お願いです、公爵夫人を攫わないでください
「そこで大人しくしていて貰うぞ」
男が攫って来たドレス姿の若い女性を地下牢に入れ手枷を鎖につなぐ。
女性はひたすら黙っていた。
ここはかつてイリス王国の戦略砦だったが時代の変化と共に老朽化、そして拠点としての重要性も失われていき廃墟となっていた。
そこに住み着いたのが前ディズデモナ公の圧政に耐えかねて逃げ出した元領民達だった。
彼らは盗賊として生計を立てていて今日もある馬車を襲った。
乗っていたのは若い女性と丸々と肥え太った貴族だった。
適当に痛めつけて金目の物を奪おうとする中、若い女が『自分が人質になるから他の人に危害を加えないで欲しい』と申し出てきた。
元々連れ去る気など無かったが彼女の真剣な眼差しに気圧された盗賊達は成り行きで彼女をアジトへ連れ帰る事とした。
「連れて帰ってきたはいいけどさ、どうするんだよあれ?」
盗賊達は困惑していた。
これまで人を攫った事など無い。ましてや女など。
「身の回りの世話でもさせるか?」
「でも貴族の女だろ?役に立つのかあれ?」
確か太った貴族が『公爵夫人!!』と叫んでいた。
貴族社会の事情には詳しくないが最近宰相になったパレオログ公爵の奥方と思われる。
「まぁ、待て。俺達は盗賊だ。今まで色々なものを奪ってきた。そんな中、若い女を地下牢につないだとあれば……やっぱ、『あれ』じゃねぇのか」
よこしまな考えが盗賊達の頭に浮かんだ。
「そ、そうだな。あいつら俺達から奪った税でいい暮らししてるんだ。そ、それくらい、いいよな?」
「もうすでに悪事を重ねまくってるんだ。今更何も怖くねぇぜ」
話し合いの結果、男達は捕まえた若い女を好きな様に弄ぼうと決めたのだ。
だが……
「大変だ!女が逃げたぞ!!」
様子を見に行った仲間が大慌てで戻ってきた。
慌てて地下牢へ急ぐ盗賊達。
「……何だよこれ?」
誰かがそう呟いた。
牢屋に女はいなかった。
代わりにあり得ない光景がそこに広がっていた。
女を繋いでおいた鎖は引きちぎらており、鉄格子はぐにゃっといびつな形に歪んでいたのだ。
丁度、人がひとりが通れるくらいの隙間が出来ていたのだ。
「鉄格子ってこうなるものなのか?」
ゴリラか何かがこじ開けたような跡。
否、ゴリラでもこんなことは出来ないだろう。
「俺達は何を捕まえていたんだ?」
「貴族の女……だよな?若い……」
「ま、まさか……『死神猫』なんじゃ?」
誰かが呟いた言葉に戦慄が走った。
裏の世界では有名な殺し屋の異名だ。
かつて人身売買をしていた組織が一人の女を捕まえた。
金持ちに売って一儲けしてやろうとしていたが彼らが朝を迎えることはなかった。
その女は殺し屋で拘束をいともたやすく外すと監禁していた部屋を抜け出し次々と組織のメンバーを手にかけていったという。
それ以来、こう囁かれるようになった。月光が降り注ぐ中不気味に猫が鳴いたら注意しろ。
死神猫が悪人たちの魂を刈りに来たのだ、と。
「いや、そんなのただの伝説だ。きっと誰かが救出に来たんだ。ともかく探すぞ!騎士団を呼ばれたらたまったものじゃねぇ!!」
手分けして探すことになったが女は意外と早く見つかった。
かなり意外な場所で……
□
結論から言えば女は食堂に居た。
「えーと……」
盗賊達は目の前の光景に困惑していた。
どこからか現れた侍女服を着た女達が勝手に奥の厨房を借りて料理して、執事風の男がそれを次々とテーブルに運んでいた。
そしてテーブルについているのは牢屋に繋がれていたはずのあの女。手には手枷の残骸がついたままだった。
「ねぇ、あたしも手伝うよ?」
「いえいえ奥様。我らの仕事を取らないでください。失業してしまうでは無いですか。奥様はそうやってお待ちください」
「あーあ、実家ではいっつもお手伝いしてたのになぁ」
おおよそ公爵夫人らしからぬ子どもじみた台詞を吐きながら彼女は口を尖らせていた。
男達は困惑した。本気で何が起きているかわからない。
やがて公爵夫人は男達に気づくとニカッと笑った。
「あ、いらっしゃい。今食事の準備してるからね。『みんな』で食べようよ」
更に困惑が広がる。
今、『みんなで食べる』と言ったのか?
確かに用意されている食事の量は凄まじいものがあった。
だが貴族が、それも『公爵夫人』が平民如きと食事を『分け合おう』とするというのは信じられなかった。
「何を……あんたは何を言っているんだ?」
「え?あたしはただ『食事の誘い』をしているだけだよ?みんなで食べた方が美味しいじゃん」
何をしれっと言うのだろう。
自分達から食べ物を奪って餓死者を出すような政策を敷いたのはお前達貴族様じゃ無いか。
一人の男が動き出した。3m近い巨漢の男ヘルファンである。
ヘルファンは公爵夫人の背後に立った。
執事たちはそんな事は一切意に介さないといった表情で仕事を続けていた。
「あんた。随分と俺達を舐めているようだな?」
「舐めてなんか無いよ。あたしはあなた達と食事がしたいだけ」
「それが舐めているって言うんだよな」
ヘルファンは公爵夫人の両脇に手を入れ椅子から立ち退かせようとした。
だが……力を入れた彼の表情が変わった。
(……重っ!?え?何だ、何が起きてる?ビクともしない!?)
貴族にして筋肉があるとは思ったが所詮は若い女。
身長も彼の半分とまでとはいかないが小柄な方だ。
そんな女が、ビクともしない。
ヘルファンは足を広げ腰を落とし力を込めて持ち上げようとする。
だが結果は同じ。1ミリも浮き上がらないのだ。
(何だよこれ、魔法!?いや、でもそんな感じは……)
「あたしは持ち上がらないよ?体重については乙女の秘密だから教えられないけど、持ち上げたいなら大きな馬を数頭持ち上げる気概が必要かな?」
意味が解らない事を言い出した。
そもそも馬を持ち上げようなどと思った事はない。
だが察した。
(やべぇ、こいつ『ただものじゃねぇ』!!)
「あー、やっぱりこれ邪魔だな」
女は腕についていた手枷の残骸に手を掛けると紙を裂くのと同じ様に引きちぎり床に捨てた。
ヘルファンの顔色が青ざめた。
「座る席とか決まってたりする?良かったら隣どうぞ」
逆らってはいけない。逆らえば今度は自分が引きちぎられる。
瞬時に察したヘルファンは言われた通り隣の席に腰を下ろし小さくなっていた。
すると今度は蛮刀を持った男、テリオが近づいて行く。
彼は盗賊達のリーダー格だった。
「おい、お嬢さん。どんな手品を使ったか知らねぇがあんまり大人を舐めるもんじゃねぇぞ」
「だから舐めてなんかいないって。それにあたしだって大人だよ?」
「へぇ、そうかい。それじゃあ『大人の付き合い』って奴もわかるよな?お付き合い願いたいものだねぇ」
彼女を怖がらせるべく下卑た表情を作って笑いながら蛮刀を突きつける。
公爵夫人はそれに怯えることなく、『なるほど』と手を叩きグラス引き寄せ近くの酒瓶を手に取った。
「お酌するね?よくお父さんにしてあげてたんだー」
言いながら公爵夫人は手刀でビンの首を落とした。
(あれ?酒瓶ってあんな風に開けるんだっけ?ていうか……)
テリオは自身の獲物を見た。
これを使っても同じことは出来無いだろう。
それを彼女は手で……
(え?もしかして俺、逆にヤバくないか!?)
もし彼女が気まぐれにこちら目掛けて手刀を振ったなら……今度は自分の首が落ちるかもしれない。
背筋を冷たいモノが流れる中、公爵夫人は3つのグラスに酒を注いで片方をヘルファンに、そしてもう片方をテリオへ差し出す。
「それじゃあ、お近づきの印に乾杯しようか」
「はい……」
逆らうの絶対にダメだ。首が飛ばされる。
テリオは大人しく椅子に腰を下ろすと公爵夫人、ヘルファンと乾杯する。
手を震わせながら酒に口をつけるが恐怖で味がしない。ヘルファンも同じだろう。
そんな中、公爵夫人はグラスの酒を一気に飲み干していた。
「ぷはーっ、結婚してから飲むようになったけどお酒って美味しいね。あたしの兄ちゃんは『あんなの悪魔の飲み物だ』って飲まないんだよね」
悪魔はお前だ。
その場にいた誰もが思った。
「奥様、準備が整いましたが……」
「それじゃあ、みんなでご飯はじめようか。ほらほら、みんな席について」
その一声で盗賊達は我先へと席へついて行く。
先の2人を見て逆らうのは得策でないと悟ったからだ。
そして侍女たち、そして執事も席につく。
公爵夫人は用意されたグラスに次々と酒を注いでいき皆に回していく。
「それじゃあ、女神様のお恵みに感謝していただきます!」
何が起きているのだろう。
盗賊達は困惑しながらも逆らってはいけないと食事を始めることにした。
「あの……えーと、あなた様は一体」
テリオは低姿勢で公爵夫人に尋ねる。
「どこにでもいるパレオログ公爵家の奥さんだよ?」
こんな化け物がどこにでもいて溜まるものか!
そんなツッコミを飲み込みながらテリオは『へぇ』と頷くしかなかった。
公爵夫人は骨付き肉を骨ごとゴリゴリとかじっていた。
ちなみにこの肉は確かドラゴタイガー。その骨は防具にも使用されるほどの硬さを誇る代物。
それをかみ砕いている。何という理不尽だろう。
この頃にはあの地下牢の惨状も彼女の仕業だと理解できていた。
「それで……俺達は……この後どうなっちゃうんでしょうか?」
もしかしたら太らされた挙句その骨付き肉みたいに公爵夫人の腹の中に入ってしまうのでは?
そんな考えまで浮かんできた。
違ったとしてもこの盗賊団は制圧されたも同然。このまま捕縛され縛り首だろう。
「まずはあなた達の事を知りたいかな?どうして盗賊やってるの?」
「それは……」
テリオは自分達の境遇を語った。
「それじゃあさ、ウチの領地においでよ」
「は?」
「盗賊なんか辞めてウチで働けばいいんだよ。あたしが責任もって生活は保障するからさ」
「いや、でも……ていうか貴族の癖に何でそんな」
「あたしは元々平民だよ?それにさ、誰かから奪うよりこうやって分け合って食卓を囲んだ方が楽しいじゃん」
笑顔を見せる公爵夫人にいつしか皆の緊張が解けていく中、一人の男が食堂に飛び込んできた。
「レリク!!?」
レリクと呼ばれた男は血まみれだった。
「お、お頭。き、貴族の連中が……」
そして次の瞬間には武器を持った兵士達、そして先刻襲われた馬車に乗っていた太った貴族が食堂へとなだれ込む。
「クソッ!囲まれてやがる!俺達を嵌めやがったな!?」
公爵夫人は無言で侵入者たちを見ていた。
「ふははは、公爵夫人を攫った薄汚い賊どもめ、貴様らに女神様の天罰を下して……」
「あのさ、ちょっと静かにしようか」
公爵夫人の恐ろしく冷たい声が響く。
瞬間、皆が動きを止め静まり返った。
公爵夫人は立ちあがると倒れ込んだレリクの傍まで歩き、その場に跪いて彼に触れた。
そしておもむろに自身のドレスを引き裂く。
「フルーレ、ヴァイオレット……こっちへ」
2名の侍女が彼女の傍へとかけていく。
ひとりが畳まれた服を手渡すと公爵夫人は代わりに自身の裂けたドレスを渡し皆の前で堂々と着替えを始めた。
その光景に侍女たちと執事以外の全員が唖然として息を呑んで見守っていた。
冒険者風の軽装へ着替えた彼女は言った。
「あたしのドレスはヒーリングシルクで作られているからさ。きちっと処置をしてそれを巻いていれば助かるよ。さて……マントル子爵。あたし、あなたを招待したっけ?」
「え?いや、その……私はただ公爵夫人をお助けにあがっただけで」
「それはどうもありがとう。でも何だろう。あたしを助けに来たというより、この人達もろともあたしを一掃しようとしている風にも見えるけどな?あたし、鼻が利くんだよね」
「な、何をそんな……言いがかりです!賊に攫われたとあれば早くお助けをしなければと思いまして」
すると執事が言葉を紡ぎ始める。
「急いで助けに向かい盗賊達は何とか掃討したが公爵夫人は卑劣な盗賊共に辱めを受け、自害なさった。という筋書きらしいな。色々と穴があり過ぎて笑えるぜ」
「なっ!?」
執事は不敵な笑みを浮かべた。
「仕事柄、悪だくみを察知するのは得意なんだ。この方が自分の身を挺して盗賊達に捕まるって所も想定済みだったんだろ?それで盗賊達にあらかじめ情報を流して少ない警備だがパーティの後に夫人をお送りすると申し出たんだよな?わざわざウチの馬車を壊す小細工までして」
次々と暴かれる悪だくみにマントル子爵は顔を引きつらせていた。
「そんなこと考えてたんだ?それは驚きだね」
ちなみに公爵夫人自体はマントル子爵の企みに全く気がづいていなかったらしい。
「だ、騙されてはなりません。私はあなたを助けようとわざわざ出向いたのですぞ?」
「察するに奥様を始末する前に自分達が楽しもうといった魂胆でしょうね。下衆ですね」
治療をしていたヴァイオレットが呟く。
「だ、黙れ!平民風情が!」
「マントル子爵、あなたが前ディズデモナ公爵に与して私腹を肥やしていた事は知っているよ。前公爵の失脚時にあなたが上手く立ち回って断罪を免れた事も」
「うっ……」
「あたしが敬虔な女神教徒だから夫へ取り入ろうにも上手くいかない。あたしの事が邪魔だから、こんな事を考えたんだね。まあ、それはいいんだけどさ」
無表情だった公爵夫人の顔に怒り、そして殺気が浮かんだ。
「みんなで楽しく食事をしているこの場を土足で踏みにじって邪魔したのは、許せないなぁ!!」
空気が振動を始めた。
「ひぃっ!?」
「せっかくあなたが考えた悪だくみだからさ。あたしも利用させてもらうね?あなた達とは同じ食卓につけそうにないね。あたしの事、許さなくていいからね!!」
獣の様な闘気を放ちながら公爵夫人が敵と認識した者達目掛け飛び込んでいった。
マントル子爵は知らなかった。彼女がかつて起きた王国の政変において人外の存在と死闘を繰り広げた猛者である事を。
そして『あたしの事、許さなくていいから』という言葉。
それは『十字架を背負う覚悟』を決めた時であるという事を。
□□
その後、パレオログ公爵領はマントル領を吸収しさらに大きくなった。
公爵夫人は夫を支えつつ領民らと農地開拓や灌漑工事の現場へ赴き汗を流し、食卓を共に囲み笑い合った伝えられている。
領内に巨大なドラゴンが出現して暴れた時には自ら赴き『素手』で殴り倒したという逸話が残っているがそれは流石に作り話だろうと後世の者たちは笑っていた。
ヘルファンはパレオログ領に移住後、料理人としての才能を開花させ料理が自慢の宿場を開いた。
その傍らではかつて公爵夫人に仕えた侍女のひとりが微笑んでいたという。
命を救われたレリクは商人として大成し最終的には宰相お抱えの大商人になる。取り扱う商品の中でもこだわりなのが傷を癒すヒーリング素材で出来た衣類であった。
それから数十年。本当かわからない数多くの理不尽すぎる伝説を残し、68歳で彼女は天へと還った。
その頃にはパレオログ領は『イリス王国で最も豊かで幸せな土地』と呼ばれるようになっていた。
「あの人は、おそらく『女神様』が姿を変えて降臨なさったんでしょうな……」
公爵家の騎士となり生涯仕え続けたテリオ老人はそう呟いた。
丘の上で、自分達の人生を取り戻させてくれた公爵夫人が愛し眠るこの地を眺めながら……
公爵夫人であるメールは異母姉妹を多く持つ『レム家』出身で四女にあたります。
父親は異世界転生者、母親は『抑止力』として恐れられている最強格の魔導士です。
作中で触れられている『死神猫』の正体は公爵夫人の姉であるアリスの事です。