Episode 8.「覚悟とエクスプロージョン」
***
私たちは、叫ぶことすらもできないまま、まるでミキサーの中に詰められたかのように、激しく揺さぶられた。
上も、下も、右も、左もわからない。あちこちに打ち付けた体が、一秒遅れで痛みを訴えかけてくる。
それが止むまでに、たっぷり数十秒。私の意識は、そこで一度途切れてしまった。
そして、次に目を開けたとき。
私の目の前で、"キミ"は炎に包まれていた。
肉が焼ける匂い。きっと、ひしゃげたバスの燃料が引火してしまったのだろう。辺りには乗客と思しき人たちの、一部だったものがあちこちに散乱していた。
そんな中で、私だけが。
私だけが息をしていた。
彼は、優しいから。
私だけを【ARC】の力で、守ってくれたのだ――。
***
「――っ!」
私は頭蓋骨を締め上げられるかのような痛みに、思わず目を瞑ってしまう。
それが私の目を、ほんの少しだけ覚まさせてくれた。
ここで怯えているのは、それが一番楽なのだろう。あまつさえ、この場を離れて逃げ出してしまうことすら容易にできる。
それをしていないのは、目の前で戦う友人を置いていけないからだ。
薄弱な私は、独善的になることすらできない。自分のためにと、割り切ることもできない。
けれど。
「――くっ!」
サクラは、再び放たれた炎を避けきれずに盾で受ける。綺麗だった長い髪の端が、焦げているのが見えた。
と、それを捌き切る前に、男は素早く動いた。防御のために盾を上げたサクラの胴。そこに、鋭い蹴りが突き刺さる。
衝撃をいなそうとしたようだが、それすらも十全とはいかず、細い彼女の身体は大きくバランスを崩し、その場に屈み込んでしまった。
マズい。
サクラは顔を上げ、男を睨みつける。が、それだけだ。すぐには立ち上がれない。男は下卑た笑みを浮かべながら、炎が燻る手のひらを、彼女に向けようとしていた。
また。
また、私の目の前で、親しい誰かが焼け焦げてゆく――。
「――させない!」
それだけは、御免だった。
私は両手を突き出す。そして、イメージ。ほんの一瞬、サクラが立ち上がるための隙が作れればいい。
"想像開始"。ならば、凝ったデザインはいらない。シンプルな四角柱を、一直線に伸ばす。距離はここから10メートルほどだろうか。柱の底面も、1メートル四方ほどでいいだろう。
「――"工程完了"」
ここまで来れば、もう不安はなかった。 フル回転する脳髄が、あっという間にイメージを作り上げた。あとはこれを、出力するだけ。
私は頭の中に生まれた像が揺らがぬうちに、ただ、その引き金を引いた。
「"創造開始"……っ!」
途端、私の隠れていた柱から、枝分かれするようにして、何かが伸びていった。
それは、巨大な角柱。私のイメージしたものと寸分違わぬそれは、見る間に男へと接近してゆく。
「……なっ!」
男が気が付くのは、一瞬だけ遅かった。避けることも、サクラにトドメを刺すことも、どちらも間に合いそうにない。
両手を交差させて、どうにか頭部に飛来したそれを受け止める。手応えは、ない。
けれど、それだけで十分だった。
「――好機っ!」
バネ細工のように、サクラが立ち上がる。その手には再び、カタナが握られていた。
相手が体制を立て直すよりも早く、サクラは武器を振りかぶる。そして、横薙ぎの一閃。
その一撃は、男の鳩尾に深く突き刺さり――それが、決め手となった。
倒れ込むテロリスト。そして、その傍らに、サクラもカタナを杖のようにしながら、へたり込んでしまった。
「サクラ! 大丈夫!?」
私は思わず駆け寄る。近付いて見てみれば、彼女の体には痛々しい傷がいくつも奔っていた。
「うん、少し休めば平気だよ……。それより、あいつを……」
私は、彼女の指示に従って、テロの主犯格に手枷と足枷を嵌めた。かなりの強度のものを創造したので、そう簡単には抜けられないだろう。少なくとも、風紀委員が駆け付けるまでは動けないはずだ。
「……一旦、ここを出よう。まだ連中の仲間、いるかもしれないし」
サクラは静かに頷いた。一難去ったとはいえ、まだ安心とはほど遠い。彼女に肩を貸して、出口に向かうことにした。
ちらりと、彼女の方に視線をやる。白い肌にいくつも浮かぶ擦過傷、打撲痕。酷いものだ。どこか、安全な所まで連れて行かなければ。
そして、エントランスを抜けようとした時に――不意に、サクラが声を上げた。
「……嘘でしょ、あれ」
彼女の声は、ひどく震えていた。怯えている、と表現して差し支えないだろう。
私も、彼女の視線を追ってみる。すると、それは休憩用のベンチの上に置かれているようだった。縦横30センチほどの、小さくて黒い箱のような物体。
変わったところがあるとするのなら――その物体を中心に、黒いシミのようなものが、ベンチの上に広がっていることだろうか。
「なに、あれがどうかしたの?」
私は不用心にも、近付こうとした。あのテロリストの持ち物なのかもしれないが、それなら一緒に【ARC】で無力化してしまおうと思ったのだ。
そんな私の腕を、サクラが強く掴んだ。
「だめ、シオン。それに近付かないで」
彼女の声には、鬼気迫るものがあった。必死、という言葉がよく似合う形相だ。
「どうしたの、サクラ。あれが一体――」
「あれはね、"侵食火薬"っていうの。触れたものをじわじわと蝕んで、それ自体も火薬に変えてしまう。ヒトも、モノも、区別無く……」
「なに……、それ……!」
そんな危なっかしいもの、どうしてここに置いてあるのだろうか。
見れば、"火薬"は既にベンチを全て覆い尽くしてしまっていた。そして、その魔の手は床に伸びつつある。
「このまま放っておけば、これは建物ごと爆弾に変えてしまうかも……」
「えっ……!? そんな……」
私は背後を振り返った。気絶したテロリストたち、まだ拘束が解けていない人質たち。多くの人が、館内に取り残されている。
それに、この建物全てが爆弾になったりしたら――中央地区そのものが、危険に晒されてしまう。
「……ま、かせて。私が、なんとかするから……」
ふらふらと、頼りない足取りでサクラが歩み出る。しかし、傷だらけの彼女は二・三歩ほど歩いたところで、倒れ込んでしまった。
「サクラ!」
抱き上げようとするが、脱力した人間は存外に重くて、私の細腕では上手く担ぎ上げられなかった。
どうやら、気を失ってしまったようだ。私には彼女を運び出すことなどできない。
私がどうにかしなければ、彼女はこのまま――。
『くれぐれも人前で大きな力は使うなよ。まだ不安定だし、人目に触れると――君にとっても、不都合なことが多いだろう』
「――ッ!」
踏み出した足が、止まってしまう。胸に去来するフウリンの言葉。
私の力は、まだ不安定。もしかすると、もっと酷い結果を招いてしまうかもしれない。
……けれど。
「……やだよ、もう。何もできずに、目の前で亡くすのは……!」
両足に絡みつく、躊躇の鎖を引き千切る。
やらなければ。私は決意を固めて――"火薬"を睨みつけた。