ミミズのうた
この話は、まあ話と言うほどのものではないが……それでも便宜上、話という体をとらせてもらうが、この話は、おれという一人称でもって語らせてもらうことになった。
実を言えば一人称でも二人称でも三人称でも、なんだっていいのだけど、色々と検討してみた結果……一人称がよろしかろうという結論に至ったわけだが、あくまでも現時点での仮の結論であるので、ある時を境に何かが変わってしまったとしても、どうか平静を保ってください。せめて表向きだけでも、平静を装ってください。周りの人たちに不安を与えてはいけません。皆があなたを見ています。見ていないようで、案外見られているものです。見張られていると言っても過言ではない。あなたが危険人物であろうがなかろうが、あなたの意思とはまったく関係のないところで、あなたは見られている。
それらの視線を気にしない図太さがあなたにはあるかもしれない。もしくは、まるっきり視線に気づかない、生まれついての無神経であったのかもしれない。どちらにせよ、あなたに向けられる視線はあなた自身には感知しようのないもの……そんなふうにあなたは考えている。その考えが間違っていると指摘する資格も義理もないが、薄々あなたも気づいているように、やはりあなたは間違っていた。
もちろん、よくある間違いです。よくある間違いで済む問題であったとしても、間違いは間違いなく間違いなので、威張るようなことではない。あなたは、別に威張ってなどいない、そう言うかもしれない。きっと言うでしょう。言っても不思議には思わない。間違いなく言う。しかし、あなたは威張っているように見えることがある。得意げな顔をしていることが多い。せめて間違った時くらいは、そういった態度はとるべきではない。
おれの中には不安がある。おれの中の不安が大きくなればなるほど、おれの周りには安心が広がっていく。おれの周りは安心で満たされているけれど、おれの中では不安が大きくなっている。それが突然、反転する。
どうかお願い、平静を保ってください。あなたが混乱すればするほど、おれの心は冷たく静かに集中力を増していく。集中力はまだまだ高められる。その分だけ、注意力は散漫になってしまうだろう。内へ内へと向かう集中力は、近頃では褒められた傾向にないようだが、そんなことはどうでもいい。何かを気にする時はとうに過ぎ去ったのだ。おれはもう何も気にしたくない。まったく無関心な状態を目指している。ゆっくりと歩き、ゆっくりと話す。後ろから舌打ちをされようとも、どんなに馬鹿にされようとも、そんなことはもうどうでもいい。
しかしながら、おれは語り出した。一度語り出してしまったからには、語り続けるとしよう。なぜ語るのか。何を語るのか。どう語るのか。そういったことは語りながら追々考えてゆくつもりだ。つまりは、こうして語りながらも、おれは一方で、なぜ語るのか、何を語るのか、どう語るのか、そういったことを考えていると言うか迷っていると言うか、迷うほどの選択肢があるわけではないので、迷っていると言うほどのことでもないのだけど、状態としてはまさに迷っているという言葉を近しく感じている。
迷いながらも進んで行く。あるべき目印がある、はず、だがない。時が進んでいる、もしくはおれが移動していると感じるのは、まさにこういう瞬間で、かつてあった風景が戻ってくることは二度とないのだ。こんなに恐ろしいことがあるだろうか。もう、ないのだ。綺麗さっぱり無くなってしまったのだった。
いつ、それが起こったのかは定かではない。誰かに尋ねてみたって、はっきりとした答えは期待できない。尋ねてみなくたって、それくらいは解る。結局はいまいちよく解らないということが、はっきりと解るという結果が待っている。誰もそんなことに興味を持ったりしないし、おれだって興味関心を持って知りたいわけではないのだし、ただ単純に、すべては消失する定めにある、そのことを認めたいのか認めたくはないのか、あなたはどっちだろう。
どっちだろうと、結果は変わらない。認めようが認めまいが、やがてすべてが消失してゆく。その過程がこの瞬間である。そんな瞬間におれは語り出した。誰かが語り出すのは、いつだってこんな瞬間だ。
暗闇の中で炎が風に揺れ、火の粉が流れに煽られながら天へと昇ろうとして、途中で力尽きた。乾いた枝の爆ぜる音、割れる音、森の中は真っ暗闇で炎に慣れた目には何一つ捉えることはできないが、木々がざわめいているのは耳でわかる。そして、無数の生き物が眠ったり活動しているということ。生まれたり死んだりしているということ。
そんな中で、ひときわ老いた男が突然に語り出した。それは遠い過去に起こった話かもしれない。それとも、一度も訪れなかった瞬間の話かもしれない。なんであれ、そこに明確な差はあるのだろうか。起ころうが起こるまいが、結局のところは一緒だ。語られるという魔力が作用している時点で、語りは等しく魔法の一種である。かつてはそうだった。確実にそうだった。今だって事情はそこまで変わっていない。頑なに変わったと言い張る人たちが増えただけだ。いや、それだって昔ながらのそのままであるのかもしれない。
果たして、おれは語り出しているのだろうか。おれとしては語り出しているつもりだが、そうは思えない者がいるであろうことは想像に難くないし、ここまで辿り着いた者などそうはいない。おれは目を滑らそうと試み、実際にどれだけの目が滑ったことだろうか。それでいい。目を滑らすのが正解だ。もちろん、一言一句欠かすことなくここまで辿り着いたという者だって、いてもらわなければ流石におれが困ってしまう。だが無理は言えない。言えないし、言うつもりも言いたい気持ちも毛頭ない。各々勝手にしてほしい。おれだって充分に勝手な語り部だ。語りを伝えたいのか伝えたくないのか、その辺りからして怪しい感じだ。
それでも、おれは語り出した。かつて、森の老人が唐突に語り出したあの夜のように。若者たちは目を輝かせて聞いたものだ。瞳の中で炎が揺れていたものだ。火の粉が空へと思い思いに舞っていたものだ。かつてのそんな夜に、語られたであろう物語。語りはどこまでも滑ってゆき、どこへ行くのやら語っている当の本人ですら知れたものじゃなかった。それでも、やはり若者たちは夢中になって耳を傾けただろうし、その時間はかけがえのないものだったはずだ。
それとおれの語りがどう関連するのかは謎だが、謎は謎のまま置いておいて、語り続けるとしよう。
おれが生まれてからもうずいぶんと経つ。数々の厄介な問題を抱え込み、有耶無耶なまま済ませたり、はたまたきっちりケリをつけてやったり、そんなふうにして過ごしてきた。おれの生はもう長くはないだろう。はっきりとした根拠があるわけではないが、なんとなくそんな気がしているし、それを願っていたりもする。人の生はとにかく長い。一体いくつの季節を見送れば、安息が許されるというのだろう。
何度目かの夏。シオカラトンボが小川の上に群れをなしていた。巨大な入道雲の白さに、しばし心を奪われた。あの向こうには大宇宙が広がっていて、途方もないことになっているのだが、一旦は青空に意識を留めておこう。太陽は遠慮なく照りつけて、力尽きたミミズが路上で棒になっていた。どうして地上に這い出してきた。なにを求めて冒険の旅に出た。
ここではないどこかへ。それこそが生き続ける理由でもあるし、こうして語る理由でもある。棒になったミミズはそう語っていた。ミミズは肉体言語で語る。時としてその命を投げ出してまで。