邂逅
放課後、小次郎は帰宅中の路上にて、本年度最大の危機を向かえていた。
腹部を定期的な鈍い痛みに襲われていたのである。寄せては返す波のように、やってくる腹痛に耐えつつ自宅へと向かう。
強い便意である。
昼の牡蠣がまずかったのか。
そんな事を考えてしまうが、すぐに別の事に思いを移す。気を紛らわさねば、家まで持ちそうもない。すでに、二回ほど臨界点を強引に押さえ込んでいた。
とにかく気を紛らわせようと、るんるんるるんぶ等と、草野心平でも思い浮かべてみたが、逆にそのリズムが危機感を高める結果となった。
三度目の臨界点はその三十秒後に訪れる。
壁に手をつき、それが過ぎ去るのを必死で堪える。耐える。
高校を出る時に、微かに前兆はあった。そこでトイレにいけばよかったのだ。大の個室に入るのをためらい、家まで我慢出来るだろう、と考えたのは間違いだったと後悔する。
後悔先に立たず。
小次郎は全身で、その意味を噛み締めていた。
三度目の臨界点は過ぎた。小次郎はゆっくりと、お腹に衝撃を与えないよう歩み出す。
もはや、家まで帰ってするというのは無理というものだった。もう少し進んだところにあるコンビニに緊急退避するしかない。
そのコンビニの自動ドアをくぐった時、四度目が訪れた。
もはや立ち止まることはない。ただひたすらに前進あるのみである。小刻みに速度を上げ奥のドアをくぐる。正面に手を洗う蛇口があり、右と左に細い通路がのびている。左を覗くと、そちらが男子トイレのようだった。
迷わず左に向かいドアを引いた。
ガツン、となにか引っかかる感触が有ったが、かまわず力任せに開いた。
世界が固まった。
便意も止まった。
先客がいた。
その客は一人用の個室の中で、瞳を大きく広げて小次郎を見上げていた。
スカートをはいている。女装趣味のある男の子でないかぎり、女である。
薄いカラーコンタクトでもしているかのような、薄い色の瞳が小次郎を凝視していた。その身体は固まってしまったかのように動かない。
小次郎はその女性を知っていた。
あまりにも端整なその貌。
ものすごい美人。
柔道館で出会った少女。
高校生ナンバーワン美少女。
それが、その女性の小次郎の中での肩書きだ。
慌てて小次郎はドアを閉めた。あまりに驚きすぎて謝る事も忘れていた。
考えられる中で最悪の再会であった。
トイレが洋式であった事が唯一の救いだった。和式だと取り返しがつかない事態になっていたかもしれなかった。奥を向いてお尻まるだしの状態を見てしまうことになってしまうからだ。現在小次郎の視界には、なまめかしい太股しか見えない。それもかろうじてだ。もう少しタイミングが早ければ、和式以上に大変なことになってしまっていたかもしれない。
と考えて、いや洋式なので見える事はなかったが、それでも最悪であることには違いないと考え直す。
混乱していた。
ドアをみると、女子便所のマークだった。しかし。しかし、である。そのマークの色が黒いのだ。これでは、間違えてもしかたがないだろう。
黒は男だ、と小次郎は叫びたかった。
その混乱の中、便意も戻ってくる。
とにかく、小次郎は反対側のドアに向かった。
小次郎はドアを蹴り倒したい気持ちを押さえながら、ドアをくぐった。
―なんなんだ、このコンビニのトイレはっ。
思わず泣きたくなった。