出撃(5)
魚雷の一撃は、巡洋艦の一撃とは比べ物にならないほど重々しかった。
艦首の第一主砲塔の側面に艦橋すらも軽々と超えるほどの水柱がそそり立ち、3万トンを超える〔フランドール〕の船体が身震いする。
その一瞬後には、水面下に開かれた破口から、何百トンもの海流が流れ込む。
それがぶつかる速度は〔フランドール〕の航行速度――38ノット。
元々波を割くことを前提とした船殻ならばともかく、内部の隔壁には、それに耐えうるだけの強度など想定などされていない
オマケ程度の鉄板は次々と水圧に耐えられずに破壊され、重みを増した艦首が、がくりと沈みだす。
「機関逆進、急制動! 主砲砲撃止め、ダメージコントロー……ぐぁぁぁああっ!!」
それを防ぐための機関停止。そして即座の回復。
フランがその命令を発するよりも早く、次の被雷が彼女の体を宙へと吹き飛ばした。
艦橋からは見えなかったが、2発目は艦橋よりやや後方、船体中央部に直撃していた。
そしてその数秒後には、ダメ押しとばかりに艦尾の第三主砲手前に1発、直後に10mほど艦尾側1発が命中する。
「キャブノイズ、右舷に抜けた! 左舷側に音源なし!」
「あつつつ……被害報告!」
「被雷箇所は全て左舷です。艦首倉庫、左舷中央に1発。第三主砲側面に2発の刑四発です。艦は左に8度傾斜中、右舷区画に注水、復旧に務めています。主砲弾薬庫、機械室には異常ありませんが、浸水拡大を防ぐため機関始動および主砲の発射は控えてください」
足の裏で艦が水平に戻っていくのを感じながら、フランは壁面の投影術式に目を向けた。
そこには〔フランドール〕の三次元映像が投影されており、被弾箇所は赤く、浸水箇所が青く表示されていた。
黄色――火災は発生していないようだが、青色の部位は今もなお増え続けており、余談を許さない状態だ。
「オーケィ。ダメコンは応急長に任せ……、いやこっちも手を入れるデス。応急長、ダメコン班に対冷凍術式の防御を徹底!」
フランは艦橋の中央へと向かうと、再び台座へと向かうと口早に呪文を詠唱する。
――静止の玉座にて鎮座する氷の精霊。
汝の力をもって、この世界の全てを凍結せん。
我を白き世界へ誘え、凍結結界!
フランの求めに応じて、浮遊していた六角形のパネルの何枚かが海中に没すると、魚雷の破口に取りつき、その表面に青い紋様を浮かび上がらせた。
絶対零度にまで冷やされた海水は瞬時に凍りつき、絆創膏のように〔フランドール〕の傷口を塞いでいく。
「浸水減少中……左舷傾斜、停止しました!」
「やれやれ、訓練していたとはいえ、こいつぁ便利デスね。確かに魔王様の言う通りナメクジ男……いや、女? まぁあの所長サンは大した奴デス」
投影図の浸水状況を見ながら、フランはひとりごちる。
ヘキサビット――、技術自体は日常生活でも活用されるような呪符と同じようなものだ。
ハニカム構造を構成する複合装甲のパネルに紋様を刻み、浮遊、および術式の展開を可能としただけの代物、既存の技術を金と物量でスケールアップしただけに過ぎない。
だがこの数分間の実戦で対空防御だけでなく、ダメージコントロールにまで大きな成果を見せている。
当然ながら術は火炎、冷凍以外にも無数に存在する。
それらを組み合わせれば、戦争そのものを変える可能性すらある――
「こりゃ秘匿兵器も納得の技術デスね。とはいえ、もうお披露目をしてしまったデスが……。砲術長、敵艦隊の状況は?」
「アルファ1、アルファ2は停止、火災および傾斜大。アルファ3は速度変わらず、沈黙中」
「発砲してこない……? 命中弾を与えたデスか?」
「いえ、アルファ3にはまだ……」
敵の挙動に対して、フランは首を傾げた。
いうまでもなく、現在の状況は敵にとって千載一遇のチャンスだ。
魚雷4発を喰らって立ち往生している戦艦と、ほぼ無傷の巡洋艦。
此方が混乱から立ち直る前に、差し違える覚悟で戦闘を行えば勝利も不可能では無いはずだ。
「ヘキサビットを警戒している、ということデスかね?」
「……それと、これ以上の戦闘は無用ということでしょうね」
「魔王様! 負傷したデスか?」
「打撲です。大したことはありません」
右腕を押さえながらパラトリアが窓の外、左舷側、敵艦隊のいる方向へと視線を向けた。
いかに魚雷4発といえど、この時代の戦艦がその程度で沈むわけもないし、なにより冷凍による応急対応は見ている。
それに正体不明の新兵器が登場してきたのだから、一か八かの突撃はしない、と決めたのだろう。
――こちらは輸送任務を続ける。追撃しないからさっさと帰れ。
そう語る、敵の指揮官の声が聞こえるような気がした。
「魔王様は、その誘いに乗る気デ?」
「乗らざるを得ないでしょう。応急処置とはいえ、凍結させた部分に直撃をされたら被害が増えます。ありがたく敵さんのご厚意を受け取ろうじゃないですか」
そう言ってパラトリアは、投影魔法で艦橋に地図を描くと、現海域から南東方面にある群島に向かうよう指示を出した。
ソラン諸島と呼ばれるそこには、帝国軍の前線基地となっており、大破した戦艦すらも完璧に修理できるドック型工作艦が停泊している。
「やれやれ、またドック入りデスか……。応急長、機関は始動させて大丈夫そうデスか?」
「凍結のおかげで浸水は止まっています。厚みを考えれば10ノット程度ならば問題ないでしょう。ただ――」
「ただ?」
「寒すぎて班員の行動に支障が出ています。冷凍温度を下げていただければ幸いです」
「あ……っ」
報告を聞いたフランはばつの悪そうな顔をして、冷凍術式を停止した。
すでに氷は船に癒着しているので、術を止めても浸水が再開することは無いだろう。
「航海長、速力8ノット。進路をソラン諸島へ。氷で左舷側の抵抗が増えてるデス。操艦に注意しておくデスよ」
「了解。機関原速、面舵いっぱい。進路125、ソラン諸島へ向かいます」
フランが航海長であるマクシミリアン中佐に命令すると、停止していた〔フランドール〕のウォータージェットエンジンが唸りをあげ、敵船団から背を向けて海域を離脱していく。
同時にパラトリアは、包囲していた駆逐艦群に解散を命じ、敵の射程外から離脱した後、ソラン諸島へと向かうように命令した。
「おっと、こいつももう必要なさそうデスね。ヘキサビット、収容」
フランが軽く上を唱えると、上空に展開していたヘキサビットが〔フランドール〕の方へと戻り、行儀よく艦中央部に着陸していく。
がこん、がこん、と重々しい音を立てながら所定の位置にロックされ、〔フランドール〕は再び不格好な、雪国の屋根を思わせる形状に戻った。
その屋根に一部穴が開いてはいるが、それは海中で凍結中の部分だ。
一方で主砲は相変わらず敵巡洋艦に向けたままだったが、それだけで敵将もこちらの意図を察したのだろう。
戦闘速度を保っていた巡洋艦は進路を変えると、すでに赤い船腹を晒して横転している僚艦の傍へと移動し、そこで停船した。
どうやらこちらを信用して救助作業を開始するらしい。
「大胆なことで……。撃つデスか?」
「撃ちたいですか?」
パラトリアの返答に、フランはにやりと笑みを浮かべた。
神であれ魔であれ人であれ、救助中の船を撃つことは自分の誇りを汚すことと同意だ。
たとえそれが、明日の敵となると分かっていても……
「アルファ3へ発光信号。『貴艦の航海の無事を祈る』デス」
フランが命じて探照灯が敵艦に向けられると、しばらくして『配慮に感謝す』という短い発光信号が返ってきた。
それからしばらくは互いににらみ合いが続いていたが、やがてお互いの姿が水平線の向こうに消えたのを確認すると、フランは戦闘配置を解除した。
「戦闘配置解除、応急班は引き続き修理を頼むです。術式長は雷霊除去を開始、終わり次第レーダーに火を入れるデス」
最低限の後始末を終えると、フランはやれやれと言った様子で、自分の座席に腰を下ろした。
「しかし、あの魚雷はどこから……? 対潜警戒はしっかりしていたつもりデスが……」
「おそらく対艦ロケットの中に、ブースター装備の魚雷を仕込んでいたんでしょう。無誘導魚雷なら精密機械は最低限ですから、パラシュートで軟着水させる必要がありません」
「なるほど。命中率の低さは数で補ったと……」
被弾の衝撃で忘れていたが、敵の魚雷は110ノットという速度で突入してきた。
これは通常の魔導推進タイプではなく、先端で泡を発生させることで水中抵抗を減らし、その泡の中をロケット推進で飛行するタイプの魚雷だ。
だがその驚異的な速度と騒音故に、誘導と旋回に難があり、直線攻撃しかできない。
逆にいえば誘導装置という精密部品を組み込む必要が無いので、衝撃に強く、ロケットから乱暴に海中へと落しても、ある程度は耐えられる。
無論着水時の衝撃で進路はずれて命中率は格段に落ちるはずだが、敵はそれを数で補うという単純だが一番効果的な方法で解消してみせた。
「ん……。映像解析の結果が出たデス。敵輸送船から発射されたミサイルは1隻あたり最低でも150発。それが7隻だそうデ……」
「千発以上の対艦ロケットと魚雷ですか。無誘導、短射程とはいえ、よくもまぁ素だけ用意したものです」
「ま、それだけ私タチが目障りということデスね」
ミサイルと魚雷、合わせて千発以上の発射した内、命中は魚雷が4発のみ。命中率に換算すれば1%にも満たない。
だがその結果、戦艦〔フランドール〕は中破し、敵の輸送船団はナターク基地に物資輸送を成功させる。
飢餓を迎えていた敵軍は息を吹き返し、陸路より世界樹海峡を狙い始める……。
巡洋艦2隻を沈めたとはいえ、戦術的にも、戦略的にもパラトリアの完敗だった。
「手段を択ばない……手強い敵将です。あとで敵の情報について調査を依頼しましょう」
「それが良さそうデス……ん? そう、了解デス。魔王様、応急長より報告。破損箇所の溶接完了。速力、30ノットまで発揮可能とのことデス」
フランはそれだけ伝えると、正面を見据えた。
パラトリア同様、敵を撃滅できなかったことに関しては、軍人として甚だ不本意ではある。
だが、勝負は時の運も絡む。
常に勝利し、勝者であるとは限らない。
長く戦っていれば敗北し、屈辱の末に逃げ出さねばならぬこともある。
それでもまだ幸運な方であり、永遠に海の底へ沈むこともある。
それが戦争だ。
「航海長、速力16ノットへ加速。進路このまま、ソラン諸島へ向かうデス」
生き延びただけでも幸運。
魔王らしからぬ、謙虚な幸せに思いを馳せながら、パラトリアは艦橋を後にしたのだった。
……投稿曜日を火曜日とか水曜日にしようかな。
そうしているうちに1週間ずれて再び土曜になりそうな予感もするが……
ともあれやっと、初戦闘っぽい部分が終わりました。
もっとわかりやすい文章、サクサクしつつも緻密な表現ができるようになりたい……