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クルマ飛ばしてトンネル抜けて

 おれはようやく動き出した。気乗りはしないが動き出した。ふて腐れた顔で動き出した。まったく、おれは無気力なように見えた。だが、内心ではそこまで嫌でもなかった。もちろん、嬉しいわけでもなかった。はっきり言ってどうでもよかった。なにも変わらない。おれが動こうと、止まろうと。間抜けなおれは動くしかなかった。動きながら考えていた。おれはなぜ動くのだろうかと……。

 おれならもっとラクな道があったはずだ。にやにや笑いながら、浮かれて騒いで生きていけたはずなんだ。誰かがデカい屁をこく。ブーッ! それだけのことで、手を叩いて馬鹿笑いをするような人生。四六時中、なにかしらでぶっ飛んでいて、気分が悪くなったらゲロを吐いて、そのまま眠ってしまう。目が覚めたら、また同じことの繰り返し。日常は妄想に彩られ、煙と光と音に揺さぶられ、いつかバターみたいになって、溶けてなくなってしまう……。

 繰り返しという意味では、いまだってそこまで差があるものじゃない。列車に揺られて、地下鉄に乗り込んで、喫煙所で煙草を吸って、流れてゆく雲を見つめている。それでまた、地下鉄に乗り込んで、列車に揺られて、この場所に帰ってくる。そして、また、語ろうとする。繰り返しの中で発生した、おれだけにしか通じない言葉で、ここに書きつける。書かない日は酒を飲んでいる。

 おれはようやく動き出した。動き出すのがあまりにも遅かった、そう言ってくるやつもいる。いや、実際はいないのだが、きっと何処かにいるに違いない。おれはこう言う。おれはいつだって遅いんだ。なにもかもが人よりも遅いんだ。これでも急いだつもりなんだぜ。おれなりに超特急でやっているんだ。だけど、ほら。ちゃんと間に合っただろう? 肝心なところはそこだよ。そこが肝心なんだよ。


 帰りの列車の窓から見えた、ライオンのような雲。下の方が光に照らされていて、神々しいってこういうことを言うんだ、そう思った。神々の住まう領域。おれたちには決して手が届かない。届かせようとも思わない。神は神で好きにやってくれ。こっちはこっちで地べたを這いずり回るだけだ。おれにはあなたがたを感じることはできないし、あなたがただっておれを感じたりはしないだろう。だけど、おれはどこかであなたがたの存在を信じている。たぶん。少なくとも、そうだったらいいな、くらいには思っている。でも、勘違いはしないでほしい。おれはあなたがたに期待しているわけではない。そんな、烏滸がましい。こっちはこっちで、きっちりと片をつけるさ。そのために、おれたちは生まれてきたのだろう。

 そして、死があるのだろう。おれたちと、あなたがたを分かつのは、死だ。神は死なない。サイコロも振らないという噂だ。おれたちは、死んでゆくし、サイコロも振っている。眠りから覚めた瞬間から、ずっとサイコロを振り続けているようなものだ。イカサマ野郎にだってよく遭う。いちいちそんなこと気にしちゃいられないが、目を逸らしたり、なあなあで済ますわけにもいかない。本来ならば。

 だが、あまりにもイカサマが常態化していて、イカサマ師連中の手口は大胆になる一方だ。本来なら、ちゃんと見張ってやらなけりゃならないのに、おれたちは見事にその役目をサボった。その結果が、いまってわけ。もう、どうにもなりゃしないが、どうにもならないからってサボり続けるわけにはいかない。イカサマ野郎には痛みを教えてやらなければならない。二度と変な気を起こさぬように。他の連中がおいそれとイカサマに手を染めないように。本来ならば。だが、もう……。

 あまりにもイカれたシステムが作動している。知らん間にシステムが構築されている。どう見てもイカサマなのに、イカサマを指摘したって訳のわからん理屈で逃げられちまう。なぜそんな理屈で逃げられると思ったのか。なぜそんな理屈で逃げられてしまうのか。おれにはよくわからない。

 大勢の裸の王様がその辺をほっつき歩いている。もう見慣れてしまって、王様は裸だ、誰も言わない。指摘するやつがいたとしたって、裸でなにが悪い? そう言われてみれば、そこまで悪くないかもね……。


 とにかく、まあ、おれは動き出したってことだ。動き出したからには痩せるだろう。肉をそぎ落とし、骨になるんだ。汗をかいたのでシャワーを浴びるんだ。ゆったりする。おれは回復しなければならない。愚かな男だ。疲れるために、また明日の朝早くから、家を出て行くのだ。そして、また帰ってくる。この家に。そのうちデカい家でもぶっ建ててやろう。家は狭いよりも広い方がいい。部屋が余っているくらいで丁度いい。いまだって、まあ余ってると言えば余っている。このスペースを余さず使い切ってやろうなんてことは思わない。余裕くらいは持っていたい。どんな時にも。どうせ暇潰しだ。なにもかもが。

 そしていつかの最後の午後が……やがておれにもやって来るのだろう。願わくば、おれは歩いていたいものだ。なにも考えずに、一歩、また一歩と足を進めて行く。もはや、疲れなど何の問題にもなりやしない。だってこれが最後なのだから。面倒なことも、避けたいことも、憎たらしい連中も、大切に思っている人たちも、一切合切、おれにはもう関係のないことだ。最後、どこまで歩いて行けるのか、いいや、そんなことすら、もうどうだっていい。ようやく終わってくれるんだ。長い長い悪夢が。本当に長い、気が遠くなるほどに長い、そんな午後だった。


 おれは瞬いた。一瞬の間。この地獄を抜け出したらどうする? まだなにも決めていないよ。だいたい、おれはなにかを決めたことなんかないんだ。自分で何かを決めたことって、本当になにもない。ただひたすら、一本道を歩いてきただけだ。たくさん休みもしたけど、それはただ疲れて動けなかっただけだ。

 おれは自分の道を選んだりはしない。どの道も最悪に思える。つまり、なにも代わり映えのしないように見えるってことだ。実際、どんな道に分かれたって最悪だっただろう。だが、結局のところは最善の結果がおれを待ってくれていた。おれはなにもかもを間違えたが、なにも間違ったりはしなかった。

 このまま、どこまでも、行けるところまで。疲れたら休みな。今夜のねぐらを探しな。寂しくなったら、ここに戻ってきな。ここがすべての終わりだぜ。

 そして、また始めたらいい。終わるチャンスも始めるチャンスもなくなったりはしないものだ。ぬるいことを言っているように思うか? そうだ。ぬるいくらいが丁度いい。だが、おれのぬるさは、その辺に転がっている緩いぬるさではない。群れて蒸れて、ベトついて嫌な臭いを発している、腐った泥濘のようなぬるさではない。おれのぬるさは孤高のぬるさだ。舐め腐ったやつが足をちょんと入れようものなら、痺れて骨まで見えちまうだろうな。ふざけたやつは嫌いだ。おれはクソ真面目な男なんだ。

 おれならもっとラクな道もあったかもしれない。でも、どんな道だって最悪なんだ。おれはなにも期待などしていない。このまま、このままでいい。このまま、どこまでも、行けるところまで、連れて行ってくれ。チップは弾むぜ。金払いは最高だよ、おれってやつは。正直者には金を惜しんだりできるわけがないじゃないか。いいや、あんたは正直だ。おれにはわかる。なんたって薄汚いペテン師だらけだ。インチキに溢れ、トンチキな理屈に塗れている。おれは決して染まりたくないよ。

 どうだい? おれたちだけでも、フェアプレーの精神で行こうじゃないか。どこまでも、行けるところまで。

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