暴論リフレクション
おれは近未来に生きているが、つまりはそれは年を取ったということだった。日に日に現実に追いつけなくなりつつある、そう言ってもいい。わけのわからないことばかりが次から次へと、もう本当に何もかもがわけわからないので、そういうものなのだと思うことにした。だが、自分の思考を都合良くコントロールできるはずもなく、そろそろボーダーランズ4が出るという事実のわけのわからなさに呆然と立ちすくむ。まったくなんという時代だ。おれが書いたり書かなかったりしている間にも、どこかの開発チームはボーダーランズ4をせこせこと作っていたと。つまりはそういうことなのだろう?
あらゆることが同時進行だ。ありとあらゆることが。おれが認識できるのは、その中のごくごく一部だけ。それが悲しいというわけではない。たくさんのことを知っておきたいとも思わない。ただ虚しく過ぎ去ってゆく。あらゆることが同時進行でだ。
なにもかもがどうでもいい。この歳でそんなことを思うとは思わなかった。しかし現実として、なにもかもがどうでもいい、そう思ってしまうのであるが、実際はどうでもよくもないと言うか、腹が減れば許される限りのウマい飯を食べたくなるし、眠気に襲われればなにを差し置いてでも眠りに就きたくなり、素敵な女性を見ると仲良くなりたくなってしまうのです。それは至極単純な反射反応ではあるけれども、これらを失ってしまえば、いよいよ死ぬしかなくなるな、そんな結論に陥ってしまいそうで、それが怖いというわけでも嫌というわけでもないが、それでもまだ死に対しての切迫したリアリティはなく、まあ、放っておいてもいずれ勝手に死ぬのだから、なにも自分を殺すことにそこまで必死になる必要はないだろうという感じの風が吹いていた。
非常に細かい雨の中で笑みを浮かべていた。別に良いことだって楽しいことだって何もありゃしない。どちらかと言えば苛々しているくらいだ。それでも笑っているのは、反抗でもあり挑戦でもあり攻撃でもあるつもりだった。たまにこんな感じになる。おれの行動のすべてがパフォーマンスだって気分になってしまうのだ。気分の乗っていないパフォーマンス。
つまりは、朝から晩までそんな感じで、おれはすっかり疲れてしまっていた。全身が乳酸漬けになってしまったように怠くてたまらない。大衆じみた安楽の中では魂が腐るばかりだ。それはわかっちゃいるんだけど。わかっちゃいたって、どうしようもない時だってある。誤ちにしがみついたまま、そのまま、そのまま、すべてが終わってしまうのを待つのだ。
こうした趨勢にはあらゆる手段を尽くして抵抗していかなければならない。抵抗だの反抗だの、いいトシこいてアホかこいつは。そんなふうに言ってくるやつもいる。そんなやつが殆どだ。その事実こそが、抵抗や反抗は、とっても大事なことなのだとはっきり示しているわけだ。クソ食らえなんだ。マジでクソでも食ってろよ。マジでな。
いいから働け、とか人は言うじゃない? 新奇性の欠片も無いオートマチックめいたセリフをまるで真理のように言うじゃない? 働くっていったいなんなんだ。仕え使われることが働くってことなのか。おれは労働なんてもうたくさんだ。日々を過ごしているだけでじゅうぶんに重労働なんだ。それでも、まあ、働きますよ。なんたってゲームやりたいから。おれはゲームの奴隷だ。ああ、でも、狂おしいほどゲームがやりたいのに、ゲームがやりたくない時ってあるよな。腹は減っているのに何も食いたくないみたいな。ガチガチに勃起しているのに身体を感じたくないみたいな。そんな時は、いっそおれをスパゲッティにしてくれよってブラックホールにお願いしたい気分になるよ。
それにしても、適当にも程がある。これの話だけどね。もう少しなんかこう……まあいいや、なんでもない。こんな感じで勝手に諦め気味に納得するやつが後を絶たない。おれはもう話の続きを催促しないことにした。納得したのなら、それでいい。詳細が気にならないと言えば嘘になる。でも納得したのであれば、それでいいじゃないか。どうせ大したことじゃない。明日になったら忘れちまうさ。奇妙な手触りと印象、飲み下したくても飲み下せないことばかりが記憶に残り続けてしまうのだが、人生ってこんなんでよかったんだっけか。
いいわけがない。でも、どうすることもできない。人生の意味、人類の存続、一貫した、あるいは安定した無難なイメージ。そんなものは最初からファンタジーだ。フィクションよりもフィクショナル。フィクサーにフィックスされ、従順に生きる羊たち。なんてなイメージだって、もはや子守唄にすらなりゃしない。人類はもっと野蛮で、もっと奔放で、想像の何千倍も下卑ていて、そして卑怯だった。
パンデミックにより可視化されてしまった洒落にならないくらいの足元の不安定さ、その上で最初からずっと暮らしていたのだという事実を突きつけられ、数多くの人間の頭がパーンとなってしまった。で、暴れ出した。陰気な暴動だ。良心や倫理、善や正義、そんなもんは夢物語であり、もっと言えば詐欺師が使う言葉であるという共通認識がドームの屋根のように覆い妨げ、やったもん勝ち、言ったもん勝ち、とにかく勝ちさえすればなんでもいい、そんな気分が熟成の時を迎えたのだった。
今が過渡期だと言うやつもいる。実はおれもそう思う。だが、おれたちに過渡期ではない時期などがあっただろうか。おれたちはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。まあ、どこへ行こうがどうでもいいが、その前にこの器が今にもぶっ壊れてしまいそうなのだが、それに関してシカトを決め込んだり、意地でも認めようとしないその態度、なかなかいいね。ブレがない。内省がない。とことん自らの思考を甘やかし続ける、とても心やさしい人たち。
そんな狂った季節の中、おれはやっぱりニヤニヤ笑いを浮かべていた。だって笑えるぜ。笑えることなど何もないのに。偏屈な民族主義に走るやつら。この国の中だけではなく、色んな国で同時多発的に大量発生している。このような現状に、思わず何らかの陰謀の匂いを嗅ぎ取ってしまいそうになるけれど、そんなことはなくって、煎じ詰めれば貧困なんだ。貧すれば鈍す。どうする? アイフル? 振る袖などはとっくの昔になくなった。路上と電脳空間で磨き上げた凶暴性を掲げ、すかんぴんウォークは右折を繰り返し、勇ましい演説に耳を潤す。それはあたかも魔法の言葉。そうだ。おれたちは何も悪くない。悪いのは外敵と、人権だの主権だのわけのわからんことを抜かす偽善者どもだ。
そうだ。確かに一面としてはそいつは間違っていない。だが、それが全てというわけではまったくない。いつだって問題は複雑怪奇で、単純な答えや道筋などが浮かぶ余地があるはずもないのだった。
しかしながら、事は民主的に粛々と進む。民主主義が暴れ出してしまったら、いったい誰が止められると言うのだろう。自然現象、天災みたいなものだ。結局のところ、大きな流れは誰にも止めようがない。一度津波が来てしまったら、誰もが為す術なく呆然と見送ることしかできないように。
「それでも、希望はある」
おれはそんなことを言うやつは信じない。だが、羨ましいと思う。おれだって本心からそんなふうなことを言ってみたいもんだ。
「それでも、いつだって、希望はあるんだ」
実際に口に出そうと、心の中で願おうと、まるで何も響きやしない。空虚な穴の中に吸い込まれてゆくだけだった。近未来まで生き延びてしまった哀れなサル。何をなさる。ただひっそりと、荒野に去る。落ちた煙草の灰の塊が、コロコロと風で転がる。あれだ。タンブルウィードのようにだ。




