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偽りの花にくちづけを ― Replica;Cantata ―  作者: 文海マヤ
Phase2 「協奏の余韻」
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Episode 15.「僅かな猶予」

「そうそう、それで、シオンったら先生に拳骨落とされたんだから!」


 心底楽しそうに、サクラは語る。それに相槌を打ちながら、ソーヤも柔らかい笑みを浮かべていた。


 ここは、先程のビルを出てから少し歩いたところにあるファストフード店。ソーヤの服を見繕うのに熱中してしまい、思った以上に時間を使ってしまった私たちは、ひとまず、昼食を摂ることにしたのだ。


「もう、サクラ! そんな話、わざわざしなくってもいいじゃん!」


 私は抗議の視線を送るが、彼女は悪戯っぽく微笑んでは、飲み物のストローを咥えるばかりだ。


「あはは、シオン、本当に変わらないんだね。なんだか、安心したよ」


 ソーヤは穏やかな様子でそう口にする。彼は先程までの入院着とは違い、白い半袖のパーカーと、少しだけオーバーサイズのパンツを身に着けていた。



「もー……ソーヤまで何言うのさ! っていうか、せっかくサクラが奢ってくれるのに、そんな地味な服でよかったの?」


「うん、これでいい。というか、これが良かったんだ」



 あっそ、と返しながら、彼の手にしているハンバーガーからケチャップが服に零れ落ちないかとヒヤヒヤしていたが、私よりも器用な彼は、その心配も要らないようだった。



「遠慮しなくてよかったのよ? もっと他に、流行りの服もあったのに……」


「僕に最近の流行りなんてわからないよ。それに、あんまりお洒落に頓着する方でもないしね」



 そういえば、そうだった。いつも彼は冴えない格好をしていたような気もするが、あの当たり前の毎日の中では、そんなことを気にする必要もなかった。


 当然のように続くと思っていて。

 なんの感慨も抱いていなかったんだから。


 不意に、彼が少しだけ眉を下げた。不安げに、その色素の薄い瞳が揺れる。


「……でも、安心したよ。ほんの少しだけ怖かったんだ。2年間も眠っていたって聞いたときに、シオンもサクラもみんな、変わっちゃって、僕のことなんか忘れちゃったんじゃないかって」


 ぽつりと、彼は呟く。


 その気持ちは、ほんの少しだけ理解できるような気がした。彼がいなくなってしまってからの2年間で、たくさんのものが変わってしまった。


 二人で歩いた道の景色。

 曲がり角にあった、小さな喫茶店。


 私は少しだけ背が伸びたし、あの頃よりも、髪が長くなった。


 けれど、変わらないものも、確かにあるのだ。


「大丈夫だよ、ソーヤ」私は、彼に視線を合わせるようにして。

「私は私だし、サクラはサクラのまま。人の根っこのところは、変わらないよ」


 変わらない。

 それは、つい最近まで私を縛りつけていた呪いでもあった。2年前、彼を喪ったあの日から、私は何も変わることができなかった。


 良くも悪くも、あの日の香りを纏ったまま。私は周回遅れの日々を過ごしていた。


 なんだか、その薄弱さが――赦されたような。そんな気がしたのだ。


「……余計な心配だったかな」

 サクラが独り言ちる。


 彼女の言おうとしていることは、私にもわかった。目の前にいるのは、確かにソーヤ=フォルガットだ。


 彼がどうして生き返ったのか、それはわからない。それでも、わからないままでいいものも、あるのかもしれない。



「いいや、心配ごとは尽きないよ」彼は困り果てたように溜息を吐く。

「寮にも、学校にも戻れないし、病院に今更戻るのも嫌だしなあ……」


「確かに、それは不便かもね。いつまでも私の部屋にいるわけにはいかないし……」



 そうだ、こうなってくると次は、これから先のことを考えなきゃいけない。


 でも、私が知る限りでは、確かに彼は死亡扱いとなっていたはずだ。死んでしまったと思われていた学生の復学なんて、できるのだろうか?


 そんなことを、私がぼんやりと考えていた、その時だった。



「……妙ね」サクラが、緊張感のある声で。

「病院を抜けてきたのなら、もっと血眼になって探されそうなものだけど」


「確かに、風紀委員の連絡網とかで回ってきてたりしないの?」


「それが、全くなのよ。ねえ、あなたがいた病院って、どこなの?」



 問いかけられたソーヤは、眉を寄せて唸るばかりだった。



「いや、僕も抜け出すので精一杯だったし、先生たちも教えてくれなかったから、よくわからないな……。中央地区にある病院だってことはわかるんだけど」


「それだけじゃ、特定はできないわね……。でも、そこの医師たちがゴーサインを出さないと、学校に戻るのは難しいでしょうね」



 そっかぁ、と彼はうなだれた。


 よっぽど、病院が退屈なのだろうか。もしかすると、2年間も死んだことにされて治療を受けていたのなら、かなり厳重に管理されて過ごしていたのかもしれない。


 そういうのが嫌いなやつだってことは、よく知っていた。



「……それじゃあどっちにしろ、僕は一度病院に戻ったほうがよさそうだね。流石に、死んだことになったままで暮らすの、色々と難しいだろうし」


「かも、しれないわね。そうなるとやっぱり、管理者に相談するしかないかしら……」



 顎に手を当て、サクラは黙考する。

 管理者に伝えれば、ソーヤは連れて行かれる可能性が高いと、彼女は言っていた。


 とはいえ、彼が故人であることを、私たちは知っている。一度連れ戻されれば、そのまま煙のように消えてしまう――そんな想像が、どうしても消えてくれない。


 私の不安を見透かすように、ソーヤは目を閉じた。



「サクラ、管理者に相談したら、多分僕は連れ戻されちゃうよね」


「でしょうね。その時は風紀委員として、あなたを引き渡すことになるわ」


「……それは、少し困る。どうにか、僕に時間をくれないだろうか?」



 と、そこで彼は、私の方に視線を向けた。

 それは――なんだろう、今までに見たことがないような、そんな熱を帯びていた。強い想いが込められているのはわかるが、それ以上は、全然読み取れそうにない。



「……まあ、正式に捜索指令が出てるわけじゃないから構わないけれど、時間って、どのくらい?」


「わからない、でも、君に迷惑はかけないと、約束するよ」



 彼は曖昧に、そう微笑む。

 昔から、こうだ。彼の笑顔には、不思議な力がある。根拠もなく全幅の信頼を置いてしまいそうになる安心感とでも言うのだろうか。


 けれど、こうなれば意志が固いというのも、私たちはよく知っている。優しげに見えるくせに、意外と意固地なのだ。


 だから、この時も、折れたのはサクラだった。



「……わかったわ。でも、風紀委員として捜索指令が出たら、容赦なく引き渡すわよ。ジオンもそれでいい?」


「う、うん、いいよ。もちろん」



 私は目が泳ぐのを隠すことができなかった。しかし、それを指摘する者は誰もいない。



「よし、それなら今日はひとまず、楽しみましょうか。このあと、私行きたいお店があるのだけど」


「あ、それなら私も。気になってたところがあってさ」


「いいよ、僕はどこでも付き合うよ。2年間で街もずいぶんと変わったみたいだし、楽しみだね」



 私とサクラ、そして、ソーヤ。

 3人で過ごす時間は、まるであの頃が戻ってきてくれたようだった。



 ――そんなことがありえないってことくらい、ずっと前から、わかっていたのに。




 

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