ESSENCE
絵本で語られるお話は、みんなハッピーエンドの結末を迎える。
勇敢な若者が悪い魔女を退治したり、誰かが王様になったり。
館の庭と、そこから見える空しか知らない私は、絵本の中の主人公になることで『外の世界』で駆け回ることができた。
自由と引きかえの、何の不自由もない生活。綺麗な部屋、お気に入りの服、美味しい食事。他愛もない会話。
誰もがこんな生活を享受しているものだと思っていた。
――彼に出逢うまでは。
数年前。
静かに降り積もる雪を、部屋の小窓からぼんやりと眺める。
雪を見るのはいつ振りだろう。
この地方では年に一度、降るか降らないかという程度にしか見ることのないものだ。
ましてやこのように積もりそうな勢いの空模様など、滅多にない。
闇夜に仄かな灯火が揺れる世界で、雪は一層白さを増し、幻想的な雰囲気は現と夢の境を失くす。
色の無い世界へと塗り替えられてゆく屋敷の庭の中で、ふと影が揺れる。
(男の、人……?)
こんな夜に? 知らない男の人。
警戒心という言葉を知らない私は、純粋な好奇心だけで外へと続く扉へと向かう。
普段、来客があっても対応したことなど皆無なのに、どうしてかこの時は彼の存在を確かめたかった。
重い扉を開けると、暖かい部屋へ一気に冷気が入り込んでくる。
雪の舞う夜の闇の中に、青年が佇んでいる。すらりとした長身を包む軍服に似た黒の詰襟の服は膝丈まである。金や銀で精緻に織られた見事な装飾が、袖や裾に刺繍されている。
人形めいたほどに青白い白磁の頬から胸元までまっすぐに落ちる髪は、淡い黄色と緑色をミルクで溶かして、そこに銀の雫を一滴落としているかのような曖昧で不思議な色味をしていた。
しかし、それ以上に驚くべきところは彼の左右の色の違う瞳だ。
アザレ色の右眼と、ヘリオトロープを連想させる深い紫の左眼。
見たことない取り合わせのその瞳が、淡い髪色の隙間から私を見つめている。
驚いたような表情の後、刹那穏やかに微笑んで、官帽を取り、流れる動作で片膝を折ると、恭しく頭を垂れる。
(どこかの遠い国の、お話みたい)
彼のそんな姿に頭の片隅でぼんやりと遠い昔に読んだ物語を思い出しながら、口をついて出てきたのは他愛もない挨拶だった。
こんばんは? と小首を傾げながら尋ねると、彼はクスリ、と苦笑して私を仰いだ。
「こんな夜分の来客に、よく気付かれましたね。しかしお嬢様が一人で応対するのはいただけないな」
宙を彷徨っていた手を彼に取られる。
「……? どうして?」
言葉の意味さえ理解らず、きょとんとしたままの私に、淡い微苦笑を浮かべて立ち上がる。
そうして見れば、私よりも少し年上の、自身より頭二つ分は上背のある青年だった。
屋敷の者以外とは殆ど接触を絶った生活をしている為か、彼に出逢ったことは、私にはとても新鮮な出来事だった。
「君は“あの方”にとても大切に育てられているんだね。……嗚呼、でもこんな事を貴女に言うと、怒られてしまうかな」
困ったようにそう言うと、部屋に戻ったほうがいいと諭される。
――そう、私の世界は綺麗なものばかりがちりばめられている。不要だと決めつけられたものは、すべて排除された、美しい世界。
彼に逢ったことが“おじさま”に知られてはいけない。
“おじさま”にとって、彼は私の世界に『不必要』な存在らしい。
けれど、けれど私は。
「あなたは、わたしのことが……、たいせつ?」
ただそれが聞きたかった。初対面の男の人に聞く事ではないと、我ながら思う。
でも心のどこかで、私は私の存在を、誰かに知っていて――、覚えていて欲しかったのかもしれない。
添えられたままだった手を、両手でそっと包み返して、私は静かにそう尋ねたのだった。
私の意外な言葉に彼の笑みがフッと消える。
色違いのその特別な瞳に、何もかも見透かされてしまいそうだった。
「――……あなたが、俺の事を大切に思ってくれるのなら」
数拍の沈黙の後に、彼は私に呪文みたいな言葉を紡いだ。
そうして、さあ部屋へ戻って、と繰り返す。
彼の声に押されるように、ふわふわとした心地のまま部屋へと戻るとストンと椅子に座った。
「たい、せつ……?」
その言葉の本当の意味を理解するのは、もう少し先の話だったけれど、私の存在を知ってくれた彼を、いま確かに大切だと思った。
<END>
お借りしました!
過去話。4~5年前設定かな。
♪「君が光に変えて行く」




