Episode 6.「憂鬱とモジュレーション」
「付き合う、とは言ったけどさ……」
フードコートの机に突っ伏せながらサクラがそう呻いたのは、私たちがこの場所を訪れてから、4時間ほどが経過した頃だった。
「なに? サクラ、もうギブアップなの?」
「ギブアップ、っていうか、シオンがノンストップなんだよ。まさか4時間で全部のお店を回ろうとするなんて、思わないじゃん!」
私の席の横合いには、両手いっぱいになるくらいの買い物袋が置かれている。中身は服であり、アクセサリーであり、あるいはコスメである。たまの休日、一度購買意欲に火が着いた私の散財は、留まるところを知らなかった。
あっちもいいな、こっちもいいな……。と歩き回っているうちに、彼女の方が音を上げてしまったのだ。
「もう、しっかりしなよ。運動だって私より得意なんだし、このくらい平気でしょ?」
「それとこれとは話が別だよ。だってシオン、止めてないとウォレットの中身全部使い切っちゃおうとするじゃない」
「そ、そんなことないって……。ちゃんとお金の勘定くらいできるよ」
「本当に? 今月分のお金、まだ残ってる?」
その視線に責め立てられるように、【Helper】のウォレットアプリを立ち上げる。そして、桁を数えて、いち、に、さん。
「……うん、なんとか、学校帰りのコーヒーを、お冷に変えれば大丈夫なはず!」
「それは大丈夫じゃないよ、シオン」
はあ、と大きなため息。呆れるように首を振りつつも、彼女は手にしたドリンクのストローをくわえた。
私たちは市民IDに紐づけられて、毎月最低限の給付金が入るようになっている。
次の給付金が入るまで、あと二週間ほど。それまで、倹約をしなければならないかもしれないが、朝晩の食事は寮で食べられるし、他になにか出費をする予定もない。
こういう機会でもなければお金を使うこともないので、私はそんなに気にならないのだ。
「……というか、サクラこそ大丈夫なの? さっきのジュエリーショップで見てたやつ、結構高かったけど」
「私は平気だよ。"風紀委員"の手当も出てるし、どっかの誰かさんと違って、無駄遣いもしてないし」
「もう、そんなに何度も言わないでってば」
とはいえ、彼女に何度も突っつかれると、私も少しだけ心配になってくる。
まあ、確かに少しだけ使いすぎたかもしれない。猛省するところではある。が、何かしら話を逸らさなければ、このお説教モードに入った彼女は止められないだろう。
「そういえばさ、さっきの店員さん、感じよかったよね。結構慣れた様子のアルバイトっぽかったけど、オープニングスタッフなのかな?」
「あら、気が付いてなかったの?」
サクラは少しだけ、驚いたように眉を上げた。
「気付いてなかったって、何が?」
「あの人、"レプリカント"よ」
レプリカント。
私はその言葉に、一瞬だけ身を固くしてしまった。
レプリカントというのは、そのままの通り、【ARC】で作られた人間のことだ。しかし、複雑な思考や行動は制限されており、基本的には単純作業に従事している。
ちらり、と私は視線を横合いに向けた。フードコートの受付、遠くに見える清掃員、そして、ディスカウントストアのレジ打ちまで。色々なところに、その姿はあった。
「へえ、気が付かなかったよ。最近のレプリカントって、本当に人間と区別がつかないもんね」
「そうね。私も驚いたけど、間違いないわ。だってほら、首のところに刻印があったもの」
レプリカントには、普通の人間と識別するための刻印が、体のどこかに刻まれている。
大体それは目立つところにあるはずだが……どうやら、襟か何かに隠れていて、私は見逃してしまったようだ。
「まあ、【ARC】によって細胞レベルで再現されているんだから、刻印が見えなきゃ、わかんなくて当然……か」
と、そんな言葉を交わしながら、私はひとつ、伸びを打った。ひとまず、話を逸らす作戦は成功。安堵に、思わず気も緩むというものだ。
穏やかな休日。
辺りの喧騒も、そろそろ夕方に差し掛かろうという頃だからだろうか、少しばかり落ち着いてきたようだ。
私たちも、あともう少しふらついたら解散か、岸を変えることだろう。久しぶりに随分と羽が伸ばせた気がする。
また明日からは退屈な日常に帰らなければならないのだ。そう考えると気が滅入りそうではあったが、ここは見ないふりをした。
「ねえ、シオン。どうする? 他にどこか行きたいところある?」
頬杖をつきながら、サクラが問いかけてくる。彼女の顔には相変わらず疲労の色が滲んでいたが、毒を食らわばの精神だろう。
「うーん、そうだなぁ、気になるところは大方回ったし……。カラオケとかの方が行きたいかも」
「まあ、私たちには【ARC】があるからね。服や電化製品はそりゃ無理だけど、単純なものだったら、自分で創れちゃうし」
「サクラぁ、それ、あんたが器用なだけだよ。私には綺麗なアクセサリーなんて、創れないもん」
能力の強弱だけでなく、当然、創造には個人の器用さも関係してくる。
故に、既製品の方が品質が高いことが多いから、私なんかはもっぱら買って済ませるほうが多いのだが――これはまあ、置いといて。
確かに、目的という目的は無いが、このまま帰るというのも、なんだか惜しい気がする。他に何か買わなければいけないもの――と、視線を巡らせて。
「……あ」私の視界を、鮮やかな色彩が掠める。
それは、フードコートの端。店先に咲いたいくつもの花弁が、私の目を縫い留めた。
それに気が付いたのだろう。サクラもそちらに目を向け、そして、優しく微笑んだ。
「……そっか、もうすぐ"あの日"だもんね」
「……うん」
私はゆっくりと立ち上がると、そのまま、視線の先に向かってゆくことにした。
花屋さん。
色とりどりの花は、どれも北地区で育てられたものだろう。
世界の終焉とともに多くの種類が絶滅してしまったため、今私たちが見ることができるのは、どれも遺伝子組み換えやクローン技術によって生産されたものらしい。
私は、その中の一輪――涼やかに咲く、勿忘草に目を落とす。水彩のような紫色は、まるで何かを弔うようにして瑞々しく咲いていた。
「……一束買ってさ、帰りに寄っていこうよ。きっと、"あいつ"もシオンが来てくれるのを待ってるよ」
私はそれに対して、曖昧に頷くことしかできなかった。
思い出そうとするたびに、胸の奥が疼くように痛む。2年前の記憶、打ち付けられた体、燃え上がる炎の熱、そして――最後に見えた表情。
何もかもが目に焼き付いてしまったかのように、消えてくれないのだ。
「……うん、ごめんね、湿っぽくなっちゃって。"あいつ"のところには一人で行くから、大丈夫だよ」
強くならないといけない、それはわかっているはずなのに、心に刺さった棘は、いつまでも抜けないままだ。
"キミ"を亡くしたあの夏から、帰ってこられないままだ――。
――そんな感傷を切り裂いたのは、唐突に響く悲鳴だった。