Episode12.「まるで夢のように」
私が寮に帰り着く頃には、もう消灯時間になってしまっていたようで、窓からは一つとして灯りが覗いていなかった。
【Helper】を使って、入口の電子ロックを解除してから、そのまま足音を起てぬように玄関を歩いてゆく。
それでも衣擦れまでは隠すことができず、それは誰もいない廊下に、するすると伸びるように広がっていった。
こんな時間に帰ってきたのは、随分と久しぶりだ。
確か以前は、中学校の文化祭の日だったと思う。騒いで、はしゃいで、気づけば辺りは暗くなってきていて。随分と遅い時間に帰ってきて、寮母さんに怒られたっけ。
体に感じる疲労感はあの日と同じかそれ以上だが、心持ちは今日の方が何倍も鬱々としていた。
流石に今日はお説教されたりはないだろう。今はもう、一刻も早く部屋に帰り着いてベッドに潜りたい……。
ふらふら、ふらふら。覚束ない足を引きずりながら、私は自分の部屋の扉に手をかける。
本当に、色々あった一日だった。
ひとまずシャワーを浴びて、ご飯は……。もう、食堂は開いてないか。そうしたら、今晩は抜きになるな……。
「ああ、もう、本当になんて日なんだよ……」
「うん、本当にそうだね、お疲れさま」
唐突に聞こえた返事に、私は思わず飛び退いた。
見れば、部屋の中。ベッドの上に白い人影が腰掛けていた。
髪も、肌も、何もかもが真っ白。目は硝子のように透き通った赤色。けれど、私はその顔付きに見覚えがある。
「ソーヤ……!?」
私は、先程ひとまず横に置いた疑問が、再び膨れ上がるのを感じた。
なんで、どうして。頭の中は疑問符で埋め尽くされて、口は上手く言葉を紡いでくれない。
それでも、ソーヤは不思議そうに首を傾げるばかりだった。
「そう、僕だよ。久しぶりだね、シオン」
「久しぶり、とかじゃなくて、あんた、どうして……!?」
「うん? ああ、そうか。病院からまだ連絡してもらってなかったんだね」
彼は意味不明なことを口にしては、納得したように数度頷いた。そして、驚愕の表情を浮かべる私を見つめながら、さも当然のことのように口を開いた。
「驚くのも仕方ないよね。何せ、僕が巻き込まれたっていう事故から2年も経ってるんでしょ? 僕だって全然ついていけてないよ」
「その、ついていけてないとかじゃなくて、だってあんた、あの時――」
そう、あの日。
彼は私の前で、焼け焦げていった。バスのひしゃげた車体に押し潰されながら、ゆっくりと燃えてゆく彼の表情を、私ははっきりと覚えているのだ。
なのに。
「――うん、事故のせいで、2年も寝たきりになっちゃったんだよね?」
彼の笑顔は、疑いの一つも挟みようがないほどに純粋なものだった。
まさか、本当に彼は助かっていたのだろうか。実はあの後、救助されていたのではないかと、そう思えてしまうほどだ。
いや、だとすれば、フウリンや他の大人たちがそれを教えてくれなかったのはどうしてだろうか。
わからない、わからない。頭の中がオーバーヒートしそうだ。彼が生き残っていたのは素直に嬉しいが、際限なく湧いてくる疑問を無視することはできなかった。
「……本当に、ソーヤなんだよね」
「だから、そうだって。どうしたのシオン、さっきからおかしいよ?」
「……誕生日は?」
私は尋ねた、本物なら淀みなく答えられるはずだ。
「新暦22年の、4月24日だよ」
「なら、好きな食べ物は?」
「西地区の外れにあるクレープ屋の、チョコバナナホイップ」
「……っ! ならなら、初めての給付金で買ったおもちゃは?」
「だから、ブリキのロボットだろ? シオン、そういう記憶力チェックならもう病院でやったんだって」
彼は事も無げに息を吐く。こうしていると、なんだか本当に私の方がおかしくなってしまったかのようだ。
嬉しい、のは間違いがないが、それよりも戸惑いばかりが湧き上がってくる。もう二度と手に入らないと思っていた、彼との時間。それは確かに目の前にあって、ちゃんと触れることができて、体温も、しっかりとあって。
そこまでを確認したところで、私の心の中身は――。
「本当に、ソーヤなの……?」
――両目から、滔々と溢れ出した。
信じられない。夢のようだ。けれど、これが現実なのだから、堪えなくていいのだ。
ゆるゆると、彼が手を伸ばしてくる。そのまま、細い両腕が私の肩を包み込んだ。2年経っても、ひょろひょろなのは変わらない。なのに、その奥底に力強さを感じるのも、変わらない。
「うん、そうだよ。なんだか随分と、待たせちゃったね」
「……本当だよ。私、ソーヤが死んじゃったって、いなくなったって、思ってたのに」
「あはは、大袈裟だな。もしかしてその口振りだと、お見舞いにも来てくれてなかったの?」
「だって、もうみんなソーヤは死んじゃったんだって、そう言ってたから……」
「確かに、回復は絶望的だったらしいね。僕が目を覚ましたとき、お医者さんも目を丸くしてたっけ」
ケラケラと、楽しそうに彼は笑う。思い返せば、いつでもそうだった。泣き虫な私が涙を流せば、彼は落ち着くまでずっと、そばで笑っていてくれたのだ。
深呼吸を一度、二度。ようやく胸の震えが収まって、私は彼と向き直る。
「……っていうかさ、私の部屋、どうやって入り込んだの?」
「簡単だよ、昔からシオンの部屋は変わってないし、南側の窓を開けっ放しにする癖も直ってないからね。あとは、ちょこっと、さ」
「……梯子を創造して登ってきたんだね。病み上がりなのに、そんなに無茶して大丈夫なの?」
大丈夫だよ、と気楽そうに彼は答える。病的なまでに肌色が白いことをのぞけば、確かに元気そうには見えた。
心配はいらないのだろうか。腑には落ちないものの、彼が元気にしているなら、それでもいい。
「でさ、シオン、ひとつお願いがあるんだ」
「お願い?」
おどけた様子で手を合わせる彼に、私は思わず首を傾げてしまった。
「うん、それが、僕の住んでた寮はもう引き払われちゃってたみたいでさ、更に今回、病院を抜け出したりしちゃったから戻るのもバツが悪い。だから、しばらくはここに泊めてくれないかな?」
「そのくらいなら、構わないけど……」
私は口にしながら、眉を寄せる。
寮が引き払われていた、というのも知っている。だって、サクラに連れられて、私もその片付けの手伝いに行っているのだから。
結局、部屋に入ることもできずにへたり込んでしまったけど、サクラがテキパキと荷物を仕分けてゆくのを、私は遠くから眺めていたのだ。
――彼がここにいるはずがないと、誰よりも私がわかっている。
……でも。
「……うん、大丈夫。夜が明けたらフウリンの所に行こう。そうしたらきっと、寮のこともなんとかしてくれるって」
私は、それから目を背けることにした。
――焼け焦げた、彼の死体も。
――2年間の、苦悩の日々も。
何もかもが、今目の前にある彼の笑顔に比べたら、ちっぽけで朧気なものに見えたのだ。