第二章 つわものどもが夢の跡
銀河歴1597年 5月28日
新天歴2611年 6月37日
「パパッ!アーニャが、アーニャが」
銀河連合、アルケーン連邦外交官であるタクロウ・キュイは、泣き叫ぶ娘――シンシア・キュイの嗚咽を画面越しに身ながら、かける言葉を見つけられないでいた。
本国からの追加の人員を派遣していた宇宙駆逐艦が突如消息を絶った。しかもその中に自分の娘が内密に乗船していたというのだ。
「シンシア。気にするな、というのは難しいかもしれないが、そう自分を責めるな」
「だって、私がチケットをあげなかったら、アーニャは、アーニャは……」
本来ならば民間人が乗れるはずはないのだが、どうやらシンシアが裏から手を回したらしい。外交官の娘でありながら、16歳で名門ラファエル大学の法学部学生となれば、かなり顔が利く。
今回も父親に会いたいという妹を思って、裏ルートから乗船チケットを手に入れたとのことだった。
「報告があったのは、事故があったということだけだ。アーニャの死亡報告じゃない。どこかに不時着している可能性だって――」
「……そんなの、奇跡みたいなものじゃない!それに、不時着だったら救難信号だって出るはず。パパも可能性、なんて曖昧な表現しないで、見つかったって言うはずだもの!」
「……そうだな、お前には下手に隠しても無駄だろう」
賢い娘に嘘は通用しない。そう判断したタクロウは、現在自分が持っている情報をすべて話した。
事故が起きたのは大気圏突入前であること、海面への激突が確認されたこと。現場は敵国の勢力圏内であり、救助に向かった艦隊が壊滅させられたこと。
「じゃぁ、アーニャはもう……えぐっぐすっ!」
「だが……、アーニャらしい最期だとは思う。あいつはお前と違って昔から馬鹿だった……。4歳の時に川で流されて大騒ぎになったし、遭難、滑落、骨折なんて半年に一回はやってだろう」
「そうね……。ううっ、雪崩に巻き込まれて死にかけたり、廃墟で落ちてきたガラスに当たって、血まみれで帰ってきたり……」
「ああ、そうだな。勉強に集中するお前とは正反対で、暇さえあれば冒険ばっかりしていた。その大好きな冒険の先に死ぬ、なんてあの子らしいじゃないか……」
「…………」
「……葬儀のことは追って連絡する。それまで……ママを頼む」
「ぐずっ、わかった……」
相変わらず泣いたままだったが、シンシアが力強くうなずいたのを確認して、タクロウは通信を終了した。
そのまましばらくの間、彼は真っ黒になった画面を前に、茫然としていた。
「アーニャ……ッ」
シンシアをなだめるために軽口を叩いたタクロウだったが、しばらくして頭を机へ押し付けた。そして机に何度も、拳を叩きつけた。
「馬鹿だ! お前は本当に馬鹿だ……!!」
***
だが2日(銀河標準時において。ノイエ自転換算では1日半程度)後に父と姉が泣き崩れることなど知りもせず、アナスタシアは興奮と恐怖に鼓動を高めながらカメラを握りしめていた。
『すごい! かっこいいっ! 不謹慎ってわかっているけど、やっぱりすごい!』
ファインダーの先では、血液と臓腑、煤、海水、硝煙、そしてエーテル。死と破壊に征服された世界の中で、艨艟たちが、苦しみに喘いでいた。
襲い掛かる敵を悉く討ち果たさんとした、堂々たる巨大戦艦の姿はもうそこには無い。主砲塔も、無数の対空砲や機銃も、不機嫌な子供が叩き潰した粘土細工のように変形していた。艦自体も大きく傾いており、すでに左舷側の甲板は海水に洗われつつある。
周囲には数隻の駆逐艦がとりついて放水し、懸命な消火作業と、退去者の救出を行っている。だがその艦艇に翻るのは、黒地に刻まれた黄金七芒星――七大罪を意味する帝国軍の旗であった。
『〔フランドール〕も大きかったけど、こっちもでっかい!これが敵の戦艦……!』
『戦艦デはハイ。巡洋艦ダ』
今まさに力尽きようとしている巨艦を前に、アナスタシアは感嘆の声を上げていた。
生まれて初めて目にする巨大軍艦にレンズを向ける。
すでに周囲は暗くなり始めているが、それがまた、未だに燃え続ける軍艦の姿を幻想的に浮かび上がらせていた。
普段から動画や写真を撮影して投稿するのが趣味であったとはいえ、ここまで巨大で、壮大で、血の沸き立つ被写体があっただろうか。
『ああ、最高!死にかけた甲斐があったって、まさにこんな気分なんだろうなぁ!』
そして被写体は戦艦だけではない。沈みつつある軍艦から少し離れたところでは、翼龍に乗った龍騎士が周囲を警戒している。残念ながら見ることがかなわないが、海中ではシーサーペントも活動しているらしい。
なにより彼女は今、魔王と共に喋る黒龍の上にいる。気分は完全に伝説の龍騎士だ。
事の始まりはアナスタシアが半裸で魔王と面会するという罰ゲームの後だった。
彼女を辱めたメディに鉄拳制裁を加えた――とはいっても彼女はスライムだ。打撃は対して意味はないのだが――後、パラトリアはできる限りの埋め合わせを行うと、アナスタシアに伝えた。おそらく宇宙に帰してほしいという要望であろうとパラトリアは予想していたのだが、 彼女から返ってきたのは意外な言葉だった。
『じゃぁ、カメラ貸してもらえませんか?私、戦艦とかドラゴンとか、見るの初めてなんです!』
この返答にパラトリアは、その黒い瞳を大きく見開いた。
断るのはたやすいし、それが普通だ。
今日初めてであった少女に、軍機の塊である軍艦を観光気分で至近距離から撮影させるなど、正気の沙汰ではない。
だが――
(面白いな。この女史は――)
見たところ十代前半であるにも関わらず、自分以外の乗員乗客は全滅し、自身も左上腕を骨折しているという状況に、恐怖も放心もしない。
魔王と名乗った男に対して物怖じせずに自分の欲求を通す。それでありながら、口調や佇まいはしっかりとしており、無礼さはまったく感じられなかった。
そして何より戦場であることを認識しながら、何のためらいもなく自分の安全よりも自分の欲望を優先させた。
姿勢や言葉遣いからそれなりの教養を持っていることが分る一方で、計算もない、行き当たりばったりで、自分の欲望には忠実。
こういった手合いは2つに1つだ。
何の考えも無しに欲望のままに行動し、最期には全てを死神に刈られる馬鹿か。
死神の鎌を運と勘だけで避け続け、歴史に名を遺すような大馬鹿だ。
もっとも宇宙船墜落を生き延びているという時点で、後者の素質を持っている可能性は十分にあるようだが。
『良いダロウ。撮影後、検閲を入れることが前提ダガ、軍務や業務の邪魔さえしなければ、隙に撮って良イ』
『本当ですか!ありがとうございます!』
『タダシ、ここは戦場ダ。命の保証はナイ』
『あはははは。もうどうせ、一回死んだんですから、別にそんなの気にしないですよ』
彼女は敵である連合が、条約違反を犯して銀河連合と内通しようとしていたという動かぬ証拠だ。その政治的価値は魔王である自分以上だ、最初から素直に返すつもりはなかった。
それが自分から残るというのだ。これほど好都合なことはない。
それに――
「魔王様、悪い顔してる。アーニャを手籠めにしちゃうつもり?んふふ…… 魔王様好みの、綺麗な顔だもんね。ベッドに引きずり込むなら、私が手取り足取り教育して魔王様に見合った女に育ててあげるよ?」
着替えのためにアナスタシアを浴室へと送った後、メディは歪んだ笑みをパラトリアへと向けた。
「この変態スライムの思考はともかくとして、オメーが何か、悪だくみをしてるのは分かるデスね」
分かりますか?とやや意外そうに答えたパラトリアに、フランは肩をすくめた。
「ケチくさい魔王様が従軍記者の真似事、しかも自分の傍につけるだなんて大盤振る舞い、何かの理由があると思うのが当然でしょう。利用価値がネーなら、そこの変態スライムに全部押し付けるでしょうシ……」
露骨な言われ方にパラトリアは鼻白んだが、事実でもあったので否定もしなかった。
「手荷物からあの女の正体がわかりました。現在連合にきている宇宙連合の外交官、タクロウ・キュイの娘らしいです。手元に置いておけば終戦にせよ停戦にせよ、政治工作に利用できると考えてましてね」
「つまり、それまで帰す気はないと……。あわよくば幼気な少女の視線を自分に向けさせて、外交カードにするつもりデスか?」
「ええ。ま、流石に抱くことはしませんがね」
「えー、つまんなーい!イタイケな少女が目の前にいるのに、手をつけないなんて」
「だから黙ってるデス変態スライム。話の腰を折るな!」
「へぶしっ!?」
フランが右手に加速魔法をかけて裏拳をぶち当てると、メディの頭部の上半分が、ゼリーのように砕け散った。無論スライムがそれで死ぬわけもないので、パラトリアは軽くスルーして話をつづけた。
「自分はこの少女を引き連れて、敵巡洋艦に向かいますので、フラン大佐は溺者救援と警戒の方をよろしくお願いします」
「ヤレヤレ。まったく酷い男デスね。魔王様は……」
魔王の突拍子もない行動は今に始まったことではない。
今更頭を悩ませても仕方がないと、自分たちの支配者である魔王と、政治的爆弾の少女が無事に帰れるよう、フランは周囲の艦艇に対して、最大レベルの警戒命令を発するのだった。
***
「兵たちには、悪いことをしてしまったな……」
軽巡洋艦〔手取〕副長のジェファード・東山中佐にとって、この戦闘は不本意なものであった。
護衛艦群の勢力は優勢。主力の戦艦〔周防〕も敵戦艦〔フランドール〕よりも高性能な戦艦だ。
しかし地の利は敵方にあり、また何より指揮官が連戦連勝の魔王パラトリア。待ち伏せや狡猾な罠があるという予感はあったが、まさにその通りだった。
本来ならば合流してから進軍する予定だった戦艦〔美作〕以下の艦隊が、宇宙船のSOS(今思えば、魔王の偽電だったのだろう)により海峡内部におびき出されて壊滅。そしてジェファードの艦隊も、今度は〔美作〕に偽装したSOSをつかまされて、海峡への突入を余儀なくされた。
無論、罠の可能性は十分考慮していたが、まさか世界樹の根の穴を戦艦用の掩蔽壕とするなど、誰が思い浮かぶだろうか。
不意打ちとなった最初の一撃で〔周防〕が艦橋とCICに直撃を受け、司令官の羽岸陽平中将を含む艦隊司令部が全滅。
続いて戦艦に次ぐ主力であった、重巡洋艦〔愛宕〕も直撃段多数によって早々に沈黙した。
〔手取〕艦長であった西島宗司中佐は混乱する指揮系統を素早く掌握し戦線離脱を試みたが、〔手取〕が被弾により速力低下し、駆逐艦も全てが大、中破するに至り降伏を余儀なくされた。
「副長。敵の指揮官が到着しました」
「ん、通せ」
そして現在は帝国軍によって乗員救助が行われており、これから武装解除と指揮権の移譲も実施されることになる。
「帝国ユグドラシル藩王国国王、海軍大尉パラトリア・ファーバントル・メフィストフェレスです。貴官らの賢明な判断に感謝します」
やってきたのは、魔王という肩書があまりにも似合わない少年だった。
低い身長に褐色の肌。腰まで伸ばし肩付近でまとめた頭髪。ややハスキーがかった高めの声。そして頭部の角。
無論敵将のデータとしては知っていたが、滑らかな皇国語に、はっきりとした口調、背筋を伸ばしながらも緊張感を感じさせない物腰は、老練な学者を思わせるような理知的な印象をジェファードに与えた。
魔族は蛮族。幼少よりそう教えられてきてきたが、少なくとも眼前の魔王にはそれが当てはまらないように見えた。
「お初にお目にかかります。軽巡洋艦〔手取〕艦長、ジェファード・東山中佐です」
『ふぇー、これが巡洋艦かぁ。〔フランドール〕そっくり』
「……こちらの方は?」
そして彼の後ろに控える人物もまた、異質な存在だった。
銀に近い桃色の髪に翡翠色の虹彩。身長150ンチ程度の人間の女性。不老の術が施されていないとするならば、体格からして15歳程度と推定できる。護衛もつけない魔王に付き添っているということであれば側近――もしくは情婦かとジェファードは予測した。
「貴方方の求めていた物の1つ―― 宇宙からの来訪者ですよ」
「は?」
「それ以外には、ロクな代物は見つかっていません。彼女が唯一の生存者で、回収物です」
その言葉に、ジェファードは一瞬呆然とした様子を見せたが
「ふ、ふふふ…… くくくく……!」
しばらくして小さくだが笑い出した。
そうだろう。
宇宙からの技術、戦争そのものをひっくり返そうとする情報を入手しようとして、多くの兵を死地に送り込んだというのに。大山鳴動して鼠一匹ならぬ、戦艦鳴動して少女一人だ。
笑いたくもなる。いや、嗤わずにはいられない。
「いや失礼。魔王陛下。我々は、なんともつまらない戦いをしてしまったようですな。アナスタシアさん。初めまして」
「…………」
当然と言えば当然だが、アナスタシアはノイエの言葉を喋れない。ただ、自分があいさつされたことは理解したのだろう。少しおっかなびっくりといった様子で、手を上げて微笑んだ。
「中佐、親善交渉はまた後程にしましょう。それよりも帝国までの曳航のため、打ち合わせを行いたい。艦長へのお目通りをお願いします」
「は。現在本艦を含む、護衛艦隊の指揮権は本艦艦長の西島中佐にあります。すでにそちらの奥の司令官室で待機を――」
銃声。
パラトリアとアナスタシア、そしてジェファードはお互いを見やった。一瞬の後、全員が通路の奥へと駆け出し、司令官室ドアを開けて中に入る。
『ひっ……!』
声を上げたのは、アナスタシアだった。
そこにいたのは、初老の男。
だらりと垂れる右手に、護身用の小型銃。虚ろに半開きで焦点が定まらない瞳。こめかみから流れる赤黒い血。そして何よりも、鼻を腐食させるような鉄錆の匂い。特殊メイクや3DCGを駆使したフィクションではない、生々しい死がそこにあった。
『う、うぅ……』
込み上げる酸の気配を胃袋で押しとどめられたのは、彼女が山育ちで生物の死体については何度か見たことがあったからだろう。普段から辺鄙な田舎惑星の故郷について愚痴をお零していたが、この時ばかりは自身の出身に感謝した。
「…………」
一方、軍人であるパラトリアとジェファードの方は、彼女とは比べ物にならないほど冷静だった。ただ単調に儀礼として敬礼をし、死者への追悼としていた。
「……ジェファード中佐。西島大佐の遺体は、そちらにお任せする。大佐も故郷の文化によって弔われる方が喜ぶだろう」
「ご配慮感謝します。軍医長への連絡許可を」
「許可します」
艦隊司令部は壊滅し、その時点で敗北は確定していた。艦隊が降伏するに至ったのは彼の責任ではない。生きていれば、捕虜交換で母国に戻ることもできたというのに――
『どうして――』
隣の少女が同様の疑問を口にしたのを、パラトリアは聞き逃さなかった。
***
『うぐぇ、ぐふ……』
『大丈夫カ?』
西島大佐の死では醜態を晒さなかったアナスタシアであったが、その精神的限界は〔フランドール〕に帰還してすぐにトドメを刺された。
初めて見る死体に気分を悪くした彼女は、帰還後に医務室へ移動し、絶句した。
帝国、連合の制服を問わない無数の軍人が、そこかしこの通路に寝かせられていたのだ。
骨折程度ならばまだ良い。全身各所に赤黒い染みのついた包帯を巻いた者、明らかに人としてあるべき部位が無い者、顔面すべてを包帯で覆っている者。
そして医薬品の臭いで消しきれない鉄錆の臭いと、言葉にならない無数のうめき声――。
アナスタシアが耐えられたのは、1分にも満たなかった。彼女は踵を返すと甲板へと駆け出し、海に向けて移動の合間に食べた戦闘糧食の成れの果てをぶちまけることになったのだった。
『……平和って、大事ですね』
『今更ソンナことに気付くか…… ほら』
差し出されたのは宙に浮く、直径1mほどの水球だった。おそらく魔法の力で浮遊しているのだろう。
濁り具合と匂いから、ただの海水ということはすぐにわかったが、アナスタシアは何の戸惑いもなく掬ったそれに顔を突っ込み、我武者羅にそれを胃袋へと流し込んだ。
『ごぶ、けふっ、けふっ……!ぷはぁ……!!魔王様、その、私…… 私……!』
『死体、見るノ、初めてカ?』
『人のは……。メディちゃんには、すごく、感謝です……』
あの時。医務室から連れ出してくれたメディに、アナスタシアは今更ながら感謝した。もしもあそこに残り続けていたならば、今以上の――治療措置が施される前の患者たちを目撃することになったはずだ。
まだ新鮮な液体の下たる音、何かを切り刻む音、そして言語として認識できないような叫び声と共に。
『怖いカ?』
『怖いっていうより…… 気持ち悪いです』
アナスタシアは特別に戦争作品好きというわけではなかったが、戦争、決闘、冒険譚をテーマとした映画やアニメーションを、人並み程度には見ている。名乗りを上げながら敵に突進し、一騎当千。主人公は血まみれになりながらも、五体満足で敵を打ち倒し、ヒロインを助けてハッピーエンド。
そんなものは所詮、妄想力豊かな連中が書き記したフィクションでしかないと、この数時間で嫌というほど思い知らされた。
たとえ愛している人がいようとも、死ぬことができない理由があっても、銃弾やら砲弾、敵の兵士もそんなことを考えてくれない。
彼らは容赦なく殺すし、こちらも容赦なく殺す。無論、宇宙からやってきた少女がいるということなども考慮しない。それが戦争……
『安心シロ。これから本艦ハ帰路につく。後方ならば戦闘ハ無いし、銀河連合ともコンタクトを取れる。遠くない内ニ故郷に帰れるダロウ』
まだ社会にも出ていないアナスタシアにとって、それはあまりにも残酷すぎる現実だった。
帰りたい、こんな血と火薬ばかりの世界から飛び出して、適度にネットとゲームができて、大好きな廃墟が豊富な故郷に帰りたい。のんびりと廃墟に足を運んで、動画や写真を撮って、投稿して、仲間内でダラダラと会話する日々に戻りたい。本気でそう思った。
だがそれは――
『残ること、できませんか?』
アナスタシアの言葉を聞いて、パラトリアの眉がわずかに動いた。
『私、今日この世界に来たばっかりで、この世界のこと、何も知らないんです。魔法があって、龍さんがいて、スライムのメディちゃんがいて。魔王様がいて。戦艦とか戦争があって…… もう何がなんだか分らないんです。でも、ううん、だから、そんな世界に迷い込んだのに、すぐに逃げ出しちゃうって、なんか、カッコ悪いじゃないですか』
『恰好悪イ』
『はい。死んじゃうかもしれないですけど、ここで帰ったとしたら、結局悶々として、あの時残っていれば―― なんて生き方、絶対カッコ悪いですよ。人間はどうせ死ぬんだし。死ぬなら、カッコよく死にたいじゃないですか』
その言葉にパラトリアは一瞬眼を丸くし、それから笑った。
『何で笑うんですか!』
なるほど。
撮影許可を出した時に予感はあったが、この女は馬鹿ではなく大馬鹿の資質がありそうだ。
自分の命など、自身の欲に比べたら対した価値はない。それよりももっと自分のやりたいことを、欲望を―― そう心の中で叫んでいる。死神も馬鹿馬鹿しくて、命を狩る気にもなれないのも頷ける。
『この様子ナラ、これ、もうイラナイな』
パラトリアからは不必要と判断された水球が、魔力を失い、ぱん、と弾けて重力の虜になって甲板に落下した。
『便利ですね、それ。それにカッコイイ……』
『魔力ガ?』
『空を飛んだり、炎とか雷出せるって話じゃないですか。生活とか、すごく便利で楽しそうです。私も使えるようになりたいなぁ』
羨望の眼差しで見つめるアナスタシアを、パラトリアは一瞬だけ複雑な表情で見た。
『我々ニハ、魔法は当然に存在するモノダ。女史のヨウニ宇宙に羽ばたき、マダ見ぬ星々に想いを馳せる日々の方がウラヤマシイと思うガ――』
だが、どちらも楽しい世界だとは思わないな、とパラトリアは付け足した。
アナスタシアは彼の言葉の真意がわからなかったものの、その答えは十分後に戦艦〔フランドール〕が教えてくれた。
「艦長、お願いします」
「了解デス。砲術長、術式戦用意。術式〔焔龍の怒り(サラマンドル)〕」
「主砲、術式戦。術式〔焔龍の怒り〕」
特別だぞ、とアナスタシアが通してもらった艦橋横の張り出し――ウィングからは、〔フランドール〕の前部主砲が、ゆっくりと旋回していく光景がよく見えた。
目標は未だに炎上している敵軍重巡洋艦〔愛宕〕。すでに原型をとどめないほどに大破しているが、沈んではいない。しかし航路上に漂流させるわけにもいかないので、ここで海没処分とすることが決定したのである。
「エーテル装填開始!発射まで、12秒」
主砲から噴出されたのは、砲炎ではなかった。八門ある砲身に、赤い光がそれらをカバーするように絡みつく。砲弾を撃ち出すはずの砲口には、円盤状の光がその入口を塞ぐ。続けて二重三重に絡みつくるそれらは、ただの無秩序に光っているのではなく、一種の紋様や文字が複雑に絡み合っていた。
『魔法陣……! すごい、綺麗……』
空中に輝く紋様に、考えるよりも早く体が動き、カメラを主砲塔へと向ける。
ファンタジーや魔法の世界では頻繁に登場するそれを、アナスタシアは知っていた。無論それを目撃することは初めてであり、あまりに幻想的で美しい光景に心を奪われた。
「装填よし!」
「砲術長、撃ち方始め」
「主砲撃ち方始め!」
だが美しさと、その行為が作りあげる結果は別である。
魔法陣が一瞬収縮したかと思うと、次の瞬間には弾け、主砲の砲口から眩い光が噴出した。
赤い煌めきは有り余る熱で射線上の海面を吹き飛ばしながら、目標たる〔愛宕〕に殺到した。
光は格下相手の装甲など軽々を貫いて〔愛宕〕の船内に食い込み、内部のエーテルタンクを蹂躙した上で反対側へと突き抜けた。
〔愛宕〕は一瞬ぐらり、と傾いたが、次の瞬間には内側からの暴虐によって、風船のようにはじけ飛んだ。
「目標、傾斜大。沈没します」
『うぁ……。これが、魔法の力……!』
数秒後、魔法陣とは違う物理的な破滅の光をカメラに収めていたアナスタシアを、ずん、と光において行かれた爆発音が全身を引っぱたいた。
魔法は確かに空を飛び、物を浮かせる便利な力となる。
だが同時に鋼鉄製の塊である軍艦を蕩かし、粉みじんにするだけの力を持つ。
魔法が秘める潜在的な破壊力を目の当たりにし、先ほどのパラトリアの言葉を理解した。
科学の世界にしろ、魔法の世界にしろ。そこの技術の集大成は兵器に行き着く。つまりはどんな秩序やルールが存在したとしても、技術と知能が存在する限り、それらはまず戦うための兵器としてこの世に生まれるのである。
『魔法でこんなコトを世界ヨリ、棍棒と石で殴り合ってイタ時代の方ガ、楽しソウダ』
忌々しそうに呟くパラトリアの言葉を、アナスタシアは否定できるだけの根拠は持てなかった。だが――
『……ぷっ』
『何故笑う?』
『いや、魔王様が毛皮の腰巻つけて、石斧を振りかざしてるの、想像しちゃって……』
『……それは中々、耐え難い予想図ダ。そう考エルとこの世界も悪くナイな』
彼の憂鬱な気分を溶かす程度の否定はできたようであった。
面白い奴だ。
彼女の言動を見て、パラトリアは改めて思った。
九死に一生の事故に遭遇したにも関わらず、すぐに復活して明るくふるまう。
その上この世界が面白いからと、それだけの理由で、戦地であるという事実を知った上で残留を希望する。
胆力と行動力もった英傑か、それとも危険よりも己の快楽を優先する馬鹿か。
まだ出会ったばかりでそのどちらかは不明だが、パラトリアはそのどちらも好きだった。
前者ならば有能な指揮官として、後者ならば勇敢な兵士として。
臆病者や野心家などよりも手元に置いておきたい人材である。
だがこの少女はまだ幼く、兵士として使うのは無理だろう。
『女史、先ほど残りたいと言ったガ、別に残ラセテやっても良い。ダガ、滞在するタメの金はあるノカ?』
『ぐ、それは……』
『翻訳機も無いノダ。私かメディがいなけれバ、コミュニケーションも取れナイ。かといってそれらを埋めるだけの金はナイ。私タチに着いてクルにしろ、無関係な人間を乗せて航海できるほど、軍は暇ではナイ』
突き放すような物言いに、アナスタシアは肩を落とした。もっとも、最初から無理な願いであるとは自身でも思っていたらしく、寂しそうではあったが、不満を漏らす様子は見せなかった。
『そこでダ。やってもらいたい仕事があるのダガ、どうだ?給金は安いガ……』
故に、パラトリアから受けた提案に対して、彼女は『是非やらせてください!』と即答した。
その答えを聞いたパラトリアの表情が、彼の立場――魔王に相応しい笑みになったことに、アナスタシアは気づかなかった。
年頃の女が魔王からの要望を、何も聞かずに承諾する。あまりにも危機管理能力が無さすぎる…… だが、そのぐらい馬鹿な方が、扱いやすいというものだろう。
本人の意志を無視して使役するほどパラトリアは外道ではなかったが、自分の不注意で苦しむ者を救うほど善人でもなかった。
故に、彼はアナスタシアを手元に置くこととした。
『女史は、写真や映写が好きなようダナ?ならば我が軍の従軍記者を、やってみないカ?』
あ、あぶなかった。
たった3回目の投稿で初志貫徹できなくなるところだった……。
何とか土曜日中に投稿できたぜ。ふぃー。
とりあえずこれから先、題名通り、アナスタシアがカメラマンとなって写真なり動画なりを撮って魔王軍を宣伝していきますよ。
もちろん甘い世界ではないので色々と悲惨な目とかにもあってもらう予定ですが、温かい目で見守ってあげてください。
あ、ちなみに早速第一章で年号とかミスってたので修正入れました。
まぁ何で帰るのかというのはおいおい。
それではまた来週