セシルカットブルース
帰宅すればすぐにエアコンを起動し、部屋が冷えるまでじっとしていた。それから、コンピュータゲームで遊び始める。今日もまた、何ともコメントしづらい一日だった。色々なことが同時に起きて、とてもじゃないが、そのひとつひとつに細心の注意を払うことなどできやしない。目まぐるしい。今という瞬間が薄れてぼやけて、何百倍にも希釈された瞬間の欠片が、記憶に小さな小さな傷を残す。ノイズ。波が寄せるように。潮が引くように。夢うつつで考えていたことが、あたかもそれが事実であったかのように振る舞い、おれは心地よい混乱のさなかにいる。
賢者のテラさんはメテオを放ってくたばった。暗黒騎士だった頃はバイキンマンのコスプレをしている子どものようでまるで間抜けだったセシルもいまやLVが30を超えて立派なパラディンになりつつある。ヤンは相変わらず頼れるダメージを叩き出してくれるし、カインは飛んだり跳ねたりの大騒ぎで、ローザは便利な薬箱、リディアはキュート。いいパーティだ。今までで一番いいパーティ。カインの表情がいまいち暗いのが気になるところだが、まあ、しょうがないよ。どうにもならんよ、アレは。恋は人を狂わす。そこをゴルベーザにつけこまれてしまった格好のカインだが、いったい誰がヤツの裏切りを責められる? 今のカイン、めちゃくちゃ肩身が狭いと思われる。誰かにフォローをお願いしたいが、三角関係の当事者たるセシルとローザにその役を頼むわけにもいかん。だけど、あのカップルはその辺りの心の機微には鈍感そうなので、積極的にカインを慰めようとしたっておかしかない。やめてくれ。今のカインにとって一番ツラいのは、おまえらが変に優しく接することなんだぜ。特にローザ。きみはカインとの接見禁止。今は一人にしてやろうよ。おまえらも超絶気まずいだろうが、カインはもっとずっとだ。セシルもローザも、よくもまあ、一緒に戦おうだなんてカインに言えたもんだ。デリカシーってもんがない。
とまあ、誰よりもカインに感情移入してしまうのがファイナルファンタジー4というゲームです。カインかわいそう。このゲームにドーピングアイテムがあるかどうかは知らんが、というかFFにはドーピングアイテムはなかった気もするが、もしあったとしたら、もうぜんぶカインにあげちゃう。みんなあげちゃう。弓月光のマンガでそんなタイトルがあった。おれたちゃみんな弓月光でドキドキしたもんだ。日焼けして折り目だらけで素っ裸の単行本。その中に未来があった。来たるべき日々に備えて、ダッダンシュビドゥバンってな具合に、おれたちは内に外にいろいろとあっちこっちで膨らましていたってわけだ。
晩メシは抜きにして、早速に取り掛かった。惨めさがいたるところで、底を知らない惨めさ、そいつが、人間の住む場所を席巻していた。まったくやり切れない話だけど、人間ってやつらの殆どすべてがそれを望むのだからしょうがないよ。悪党は悪事を犯さない。連中は、連中の言葉を借りるなら、人を使いこなすんだ。てめえらは特等席に座っているような気分で、見下ろし、見下し、端金で人に汚れ仕事をやらせている。悪党の駆る車は大きく速く、貧乏人の乗る車は遅く小さい。でも、歩くスピードはそこまで変わらんはずだ。死を考えた時の、何とも言えない気持ちも、死を目の前にした時の、存外にあっさりとした諦めも、そこまで変わらんはずなのだが……書いていて自信が無くなってきた。あいつら、めちゃくちゃ惨めに足掻きそうだ。それはそれで、大した態度だ。真似してみたいとは思わないが。
本を読むのを止めて、明かりを消した。少し前から同じところを行ったり来たりで、文章の内容がまったく理解の及ばない状況になっていたが、それはそれで、本を読むことの醍醐味のひとつだ。虫が鳴いている。おれは虫にまわりを囲まれて眠った。
虫が死ぬ季節だ。虫たちによる無謀な行動が目立つ。朝になれば、死体だらけの道路を歩き、駅へと向かうのだった。次の刺青は何を入れようか。次こそ蛸を入れようか。それとも黒雲を切り裂く稲妻。船。カミキリムシ。空きはいっぱいある。虱潰しに、手当たり次第に、身体中に傷跡を刻みつけてゆく。何のためにかは知らない。何となく埋めるためだ。それだけだ。
朝が来て、少しだけ寝坊していた。時計を眺めて、しばらくよくわからなかった。時計を見ながら、いまって何時? そんな感じだった。返事はない。音という音が消えていた。そのくせ、なんだか騒がしかった。
なぜこうまでして書かなければならないのか。こんな不様を晒してまでしがみつくのはなぜ。そりゃあんた、書くことを諦めるのはすべての終わりだからだよ。悲しそうに微笑み、また書き出した。呪いは解けやしない。どこまでもついてくるのが呪いってやつだ。本当に厄介だ。ああもう、厄介、厄介。
というわけで、なんだか気が滅入ってきた。それというのも人生があまりにも長いせいだ。おれだってかつては、TESⅣオブリヴィオンの発売が楽しみで楽しみで仕方なく、ただそれだけのことで、生きるってなんて素晴らしいのだろう、そんなふうだったんだ。あの頃、おれはゲームを信じていた。心酔していた。ゲームには無限の可能性があると思っていた。本気で無限だと信じ込んでいたんだ。
発売日当日、バイトをサボって早速ゲットしたオブリをXBOX360にぶち込み、地下牢をうろうろしていたら、飼っていた黒猫が縦置きの360に飛び乗りやがったんだ。心臓が飛び出るくらいたまげた。
じっとしてろ、じっとしているんだぞ……黒猫ペンちゃんを抱きかかえて移動させようと近づくおれを嘲笑うかのように、実際にやつはおれをからかっていたんだと思う、とても賢い子だったからね……そうだ、彼女はおれを嘲笑うかのように勢いよく飛び降りて、おれは情けない悲鳴を上げたのだった。
走馬灯が見えた。おれの人生の中で初めての走馬灯体験だ。後にもう一度、見ることになる。そのもう一度の時はマジで死んだと思った。死と同じくらいの衝撃が、XBOX360が倒れゆくその瞬間におれを襲っていたってわけだ。
スローモーションの中で、無惨にも360は彼女の後ろ脚で倒され、ガリガリガリッ、嫌な音がして、画面はクラッシュ。ペンちゃんはそのまま外に遊びに行っちゃった。
取り出したディスクには円形の傷がガッツリ入っていて、誰がどう見たって予後不良って感じで、おれは泣きながら、マジで泣きながら、もう一度ゲームショップへと走ったんだ。もう二度とゲームマシンの縦置きはすまい。しかし、よりによって今日という日にだ。ペンちゃんはこれまで一度も360に飛び乗ったことなんてなかったのに。やっぱりアイツ、頭いいわ。絶対にワザとだわ。あの箱におれが執着しているのをちゃんと理解していて、いつかやってやろうって企んでいたんだわ。で、今日がその日なんだって、雰囲気で察知したんだわ。もう絶対にゲームマシンの縦置きはすまい。あの日、おれはそう誓ったのだった。
痛みだけが、痛みを伴った傷だけが、記憶に深く刻まれ、それ以外はまあ、端的に言って大したことじゃない。おれの記憶は、精神は、空きだらけで、そいつはまったく空虚そのものだ。虚ろな穴を埋めようともがく。それが生きるということで、その途方もない長さにおれは滅入ってしまっていて、それでも何かを期待しているから、こうして空白を文字で埋めようとするし、色つきの傷を身体に残そうとするわけだ。あまりにも惨めな生き物だが、底を知らない惨めさはいたるところで繁殖していて、それでも夜は眠くなってしまうので、今夜も虫にまわりを囲まれて眠ってしまおう。




