揺らめき印字AIR
書くペースが落ちているが、こいつはハッキリと労働のせいだ。生きているだけで支払わなければならない金銭が発生するゆえ、おれは身を切り崩し身を売り飛ばす。書くことがおれの仕事ではあるが、大切な仕事の時間を削ってまで、おれは労働へと身を捧げているわけだ。どうも何かがおかしい。おれくらいに書けるのであれば、この仕事だけで生活くらいは出来そうなものなのに、決してそうはならない。まあ、でもそんなもんだ。スリップ&スラップのような作品を、もしおれではない人間が書いていたとしたら、おれは絶賛し、激賞し、どうにかしてこの才能を世に出さなければ、そう考えるに違いないが、この世の悲劇は、おれはおれであるということ、おれには影響力がまるでないこと、世に出ようと思うような人間はこんなものを書きやしないこと、おれはおれの書くものを本気でおもしろいと思っているが、どうもそんなふうに思うのはごくごく少数の人間に限られること。しかし、果たして本当にそうなのだろうか。いやいや、さすがにそんなわけはないでしょう。一方でそんなふうにも考えていたおれはまだまだ甘かった。おれの書くものは、おれ以外の人間が読むと、どうやらそこまでおもしろいとは感じないらしい。まったく信じがたい話だし、信じたくもない話だが、信じようが信じまいが、データーがそいつを証明している。まあ、でもそんなもんだ。おれに対するこのような評価が情けないと思わなくもないが、その情けないという感情はおれに向けられているのではなく、あなたに向けられているということだ。もちろん、おれが絶対に正しいなどとはこれっぽっちも思っていない。けれども、あなたが正しいとも絶対に思わない。どちらかと言えば、おれの方に加担したいと思う今日このごろ、くもり時々晴れの空模様だ。
やがて混沌に至るまでの過渡的な現象としての本日この瞬間も、おれは敗者を演じ続けていた。失った少年時代の残像が、いまだにおれを責め続けていた。なぜかはわからない。おれだって絶対的な何かを信じていた時期もあったのだ。若さゆえ、経験の少なきゆえに。だが、そんな信仰はまったくの勘違いだった。ありとあらゆることが不確定であり不安定であることを凡人が心の底から理解するには老いが必須だと知った。少年時代を失い、甘い幻想を失った。すべては混沌に至るまでの過渡的な現象に過ぎず、やがてはすべてが混沌に飲み込まれる。奔放で意味を欠いたおびただしい数の運動はいずれ一点に集約されゆく。すなわち、無だ。
と、まあ、こんなふうに誰にでも書けるようなものを書いている間に日々は過ぎ去り彼方に消えゆこうとしている。おれは何を見送り、何を見届けているのか。なにもかもがくだらない。充実した生を送らせてもらってはいるが、このくだらなさは微塵も揺るぎそうにない。危険な時代だ。誰にとって? 危険ではない時代などなかった。誰にとっても? そもそも時代などというものは存在しない。大雑把にまとめられ、名付けられ、あたかも切り離されているような錯覚に陥ってしまうが、ただひたすらに繋がっていて、いまだに途切れやしない一本のクソがあるだけだ。
物語、物語。思い浮かばない。何も。仕方ない。そういう生き物だ。すべては起こってしまったし、膨大な蓄積が、その佇まいだけでおれをおののかせる。近寄ろうにも近寄りがたい。それでも少しずつ、一歩ずつ、近づこうとしてきたのだが、あまりにも遙か遠くに隔てられていて、その手応えのなさにめげそうになるけれど、そういう時は心ゆくままにめげればいいと思う。めげっぱなしでそのまま歩みを止めるようなら所詮はそれまでの存在だという話で、それまでの存在だという一点のみを受け入れたくないがゆえに、また歩みを進めるだけの存在だという話だ。たった一歩を進むだけならごくごく僅かのエネルギー消費で済むものの、その一歩を延々と繰り返すことにより、気づいた頃には膨大なエネルギーを消費していることに気づき愕然としたのだった。それもまた、ひとつの物語ではあるが、物語は物語として語らなければ物語として認めてもらえないわけで、もちろんのこと、おれは別に認めてもらいたいわけではないことは明白ではあるのだが、おれを認めないということを認めて欲しいという気分になる瞬間が定期的に訪れることもまた承認欲求というひと言で済まされてしまうのかと考えると、ほとほと嫌になってくる。承認欲求とかいう言葉を考え出したやつは誰だ! どうせ心理学者とかそういうインチキ野郎に決まっている。おまえのせいでクソもミソもおれも一緒くたに承認欲求の虜だ。心理学がどうこう言うやつは詐欺師か馬鹿だと相場は決まっているわけで、アドラー心理学によると――なんて言い出してくるやつでまともな精神の持ち主をおれは見たことがないし、まともな人間はアドラーのようなインチキを信奉したりしないので、そこんとこよろしく。
まあ、確かに承認欲求という言葉はよく出来ている。思わず使いたくなってしまう言葉ではある。たった一言で多くの人間の活動の図星を突いた気になれるし、言われてみれば心当たりのある人間が大半だろう。そこが問題なんだ。あまりにも使い勝手が良すぎて、馬鹿にだって使いこなせてしまう。そして、馬鹿というのは、つまりは感受性応答不能人間であるから、こういう道具を与えると嬉々として振りまわし続けるでしょう。人を傷つけてまわるでしょう。だって馬鹿なんだもん。だから馬鹿には必要以上の言葉を与えてはいけないんだ。悪用するからね。特に承認欲求のように扱いやすく威力もそれなりにある言葉は危険極まりない。環境破壊は進む。生態系のバランスは崩れ、文章領域が穢される。原住民は迫害される。場合によっては虐殺される。馬鹿は駄目だ。根っからの簒奪者であり略奪者。自分らのしていることがどういうことなのか何もわかっていない。だって馬鹿なんだもん。何もわからないんだもん。仕方ない。そういう生き物だ。そういう生き物が増え過ぎた。増え過ぎてしまった。それもまた天の采配よ。おれは月を睨みつけながら、今夜も敗者を演じていた。演じ続けていた。仕方ない。そういう役を割り振られたのだ。拒むべき理由も、拒む方法も、おれには思い浮かばない。何も。
死にかけた星々の弱々しく虚ろな光が漂う頃になれば、今夜のことだって笑って話せるようになるのかもしれないね。ただのざわめき、その中の一欠片、素粒子の悪ふざけ。この長々と続く一本のクソだって、いずれはブッツリ途切れることになる。それが真の意味での終わりなのか、それとも新しい何かの始まりなのか、そんなことは誰にもわからない。どちらにせよ、それを知覚できる生き物は存在しないだろう。たぶん。おそらく。はっきりと断言しようとすればできるのだが、それでも断言することを躊躇ってしまうのが人間の素晴らしいところであり、無駄に希望を持たせるいけずなところでもあるのだった。
人生最後の日々を迎えるにあたって、あり得たかもしれない現在、もしくは未来を後悔混じりに夢想することもあるにはあるだろう。失敗や孤独や困窮を前にして、こんなはずではなかった、そう呟くこともあったかもしれない。それでもあなたは、人生などには決して譲歩しなかった。なぜおれが譲歩しなければならないのか? 真剣に心の底から不思議に思っていた。その一点だけをもって、おれはいつかのおれを評価してやりたい。




