謙遜も過ぎればただの嫌味
とあるギルドの中。普段は冒険者たちが情報を交換したり酒を飲み交わしたりと賑わう室内は、しんと静まり返っていた。
椅子に座る冒険者レオンの前には、ギルドマスターが座っている。褐色で並の男よりも大柄な、頼もしい姉御肌の女性だ。その後ろにはギルドの主要な冒険者たちが並んでいた。
「申し訳ないが……レオン。お前をこのギルドから追放する」
心苦しそうな顔でギルドマスターが言い放つ。レオンは薄々嫌な予感はしていたが、耐えられず立ち上がった。
「なっ、なんでですか! オレ、またなんかやっちゃいましたか?」
「いや……お前は決して悪いことはしていない。むしろ、ギルドによく貢献してくれた。必要ならば紹介状も書こう。お前の実力は王国一と言って過言ではないからな……」
「そんな。オレの実力なんて大したこと無いですよ。本当はオレが足手纏いだったんですよね!? 正直に言ってください!」
レオンは一年ほど前に別のギルドから追放された。途方に暮れていたところをギルドマスターが助けてくれて今に至る。特に仲間たちと衝突は無かったはずだ。
「じゃあ正直に言いますけど」
後ろに控えていた魔術師が切り出した。彼は汚れたままの眼鏡に伸ばしっぱなしの髪、ヨレヨレのシャツと一見だらしなく思えるが、その上着が王国魔術師団所属であることを示している。魔術師団に居ながらギルドで冒険者としても活動する魔法オタクの天才変人であり、王国随一の実力者だ。
「レオンさん。あなたの魔法は素晴らしい。特に物品を保管するための空間魔法に、それを応用した時空間魔法。聖属性がなくとも穢れを祓える水属性の魔法も、画期的なものだ」
「えっ……」
突然褒められて、こんな場面であるというのにレオンは照れ臭そうにはにかんだ。
「そんなに褒められても困りますよ。オレ、大したことしてないじゃないですか。こんなの誰にだってできますよ」
「そういうところだよ」
魔術師の語気が強くなる。レオンはビクッと震えた。彼は冷静さを取り戻すためか大きく息を吐いて、懐からバサリと紙束を取り出した。
「あなたは自分のことを「才能がない」とか「誰にでもできる」だとか言いますけどね、そんなことはないのですよ」
レオンは渡された紙束に目を通した。
魔力量や魔法一覧などを、王国の精鋭揃いの魔術師団とレオンとを比較し、いかにレオンがずば抜けた魔術師であるかを証明する資料だった。
「これを見てもあなたは「誰にでもできる」だなんて言うのですか」
「で、でも……こんなの師匠に比べたら……」
そう言ってレオンはうつむく。彼の師は世界一とまで呼ばれるほどの大賢者。たしかにそれに比べればレオンなどまだまだだと言いたいのだろう。だとしても、世界で二番目だとかそのレベルなのに。
「30人」
「えっ?」
「30人ですよ。この数字がわかりますか」
「…………?」
首を傾げるレオンに、魔術師の横に居た細身の女剣士が言った。
「このギルドを辞めたヤツ。それも、アンタに自尊心をバキバキにされてね」
「は……?」
レオンはギルド内でたくさんの大きな功績をあげてきた。ギルドメンバー達ははじめこそ謙遜するレオンを「別のギルドを追われたばかりで傷心中なんだろう」と温かい目で見ていたが、一年続けば辟易としてくる。
命に替えてもレオンのことを大切に想っている人間が居たのなら、それでもなお寄り添い続けたのかもしれない。だがギルドにそのような人間は居なかった。
薄情なわけではない。みな、危険な時も手を取り合って戦ってきた、大切な仲間だ。しかし、己の精神をすり減らしてでも相手に向き合うのは大変なことなのだ。
たとえば、女剣士のサラはアルコール中毒でうつの父親と2人暮らしだ。家を支えるために冒険者をしている。酒を飲んでは荒れる父親にめげずに声をかけ続けてはいるが、そんな生活はもう10年近く続いていて、わずかな愛情こそあれど根気や精神力は目減りしていく毎日だ。母親はとっくに諦めて逃げ出した。
他人の傷を埋めるには、自分が傷付く覚悟をしなければならない。たとえ仲間とはいえ、いちギルドのメンバーにそこまでして根気強く相手をしてやれる者は居なかった。
悲しいかな、これが現実なのだ。悲劇のヒーローを救ってやれる心優しきヒロインはなかなか見つかるものではない。
「いいですか、この王国のすべての人間はあなたより劣っていると言って過言ではありません。そんなあなたが「誰にもできる」なんて言ったら、周りのみんなは「こんなこともできないのか」と嘲笑われているように感じたでしょうね」
「控えめなのは悪いことじゃないよ。でもね、あんたが自分を落とすようなことを言うたびに、みんなの士気が下がるの! だってあたしたちはあんた以下なんだから! 「こんなこと」もできないんだもの、あたしたちは!」
「────そういったことがあってな。お前の言葉をこれ以上聞いていられないと30人が脱退した。休職中だったり脱退を検討するメンバーも居る。このままではギルドの存続に関わる事態だ。お前は大変優秀だが、このままにしてはおけない」
レオンは呆然とした。だって本当に自分は弱くてまだまだだと思っていたのだ。それなのに自分のせいで傷付いた人間が何十人も居る。勝手に傷付いていろと思うほどレオンは冷たい人間ではなかった。
「で……でも。サラは料理が上手じゃないか」
「あんたの料理はプロ顔負けじゃない。しかも付与魔法付きで」
「カラムの体術にはオレも負けるし」
「大会で勝っといてなに言ってんだよ。そういうのは本当に負けてから言えよ」
「だ、ダイアンが盾役をしてくれなければこなせないクエストもあった!」
「オマエなら身体張らなくても魔法で瞬殺だろうが」
「セルジオの雷魔法は王国一だ!」
「あなたはもっとすごい雷魔法を使えるではありませんか……。わかりますか、この私が辿り着けないような境地の魔法であなたに負けたとき、「こんなこと誰にでもできる」と言われた気持ちが! ええ、醜い嫉妬ですとも!! でもこれ以上あなたに私の存在意義を踏み躙られたくないのです!!」
「なっ…………」
みんなにも優れているところがあるとフォローしたつもりだったのに、ことごとく失敗する。みんなの視線がますます険しくなった。
「話は聞かせてもらった」
「大賢者様!?」
「師匠!」
どこからともなくレオンの師匠である大賢者があらわれた。おそらく転移魔法だろう。
「お主を驕り昂るような男にしたくないがゆえ、図に乗るなと育ててきたつもりが……まさかこんなことになるとはな」
こいつは貰っていく、と大賢者はレオンの首根っこを掴んだ。
「イチから鍛え直しだ」
2人が再び転移魔法で消え、ギルドのメンバーだけが残った。
「終わった……のか?」
ギルドマスターがそう呟くとメンバーたちは肩の荷が降りたかのように息を吐いた。
魔術師が静かに泣き始め、ギョッとしたメンバーたちは口々に彼を慰めた。
「セルジオが一番大変だったもんね」
「あんなに頑張ってたのに」
────はじめは、ただすごい奴が居ると思った。冒険者の腕自慢大会の決勝戦で、魔術師はレオンの敵いもしない圧倒的な力の前に敗れた。王国一の魔術師が、だ。
────「あなたは素晴らしい……」
────「えー? そんなことないよ。こんなの誰にでもできんだから」
あっけらかんと笑ったレオンに、魔術師の自尊心はズタボロになった。
だって、こんなにも頑張ってきたのだ。血の滲むような努力を重ね、周囲から笑われても諦めず、魔術師団のトップにまで登りつめた。その努力に裏打ちされた実力が、途方もない天才の一言ですべて消え去った。
無駄だと言われたようだった。この程度なのかと、取るに足らない存在だと、そう言われたような。
レオンはどれだけ素晴らしいことを成し遂げても、変わらず過ぎた謙遜を続けた。次第に多くの者はイライラしはじめ、最終的に……壊れた。鬱になって逃げ出した。
毎日毎日夢の中でレオンが「オレ……またなんかやっちゃいました?」「全然すごくないですよー」「簡単だって」「師匠の方がすごいって」と言うのだ。挙げ句の果てには「おまえは凄くない」「雷の魔術師が雷で負けるなんてな」「こんなこともできないのか?」「簡単なのになぁ……」と現実では言ってもないことまで言い出す。レオンの根が優しく素直な青年だからこそ、周囲の心は蝕まれていった。いっそどうしようもないクズであったのならまた違ったのだろう。
「ごめん。畑に使う肥料なんだけどさ。代わりに作ってくれないか」
「はあ? こんなの魔法でちゃちゃっとすればすぐだろ! レオン、お前、ほんとにこんなこともできないのかあ?」
村の少年の言葉に、レオンは苦笑いした。
肥料を作る魔法は農民の間に広く普及している魔法だ。得意不得意による出来栄えの差はあれど、使えないという者はなかなか居ない。
少年は片手間に肥料を作ってくれる。それが終わると、「俺も仕事あっから」と牛舎のほうへ行ってしまった。
「けっこう……つらいもんだな」
あれから。レオンは師匠の手により魔法のすべてを封印された。その上で、とある農村でしばらく暮らせと言われたのだ。
魔法のまったく使えない生活は不便極まりなかった。これまで魔法の力で最大限楽をしてきたレオンにはかなりの痛手だった。
なにより魔法が必要になった場面で村人に協力を頼むと、決まって言われるのだ。
「こんなこともできないの?」
「誰だってできるのに」
と。
レオンがかつて言ったものとは違い、事実だった。しかし、それを言われるたびどこか心を蝕まれるような感じがした。
レオン本人はいたって善良で真面目な性質だ。そのため迫害されたりといったことはない。村人からの印象もおおむね好意的だった。だが、「魔法のひとつも使えない困った子」というような目線は、正直こたえた。
「みんなもこんな気持ちだったのかな……」
そう思いながら、レオンは反省する日々を続けている。
いつかまた冒険者としてみんなに誇れるようになるために。