ノット・ライク・ファンキー
チバシティの空の色はテレビの空きチャンネルの色だったのかもしれないが、ここソドム市ゴモラ区の空はもう少しで雨が降り出しそうな色だった。それだけ確認して、おれはカーテンを閉め、今はなき空きチャンネルの色を思い出している。それは夜中の色だ。親父が飲みに出て行っちまった後の色だ。ふと目を覚ますと、誰もいない部屋の中、テレビの空きチャンネルだけがノイズを撒き散らしていた。こんなに不気味で不安なシチュエーションもなかなかないぜ。もちろん、おれは子どもらしく派手に泣き叫んだわけだ。そんな夜がいくつもあり、いつしかおれは朝食のトーストに苺ジャムをめいっぱい塗りたくる少年になり、それからおびただしい数の省略を経て、陰気で陽気なごく普通の中年男性へと変貌していったのだった。
人にはそれぞれ歴史があると言う。おれがこりゃたまらんと思うのは、つまりは人間ひとりひとりに、空きチャンネルの夜がいくつもあって、そんな取るにも足らない些細なことをふと思い出してしまったりして、なんだかモヤッとした気分を抱えたままそこいらじゅうを歩き回ったりしていることだ。そんなことを考えていると、なぜかはわからないが死んでしまいたくなる。なぜそうなってしまうのかと言うと、人生に音楽とダンスが足りていないからだ。2トーンスカを聴いてるとなんだかそう思う。ファンクを聴いているとなんだかそう思う。ネトウヨとかの醜い連中を見ているとなんだかそう思う。そうこうしているうちに、ケツの重さが洒落にならないくらいになって、もはやひとりでは立ち上がることができなくなるのではないか、いや今さらの話だ、おれはとっくの昔に自力では立ち上がれなくなっている。扉を開けることも、風通しをよくすることも、フレッシュな気分を保つことも。もはや達成不可能な実績リストを眺めながら、その余りにもな取り返しのつかなさ加減に改めて驚かされてしまった。ある時気がついてしまう。なんなんだこれは? そんな驚きとともに。
雨は一瞬で強くなる。そこらじゅうでゴボゴボと音がし、雷鳴が腹を貫く。それから、もうそんなことはなかったかのように跡形もなくなってしまうが、耳にこびりつく轟音の記憶だけが証拠となる。たとえば小説が建築なのだとしたら、おれは土台すら組んでいない。設計図めいたものを見てみたが、わけがわからなかった。困ったもんだ。この先どうしたらいい? 時間だけはちゃんと過ぎてゆく。一応はおれもその流れに沿って、停滞したり沈んでいったりするわけだが、さっきまでの雨が嘘のようにカラカラに乾いてゆく様を見させられると、おれは何を見せられているんだ?
「阿部さんの年収がどれくらいかはわかりませんが、なんだかんだで100万くらいは税金で持っていかれてしまうと思うんですよ。コレ、取り返してみたいと思いませんか」
「いや、別に」
「ああ、生活に余裕がおありなんですね……」
「そういうわけではないです」
「いやいや……まあその……とは言えですよ、払った税金が一部でも返ってくるとなったらやっぱり嬉しいじゃないですか」
「いや、全然」
「そうですかあ? やっぱりだいぶ余裕が……」
「余裕があるとかないとか関係なしにね、単純に興味がないんですよ。わかりますか。いくら返ってくるとかね、いくら貰えるとかね、仮にあなたのこの話が100パーマジだったとしてもね、そんなウマい話があるわけがないとか、そういうことじゃなしにね、まったく興味がそそられないんです。わかりませんか。で、あなた、ウチの連中と良い関係を構築させてもらっているとかなんとか言っていましたね、最初に。そいつらの名前、教えてもらえませんか。ソッコーでしばき倒しにいきますから。おれはムカついていますよ。マジで。そいつらのせいなんでしょう、いまおれがあなたとこんなふうに電話でお話しするハメになっているのはね?」
電話はそこで切れた。まったく。詐欺話なら詐欺話で、もっとスケールのデカい素敵な話を聞かせてもらいたいもんだぜ。こんなしみったれた話ではなく。ああ、もう一気に元気が失せてしまった。働いてやろうって気力がなくなった。こんな感じで、おれの精神を削り取ってくるヤツらにだって、いつかの空きチャンネルの夜があったわけだ。
つまるところ、おれたちゃ似たようなもん同士だ。過去に囚われ、妄想に捕らわれ、日々に閉じ込められながら、ただただ時間が過ぎてゆくのを眺めている。気になることと言えば、生活のことだけ。生命維持活動。自分へのネグレクトを覚えてしまった子どもはそれにすらリアリティを感じなくなってしまう。子どもたちを守りたいと言うのなら、まずは人生は楽しいってことを教えてやらなければな。そのためにはまず自分たちが楽しまなければな。だが、もう……。周りを見てみろよ。気合いじゅうぶんなのは、レイシストくらいのもので、連中、マジで生きていて楽しそうだ。バカはいいよな。自分がバカだってことに一生気づかないでいられるのだから。とは言っても、やつらにはやつらなりの苦しみってもんがあるんだろう。何もかもうまくいかないことだらけだ。でも、だから死にたくなるってわけじゃない。ただ単に死にたくなるだけだ。うまくいこうがゆくまいが、そんなことは関係なしに死にたくなるんだオーマイガッ。
目覚めは悪い方じゃない。感情が動く前に身体が動いている。情けない話だ。食うために、生き残るために、洗面所のライトに照らされながら、険しい顔の穴ぼこ部分に歯ブラシを突っ込んでいる。ガシャガシャと動かしている。冴えない顔だ。不気味でもある。昔っから思っていた。この顔ってやつは、おれを憂鬱な気分にさせるためにある。忘れ物はしないように気をつけにゃならん。それぞれのポケットをパンパン叩いてチェックする。財布。鍵。煙草。ライター。携帯電話。あと何かあったっけ。何かが足りない気がする。もう時間がない。出なければ。時間に間に合わない。間に合わなくたって何も問題はないのだが。それでも絶対に間に合わせなければならない。そんな気がする。おれは病気だ、きっと。自らをルーティーン地獄に蹴落としている。無表情のまま、ため息ひとつ吐かずにだ。これが病気じゃなくて何だと言うんだ。
それでもなんだかんだで回っている。色々とだ。地球とか、経済とか、おれの人生とか。だからと言って、これからも回り続ける保証など何もない。むしろ回らない方に全財産を賭けたっていいくらいだ。おれの全財産などたかが知れたもんではあるけれど。それでも、まあ、個人的には大したもんだと思っている。その気になれば、一日じゅう全力で楽しめるくらいにはある。音楽とダンスと女と酒と薬に煙。やっぱりちょっと足りないかもしれない。まあ、なるようになるさ。なんだかんだで回るんだ。そうだろう?
死人みたいに真っ白い太腿。緑色の血管が浮かんでいる。きっと脱毛済みなんだろう。毛穴が見当たらん。でも実を言うと、おれの太腿にだって毛穴は確認できない。小さい変なブツブツはいっぱいあるが。
真っ白い太腿の女は西川口駅で降りていった。もう二度と見かけることはないだろう。だけど、おれの記憶に残り続けるような気がする。なんだか妙に印象に残る女だった。おれは早く帰りたい。それか早く死んでみたい。死人のような女だった。彼女こそが死神だったのかもしれない。おれはまた、みすみすチャンスを逃してしまったってわけだ。おれの人生はどこにも進まず、のろのろと、その辺をうろついている。なんとなく、馬鹿にされているんじゃないかって気がしてきた。




