秋めいて夏
滑って転んで倒れて頭打ってチカッと目の前が光ったと思ったら、こんな場所に来てしまっていた。ここはおそろしく暗くて、寒くて、なんだか嫌な臭いがする。熟れた生ゴミに煙草の吸い殻をたっぷり混ぜ合わせたような臭いだ。手探りで探してみるけれども、おれはいったい何を探しているのか。どうせ何も見えやしないのだから、いっそ目を閉じて、心の眼で気配を感じてみよう。なんだ、心の眼って。くだらないマンガの見過ぎだ。しっかり目を見開け。見過ごさずに見届けろ。見失うな。見誤るな。見開きでキメる瞬殺シーン。飛影VS青龍。少年阿部千代はいつかこんなシーンを体現しようと心に決めた。さてさて、今週の週刊スリップ&スラップの巻頭カラーはなんだろうね? リベロの武田? タイムウォーカー零? 惑星を継ぐ者? 天外くんの華麗なる悩み? 残念、ガチョン太郎先生の大相撲刑事でしたー。
ことの起こりというのは唐突だ。もちろん水面下で何かが動いていたのは間違いないし、そんなことをおれが知りっこないのは当たり前のことで、そういうわけで、いつだってことが起こるのは唐突なんだってことだ。逆に言えば、おれはもうそういった類いの唐突さや突拍子のなさにはすっかり慣れてしまっていたから、こんなふうに冷静にことに当たることができるってわけだ。つまり、何が言いたいのかと言うと、何も言うことなどない、そういうことがおれは言いたい、言いたくてたまらなくって、言わなくてもいいことだって散々言ってしまったけれども、後悔などは何もない、だって何も覚えていない、思い出そうとも思わない、あらゆる物事があの空虚な穴にシュルシュルシュルシュルシュルルルームって吸い込まれてゆくのがおれの人生であり運命であり定めであった。そのことについてとやかく言うのは止そう。なにしろおれは何も言いたくない、語りたくない、それでも書かれるスリップ&スラップ、沈みゆくスリップ&スラップ、夜明けはきっと来るだろう。だけど、スリップ&スラップが浮上することはないだろう。
それでいい。おれがいいと言えば、なんだってよくなるのさ。なんたっておれはおれ。おれこそがおれ。ところできみは誰。たぶんもう二度とは会わないと思う。そんなふうに考えるから悲しくなってしまうんだ。こう考えてみよう。おれたちは決して出会うことはなかった。交差することなく、交錯することなく、交接することなく、それぞれがそれぞれのそれぞれだから、それがきっと、おれはおれとして、きみはきみとして、確かに生きているって。それが良いことなのか悪いことなのか、それはまあ、人それぞれと言うか、良くも悪くもないと言うか、普通だ。特に何も感じない。まったく。おれには、四、五人の女が必要だ。女の方もおれを必要としてくれていれば問題は解決なのだが、おれの見たところ、どうもそんな感じではなさそうだ。それならそれで、休暇が必要なんじゃないか? 刺青を入れてもらっている間、おれはなぜか勃起しかかっていた。彫り師が女だったってこともあるし、それにうつ伏せになっていたせいだ。なんだかモヤモヤしていた。人間って本当にとてつもないバカだ。
アキアカネがおれと並走するように、進んで、ホバリングして、進んで。どうした、おれに惚れたかい? 人差し指を差し出してみたけど、彼女は澄ました知らん顔をする。彼女かどうかもわからないが、まあこの際どっちでもいいだろう。どっちにしろなんだ。こんなもんは日常の渦に巻き込まれてすり潰されて消えてしまう。こんなもんより政治がどうとかこうとか、そんなもんが大事なんだろう。問題が複雑に絡み合って混沌の様相を呈しているが、ことの本質はすべてのヤツが心の狭いくそったれた嫌な野郎ってことなんだ。ことの本質……ねえ。そんな簡単にことを断じることができたらラクだよな。まあでも当たらずとも遠からずってな雰囲気があると個人的には考えています。だって本当にそうなんだもん。どいつもこいつもなんだもん。
そしてまた、にっちもさっちもいかずに立ち往生だ。このままここで暮らしちまおうか。どうにもこうにもって空気の中、おれは煙草に火をつけようとするが、風の向きがあっちにこっちに落ち着いてくれやしないので、火がすぐに消えてしまう。どうしていつもこうなんだ。こんなことばっかりだ。いい加減にこんなことは止めにしたいが、止められないものは止まらないんだ。そうこうしているうちに冷たい夜が訪れて、季節外れのおれは寒さに震えていた。誰も助けてくれないし、おれだって助けを求めるわけがない。でも、本当にそれでいいのだろうか。誰かがおれを助けるべきだし、おれは助けを求めるべきなんじゃないのか。だってこんなに寒いのに。こんなに暗いのに。こんなに嫌な臭いがしているのに。
使い物にならないのは最初からだ。何の話かって? そいつを説明する義理はないね。おれはただ、ギリギリのところで踏みとどまっているだけだ。滞っていると言えるかもしれない。漂っていると言えば聞こえも悪くない。結局は最初から最後まで、こんな調子で進んでいく。何も変わりゃしなかった。少しだけ世界が醜悪になっただけだ。
酒の力を借りて目の前の惨状にどうにか対処しようとした。したにはした。だが、おれは酔っ払うだけ酔っ払って、新しいトラブルが新しい絶望感とともにやってくるだけで、どうにも対処のしようがなかった。敗北というものは何度味わっても敗北の味がする。砂のような味だ。舌触りも歯ごたえも砂そのものだ。考えてもみてくれ。腹いっぱいに砂を食わされるんだ。こんなに辛いことってない。そんなふうに書かれるスリップ&スラップ。消えゆくスリップ&スラップ。おれはこんなことをするために生まれてきたのか。今こそ目出し帽を被って、お手製ポルノを作って、FC2動画にアップして、濡れ手に泡で、濡れ濡れの泡泡になるべきじゃないのか。そんでもって、黄金のスケベイス像を頂きましたーって視聴者に報告するんだ。エロイとモーロックの仲を取り持つのがおれの使命だったということか。
情事の後の虚しさは、巨大化した太陽に飲み込まれる夕焼けだ。きみとおれはただの肉塊となり果て、脱ぎ捨てられた目出し帽が泣いているようだった。
「わたし、嫌だよ」
「なにが」
「これもネットに載せるんでしょ」
おれは何も言えなかった。何を言えばよかったのだろう。つまらないことをしたものだ。本当につまらない。生きるためとは言え、こうまでして生きなければならないのか。泣きじゃくりたい気分だ。それとも、気分を変えて、もう一発? 何もかもがあまりにもふざけている。キツい冗談が、決して冗談ではなく、実際に起こっていることなんだってこと、白昼夢めいた虚ろな悪夢が、人生と呼ばれる一連の出来事であるということ、遠い世界で起こっていること、すぐそばで泣いている人、そのすべてが、おれに狙いを定めて一斉に襲いかかってくる。
こりゃたまらんよ。逃げ場はない。行き場もない。ほんの少しだけ羽を休める水場もなければ、飛び立つための足場もない。つまずき、うろたえ、それから、おれは何も言えなかった。いったい何を言えばよかったのだろう。きみは何かを言って欲しかった。はずだ。わからないが。
過ぎ去り、後戻りすることはなく、はっと目が覚めたら、ここにいた。暗い。寒い。臭い。こんなところで何をしているんだろう? 疑問に思ったって、時すでに遅しだ。ざまあみやがれ。




