第05話 ナイア
ガルディアの屋敷に赴くと、そこで出会ったのはやはり見覚えのある老女だった。白髪頭にローブ姿の上品そうな人物で、貴族にありがちな穏やかそうな微笑。
西洋風の屋敷の並ぶ敷地に入り、その中でも奥の一軒に通されて、応接間にて対面している。この場には俺とその老女の他、若い、恐らくは仕事を失敗した本人であろう少女が一人。
血筋の力が維持されているというだけあって、ガルディアの敷地には人の気配とでも言うべきものが相応に感じられた。これがタチバナやカラスマのような力の衰えてしまった家になると、どういう因果なのか人数自体も少なく、敷地に活気も感じられないことが多いように見受けられる。求めに応じて複数の貴族の家を見てきた経験からくる判断だ。
「幾度か顔を合わせてきましたが、こうしてお話するのは始めてですね、サコン殿」
「そうですね。普段は素通りでしたから」
「改めまして、ガルディア家当主のナイアです。そしてこちらは孫娘のエレナです」
「はじめまして」と、紹介された少女に対して頭を下げておく。
紹介を受けて足を運んだ先で受ける、貴族からの対応もそれぞれだ。ナイアは俺のような者にも丁重に接してくれる類のようで、一方目の前の歳下の少女は頼み事をする立場とはいえ貴族らしくもなく、平民相手に緊張している模様。強張った調子で挨拶を返された。
「先の魔物退治に失敗して帰ってきてから、少々神経が過敏になっているようで、あまり気にせず接してやって頂けると助かります」
そのように断ってから、ナイアは経緯の説明を始める。
「今回、貴方をお呼びしたのは、孫が失敗した魔物退治をやり遂げて頂くためです。貴方にとっては珍しいことではないでしょうけれど。魔物が現れたのは大陸の中央と北西の間にある――という地方で、どうやら西の大火山を取り巻く樹海から出てきたようですから、相当に強力でしょう。サコン殿ならば、問題はないでしょうけれど」
「……因みにどの程度の体格でしたか?」
問い掛けに対する少女の答えによると、どうやら俺の倍くらいの背丈はあるようだった。
過去、相手にしてきた中でも上位の獲物になりそうである。
「かなりの大物みたいですね。同行するのはエレナ様自身でしょうか? 一度失敗したとのことですが、お怪我などは……」
「幸いにして、と言っては何ですが、前回の戦いで負傷したのは供の魔剣士のみで、エレナは無傷です。他の兄弟に代わってもらってはとも相談しましたが、彼女達ての希望で、引き続きこの仕事に当たらせることとしました。本人もそれなりに戦えますので、必要であれば助力させて下さい。貴方の判断にお任せします」
「分かりました。出発まで五日ばかり、猶予は貰えますでしょうか。昨日、都に帰ってきたばかりでして、何日か息子と過ごしたいのですよ」
「勿論、そのくらいでしたら何も問題ありませんよ。貴方が働き詰めなのは良く聞き及んでいます」
それでは五日後に、支度を整えて相棒と伺いますということで話が纏まって、その後は直ぐに屋敷を後にした。
特に何の変哲もない、普段受けているのと同じような依頼だったなと、話を振り返りながらタチバナの屋敷へと戻っていく。
正面から「家中で処理出来ないんですか」といった趣旨のことを尋ねるのは問題かなと考えて確かめはしなかったが、何故、態々外部の俺に任せたのか。旅の道中、あのエレナという少女になら確認してみても良いだろうか。
その日はその後、アリサ、ケイの順でそれぞれと二人きりで過ごし、日が傾き始めた頃になって家へと戻る。帰るとコノエが訪れていてカゲヨシと遊んでおり、丁度仕事に出掛けるところだったナガミツへ、五日以内ならば力になれそうだと教えておいた。
次の仕事は遠方で、しかも旅路は馬車で行くことになる。普段の、コノエと二人、騎馬で駆け抜ける道程に比べて更に日数が掛かることだろう。
コノエやカゲヨシ、マヤにも次の仕事が決まったことを伝え、翌日以降はタチバナの屋敷にも顔を見せつつ、カゲヨシと遊んで過ごした。特に学院の演習場を借りて俺の式神とコノエとの戦いを見せてやると大層な喜びようで、自分も魔剣を振りたいとせがみ出したが、剣を触れるような体格でもなく、そもそも幼子へ本当に剣を振らせるわけにもいかず、苦労して説得したかと思ったら、今度はそれならば俺のように魔術を使ってみたいと言い出して、式神の魔術を行使出来ないかと試してみることになり、それも上手く行かないと分かると悔しさでぐずり始めたりと、歳相応な難しさを味わわせてくれた。
どうにか宥めようとするコノエと、気が治まるまで泣かせてやろうという俺で意見が割れたりしつつ、終わってみれば中々父親的な体験が出来たなといった所感の一日だった。
その翌日に、今日はまたどこかへ連れて行ってやろうという話になって、魔王の社へ顔を出すついでに港へ足を運んでみることに。まさか息子まで魔王から気に入られるとは思わないが、一度くらい、息子を連れて行ってみても良いだろうと思ったのだ。
コノエは今日、鍛錬に注力するというので、カゲヨシと二人きりでの行動となった。マヤも連れて行こうかと思ったのだが、海までとなると若干遠出で、身重の今は止めておくと言われてしまう。
そういうわけで用意した式神の馬に跨り、俺とカゲヨシは親子二人、海へと駆け出した。馬に揺られる体験は初めてのカゲヨシはこれにも喜んでいたが、俺としては息子が万が一にも落馬しないようにと絶えず気を使い、大人しく学院で馬車でも用立てるべきだったかと少しだけ後悔した。
港に到着し、最初に神様のところへ顔を出そうと言って連れ立って歩くと、砂浜に行き着いた段階ではしゃぎだしてしまう。
仕方ないなと諦めて、あまり海の中まで入らないようになと釘を差しつつその様を見守っていると、背後から声が掛かった。
「ごきげんよう、サコン殿。ご子息ですか? 可愛らしい」
「……こんにちは。お社への参拝ついでに、息子へ海を見せに来たのですよ。この様子だとそれどころではなさそうですが」
振り返ると、ナイアが立っている。その傍らにはまた別の魔術師らしき人物と魔剣士。
彼女とはこれまでも、この辺りで顔を合わせてきた。
「陛下がお待ちですよ。宜しければ我々でご子息を見ておきますけれど」
初めての邂逅以来、魔王の社では幾度か女王と出会うことがあって、そうした場合にはいつも社への入り口に彼女を含めた数人の姿があった。お供として付いてきていたのだろう。
「カゲヨシ!」
息子を呼び寄せて、このままここで遊んでいるか、社まで付いてくるか尋ねる。どちらにも関心があるようでもう少し待ってとせがまれたが、女王が一人、あの場所で待っていると分かると、そんな頼みを聞いてやるのも難しい。
迷った末、ここで遊んでいると答えた息子にナイア達を紹介し、彼女らへ彼を任せて、俺は社へと進んでいった。
女王はどうやってここまで子細に、俺の来訪時間を見計らっているのだろう。この点は未だに謎である。態々詮索していないだけなので、問えば教えてもらえるのかもしれないが。
予想では多分、占いだ。あのナイアは国で有数の魔術師であり、星の加護を強く受けている。国一番の占い師が側にいて、尚且俺が社を訪問し得る日程は極限られている。洛中への帰還報告があってから二、三日以内の日中のいずれかの時間、というところまで情報が絞れているのだから、そこからの割り出しは高位の占い師にとって難しくはないのかもしれない。
占いの勉強は殆どしていないので、良い加減な想像に過ぎないが。
行けと言われたら行くだけの人間が吉凶など気にしても仕方ないのだ。だから占いの本は開いたことがない。星の加護がない以上、どうせ習熟出来ないだろうし。
参道を抜け、社前にいる警護やお付きらしき人の横を通って、境内で一人佇む女王の側へ。
そもそもどうして彼女は俺などへ会いに訪れるのか。不思議ではあったが、彼女が関心を示す話題から考えるに、政治や魔術の外の世界が気になるのかもしれない。それにしたって、そのくらいの話し相手、他にもいそうに思えるが、そうでもないのだろうか。
「よう参った。壮健なようで何よりぞ」
俺の足音に反応して、社を向いていた彼女が振り返る。
「今回も、相棒共々何事もなく切り抜けられました」
理由は知らないが、女王は良くコノエのことまで気に掛けるので、そちらも含めて仕事が順調だったことを伝える。
それから暫し、他愛のない話。
「昨日はコノエと一緒に息子を連れて学院の演習場へ行ってきたんです。それで、虎の式神と彼が戦うところを見せてやったら大喜びで」
「ああ、それはきっと見応えがあったろうな」
「そこまでは良かったのですけど、今度は自分もやってみたいとぐずり始めまして」
「如何にも、子供らしくて良いではないか」
女王が可笑しそうに笑う。
「剣が重くて振れないと分かると、今度は俺のように式神を操ってみたいと言い出して。一歳半の魔力ではやっぱり上手く行きませんから、そちらも無理だと分かると、そこからは荒れ始めて大変でした」
「うむ。……そういう無力感は良く分かる。幼子なら尚の事、癇癪も起こそう」
「俺は放っておけば良いと思ったのですが、どうせ時間が経てば落ち着きますからね、コノエは反対にしきりと慰めの言葉を掛けようとして……。お互いの性格が出ますね。ああいうのはどちらが正解なのか」
つい疑問を呟いてしまうと、女王は口元に手をやって考える様子。
「興味深いの、子育てとは。妾ならきっと慰めの言葉を掛けると思うが……、それも父母がそうした人物だったからというだけのことよ。お主の父母はどうだった」
「俺の両親……多分、慰められても精々一言でしょうか。どちらかというと俺のように放置していたと記憶しています」
「…………その方が強く育ったりするのだろうか」
何やら思うところでもあるように天を仰ぐ彼女。これが普通の相手だったら詮索してみるところだが、流石にここでは気が引ける。
「妾も早いところ、母親にならねばならないのだが」
「洛外でもその辺り、心配されているようですね。偶に旅先で問われます。魔術師だし、多分偉いんだろうから何か知っているんじゃないかって」
「王族が一人になったのなど建国以来始めてなのだ。それは市井の者達も気を揉もう」
「……出すぎた問いでしたら申し訳ないのですが、その辺りの話は、どうなっているのでしょうか」
「ん? シキから聞いとらんか?」
「いえ、政治に関する話は何も」
ちょっと意外な顔をされる。彼も何かしらの形でこの話題に絡んでいるようだ。
「そうか。簡単に言うと、今、妾の周りの者達は、妾の後継者をどうするかで揉めておる。例えば、宰相のオドマンは、自分が最も妾と血が近いことを理由に王室へ復帰して、己の子を王にしたいと思っておるようだ。それからお主も先日屋敷に呼ばれて話をしたそうだが、ナイア、あやつは良い機会だからと、これまでのやり方を撤廃して公式に力のある貴族、エデン辺りを夫に迎えて子を作れと勧めてきよる。血族ごとに閉じこもる、現在の王侯貴族の在り方を覆したいらしい」
宰相のオドマンはあまり評判の良い男ではないと、政治に疎い俺の耳にも入ってきている。何代か前に王室から別れた血筋で、本人に魔術師としての力はないらしい。一方で政治の実態は彼が担っているとも聞く。因みにその悪評についてはやれ必要以上に税が重いだの、私服を肥やしているだのと色々あって、それが実態に沿っているのかは知らない。
ナイアについては穏やかそうな老女といった印象だったが、意外と大胆な変革を迫っているようだ。王族が王族同士で子を作り、高祖の血を濃く維持し続けてきたことは王室の権威にとって重要な要素なのではないかと平民の俺でも考えるのに、それをひっくり返せとは。
「そこでエデンまで足並みを揃えて向かってくるのならば、それで大勢も決するのだが、当の本人はお主が懇意にしておるタチバナや他の貴族と一緒になって、……今は故あって存在が伏せられている、オドマンとは別な王族を公に復帰させようと動いているようだ。それで表面上、子が出来ても自然な体裁を整えて、尚且今、お主とタチバナがやっておるように、力のある血を取り込めということらしい」
「…………そこまでご存知なのですね」
「こういうのは公然の秘密よ。察しておる者は多いはず」
それならいっそ公にして堂々と振る舞いたいものだが、そういう話でもないのだろう。拗れた慣習だ。
「妾に言わせれば一番現実的な案よな。隠された王族の復帰以外は表向き何もかも現状維持。最も波風立たぬ……が、下々を騙して位に居座るようなやり方の後ろめたさは拭えぬ」
俺はタチバナとの共謀に一切後ろ暗い思いなど抱えていないし、タチバナの面々も平然とした様子に見受けられたが、彼女にとってはそうでもないようだ。
「いや、他の貴族達を批判するわけではないのだが。それで最後に、ロウグの率いる極少数の一派の主張よ。そこまで衰えたのならば、威勢を維持している家に禅譲してしまえと。……いや、こうした発言は黙らせるべき立場なのだが、返す言葉もない」
儚げな自重の笑み。
「何より不甲斐ないのは妾の一存で決められるだけの発言力がないことよ」
「……俺に何か力添え出来ることがあれば良いのですが。生憎と政治とは無縁な平民なのが残念です」
「お主はお主の仕事をしていてくれればそれで良い。特に多くの貴族が衰えつつある今、それが一番頼もしい。……次はガルディアの手伝いだそうだな。今後も何かあればナイアを手伝ってやってくれ」
最後の部分に含まれているのが、彼女の意向ということだろうか。
その時、俺を呼ぶ声がして社の入り口の方を振り返る。ナイアに連れられたカゲヨシの姿があった。
「あれはお主の息子か」
「はい。本当はここまで一緒に来るつもりだったのですけど、初めて見る浜辺に夢中になってしまって。そこにナイア様が現れて、面倒を見てくれると言うし、本人もそのまま海で遊びたがったので、預けてきていたのです」
「ほう。宮中におっては久しく子供と接する機会もなかったから、あの歳頃を見るのはいっそ新鮮だ」
帰る前に少し話してみるかと、女王はカゲヨシを手招きした。ナイアに連れられ、二人でこちらへとやって来る。
「お主がカゲヨシか?」
「うん」と、この人は誰だろうという表情で息子が答える。
「父親似かの?」
「母親似です。結構美人なんですよ。そのお陰で息子はどうやら男前になれそうです」
「いや、どちらかというとお主に似ておるように思うが」
彼女は膝を屈めてカゲヨシを見つめるのを止めて、俺へと向き直った。
「やはり父親似だ」
そっと手を伸ばして、長い前髪で隠れている俺の左顔面を露わにする。
「この傷がなければ、お主も息子のように男前だったはず」
そうだろうかと思っていると、まだ女王の言葉は続いた。
「まあ、何度か言っておるが、妾はお主のこの傷跡も嫌いではないが、な。何の瑕疵もなくただ整っているだけのものよりずっと良い」
それから彼女はまたカゲヨシと僅かばかり言葉を交わし、ナイア達を連れて去っていく。
こういうところがあるので、俺も彼女とここで出会うのは嫌いでなかった。
タチバナの姉妹から、顔の無事な部分は整っていると言われることはあったが、傷痕にまで好意的なことを言うのは彼女くらいである。
「さ、カゲヨシ、お参りして行こっか」
「はい、ちちうえ」
「因みにここへ来る途中、鈴の音が聞こえたりしたかい?」
「ううん」
「そっか。きっとお前はお前で、相性の良い神様が別にいるんだろうな」
息子と並んで、社へと向かっていく。




