Episode 9.「Architect;Cantata」
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「ふむ、君の力については、まさに規格外と言わざるを得ないだろうね」
手元のバインダーに何かを書き付けながら、フウリンはいつもより少しだけ興奮した様子で、そう口にした。
"あの日"から、少し経った頃の話だ。私はその日、彼女に呼び出された。身体検査の結果、異常が見つかったということだけを知らされて、私は彼女のラボを訪れたのだ。
「君の"能力"はせいぜい二級がいいところだったはずだ。テストの結果が下振れれば、三級に格下げされることすらありうるだろう」
「……はっきり言うね、フウリン」
「ああ、事実だからね。ミッドウェーや"彼"と比べれば、君の能力は明らかに劣っていた」
【ARC】の力には限度がある。
どんなものでも無制限に生み出せる訳ではない。普通の人なら50センチ四方の箱を創るので精一杯だし、複雑な形にしようとすればもっと小さなものしか創れなくなる。
訓練を受けた専門の能力者でも創れて3メートル四方。"一級"と呼ばれるごく一握りの天才でも5メートルを越える者はいない。
それがこの力の限界だ。そう、フウリンは話してくれた。
「だが、今の君は……」
続けようとして、彼女はその先を言い倦ねているようだった。適切な言葉が見つからない、というように、しばらく視線を泳がせ、そして、別の言葉を取り出した。
「……いいかい、その力を無闇に使ってはいけないよ。まだ、正体がわかっていないんだ。どうして君が急に――」
思えば、何もかもが終わった"あの日"から、全ては始まったのだ。
スタートとゴールが繋がっている、継ぎ目のない輪っかのように。私の運命は"あの日"から、回り始めたのだった。
***
パリパリと乾いた音が、私の意識を現実に引き戻した。
目の前の"火薬"は、ベンチをとうに飲み込み尽くし、子供が歩くらいの速度で、辺りに拡がり始めている。
サクラは言っていた――爆弾が床や壁を取り込んで、指数関数的に増加しているのだ。時間が経てば経つほど、その速度は増していくことだろう。
目立ってしまうかもしれない。失敗してしまうかもしれない――しかし、ここでやらなければ誰も助からない。
どっちが嫌かなんて、考えるまでもなくわかってた。
「――"想像開始"」
大規模創造の用意。脳髄が回転を始める。
この場を乗りきるにはどうすれば良い? 間違いなく巨大な壁では防ぎきれないだろう。かといって、あの爆薬の炸裂を妨害する方法は他に思い付かない。
そもそも、壁を創ってもあの爆弾はそれすら食らって巨大化し続けるだろう。
なら、あれ以上大きくしないためにも、隔離する必要がある。
となると――方法は、一つしかないみたいだ。
「……うん、こんなものかな」
頭の中に浮かべるイメージが揺らいで、揺らいで。やがてひとつの像を為す。
「――"工程完了"。"創造開始"」
私は両手を前に突き出した。実際には『創造』にその動作は要らないけれど、私はそうすることで集中できる――ような気がする。
思考に指向性を、なんて、誰かが言っていたけれど、まったくひどい洒落だ。
なんて考えていた私の前頭に、ズキリ。
「……うっ!」
微かな痛み。アウトプットの代償。奥歯を食い縛って、それに耐える。
頭の奥の方から、イメージが這い上がってくる。それは容赦なく私の脳細胞を掴んで、ガリガリと内壁を抉りながら、額に穴をこじ開けて出てくる。
もちろん、全て錯覚だ。けれどその感覚は――どこまでもリアル。
リアルでなければ、ならない。
「……いけ」
小さく呟く、背後で衣擦れの音。誰かが起き上がったのだろうか。見られちゃうな、と、口元を歪めた。
でも、もう関係ない。ここまで来れば、やるだけなんだ。私は一度だけ、大きく行を吸った。
瞬間、目の前で眩い何かが弾ける。私自身のイメージ。私自身の創造。全てを追い抜いて、飛んでいく。
そして、世界が揺れた。
唐突に地面に入る亀裂。蜘蛛の巣のように広がるそれは、私に成功を直感させるのに十分で。
だから、思いっきり拳を突き上げた。
「いっけぇぇぇぇえ!!!」
床が、大きくせり上がる。
それは巨大な壁――では、ない。四方が等しく5メートルほどで揃えられた正方形が、そのまま高さを増していく。
私が想像したのは、柱。
爆薬と、それが広がりつつある周囲の壁や床を全部押し上げる角柱。
ぐんぐんと伸びて、伸びて、そのまま屋根を突き破る。致命的な破壊音が響いて、降り注いだ細かい瓦礫の雨が私の体を強かに打ち付けた。
でも、目標はもっと上。天井を突き抜けてさらに高く。それでいて、コロニーのてっぺんにくっつかないくらいのところまで、ひたすらに押し上げる。
それは10メートル、どころじゃない。軽く50メートル以上は伸びていった。そうしなければ、何かしらの被害が出てしまうかもしれないから。
だから、回りに害を為せないところまで、遠ざける必要があった。
「……よしっ!」
私は目を閉じた。それは何度も繰り返してきた、イメージを断ち切る動作だった。
私と柱の間にあった繋がりのようなものが、だんだん細くなっていく。細く、細く、細く――。
そして、ぷつり、切れる。
パリン。硝子が割れるような音だった。想像の支えを失った柱が、粉々に砕ける。はらはらと花弁のように舞う破片が、私の頭上を真っ白に染め上げた。
それは美しい光景だったかもしれない。ただ、眺められたのは一瞬だった。
爆音。
穴の空いた天井の先で、真っ赤な炎が炸裂するのが見えた。
頭蓋骨を越えて、脳みそを直に揺さぶられるようなその轟音は、私の作戦が成功した証だった。宙を舞っていた柱の欠片はほとんどが吹き飛ばされ、遥か離れた地上でも、その爆風は髪を揺らした。
花火のようだ、と、頭のどこかでそう思った。夏の始まりの時期に学生省庁で打ち上げられる、空を彩る花。
実物を作る技術は失われて久しく、昔見たあれはコンピュータグラフィックだったはずだ。もしかすると本物の花火はこんな感じなのかもしれないな、と、不思議なくらい、私の思考は落ち着いていた。
「……し、おん」
背後で、声が聞こえた。サクラの声。どうやら目を覚ましたのは彼女だったようだ。あちこちすり傷だらけで横たわる彼女は、どうにか上体だけを起こして、私の方を見つめていた。
「……終わったよ、サクラ」
私は努めて穏やかに言った。心臓が跳ねている。脈拍が以上に上がっているのを感じたし、興奮のせいかやけに血が熱い。でも、ここでそれを表に出すのは、上手く言えないけど、何か違う気がしたのだ。
しかし、サクラの反応は暖かいものではなかった。震える唇、見開いた目。その奥には、怯えと困惑が混じりあったようなものが渦巻いていた。
「ねぇ、なんだったの、今の。だってシオン、あんなの普通の能力者じゃ……」
「……ごめんね、隠してたんだ、ずっと」
【ARC】には限界がある。
常人なら50cm四方程度。
専門家で3m、一級でも5m四方。
けれど、私は――。
「――私、創れないもの、ないんだ。イメージさえできるなら、どんなに大きいものでも、堅いものでも、柔らかいものでもなんだって創れるんだよ」
細かいのはちょっと苦手だけど、と、笑顔のつもりで口角を上げた。でも、自分でもわかるくらい引きつってる。
だって、彼女が何を考えているのかくらい、その表情でわかる。
私は長く、息を吐いた。そりゃあ、こうなるよね。だからずっと隠していたのだ。
私がこんな規格外の力を持ってることを知ってるのは、フウリンだけ。学校の試験でもいつも手加減して、精一杯やってるように見せて、嘘を吐いてた。
だって、こんな力――ただの、化け物じゃないか。
「……信じられないよ、そんなの」
「あはは、でも、ほら、こうやって皆を助けちゃったしさ。これ、たぶん現実なんだよ」
「爆弾で吹き飛ばされる直前、今わの際に見てる夢って方がまだ納得できるって……それに」
サクラはゆっくりと立ち上がり、そのままふらふらと歩いてくる。どこかで挫いてしまったのか、右足を引きずりながらだったが、それでもすぐに私の側まで来ることができた。
そして、両手でそっと、私の頬に触れた。柔らかい感触。キメの細かい滑らかな手のひらが、するりと撫でていく。
「どうして、今まで言ってくれなかったの」
「……ごめん、だってこんなの、怖いでしょ?」
私の声は少しだけ震えていたと思う。
サクラは、私の一番の友達だ。だからこそ、知られたくなかったのだ。きっと、知れば私のことを遠ざけてしまうから、だから。
「そんなわけない、シオンはシオンなんだから。むしろ今までテストとか手ぇ抜いてたってことでしょ? そっちの方がよっぽどムカつくよ」
彼女は、私の肩をしっかりと抱いてそう言った。それは、私がずっと恐れていた、別れの言葉とはまったく違ったものだった。
「……うん、ごめん、ごめんね……」
伝わる温もりが、私の緊張の糸をぷつりと切った。ぐらり、膝から力が抜ける。
浮遊感。立っていられずに崩れ落ちた私は、地面に到達する前に抱き止められた。
「ちょっと……大丈夫?」
「……やばいかも、ちょっと力、使いすぎたかな」
【ARC】で創れるものに限度がないとはいえ、無制限に使えるわけではない。
大きなものを創ればそれだけ疲弊するし、脳にだって負担がかかる。あんなに大規模な創造を行ったのだから、それなりのダメージがあってしかるべきだ。
その証拠に、私の瞼は不自然なくらいに重かった。気を抜けば、すぐにでも眠りに落ちてしまいそうだ。だが、そうはいかない。一刻も早くここから抜け出さなくては――。
――そう、考えた瞬間だった。