Episode *** 「さよならの日に」
どぉん、と。お腹の底に響くような音が聞こえた。
足の裏から伝わってくる揺れが、どんどん強くなって、呆けたように開けた口から抜けていった。
突き出した両手の先に、燻るような感覚。こうしていると、空気まで焦げ付いてしまうのではないかと思えてくる。それほどに、この空間は熱を帯びていた。
きっと、崩壊が近いのだろう。あと数分もしないうちに、この熱は私のいるところまでを飲み込んでしまう。
もうすぐで、全部に幕が引かれる。
「……そう、これで、お別れなんだ」
小さく呟く。君には聞こえてるだろうか。聞こえてなくたって構わない。私は伝えなくちゃいけないのだ。
「たぶんだけどさ、私、こうなるってわかってたんだよ。あの日、君が私の前に戻ってきてくれたときに、これは許されないんだろうなって、わかってたんだ」
それでも、私は縋りたかった。
口にするのと同時、目の前に半透明の正方形が浮かび上がる。仮想キーボード。チリチリと熱い指先を這わせて、記憶の中から取り出した文字列を打ち込む。
並んでいく一文字ずつを見つめながら、私は思う。
君のいない世界は、どんな色だったっけ。
ほんの少し前までの日常が、もう想像もできないくらいに遠いものに思えた。
諦めてたものがもう一度手に入った私の視界は、色彩に満ちていた。それ以前の毎日は、もう思い出すこともできない。
それほどに君のいた日々は満ち足りていた。
それほどに君のいない日々は色を欠いていた。
それほどに君は――鮮やかだった。
「ねぇ、私さ。たぶん君のこと、忘れられないよ」
君は今、どこで何をしているのだろうか。
まだ戦っているのだろうか、それとも、やられちゃったんだろうか。もしかすると、もう一段落ついて物陰で休んでるかもしれない。
どうあれ、きっと君は困った顔をするだろう。
困ったように笑う君が――浮かぶようだ。
それがなんだかおかしくって、私は続ける。
「すごく嬉しかったんだよ。諦めたはずなのに、君がまた私の前に現れてくれた。奇跡だって思った」
でも、それはいつか奪われる奇跡だった。
何度も思った。どうせいなくなってしまうのに、どうして現れたんだって。でも、何を言っても結局、私は嬉しかったのだ。
私は君に、救われたのだ。
「だからね、私、君に言わなきゃいけないんだ」
そう、言わなきゃいけない。そうしなければ、機会を永遠に逃してしまうだろうから。
そうしなければ、一生後悔するだろうから。
指が、最後の一文字に触れた。あとひとつ。あと爪先ひとつで、何もかもが終わる。
『Ready?』の文字が、急かすように揺れる。肌とキーボードの距離が、少しずつ縮まっていく。
瞬間が、永遠のようにすら思えた。表皮を焼く熱も、危険を告げる震動も、何もかもが置き去りになる。
全てから切り離された、何よりも私らしい私は、最後になってようやく、素直に言うのであった。
「ありがとう、大好きだったよ――ソーヤ」
同時、全てが崩れ始めた。
膨れ上がる熱。爆風にも似た荒れ狂う風が、髪を靡かせる。
光が、どんどんと強くなっていく。ありとあらゆるものを真っ白な光源の中に飲み込みながら拡がり、それはやがて、私をも包み込んだ。
ホワイトアウトする視界。意識の最後の一片が塗り潰されて、私は。
私は今日――大好きな君を、殺した。