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ずいぶん長いこと、ぼくらこうしているみたい

 太陽がミミズを殺した。そう言うこともできるし、ミミズ自らがミミズを殺した。そう言うこともできるし、ミミズは死んだ、太陽があるゆえに。そう言ったり、そもそもミミズは死ぬつもりはなかった、だが、アスファルトがミミズを拒んだ結果の死であり、こんな事象はニュースにもなりはしない。

 たとえば、こんな季節になれば、空き地、河原、土手、公園……青々とした草が方々を浸食してゆく様を見せつけられ、その生命力には不安を感じるほどだが、草葉の陰にはおびただしい生命と死が隠れていて、もうひとつたとえば、作業服を着た人たちが機械式の回転する刃を使ってビイイインと草刈りをしている場面に出くわしたりするものだが、あれは何のためにやっているのだろう。ひとつかふたつの季節くらい、明け渡してやったって別にいいじゃないか。ビイイインと音が聞こえてくると、そこで暮らしているやつらは無事に逃げおおせることができたのだろうか。心配になる。

 仮に、無事に、逃げおおせたとしても、僅かなバランスは確実に崩されているのであり、バランスブレイカー、ゲームチェンジャー、そんな立場にいることの自覚があってのビイイインなのだろうか、おれはもっと単純な想像をしてしまう。それは、景観のためであったり、気分のためであったり、僅かな利便のためであったり、それだけのことのために、ただそれだけのことのために邁進できるのが、人間の良いところでもあり、悪いところでもある。

 おれがいちいちこんなことを考えてしまうのは、ヒッピーに育てられたからだろう。やつらは大麻を吸ったり、サルビアで飛んだり、切手を舌の上に乗せたりしながら、自然との共存や、自然と一体になるための意識の広げ方などを夜な夜な説くのだった。だから、おれが大麻を吸うという行為を、大麻を所持していることが法律に違反していると知るよりも先に知っていたし、この目で当たり前のように見てきたのだ。

 もちろん、子どもだったおれには大麻と煙草の見分けも違いもわからなかったのだが、大人たちは親切に、こいつは煙草ではない、マリファナだ、マリちゃんだ、おまえも大人になったら吸え吸え、大麻はいいぞ、そう教えてくれたものだ。

 あれから何十年も経ち、大麻は確実に社会に浸透していっている。近い将来、大麻の暗く不良なイメージが払拭され、日常の中でのトリップという言葉の意味合いも、よりポジティヴに変わってくるだろう。実際、酒やギャンブルなんかよりも大麻の方がよっぽどポジティヴなものであることは間違いのないところだ。そんな変化を悪いとは思わないし、良いとも思わない。吸いたいやつは吸えばいい。だが、そんなふうな社会になったら、いまこれを読んで眉をしかめているやつの一部は大麻のことを知ったかぶったり賢しらなことを言ったりするに違いない。確実にそうなる。そういうやつは実際にすごく多い。そういうやつは、悪いと思う。

 ただ、そんな社会に変わっていったからと言って、法律がそんな社会に対応してくれるかは微妙なところだ。やつらは改革、改革と言いながら、ただ人間の生きづらい社会を作ることに邁進する傾向にあると言うか、権力を自分らの手に集める手段をどれだけ美しく言い換えるかのとんち合戦をやっているような趣があるので、大麻は認めようとしない気がする。連中の大半は大衆の幸せが大嫌いなのだ。

 上に立つ人間はそうでないといけないと思っているやつは多い。おれはいつかそういうやつを、ぶっ飛ばそうと思っている。人生において一度でいいから、そういうやつを思い切りぶっ飛ばしてやりたい。それが、いまのおれの夢だ。


 いままでの人生で一度だけ、人をぶっ飛ばしたことがある。リングの中の出来事なので、物騒な話ではないので安心してほしい。その一連の流れはよく覚えている。2ラウンド開始早々に相手の右ミドルが少し効いた。おれはウエッとなった。そんなことを気取られてはたまったものではないので、積極的に仕掛けた。右ミドルを思いっきり体重を乗せて打った。ガードの上だったが、非常に良い距離感だったので衝撃は十分伝わっていたに違いない。すかさず左ミドルを打った。流れの中での雑な蹴りだったので体重をしっかりと乗せられはしなかったが、これがまともに入った。たぶんすごく効いた。

 ほんの一瞬、相手が完全に停止した。まるで時間が止まっているみたいだった。そのあと、相手の身体が少し前傾になり、クリンチに移行しようとしているのがわかったので、おれは相手の胸らへんを両手で押し出して距離をとった。相手は思いっきり体勢を崩していた。

 おれは極めて冷静だった。こんなに冷静な自分に驚いてしまうくらい冷静だった。ついさっきまでは、緊張で吐き出しそうになっていたにも関わらずだ。常々思っていた。おれは本番に強すぎる。この冷静さの正体はいまいちよくわからない。こういうのが才能というのかもしれない。

 両足ステップで距離を詰め、ワンツーを放った。最後の右ストレートが相手の顔面を打ち抜いた。相手の腰が、ガクンと落ち、ひっくり返るような形で倒れ込んだ。

 正直、どうしていいかわからなかった。倒れている相手と目が合った。困ったような、怖がっているような、何とも言えない顔をしていた。鼻血がツーッと落ちてきた。おれは手持ち無沙汰な感じがして、演出の意味合いで、倒れている相手にさらに殴りかかろうと手を振り上げた。もちろん、殴るつもりはなかった。相手は顔を遮るように両手をクロスして、目をつぶりながら顔を背けた。チクッと胸が痛んだ。こんなことしなけりゃよかった。そう思っていたら、禿げ頭のあの有名なレフェリーが間に割って入ってきてくれて、なんか知らんが時間が動き出した。メチャクチャ早く動き出した。


 それで、気づいたら、おれはまたここに戻ってきていた。完全に干涸らびたミミズの死骸を見下ろしていた。汚辱と老いとものの見事なわざとらしさが周りすべてを覆っていた。蝕まれていた。

 わたしたちは何かに従わざるを得ない。それ以外に何ができると言うのでしょう? そう問われた。それでも……従わないことです。そう答えた。

 おれたちに出来ることなんて従わないことくらいです。それが最後の砦です。この一線だけは越えさせてはいけません。平静を保ってください。平静を装い、いつの日か、平静を自らの内に取り込んでください。そして……やはり粛々と従わないことを選ぶべきです。従わなければ命が取られるほどではない、そんな状況のうちに、従わないことを選ばなければ、おれたちは生きていたってしょうがない。従うことしか知らないやつらの作るものは、なにひとつとしておもしろくない。美しくもない。揺さぶられることもなければ、混乱させられることもない。

 わざとらしく、薄ら寒い代物が、日々量産されていた。積み上げられていた。数万、数千万の精神を病んだ人間を更なる暗闇に引きずり込もうとしていた。精神を病んだ人間たちは、その誘いを歓迎しているようにも見受けられる。精神を病んだ人間たちは地獄が大好物かもしれないが、おれはそうではない。反吐が出る。クソをぶつけてやりたくなる。そんなことをしたってしょうがない。


 深淵の淵のフェンスに腰掛け、覗き込んでいる。ずいぶん長いこと、おれはこうしているみたいだ。

 おれは何を覗き込んでいるのか。深淵を、ではないよ。むしろ、その逆だ。浅瀬の方を覗き込んでいる。おれが浅瀬を覗く時、浅瀬はおれの方を見向きもしていなかった。これ幸いと、おれはずっと浅瀬を覗き込んでいる。そのうち、もうしばらくしたら、いくらかのやつを強引に引きずり込んでやろうと思っている。腕をにゅっと伸ばして、足首を力いっぱい掴んで、一気に引っこ抜いてやろう、そう思っている。

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