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歴史ノ時間 //世界観//
題名はまだ仮なので追々考えます。
一九四五年二発の核弾頭が投下され、広島、長崎が焦土と化したが日本は反核派の意向を無視し、抑止力として核兵器開発を継続した。政府は情報統制を行い被爆者の声を世間に流さずプロパガンダを行った。
いざとなった時のために東京メトロ及びそれに直通する地下鉄の路線は全て核シェルターとしての役目も持つようになった。そして巨大企業の社屋の地下や地下まで続く博物館などとんでもなく大きな建物には核シェルターが付き物となっていた。それらも東京メトロに繋がれ、日本特に東京(大阪もだが)は有事に備え着々と準備をしていった。
その頃には反核派勢力は過激派になりつつあったが、彼等の主張も虚しく世間一般には白い目で見られてしまっていた。
災害に見舞われることの多い日本は防災意識には特に力を入れていた。様々な自然災害や戦争に巻き込まれた時の対策、そして核の炎の焼かれた後の地上での活動のときの注意点や必需品など、各々が有事の時に自分を守る術を持っていた。
———日本がこうなることによるバタフライ効果は考慮しない———