急げ、羊を数えろ、今すぐだ
あと5分で列車が来る。その5分がおれをめげさせる。人生は遅々として進まない。いまようやく、この身体も折り返し地点を過ぎ、列車は隣の駅に到着した頃合いのはずだ。
たった一発の銃弾が混乱を呼び、人々を更なる混沌へと引きずり込もうとしている。もう、ウンザリだ。きっと誰もがどうにかしたいと願っているが、何がどうこんがらがってこんなふうになっているのか、いったいどこから手をつければいいのか、あちらを立てれば、こちらはもっと反り立つといった具合に、終わりなき主義主張の対立構造だ。寛容であれば良いというわけではない。正直であれば良いというわけでもない。卑怯に徹すれば歪みが生まれ、強権を振るえば誰かが泣いてしまう。
もう詰みだ、詰み。さっさと降参してしまおう。罪を認めて、もう一度、イチからやり直してみよう。だが、どこから? すべての始まりの地点はどこだったのか。もはや何もかもを見失ってしまった。
列車は来ない。終わらない5分間。隣に立っている男がキリンのように首を伸ばし、牛のような目つきで揺れる線路の向こうの方を覗いている。何かめぼしいものは見えたかい?
おれは腕を組み、まとわりつく汗の流れ、そのひと筋ひと筋を同時に意識しながら、目の前のダサい看板を見ている。病院の看板らしいがよくわからない。薄緑色の手術着のような装いの男がぎこちない笑顔でこちらにサムズアップしている。いったいなにがそんなに大丈夫だってんだ?
早朝の空気が薄れゆき、不愉快に活動的な雰囲気が街に漂い始める頃、列車は来ない。行くべき場所はどこにもなかった。おれはこのまま待ち続けるべきなのか。自問してみたが明確な答えは出なかった。隣の男だって根気強く辛抱している。山羊のような目になっていた。おれはどんな目だろう。よくわからないが、きっと間抜けな目をしているに違いない。
列車に乗り込んだって良いことなどは何もない。揺られて運ばれてゆくだけだ。何だってこんなものに進んで乗り込んでしまうのだろう。犬に促されて囲いの中に入ってゆく羊と変わらん。変わらんが、乗り込むしかない。今となってはそれくらいしか。
ある地点からある地点へ。連綿と続く長い長い一本グソだ。列車を待とうが待つのを諦めようが、生きている以上は続いてゆくのが緩い強制収容所での生活だ。逃げ場なんてものはない。逃げた先でも同じような風景が続いている。同じような生活も一緒になってついてくる。まやかしの新鮮さなどは瞬間で色褪せる。退屈と付き合い、退屈と向き合い、退屈と同化する。
そして、列車が来ない。今さらになって後退も反転もできないおれは、おそらくここで朽ち果てるだろう。言うほど悪くはない人生だった。けっこう楽しいことだっていくつかあった。でも、人生が楽しくないものだということはよくわかっている。退屈の占める割合が大きすぎるせいだ。エキサイティングな刺激も最初がピークで、あとは目減りしてゆくだけだ。噛みしめれば噛みしめるほどに薄っぺらく陳腐化し、気づけば跡形もなく消えている。そんなふうなことを何度も何度も飽きることなく繰り返し、たとえ飽きたとしたって、それでも繰り返す以外に能がない。
昼下がりの空気に煙草の煙を注ぎ込みながら、ろくでもないことばかりを考えていた。列車は来なかった。もう二度と来ないだろう。それでも人生は続くし、生活を維持することを続けなければならない。こんな未来は予想していなかった。結局はどんな予想をしていようが無駄だったということだ。
エスカレーターで歩いてはいけないということを初めて知った時は驚いた。おれはむしろ止まったことがなかったからだ。じゅうぶんに歩くことのできる脚を持っているのにエスカレーター上で止まっている連中を見ると、こいつらは何のためにエスカレーターに乗っているんだ? そう疑問に思っていた。正直、今でも違和感は拭えない。だが、すべてはおれの間違いだったということだ。それはわかったし、認めた。だからもうエスカレーターに寄りつくのは止めた。よく考えれば、階段で結構だ。でも、前に誰も乗っていない時はこっそり乗り込んだエスカレーターで心ゆくまま加速する。これも駄目か? それなら止めるが。
エレベーターが嫌いで、エスカレーターで歩くことはよくないことで、そういうわけで、おれは高い建物の上層部からは縁が遠ざかってしまった。百貨店のレストラン街に行くことはもうないだろう。伊勢丹の8階、とんかつの和光にだってもう二度と行くことはない。大丈夫だ。アトレの2階に、とんかつ新宿さぼてんがあるから。
困ったことになったが、まあ、なんとかなるだろう。おれ個人だけの話なら、なんだってどうにだってなるようになる。問題は、どうしようもない、どうにもならない、そんな人たちだ。彼らの存在はおれの胸をぎゅうぎゅうに絞めつけるが、実際おれに何ができるというのか。かといって、何もせずに見過ごすというのも性に合わない。なにかよくわからないものに板挟みにされて、勝手におれが消耗してゆく。日に日に小さくなってゆく。
おれは自分のスキルやノウハウ、パワーや知恵を生かすことなく、あるいはそれらをじゅうぶんに生かしたことによって、惨めにくたばってゆく運命だ。それはまあ、決まりきったことなので、覆してみたいとは思わない。おれは善良な市民で、ごく普通の労働者で、それでも生活を維持するために働くことが偉大なことだなんて思わない。むしろクソだと思っている。働かない方が良いに決まっているじゃないか。昼間から酒を飲んでブラブラうろついて、眠くなったらその辺のベンチでうたた寝をする方がずっと素敵に決まっているじゃないか。でも最近じゃ、ベンチだってやすやすと寝っ転がれないような罠が仕掛けてあるし、道端で眠っていると誰かに必ず起こされてしまう。睡眠不足が推奨され、短時間で深い眠りに入り込める枕が飛ぶように売れる。睡眠の質。ばかげている。そんなもんより、眠くなった時に自由に眠れる方がどれだけ素晴らしいことか。
こんなことはさっさと終わらせてしまうに限るが、そうもいかないもので、なぜそうもいかないのかはわからないが、それでも続いてしまうものは続いてゆくのだ。
どんよりとした天気は望むところで、サングラスを掛けないで済むのなら、こんなもの。えい。
遠くの方で雷がごろついているが、どれだけ遠くなのかはわからない。おれは眠っていたようだ。いつの間にか日は退場していた。今日、おれはもしかしたら今シーズン最後のセミの鳴き声を聴いたかもしれない。たった一匹で頑張っていた。どんなやつにだって時には必死で頑張らなければならない状況がある。その頑張りを支えているのは、意地だったり自尊心だったり確信だったり様々だろうが、そんなもんで自分をより酷い状況に放り込もうとするのは、とてもばかげていることだ。ばかげてはいるが、それくらいしか自分が生きることを肯定する方法は他にないのかもしれない。少なくとも、最後の生き残りのアイツは命を精一杯燃やしていたし、そのことについて、おれにどうこう言われたくはないだろう。
それでも、おれはどうこう言うだろうし、言いたくなければ言わないし、列車を待ち続けていたのはまったくの無駄だったが、過ぎてしまえばどうでもいいことだ。結局のところ、列車は来なかった。でも、来なくてよかったのかもしれない。もし列車が来ていたとしたら、おれはきっと、そのまま乗り込んで行ってしまっていただろうから。




