第一話 事の発端
これは数週間前、いや数ヶ月前か?昼も夜もないせいで時間感覚が狂ったみたいだ。時計もあったが皆午前か午後かももう忘れている。
東京都荒川区西尾久にて。その日は八月下旬だっただろう。アブラゼミの声がジンジンとコンクリートジャングルに染み込んでいた。俺はそんなことも気にせず冷房の程よく効いた自室でゲームを嗜んでいた。その日はたまたま休日で親も外出していて家には俺一人だった。
いつものようにコントローラーのスティックをガチャガチャ動かしてると右ポケットに入ったスマホがこれまでにないパターンのバイブレーションで震えていた。ゲームをやってる最中にプレイに支障をきたすほどの振動だったから何が起こったのかとスマホに明かりをともす。するとそこには、
「警告:核弾頭接近中。近くの地下鉄駅へ避難してください」
と書いてあった。それを読んだだけじゃ俺は信じなかっただろう。だけど、それと同時にサイレンがけたたましい声を上げ始めてしまったんだ。あの不気味でどこか恐怖を感じるあの…。
区からのアナウンスが聞こえる。
「緊急事態です。緊急事態です。東京都全域に避難勧告が発令されています。都民の皆さんは速やかに最寄りの地下鉄駅へと避難してください。繰り返します。都民の皆さんは速やかに最寄りの地下鉄駅へ、避難してください」
世界の終わりだとしても公務員としての職務を全うできるなんて素晴らしい。まあ、彼女らは大丈夫だろう。区役所にももれなくシェルターがあるのだから。
タイムリミット、つまりここら一帯がヤバくなるのは一時間後。それまでに最寄りの地下鉄の駅まで行かなきゃならない。主な交通手段がバスの足立区はどうなってしまうだろう?違う違う、今は自分の身を守ることだ。千代田線町屋駅と南北線王子駅があるがどっちが近いんだろう。結局町屋の方が好きだからそこへ行くことにした。
ゲームにお別れしないといけない。こいつにはめちゃくちゃお世話になった。 ゲームのない世界で俺はイライラせずにいられるのだろうか。しかしながらそんなこと考える暇は無かった。
部屋着だったから大急ぎで外用に着替えて食糧と水と愛用のポケットナイフとその他諸々を鞄に詰め込み家を出た。残り時間は四十二分だった。
二十年も暮らしている土地だから俺でも土地勘はまあまああった。しかしながら道を間違える訳にはいかないから町屋へは無難に都電通り沿いに行くことにした。
なぜこのような事態の時、車で逃げようとする人は多いのか。案の定都電通りは渋滞していた。当たり前のようにクランクションの嵐が発生していた。まるでパニック映画のお決まりみたいな、そんな光景がリアルに目の前に広がってた。
それに加え、お祭り騒ぎでも起こったかのように歩道は人で溢れかえっていた。押し合いへし合い俺は人の間を縫っていくように進んだ。
世界が終わり始めようというときにもかかわらず、アブラゼミは脳天気にジージーと耳障りな声を上げていた。
町屋に着いたのは残り七分あたりだったと思う。都電町屋駅前駅の目の前にある出入り口から俺は地下に潜った。階段だけの出入り口だから人がぎっしり詰まりながら下へ下りて行った。登りと下りのレーンがあるはずなのにそんなことは誰も気に留めることなく下る人だけそこにいたようだ。中にはそこから転げ落ちる人、踏まれる人なんかもいた。生存本能なのか、それでも人々は足を止めなかった。俺がそんな人にならずに済んでよかった。
下りた先には横たわる少女の手を涙ながらに握る彼女の母親だろうか?そんな人や、頭を抱えてうずくまる人、安堵する人など、それぞれ人によって違う反応をしていた。可哀想に、横たわっていた少女は恐らく死んでいる。俺はこの世の終わりだとかなのにどうも実感が湧かなかった。
しばらくすると人の流れが更に激しくなった。信じられない人口密度で階段を駆け下りる者たち。誰かが倒れたのかバッタバッタと皆転んでゆく。恐怖の度合いから察するに…爆発が起こったみたいだ…。
駅員と思わしき男二人がエアロックの両サイドに立って閉鎖するためのクランクに手をかけた。
「もうもたない!これより閉鎖を開始する」
ゆっくりとエアロックが閉まってゆく。両端から門のような厚さ五十センチメートルの鉄の壁が少しづつ顔を出し、避難し終わっていない人々を残酷にも閉め出し始める。人は愚かだな。エアロックを閉め出してから中に避難できた人は一人たりともいなかった。我先に我先にと入ろうとして他人の通せんぼをするうちに誰一人入ることができなかった。
それが閉まりきる時まで外の人間は手を伸ばし続けた。遂にそれが閉まりきった時には、彼らの手や腕は潰れ、内側に残ったのは彼らの血塗られた手指、それに血溜まりだった。恐ろしい光景だった、ものすごく。
本編スタートです。
https://twitter.com/Eight_horns0218
これ私のTwitterです。