メートルという高所から、ダイナミック伐採ショーを見物していた
無論カメラを手に、故郷の惑星――いや、他のどの宇宙連合国家でも見ることのできない神秘の光景を、そのフィルムに収めている。
「どうだい嬢ちゃん。高度はこのままで良いか?」
「んー、できればもう少し近づいて撮りたいんですけど……。そういう安全基準とかわからないんで、少佐さんが安全と思うギリギリでお願いします」
「はは、中々できた嬢ちゃんじゃねーか……。おっしゃ、サービスしてもう少し高度を落すとするかい」
彼女を運ぶのはムスタファ・サイ少佐。人型となっている時は禿頭の光る中年だが、一度龍となれば黒金色の鱗を輝かせ天空を疾駆する世界樹海峡航空隊の総隊長を務める男だ。
「剣と魔法、世界樹に龍なんてファンタジーの王道なのに、なーんか科学っぽくて似合ってないんですよねぇ。この世界のギミックって」
「頭の悪い俺には魔法と科学の違いなんてよぉわからんが……。宇宙人さんから見れば、そういうものなのか?」
「んー。たぶんそんな感じじゃないですか?」
「そんな感じ、ねぇ……」
適当に相槌を打ちながら、ムスタファは背中の少女に意識を集中する。
飛行には十分気を付けてはいるが、やはり空を飛んでいる以上は揺れる。
だが背中の少女は上手くバランスを取って首を伸ばし、写真を撮る。
「……っ、とと!」
しかし無茶はしない。
わずかでも揺れが発生したり、バランスが危険な状態になったら、即座に身を引き寄せてバランスを取っている。
危険と無茶の境界線を、本能的に感じているようだ。
(……なるほど、あの魔王様が気に入るわけだ)
ムスタファは当初、アナスタシアが訓練を取材することには反対していた。
ここで参加を許せば、実戦にまでついてくるだろう。
命を賭けた戦場で、その覚悟が無い者に、自分たちの行動を見世物にされるのは気分が良くない。
さらには自分の息子と同世代の少女が傷つき、死んでいくのは見たくない。
だからこそ、最初に手厳しい嫌味でも言って、さっさと帰ってもらおう。そう考えていたのだが――
「今日は、よろしくお願いします!」と言って、ムスタファの前に現れたアナスタシアは、ほぼ完ぺきだった。
支給されたセーラー服の上にはライフジャケットを着ていたし、バックパックにはカメラだけでなく、浮遊魔法や防寒の術札、救命具、携帯食料、サバイバルナイフ等、遭難に備えた物品が、これでもかと詰め込まれていたのだ。
しかも聞いてみれば、パラトリアやメディから命じられたわけではなく、自分でそれらを確保したというではないか。
ムスタファは彼女を気に入った
無論恋愛的な意味ではなく、父親か兄のような感情としてだ。
この、一見平和ボケしているように見えて、心の底では覚悟を決めている少女を成長させたい。彼女がどんな写真を撮り、自分や仲間たちの姿を、どのように記録してくのか、自分の目で確かめてみたいと……。
「……どうしたんですか? 少佐」
半日前の光景に思いを馳せていたムスタファは、アナスタシアの声で現実に戻された。
「いや、何でもない……。おっと。嬢ちゃん、強くつかまってな。そろそろ倒れるぞ……」
「第6射命9! 目標アルファ、倒壊します」
斉射すること6度。目標となった世界樹は、わずかに残った部位だけで重力に抗おうとしたが、それも叶わず、残骸部分を押しつぶすようにして落下を開始した。
崩壊しつつある世界樹は、燃え盛る断面同士で熱い抱擁を交わした。
これがビルならば自重に耐えきれずに破断面が押しつぶされて消滅していくのだろうが、中身の詰まった樹木はそうはいかない。
衝突の瞬間、一瞬だけその場で静止すると、バランスを失って倒れ始めた。
「総員、衝撃に備え!」
幼木と言えど、全長は千メートルを超え、太さも百メートル近くある。
その質量は〔フランドール〕の排水量を軽く超える。
砲撃箇所はある程度調整しているため、艦を直撃することはないが、それでも海水と風圧が織り成す衝撃はすさまじい。
「くるデスよ。くる、くる……ッ!!」
今回の砲撃距離は8千…… つまり8キロ離れた距離から世界樹を撃った。
にもかかわらず、排水量7万トン近い〔フランドール〕が、木の葉のように揺さぶられた。重心よりも離れた点である艦橋トップの揺れはすさまじく、数名が転倒、骨折者も出た。
「のわわわわわわぁぁ!?」
倒壊その衝撃は海上だけにとどまらない。むしろ空中にいたアナスタシア達の方が大きかった。
大木の質量で圧倒されてしまうが、世界樹は横に広がる枝葉もそれに似合うだけの量がある。数百メートルの巨大な団扇は、容赦なく世界樹海峡の空気をかき回し、空の支配者たる龍に牙を剥いたのである。
だがムスタファは歴戦の戦士だ。翼を折りたたんで空気抵抗を極力まで減らして衝撃波をやり過ごしてみせた。
高度を代償にバランスを得た飛龍は、風圧が過ぎ去ったのを確認した後に翼を広げた。
「ふぅ。ちょっと近づきすぎたかね。嬢ちゃん、大丈夫か?」
「ええ、全然」
「……意外とタフだな」
「そうでもないですよ。でも、軍人さんが場所を決めてくれるんですから、危険はないと思ってましたから」
「なるほど、たしかに違いない」
「あー、私も自分で空が飛べたらなぁ……。こう、ギリギリがわかれば、もっといろんなアングルを試せるのに……」
空を飛ぶって面白い。軍用パイロットは無理だろうけど、頑張って免許を取って、今度は自分の意思で自由落下やら背面飛行をしてみたらきっと楽しいだろう。
「ってあれ?」
しかしアナスタシアの幸せな未来予想図は、この数分後に叩き潰されることになる。その原因は、先ほど世界樹を倒したあたりに噴出した、小さなゴマ粒だった。
アナスタシアは視力は良い方だ。それが何かは理解できないが、何かが飛行して接近してくることだけは理解できた。
飛行機?龍?アナスタシアは望遠レンズを使ってそのゴマ粒を追った。
「少佐。あれ、何でしょう…? 左前方の……虫?」
「おい、まさか……!」
すべりこみセーーーフ!
……じゃないですね。アウトですね。
さーせん。ちょっと色々あって、帰宅が遅かったんですよ。
そんなわけで、そろそろ戦闘を入れねば……ということでフランドールに主砲を打たせました。
固定目標だけどな!
移動目標は来週の後編でやるよ!
楽しみにしててね!