表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

情念

――――『情念』


 感情が刺激されて生ずる想念。抑えがたい愛憎の感情。


                               『大辞泉』より抜粋

 堤隆幸(つつみたかゆき)が以前の彼女、桐崎綾子(きりさきあやこ)と別れたのは、もう一ヶ月ほど前のことだった。


 二人の交際は、そもそも綾子が隆幸に自分の想いを告げたことから始まった。大学の帰り道に待ち伏せする形で、綾子の方から隆幸に告白したのだ。


 ここまでであれば、単にありふれた恋愛話で終わったことだろう。隆幸は浮気などするようなタイプではなかったし、綾子は今時珍しいほど献身的な性格をしていた。


 誰がどう見ても理想的な円満カップル。少なくとも、つき合い始めた頃の二人を見れば、誰もがそのように感じたはずだ。


 だが、程なくして、隆幸は綾子の存在を疎ましいと感じるようになっていった。もっとも、別に、他に好きな女性が出来たというわけではない。


 彼の名誉のために言っておくが、隆幸は決して自分から女性を傷つけるようなことはしない人間である。遊び感覚で男女交際ができるような性格ではなく、どちらかといえば生真面目な男だ。


 問題なのは、やはり綾子の方であった。隆幸と二人でいる時はいいのだが、いざ少しでも離れると、普段の彼女からは想像も出来ないような豹変振りを発揮する。


 例えばメール。


 毎晩、寝る前にやり取りするくらいならば構わないが、綾子は一日の内に十数件近い数のメールを送ってくる。その内容は、《今、どこにいるの?》とか《誰と何をしているの?》といった、隆幸の行動を気にするものばかり。


 つき合い始めた当初は、隆幸もそんな綾子の行動を可愛いとさえ思っていた。が、しかし、これが連日ともなれば話は別だ。


 何しろ、綾子は隆幸の予定などお構いなしにメールを送りつけてくる。しかも、それに対して直ぐに返信しなければ、次に会った時に返信が遅れた理由をしつこく尋ねられる。


 高圧的な態度で追求されるのであれば、いかに温厚な隆幸でも喧嘩の一つでもしていたかもしれない。

 

 ところが、綾子はそんな態度など一切見せず、ひたすら泣きながら自分自身のことを責め続けるのだ。自分がつまらない女だから、隆幸に捨てられるのが怖かった、などと言って……。


 交際を開始してから早半年。隆幸は早くも綾子との関係に限界を感じ、別れ話を切り出した。無論、綾子がそれに、素直に応じるはずなどない。案の定、最後まで別れる理由をしつこく尋ねられた。


 単に別れるだけならば、「他に気になる人ができた」とでも伝えておけばいいだろう。しかし、女性と別れるのに平然と嘘をつけるほど、隆幸は器用な男ではない。


 その上、綾子の嫉妬深さは相当なものだ。近頃は部活やバイト、それに大学の研究室仲間からの連絡でも、それが女性だと分かれば容赦ない。


 怒り、泣き、そして最後には、隆幸に自分以外の女性と会わないことを約束させる。こんな調子であるからして、別れるにしても迂闊なことは言えなかったのだ。


 結局、隆幸が綾子に伝えたのは、「重いから……」という一言だけだった。それでもかなりの修羅場になることを覚悟したが、以外にも綾子は、「そう……」とだけ呟いて、それ以上は何も言わなかった。


 別れ話は、思いのほか穏便に事が運んだ。少なくとも、当初、隆幸はそう思っていた。


 ところが、その数日後、隆幸は思いもよらぬ形で綾子の訃報を聞くこととなった。そう、綾子は自らの命を絶ってしまったのだ。自宅にある自分の部屋で、カッターナイフで頚動脈を切りつけて。


 あまりに突然な綾子の死。その原因は、間違いなく隆幸との別れ話にあるだろう。

 

 隆幸は、できればもう綾子には関わりたくないと思っていた。しかし、数日前まで交際していた以上、綾子の死にまったく関係ない顔をするわけにもいかない。


 綾子の両親から連絡があり、隆幸は彼女の通夜にだけは参列することにした。


 通夜の席では綾子の両親から何か言われるのではないかと気が気でなかったが、幸いにして、彼女の父親も母親も、隆幸が綾子と別れたことについては知らなかった。遺書の類も見つからず、警察でも発作的な自殺と判断しているようだった。


 通夜の帰り道、隆幸は夜空に浮かぶ月をぼんやりと眺めながら考えた。


(これで、綾子の束縛から本当に逃げられた……)


 当人が亡くなった、ましてやその通夜の帰りに考えるにしては、あまりに失礼なことである。とはいえ、隆幸とて、今まで綾子には散々苦労をかけさせられてきたのだ。


 あのまま交際を続けていれば、今に自分は壊れていただろう。綾子が自ら命を絶ってしまったことは心苦しかったが、それでも開放感がなかったかといえば、それは嘘になる。


 束縛の過ぎる、嫉妬心の強い彼女の死。


 隆幸は、綾子が亡くなることで、初めてその束縛から完全に解放されたと感じていた。少なくとも、最初の内は……。


 だが、これが悪夢の始まりにしか過ぎないということに、隆幸はまだ気がついてはいなかった。



※   ※   ※



 異変は、綾子の通夜に参列した二日後辺りから起こり始めた。


 その日、隆幸は大学の先輩に誘われて、駅前の居酒屋へと足を運んでいた。


「なあ、お前の彼女、亡くなったんだって……?」


「そうっすよ。束縛の強い女でしたけど……いざ、いなくなってみると、やっぱり少し寂しいっすね……」


「そうか……。自殺だって聞いたけど……?」


「まあ、そんなとこっすね。正直、今はちょっと、考えるのも辛いっす」


「それはすまなかったな。だったら、今日は全部俺の奢りにしよう。愚痴でもなんでも、朝まで聞いてやるぞ!!」


「そ、そうっすか? それじゃ、お言葉に甘えて……」


 そんな会話を繰り返しながら、隆幸は先輩と一緒に久方ぶりのアルコールを楽しんだ。本当は、綾子の束縛から逃れられてほっとているのだが、とりあえず適当に話を合わせておく。


 綾子と一緒だった時は、ほとんど彼女と二人きりでしか酒を飲んだ記憶がない。先輩や男友達と一緒に気兼ねなく酒を飲むこの空気が、実に新鮮なものに感じられた。


(そうだ……。俺はもう、綾子に縛られることはないんだ!!)


 束縛から解放されたことも相俟って、その日は思いの他に酒が進んだ。帰る頃には完全に酔いが回っており、隆幸は自分の借りているアパートの一室で、そのままソファーに倒れこむようにして眠ってしまった。



※   ※   ※



 翌日、二日酔いの残る頭をさすりながら起きた隆幸は、自分のアパートの台所が妙に片付いているのに気がついた。


 昨日は飲み会だったため、隆幸は家事の類に手を出してはいない。洗っていない食器が流し台にそのまま置いてあったはずだが、それらが綺麗に洗って片付けられている。


 昨日は確かにソファーに倒れこんでしまったはずだが、その前に、自分でも気がつかない内に食器だけ洗っていたのだろうか。酔っていた時の記憶というのは、どうも曖昧になってしまっていけない。


 その時は、隆幸はその程度にしか考えていなかった。家の中のものが盗られたわけでもなく、なにより、鍵だけはどんなに酔っていてもしっかりとかけている。片付けられた食器のことも気にはなったが、まあ、自分の記憶が不確かになっているだけだろう。


 そんなことを考えながら、隆幸は大学の講義に出かけていった。その日はバイトもなく、実に平凡な一日だった。


「ちょっと早いけど、もう寝るか……」


 誰に言うともなく呟き、隆幸はさっさと寝床に入ることにした。実を言うと、昨日の飲みすぎから来る二日酔いが、まだ少しだけ頭の奥に残っているということもある。片付けられた食器のことなどは、当に頭の中から消えていた。


 ところが、翌朝、隆幸が起きてみると、昨日の夜に洗い残した食器がまた片付いていた。今度は酔っ払っていたわけではないため、記憶もはっきりと残っている。


 昨日、隆幸は簡単な夕食を済ませた後、食器を水につけるような形で流し台に出しておいた。洗うのは、毎朝起きてからにしているため、昨日の夜に自分で洗ったということは絶対にない。


 なんともいえぬ、奇妙な出来事。外国では家事を手伝ってくれる小さな妖精の話があるが、そんな可愛らしいものが原因でないことは、隆幸も薄々と感づいていた。


 果たして、そんな隆幸の予想は正しく、彼はその日からあまり眠れない日々が続くことになった。


 夜、布団で寝ていると、誰かが部屋の中を歩き回っているような感じがする。そればかりではなく、時にその部屋を歩き回る気配は、隆幸の寝ている顔を上からじっと見つめているようなのだ。その上、相変わらず、彼のいない間に家事が行われていることもある。


 夜中に家を歩き回る気配と、自然と行われている様々な家事。何も知らない者であれば、家事をこなしている不思議な相手に感謝の気持ちでもわいたことだろう。


 だが、隆幸は、そんな相手の正体にはっきりと心当たりがあった。それだけに、どれほど自分の代わりに家事をやってくれたとしても、感謝よりも恐怖の気持ちの方が大きくなってしまうのだ。


(綾子……。君なのか……)


 心の中で呟いてみても、誰も答える者はいない。ただ、部屋の窓際にあるカーテンだけが、その言葉を肯定するかのようにして静かに揺れた。



※   ※   ※



 そんなある日、綾子の亡くなった数日後に隆幸を飲み会に誘った、あの先輩がやってきた。


 その日、先輩はこともあろうか、研究室で一緒の班にいる同期の女性を連れてきた。どうやら班の仲間と飲んでいる内に終電がなくなり、頼れる場所が隆幸のところしかなくなってしまったらしい。


「悪い、隆幸! この埋め合わせは今度必ずするから、とりあえずは、この娘を泊めてやってくれないか?」


「うーん……。できれば、今はちょっとご遠慮願いたいんすけど……」


「そんなこと言われても、もうお前のところしか頼る場所がないんだよ。俺もこいつも、今日の飲み会で持ち合わせを殆ど使っちまってさ。今、手持ちの金が全然ないんだ」


「しょうがないっすね……。だったら、部屋を貸しますけど……その代わり、先輩も俺も、今日は台所に寝袋敷いて寝ることになりますからね」


「ああ、分かってるよ。とにかく、今はこいつを早く布団でもソファーでも適当なところに寝かせてやってくれ」


 そう言って、先輩は連れてきた女性を隆幸の部屋にあるソファーに寝かせると、自分達は押入れの奥に放り込んであった寝袋を引っ張り出して寝ることにした。



※   ※   ※



 翌朝、隆幸が目覚めると、そこに先輩と連れの女性の姿は無かった。どうやら朝一の講義に出かけたらしく、抜け殻となった寝袋だけが残されている。


 玄関のドアについている新聞受けの中を覗いてみると、そこには先輩が残していった隆幸の部屋の合鍵があった。昨日、寝る前に渡しておいたものだが、どうやらきちんと鍵を閉めて出て行ってくれたらしい。


 寝袋を片付けながら、隆幸はふと昨晩の事を思い出す。そういえば、昨日の夜は例の部屋を歩き回るような気配が全く感じられなかった。食器も洗い場に放置されたままであり、この数日間続いていた奇妙なことが、まるで全て夢であったかのように感じられる。


 もしかすると、自分は綾子の死を変に意識することで、少々疲れていたのかもしれない。それが暗闇を妙に恐れることにつながり、変な妄想にとり憑かれることにもなったのではないか。


 食器にしても、無意識の内に自分で洗っていたに違い無い。あまりに疲れていたために、洗ったことさえ忘れていたのだろう。


 そんな事を考えながら自室に戻ると、隆幸はソファーの上に一着の上着が脱ぎ捨ててあるのに気がついた。どうやら昨日の夜、先輩の連れてきた女性が置いていったものらしい。


「仕方ねぇな……。今度、先輩にあった時に伝えて、取りに来てもらおう」


 女物の、緩い生地で出来た黄色い上着。それをハンガーに引っ掛けて吊るすと、隆幸もまた大学の講義に出るために自分のアパートを後にした。


 今までのことは、全て気のせいだ。先輩が来た時には何も起こらなかったんだから、自分が気にし過ぎてしただけに違いない。


 そう考えると、隆幸の気持ちも急に楽になった。


 その日は講義もバイトもなぜか楽しく感じ、隆幸は意気揚々とした顔でアパートに戻った。もっとも、そんな彼の気持ちは、玄関のドアを開けた途端に粉々に打ち砕かれることとなる。


「な、なんだ、これは……!?」


 部屋の中は、まるで何かが暴れまわったかのように激しく荒らされていた。机の中や押入れの中の物が引きずり出されて散乱し、新聞紙がメチャクチャに引き裂かれて散っている。


 極めつけは、先輩が連れてきた女性の着ていた上着だった。優しく包み込むような印象を与える黄色い上着は見る影もなく、鋭い刃物のようなものでズタズタに切り裂かれていた。


 荒らされた部屋と切り裂かれた上着。これが強盗などの類ではなく、もっと恐ろしい相手が原因であることは、隆幸には当に予想がついていた。


 やはり、今までの出来事も気のせいではなかった。自分は未だ、綾子の呪縛から逃れられてはいない。


 こうなると、隆幸の精神が悲鳴を上げて壊れてゆくのに、そう時間はかからなかった。その上、さらに追い討ちをかけるような事態が、あの先輩の下から隆幸に伝えられたのだ。



――――あの日、俺の連れだった女が死んだ。



 先輩の話によると、上着を忘れていった例の女性は、隆幸の部屋で上着が引き裂かれたその日に自殺したらしい。その死に様は、カッターナイフで自分の喉を突き刺して死ぬという壮絶なもの。まるで、隆幸と別れた綾子が、自らの首を切り裂いて死んだ時のように……。


 その日から、隆幸は極力他人と関わらず、一人で部屋に引きこもるようなことが増えていった。下手に他人、特に女性と関われば、相手にどんな不幸が訪れるかわかったものではない。


 それだけでなく、最近は隆幸の夢枕に、よく綾子の姿が現れるようにもなっていた。毎晩、決まった時間に金縛りになり、同時に現れる綾子の幻影に悩まされるのだ。


 正直、罵倒してくれたり憎んでくれたりすれば、まだ気が楽だったかもしれない。しかし、綾子はそんなことはせず、ただじっと寝ている隆幸の顔を覗いているだけなのだ。


「もう、やめてくれ、綾子! 俺が……俺が悪かった……」


 そう、心の中で謝っても、綾子の影は何も言ってはくれなかった。ただ、目を細めてうっすらとした笑みを浮かべ、無言のままこちらに微笑みかけてくるだけだ。


 つき合い始めた当初から、綾子が隆幸にだけ見せていた独特の微笑み。以前は愛しいと思っていたそれも、今となっては、ただひたすらに恐ろしい。


 夜な夜な現れる綾子の姿に悩まされること数週間。隆幸は完全にノイローゼのような状態となり、以前の面影は全く無くなった。口数も少なくなり、大学内でも孤立するようになっていった。


 そんな隆幸に助け舟を出したのは、同じ大学の研究室に在籍している土倉真奈香(つちくらまなか)という先輩だった。関西の方から一人で上京してきたらしく、世話好きで姉御肌な人間だ。


「なあ、堤君。あんた、最近どうしたん? ゼミにも殆ど出えへんし、人付き合いもめっぽう悪うなっとるっちゅう話やで?」


「あ、そうっすか……。でも、気にしなくて結構っすよ……。それに……俺に近づいた女の人は不幸になりますからね……。先輩も、あんまり関わらない方が……」


「なに、一昔前のアニメキャラみたいな、臭い台詞吐いとんねん。悩みがあるなら、相談にのるで?」


「いや、本当に大丈夫っすから……」


 自分に関わった女性は、間違いなく綾子の亡霊が抱く恨みの念の矛先となる。しかも、それを伝えたところで、信じてくれる者などいるはずもない。


 そう思って立ち去ろうとした隆幸だったが、そんな彼を引き止めたのは、真奈香の放った意外な言葉だった。


「なあ、堤君。あんた……もしかして、何か変なもんが見えたりするんと違うか?」


 思わず、ビクッと肩を震わせて立ち止まる隆幸。それを見た真奈香は、「やっぱりなぁ」と呟いて、隆幸の肩を軽く叩いた。


「先輩……。先輩は、俺の見えている物がなんなのか、分かるんですか?」


「うーん……。実は、ウチもそこまで詳しくはよう分からん。ただ、最近の堤君、妙に生気が減っとるような感じがしたもんやから……」


「生気って……。先輩は、幽霊とかそういった類の物が見える人なんですか?」


「まあ、そんなところやね。ウチの家系、そっちの関係者やねん」


 真奈香の話によれば、彼女はどうやら俗に言われる霊感の類があるらしかった。しかも、ただの霊感持ちというだけではない。


 真奈香の祖父は、高野山で修行する真言密教の僧侶の一人だという。その影響を受けてか、真奈香も簡単な除霊くらいは行える力を持っているとのことだった。


 結局、真奈香の話を聞いた隆幸は、今までの経緯の全てを彼女に話す事にした。


 そろそろ、己の精神の限界に達しようとしていた頃である。ここで誰かに話をしておかねば、隆幸は本当に壊れていたかもしれない。


「なるほどなぁ……。まあ、そういう事ならウチに任せとき。堤君の元カノさん、ウチがきっちり成仏させたる」


「成仏って……本当に大丈夫なんっすか?」


「まあ、泥舟……もとい、大船に乗ったつもりでいてくれて構わへんよ」


 そう言って、真奈香は白い歯を見せてけらけらと笑って見せた。綾子の見せる薄笑いとは違う、明るく健康的な笑い方だった。



※   ※   ※



 翌日、真奈香は隆幸に案内される形で、彼のアパートを訪れていた。


「あの、先輩……。本当に、俺は外で待っているだけでいいんすか?」


「ま、その方がええやろな。下手に霊を刺激して怒らせれば、最後は強引に調伏させなあかん……」


 真奈香の話によれば、除霊とは霊と対話し、相手が成仏するように導くのが本来のやり方だそうだ。力ずくで調伏させるのは、本当に最後の手段らしい。


「ほんじゃ、堤君はここで待っとってや。一応、釘は刺しとくけど……くれぐれも、除霊中に部屋ん中覗いたりしたらあかんからな」


「わ、わかりました……」


 真奈香の気迫に押され、隆幸はそれ以上は何も言えなかった。玄関の扉を開けて部屋に入る真奈香の背を見送り、後は除霊が成功するのを祈ることしかできない。


(先輩、本当に大丈夫かな……)


 ふと、そんな不安にかられるものの、中を覗いてはいけないという真奈香の言葉がある。隆幸はただ待っているだけだったが、数分間が、まるで数時間のようにも感じられて仕方がない。

 

 だが、しばらくすると、玄関の扉が鈍い金属音を立ててゆっくりと開かれた。思わず中から出てきた者に目をやると、そこには部屋に入る前と同じく、数珠を手に携えた真奈香の姿があった。


「あ、あの……先輩……?」


「なんや、その顔は? そんなに心配せんでも、除霊はちゃんと成功したで」


「ほ、本当っすか!? もう、本当に綾子の霊は、今度こそ完全に成仏してくれたんっすか!?」


「嘘ついてどうすんねん。まあ、確かに強力な霊やったけど、最後はきちんと話し合いで決着(けり)がついたしな」


 真奈香の言葉に、隆幸は思わず肩の力が抜けて行くのを感じた。


「おっ、なんや? 安心して、張り詰めてたもんが緩んだんか?」


「ええ、まあ……。それに、ちょっと腹も減ってきた頃っすし……」


「ほんなら、ウチが知ってるお勧めのお好み焼き屋を紹介するで。今日はそこで、一緒に一杯やろか?」


「はい……。本当に、ありがとうございました……。まったく、一時はどうなるかと……」


 大きな安堵のため息をつき、真奈香に背を向けてアパートの手すりに手を置く隆幸。そんな彼の様子を見て、真奈香が隆幸の後ろでそっと呟く。


「そう、心配せんと……。どんな悪いもんが近づいてきよっても、これからはウチが全部取り除いたる……。タカユキ(・・・・)のことは、ウチがずっと守ったるから……」


 目を細め、うっすらとした笑みを浮かべながら、真奈香はポケットの中から何かを取り出した。



――――カチ、カチ、カチ……。



 耳元で、カッターナイフの刃が迫り出すような音を聞き、隆幸は思わず後ろにいる真奈香の方を振り返った。

 8000文字以内の短編でホラーを書くということで、綺麗に話をまとめることよりも、バッドエンドな展開にすることを意識してみました。

 もっとも、ヤンデレものとして考えた場合、王道的な展開ではありますが……。



 一応、ラストシーンは、読者の皆様にある程度の想像の余地を残した形で終わりにしてみました。

 王道的に考えれば、真奈香先輩の除霊は失敗だったということですが……あるいは、先輩自身もまた、隆幸のことを……。


 ヤンデレ好きの自分としては、どちらの展開も捨てがたいです。

 その辺は、皆様の好きなように解釈していただければ、と思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ