Episode 13.「夢から醒めても」
夢はいつか醒める。
永遠に微睡むことなんて、それこそ生きている間はできないから、私たちはいつか、必ずこのささくれ立った現実に戻ってくる羽目になる。
だから、今回も朝になれば夢が醒めてしまうのではないかと――そう、私は密かに恐れていたのだ。
けれど。
「……夢じゃなかった、ってこと?」
私は上体を起こし、まだ眠気の残る両瞼を擦りながら、横合いに目をやった。そこには丸まった猫のようにして眠る、真っ白な人影。
ソーヤは、翌朝も確かにそこにいた。
昨晩、欠伸をする彼のために用意した、予備の毛布に身を包んで横たわっている。
そろり、と音を起てぬようにベッドから降りる。そのまま、彼の顔を覗き込んでみた。
穏やかに呼吸を繰り返す口元、柔らかく閉じられた両目。色素の抜けた眉や睫毛はどうも違和感が拭えなかったが、それは私のよく知る、彼の寝顔に他ならなかった。
一晩が明ければ、流石に私も冷静になる。昨日の私は当たり前のように飲み込んだが、ソーヤはここにいるはずがない存在なのだ。
甦った? どうやって?
生きてることが隠されていた? なんのために?
考えれば考えるほど、頭の中はめちゃくちゃに散らかってゆく。それを整理しようという思考すらも曖昧なまま、自然と私の手は彼の頬に伸びていって――。
「ちょっと、シオン! いつまで寝てるの!?」
――不意に聞こえてきたノックの音に、思わず跳ね上がってしまった。
ドア越しに聞こえてきたのはサクラの声。手元の【Helper】に視線をやれば、確かにそろそろ10時になろうかという頃だった。
寮の扉には、鍵がない。このまま入ってこられると、ソーヤを見られてしまう。
彼のことがよくわかっていない以上、要らない混乱を招いてしまうかもしれないし、そもそも、ここは女子寮だ。男子が入っていることがバレたら、寮母さんに何を言われるかわかったものではない。
私は咄嗟に毛布を掴み、それを彼に被せた。と同時に、扉が開く。
「シ〜オ〜ン〜! 休みの日だからって、遅くまで寝てちゃだめだって言ってるでしょう?」
入ってきた彼女は、あちこちにガーゼや絆創膏を貼り付けた、痛々しい姿だった。あれだけ傷ついていたというのに、もう元気に歩き回っているバイタリティには見習いたいものがある。
「あ、あはは。ごめんって、昨日あのあと、結構遅くまで拘束されてさ……」
「事情はわかるけど、昼まで寝てたらまた寮母さんに怒られるのよ。朝食にも来なかったから、きっと後で様子を見に来ると思うし」
私は取り繕うように愛想笑いを返すことしかできない。確かに、それはまずい。普段はそこまで見回りなどしないため油断していたが、流石に部屋の中まで踏み込まれたら彼を隠し切ることは難しいだろう。
そう考えると、サクラの来訪はファインプレーだったのかもしれない。今のうちに、彼を外に連れ出して――。
「で、シオン。その床のやつはなにかしら?」
――前言撤回、全然ファインプレーじゃなかった。
それはそうだ。私の華奢な体では、背後に寝そべる彼を隠せるはずなどない。不自然に膨らんだ毛布が気になるのも、当然のことだろう。
「い、いやあ、今朝は寝相が悪くてさ、床に毛布落としちゃったの!」
「……本当? その下に、何かあるようだけど」
「ぬいぐるみだよ、ぬいぐるみ! この間買ったの、大きなやつ!」
「……なんか、怪しいわね」
ズカズカと、彼女が部屋に踏み込んでくる。こうなったサクラを止められた試しは、一度としてなかった。
足に縋り付く私を意にも介さぬように引きずりながら、彼女は毛布に手をかけ、そのまま取り去った。
露わになる、白い体。宙に舞った埃と、彼の真っ白な髪に反射した朝日がキラキラと輝いていて――どこか、幻想的にすら見えた。
「……やっぱり、昨日のあれは見間違えじゃなかったのね」
サクラは驚くよりも、どこか納得したように頷いた。そして、呆れたように足元の私を見下ろした。
「シオン、彼を部屋に匿って、どうするつもりだったの?」
「……どうもこうも、ないよ。朝になったらフウリンのところに相談しに行こうと思ってた」
「不用心ね、だいたい、本当にこの人はソーヤ本人なの? 髪の色も、こんな……」
「それは、たぶん大丈夫……。私の方でも確かめたから」
「大丈夫、ってあなた……」
サクラはゆるゆると首を振った。眉間を押さえながら呻く彼女は、もしかすると本当に頭痛を感じているのかもしれない。
そのまま、彼女はぐっと顔を寄せてきた。間違っても眠っている彼には聞こえないように、ボソリと囁く。
「――ソーヤはもう、死んでしまったのよ」
それは――わかっている。
わかってはいるけれど、飲み込めてはいない。現に、ここにこうして彼は戻ってきてくれた。
だから、彼の言うとおり、本当は助かっていて、伏せっていただけなんじゃないかと、そう思ってしまうのだ。
「……やっぱり、風紀委員に報告するの?」
私は恐る恐る聞いてみた。死んだはずの人間がひょっこり現れたのもそうだし、その彼を、一晩匿ってしまったのも事実だ。
彼女が立場的に、口を出してきてもおかしくはない。
しかし。
「言わないわ。それに、フウリンさんに言うのも良くないわね。死者が蘇ったなんて管理者が知ったら、それこそ彼は連行されちゃうわよ」
連行。
その言葉の響きがひどく刺々しくて、私は思わず、息を呑んでしまった。
「……それじゃあ、どうするの?」
「……とにかく、ここにずっといるわけにもいかないわね。このあと、寮母さんが来たら隠しきれないし、そもそも――」
と、私たちが額を突き合わせていると、モソモソと彼の体が動いた。そして、その眠たげな両目が、ゆっくりと開いていく。
「ん、んぅ……。ふわあ、よく寝た……」
呑気に欠伸をしながら体を起こした彼は、私とサクラの顔を交互に見てから、パッと目を見開いた。
「シオン、おはよう……。お、そこにいるのはサクラだね。この間は挨拶もできなかったから、少し気にしてたんだ」
「え、ええ、久しぶりね……。体の方は、大丈夫なの?」
彼女は少しだけ、動揺しているようだった。こうも淀みなく、朗らかに挨拶をされるとは思ってもみなかったのだろう。
「うん、バッチリ治ったさ。もう事故の前よりも良くなったくらい!」
「そう、それはよかったわ、それなら――」
と、そこで彼女は私の方に目を向けて、小さくウインクをした。話を合わせろ、ということらしい。
「――シオンと話してたんだけど、このあと、少し遊びに出かけないかしら? 積もる話も、あるだろうし」
私は意外な言葉に、驚きを禁じ得なかった。
ソーヤのことをどうやって匿おうかと頭を捻っていた私に、「遊びに行く」なんて考えは微塵もなかった。
「うーん……、誘ってくれるのは嬉しいんだけど……。今日はフウリンの所に行こうって話じゃなかったっけ」
「そんなの、後でいいじゃない。それに、フウリンは今日、忙しかったはずよ」
方便だ。フウリンの予定なんて、私たちが知るはずもない。
けれど、そこまで押されたらソーヤも誘いを断ったりしない。少しだけ困ったように笑いながら、ゆっくりと頷いた。
――よく考えてみれば事故が起こる前はいつだってこうだったのだ。サクラが私たちを引っ張って、どこまでも楽しい日々が続いていた。
錆びついた時間の歯車が、軋みながら動き始めるような――そんな音が、聞こえた気がした。