Episode 17.「学校にて」
「……ということだが、これについての記述はテキストの207ページに――」
狭い教室の中に、今日も授業の声が響いている。午前中の蒸し暑さは、窓を開けた程度では出てゆくことなく、私たちを閉じ込めた箱の中は、ひどく淀んだ空気が溜まっているようだった。
あれから、さらに一晩。それでもソーヤは、消えてなくなったりしなかった。今朝も今朝とて穏やかに寝息を起て、私の部屋の足元に寝転がっていた。
2日も一緒にいれば、流石にそろそろ認識が追いついてくる。どうしてかは分からないが、甦った彼。その存在が背景に馴染みつつあることに感慨を覚えはしたが、浸っている時間はなかった。
朝がやってきたのだから、私も動き出さなければならなかったのだ。どんな非現実が横たわっているとしても、私の日常は、これっぽっちも揺らがないのだから。
とはいえ、休日明けの学校は、いつもよりも3割ほど憂鬱感が増してしまう。胸も頭も重く、指先も重く、ついでに足まで重くなる。
それでも、私がちゃんと登校したのは、サクラに急かされたからというのもあるが――ほとんど、惰性によるものだった。
私たち学生は、そんな退屈な繰り返しにとっくに慣れきってしまっている。特別な感慨もなく、自動操縦で生きることを受け入れている。
だから、こんなに退屈な授業に意味なんて見出だせなくて、私の瞼はだんだん、だんだんと――。
「――はっ!」私は咄嗟に体を起こした。
殺気。
途端、私の頭が一秒前まであった場所に、何かが突き刺さる。カッ、と鋭い音で飛来したのは、創造したのであろう、ペンのような細い物体だった。
あと一瞬、起きるのが遅ければ直撃していた、と血の気が退いた私のもとに、リンドウ先生がゆったりとした足取りで近付いてくる。
「……ヴィオレット、お前も懲りないな。またずいぶんと気持ち良く、居眠りをしようとしていたようだが?」
「そ、そんなことありませんよ〜! ただ、ちょーっとだけ、うとうとしていただけで……」
「ほう、ならお前はしっかり起きていたのだし、授業にもついて来られているんだな?」
私は大きく首を、縦に振った。酷く無様なヘッド・バンギングだったが、お説教よりずっとマシだ。
「よし、なら、テキストの207ページだ。読めるよな?」
テキスト。私は急いで手元に視線を這わせる。教育用タブレットを必死にスクロールさせて、表示された文章を読み上げた。
「そ、創造の基本は、イメージの構築にあり――」
「それは創造学のテキストだ馬鹿者、今は社会学の授業中だぞ」
教室が笑いに包まれる。視界の端で、サクラが眉間を押さえて首を振るのが見えた。
ああ、またやってしまった。顔から火が出てしまいそうだ。許されるなら創造ででっかい箱でも造って、中に隠れてしまいたいくらいだ。
「まったく――ミッドウェー、読めるか?」
はい、と凜とした返事。涼やかに立ち上がったサクラは、何事もなかったかのように朗々と読み上げる。
「今のシェルターは、四基の『演算炉』によって、全てのエネルギーを賄っています。これは絶滅期以降、調達が難しくなってしまった核燃料に変わるエネルギーとなっています」
「ふむ、ちなみにミッドウェー、その演算炉の仕組みはどうなっているか、わかるか?」
「はい、複数体のレプリカントが、絶えず創造を行い、その被造物を燃焼させ続けることにより、無尽蔵のエネルギー供給を可能としています」
よろしい、と先生は頷いた。
淀みなくスラスラと答えたサクラは、何だかいつもよりも格好良く見えた。朝、投稿してきたばかりのときは、怪我だらけの体を心配されていたが、今の凜とした佇まいを気遣おうという者は、もう誰もいない。
「そうだな、俺たちが普段使っている電気は演算炉から供給されている。けれど、これは一方で、多くの批判も集めているんだ」
批判。
これは、私でもなんとなくわかる。
そもそもレプリカントの人権問題を唱える声は多い。創造によって、人間そっくりに造られた存在。
創造した段階では、レプリカントと人間にはなんの違いもない。その彼らに動きをインストールし、様々な仕事に従事させ、人々の暮らしを支えさせている。
それだけではない、演算炉に使われているレプリカントは、ほとんど燃料のようなものなのだ。絶えず脳を酷使し、限界を超えたら廃棄される。
……確かに、あまり気持ちの良い話ではない。
「しかし、俺たちには他に方法がない。外の世界ではまともに化石燃料は採掘できないし、この気候では風車や水流、太陽光による旧時代の発電方法も実現不可能だ。ゆえに、この方法は最も理に適った――」
授業は続く。教室前方のパネルには、今のコロニーの作りや、建設についてなどの文言が、いくつも並んでいた。
私はまた、居眠りを疑われないように、それをぼんやりと眺めている。
辺りを見渡せば、そうしているのは私だけじゃなかった。少なくない人数が、つまらなさそうに前を向いている。
あの日。あんな事故が起きなければ、ソーヤもこの教室にいたのだろうか。
……そして、再び現れたソーヤは、この場所に戻ってこられるのだろうか。
退屈が嫌いだった。単に暇だというだけではなく、色々なことを考えてしまうから。私の頭では答えの出ないことでも、考えるのを止められないから――。
――と、そこでチャイムが響いた。途端に、室内の空気が弛緩する。
遠くからは椅子を引くガタガタという音が響いてきて、僅かに、ざわめきが漏れ始める気配がした。
「……っと、今日はここまでだな。明日はこの部分の復習から始めるから、各自予習をしておけ。いいな」
先生は高圧的にそう残し、板書を消し始めた。
昼休みが始まる。また、サクラと昼ご飯を食べようか。ああでも、『風紀委員』の仕事や集まりがあるかな、と、彼女の席に視線を向けようとして。
「おい、ヴィオレット。ちょっといいか」
目の前まで歩いてきた、リンドウ先生に阻まれた。
「……なんですか、先生」
私は警戒心のレベルを最大まで引き上げる。
「なんだもなにもあるか。毎回毎回、俺の授業で寝ておいて、随分な言い草だな」
「うっ……。それは、そうですけど……」
先生は呆れるように息を吐いた。そして、微かに苛立った様子で、頭を掻きむしって。
「……とにかくだ、このあと職員棟の会議室に来い。少しお前に、話がある」
「えー……っと、いや、先生。私ちょっと、急用があってぇー……」
「来ないなら来ないでもいいぞ。その場合は、進級は諦めてもらうことになるがな」
留級。
それは学生の國である、このコロニーにおいて、恐らく最悪の処罰と言えるだろう。
うっかりそんなことになってしまえば最後、後輩たちどころか町ぐるみで笑いものにされかねない。
「そ、そんな。先生、それはズルいって!」
「ズルくない。いいから、三年生になりたいのなら逃げずに来るんだな」
先生はそう言い放つと、教室を出ていった。その背中に伸ばした手が、虚しく空を切る。
と、そんな私の肩に、優しい衝撃。振り返れば、サクラがどこか諦めたような表情で、ゆるゆると首を振っていた。
「……シオン、大人しく行っておいで。一緒に卒業できなかったら、私は悲しいよ」
「サクラまでそういうこと言うじゃん! なんか本気みたいになるから止めてよ!」
騒いだところで、何も変わることはなく。
私は、覚悟を決めるしかないようだった。