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偽りの花にくちづけを ― Replica;Cantata ―  作者: 文海マヤ
Phase2 「協奏の余韻」
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Episode 16.「約束/ラルゴ」

 それから、私たちは日が落ち始める前に、寮に戻ることにした。


 休日なので、門限近くまで学生たちは遊んでいる。自然、その辺りの時間になれば、寮に出入りする人間も多くなるのだ。


 そうなれば、ソーヤが見つかってしまう可能性も高くなる。女子寮に男子を連れ込んだとあらば、怒られもするだろうけど、何よりも変な噂が立ちそうで怖い。


 だから、私たちは人目の少ない時間を選んで、寮に戻ってきたのだ。


 創造で大きな箱や着ぐるみを造って隠す案や、昨日彼がしたように、窓から梯子なんかを造って侵入してもらう案も考えてはみたが、見つかるリスクの方が高い。


 むしろ、昨晩見つからなかったことも、かなり運が良かったと言えるだろう。


「じゃあ、私はこっちだから。ソーヤは、今日もシオンの部屋に泊まるのかしら?」


 寮の廊下、部屋の前で立ち止まったサクラが何気なく問いかけてくる。



「うん、そのつもりだよ。シオンが嫌じゃなかったら、だけど」


「嫌じゃないよ。幼馴染だし、別に今さら気にしたりしないって」



 私はできるだけ、感情を隠しながら言った。


 本当は少しだけ、ドキドキしている自分もいる。昨日は夜遅かったし、どちらかというと戸惑いの方が強くあって、気にしている余裕はなかった。


 でも、今はそうではない。落ち着いて考えてみれば、女子寮に入ってからは、男子の立ち入りは許されなかったから、異性を部屋に入れるのなんて初めてだったのだ。


 そんな私に、そっとサクラは耳打ってきた。



「……変なこと、したらだめよ」


「しないってば!」

 私は彼女を部屋に押し込み、そのままバタリと、乱暴に扉を閉めた。


「……? サクラは、なんて?」


「なんでもないよ! ほら、人に見られる前に入って入って!」



 私は彼の背をぐいぐいと、自室の中に押し込んでゆく。赤くなってしまった顔を見られるわけにはいかないので、彼の真後ろに回り込みつつ、できるだけ下を向きながら。


 ぱたん。今度は穏やかに閉めた扉が、外界からこの部屋を切り離す。そこでようやく、私は息を吐いた。


「あはは、シオン、騒がしいなぁ。そういうところも、変わってないよね」


 ケラケラと、おかしそうに彼が笑う。私はムキになって返そうとしたが、何だか私に勝ち目がなさそうな気がしたので、やめた。



「……はあ、私はヒヤヒヤしてたよ。寮母さんに見つかったら、私はきっと風紀委員に連れていかれちゃうよ」


「でも、サクラは見逃してくれていたじゃないか。大丈夫、それに、病院にも戻らないわけじゃないんだからさ」



 呑気な彼の口ぶりに、ほんの少しだけ心がささくれ立ったのがわかった。まったく、こっちの悩みも知らないで……。


 私が乱暴に腰を下ろしたベッドから、ギシギシと何かが歪む音が聞こえた。またスプリングを駄目にしてしまえば怒られるだろうが、今はそんなこと、気にもしていなかった。


「……っていうかさ、本当に戻らなくていいの? お医者さんたちにも迷惑かけてるかもなんだし、すぐにでも戻ればいいのに」


 ずきり。

 思わず口を衝いた、心にもない言葉。それが同時に、胸に僅かな痛みをもたらした。



「なんか、もしかして拗ねてる?」


「拗ねてないよ。だけど、なにか理由があるのかなって、思っただけ」


「理由、かあ」ソーヤは少しだけ、遠くを見つめながら。

「シオン、もしかして忘れちゃった?」



 忘れる?

 一体何のことだろうか。私は多分、豆鉄砲を食らったような顔をしていたことだろう。


 少なくとも、私は全てを覚えている。

 覚えていて、忘れられないから――まだ、ここにいるのだ。


「……何言ってるのさ、忘れてなんか――」


 ――忘れてなんか、ない。


 けれど、そこで私は何も言えなくなってしまった。背筋がひりついて、全身の血が冷たくなっていくような感覚が、私をすっかり凍りつかせてしまった。


 やはり、考えてしまう。どうしてソーヤは、待ってくれなどと言ったのだろうか。


 まさか、彼は自分が死んだことに、本当は気が付いているのだろうか。気付いていて、何かアクションを起こそうとしているのだろうか。


 慄く私の顔を見て、ソーヤはこてんと首を傾げた。それはどうにも緊迫感に欠ける、間抜けな仕草に見えた。



「……そんなに驚くようなことかな?」


「いや、驚くとかじゃなくて、あんた、もしかして……」



 全部覚えているのか、なんて。

 核心に迫る言葉を紡ぐには、私はどうにも薄弱で、踏み込む勇気が持てなかった。


 そんな私を、彼はいつものように笑って許してくれる。仕方ないとでも言うかのように、ゆるゆると首を振り、俯く私の頭に、軽く手を置いた。



「ねえ、ひとつ待ち合わせをしない? 明日の放課後、学校の前で待ってるからさ、一緒に行きたいところがあるんだ」


「……一緒に?」私はゆっくりと顔を上げる。



 暖かい。彼の手から伝わる温もりが、私の心を溶かしてゆく。蓋をした記憶が熱を帯びて、ずっと覆っていた忘却の薄氷を、緩やかに解いてゆく。



『ねえ、シオン。君に見せたいものがあるんだ』



 私の脳内に、そんな声が響く。懐かしい、かつてあった一幕での台詞。


 そうだ、そういえばあの日、彼は私をどこかに連れて行こうとしていたのだ。そうして、二人でバスに乗りこんで――。


『――Userに通達、夕食の時間となりました。速やかに食堂に向かってください』


 唐突に鳴り響いた【Helper】の声が、私の思考を打ち切った。


 顔を上げてみるが、ソーヤは私を優しく見つめるばかりだった。聞きたいことがいくつもある。話さなければならないことが、いくつもある。


 しかし、そのどれもがきっと「今じゃない」のだろう。時間も、ムードも、舞台も、何一つとして整っていない、こんな散らかった部屋の中では、私は何も知ることができない。


「ほら、遠慮せずに行きなよ、シオン。僕はさっき帰りがけにサンドイッチを買ったから、気にしなくてもいいよ」


 そう微笑む彼にぶつける言葉は、咄嗟には見つからなくて。私は曖昧な言葉で濁して、部屋を後にする。


 扉が閉まる刹那、僅かに光量を落とした瞳を手のひらに落とした彼の姿を、私は見逃さなかった。


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