なしくずしで射精
おれたちはアホなので、話すことと言ったら天気とかそういうのだった。今日も暑いですね、今日は涼しいですね、とかそういう感じだ。夕方から雨らしいですよ、明日も雨らしいですよ、とかね。だからなんなんだ。きっと誰もが内心ではそう考えているに違いない。ふわふわと辺りを漂って、そのままどこかに消えていってしまう言葉たち。そんなことを繰り返し続けているのが人生ってやつだ。最近じゃ身体のがたつきが洒落にならないことになってきた。ふとした動作で老いや衰えを思い知らされる。屈んだり、横に跳ねたり、軽く投げたり、そういう場面だ。反応速度や柔軟性が身体的ピーク時の半分くらいに感じる。もともと身体能力的に大した方ではなかったが、それにしたって酷いもんだ。自分がカタツムリにでもなったような気分。そして何よりおれをうんざりさせるのが、言葉をひねり出す能力の急激な衰えだ。どうも言語野とおれとの接続がうまくいっていないらしい。イメージに身体が追いついていかない。だから喋っていても書いていても憂鬱になるばかり。まったく退屈だ。老いぼれのポンコツめ。さっさとくたばっちまえ。それでもしがみつくしかないのだろうか。もう手離してしまってもいいような気がするが。そのままどこまでも落ちていってしまえばいいような気が。
つまりは、なんだこれは、なんなんだこれは? おれはいったい何をさせられているのか? そんな問いが四六時中ついてまわって決して離れてくれやしないのだ。正直言って、何もかもに嫌気がさしてきた。ちょっと喋りすぎた夜の次の日の朝って感じだ。おれはおれの言葉に少しばかり頼りすぎていたのかもしれない。おれの言葉に信を置きすぎていたのかもしれない。裏切られることなどまるっきり想定していなかった。裏切らないやつなどいない。それがおれならなおさらだ。
この世界は率直に言って気持ち悪い。多種多様な生物、とりわけ人間(特に人間を気持ち悪く感じるのは、それはおれが人間だからだ)、生と死だけでなくありとあらゆるものを内包する循環構造、そして目線を上げれば茫洋たる宇宙が圧倒的な無常感を押し付けてくる。気持ちが悪い。それに頭が痛くなってくる。なぜ生まれてしまうのか。なぜ生きてしまうのか。どうしてまだ生きなければならないのか。いまこの瞬間とは何か。なぜすべては在るのか。在らなければならないのか。きっと悪い魔法使いに、考えたって仕方のないことを考えてしまう呪いをかけられているに違いない。まあ、でも、こんなモード、あるいはムードはそこまで長続きしやしないから、安心してほしい。後頭部の頭頂部に極めて近い部分が疼き始めたら、すべてを投げ出す頃合いだ。所詮、おれはおれだ。おれ如きが考えていいような領域ではないということだ。
で、もっと実務的なことを考えるように努めた。金とか食い物とか、今夜のこととか、散髪のこととか。だが、考えるほどのことじゃないってことにすぐに気づいてしまう。この泥濘に身を置き続けていれば、何も考えなくたって生きてゆけるのだ。ただ生きるってだけなら最高の国だぜこの国は。なんとなくで過ごしていれば必要以上に暴力に脅かされないってところが良い。そのかわり、毒にも薬にもならないやつらがデカい顔でのさばっているってところが問題と言えば問題だ。
頑なに道を譲らないオヤジ。多くは語りたくはないが、そんなやつに出っくわしてしまったって話だ。おれには事情があった。どうしてもオヤジの歩くルートにこの身体をさらさなければならない事情が。距離はじゅうぶん。避けたり、速度を緩めたりする余裕はしっかりあった筈だ。
おれはオヤジを信頼していた。ほんの少しだけ身体をずらし、接触を避けてくれると頭から信じ込んでいた。だから、おれはオヤジへの注意をおろそかにし、もう一方の状況に集中していた。そうしなくてはいけないのっぴきならぬ事情があったからだ。
ま、結果はあなたの予想どおりだ。おれは視界の外から結構な勢いでぶつかられて、おっとっと、ってなった。マジかよと思った。咄嗟に視界に捉えたオヤジは、おれに一瞥もくれず、歩くペースを微塵も崩さず、堂々と胸を張ったままだった。
マグマのような怒りが全身を貫いた。オヤジの残り少ない髪の毛をぜんぶ引っこ抜いてやりたい気分だ。壁際までとことん追い詰めてびびらせてやりたい。是非ともその泣き顔を拝んでみたい。殴りたい。蹴りたい。締め上げたい。オマエが、多分ワザとぶつかってきた人間は、そういうことだってちゃんと出来るんだぜってこと、わからせてやりたい。
おれの痛切な願いが叶うことはなかった。なにしろそうは出来ない状況の真っ只中におれはいたのだった。
ムカつくことばかりだ。とりわけムカつくのは、ここ最近のおれの書くものが本当につまらないということだ。自信完全喪失。お先真っ暗。元からおれの先行きが明るかったことなどはないのにね。もうどうにでもしてくれ。所詮は気分次第の産物だ。おれが陥っていると思い込んでいるこの状況も、自分ではそれなりに書けていると思い込んでいたあの瞬間も。気分が変わってしまえば、なんてことない、平等にただのクソだったってことがいずれめくれてしまうんだ。
最近はゲームもうまくない。摘まんでは捨ててを繰り返し迷走に迷走を重ねて、いまプレイしているのは幻想水滸伝Ⅰ&Ⅱリマスターだ。いっそのこと、まったく興味のないタイトルに手を出してみようってことで、急遽買ってきた。ついでにクソまずいラーメンも食ってきた。これはでも……面白いのか? よくわからん。主人公は将軍の息子。周りから、ぼっちゃんぼっちゃんとクソ甘やかされているボンクラだ。親父も親父で、厳しさってものがまったくないから驚いた。武人としてそれでいいのか。てめえの部下たちの前で「我が息子の将来に乾杯!」みたいなことを臆面もなく言い放ったり、いいトシこいた息子の寝顔を覗きにきたりする親父のキモい行動に、おれはずっこけた。落とせよ。千尋の谷によ。まあ、もちろんこの後ボンクラ息子はいろいろと騒動や騒乱に否応なく巻き込まれてゆくわけだが、このボンクラに何が期待出来ると言うのだろうか。
そうは言っても、JRPGは戦闘を重ねてレベルを上げていれば、大抵なんとかなりますね。成長曲線は右肩上がりで、シナリオ内で悩んだり落ち込んだり低迷することはあっても、ひとたび戦闘となればいつだって不調知らずの絶好調。シナリオと戦闘は繋がっているようで実は何も繋がっていないのです。戦闘の中でどれだけトラウマ級の酷い攻撃を受けようが、死のうが、生き返ろうが、その体験がシナリオ内に反映されるわけではありません。死生観が変わるわけでもなく、PTSDに悩まされることもなければ、臨死体験を語り出すこともないのです。際限のないハック&スラッシュの中、数え切れないほどの存在をぶち殺しているにも関わらず、あまりにも呑気な笑顔で歯の浮くようなことを堂々と口に出したりするのです。つまり彼らは徹頭徹尾狂っています。あまりにも爽やかに狂っているものだから、私たちは疑問を持つタイミングを永遠に失い、自然に彼らを受け入れてしまいます。私はJRPGのそういう狂った構造が好きです。これは皮肉ではありません。昔ならいざ知らず、いまの私はJRPG、本当に大好きです。
ただ、戦闘のことをバトルと呼称する謎の文化は気になるところですね。なぜ連中はすぐに横文字を使いたがるのですか。日本人として、その姿勢はどうなのでしょうか? そんな体たらくじゃあ、参政党の皆さんに日本人として認めてもらえませんよ? でも、彼らだって日本人ファーストがスローガン(選挙中だけ)ですからね。日本人一番ではなくね。おれはもう、なんちゃらファーストって字面を見るだけでうんざりですよ。四番ファーストですらムカついてきそうなので、これからはファーストのことをホアストと言うことにしますね。そうです。掛布流です。それにつけても、カケフくんが主人公のゲームソフトが発売される時代ってやっぱり狂っています。カケフくんって掛布じゃないからね。掛布に顔が似ているってだけの小学生だからね。




