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山で女に逢う  作者: あぐさん
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後藤

小次郎は学食で昼食に牡蠣カレーを食べた後、新校舎二棟の三階へと訪れた。


牡蠣の入ったカレーに挑戦したのは、あの美少女をさがすぞ。と意気込んでのことではなく、たまには牡蠣を乗せてみようと思っただけだ。本当にうまいのか、ためしてみたくなったのだ。

カレーとカキカレーの差は百円である。


また登校中に見かけることを期待していたが、あの後遭遇することは出来なかった。だから、昼休憩に探して見てみようと思ったのだ。

二棟三階には三年生のクラスが並んでいる。小次郎の駆けあがった階段より、一組から順にナンバリングされた黒いプレートが、等間隔に遠近法で綺麗に並んで見える。

廊下では三人の男子生徒が雑談をしていた。群れてトイレに向かう女子も数人いる。

その中を小次郎は、一組から順に中を覗きつつ廊下を進んだ。


見つけたとして、どうするのか。

教室に入って、声でもかけるのか。

これってストーカー的じゃないのか。


だけど、だけれども。名前も知らないではどうしようもない。彼氏がいて、がっかりするのは、それからでもいいと思ったのだ。

小次郎は女性に対して、決して積極的な方ではない。しかし、二度も魅せたあの少女の笑顔が、小次郎を突き動かしていた。


 ―ただ、どうやって、声をかけるかだよなあ。美人は緊張するしなあ。それに柔道部員とは鉢合わせしたくないし。


 溝口を倒した時のあの刺すような殺気。あれから一週間以上たったが、四方から受けたあの殺気は今でも鮮明に覚えている。


 一組から二組へ、二組から三組へ。次々に進んでいく。

足早に進んでいた小次郎の足が、徐々にその速度をゆるめ、やがて動かなくなった。

少女を発見したからではなかった。目の前はもう壁だったからだ。つまり、あの子はいなかったのだ。


はあ、と溜息をひとつ吐き出した。


 どこかで、見逃したのか。それともすれ違いにどこかに行っているのか。ともかく彼女はいなかった。

 がっかりしたような、ほっとしたような、不思議な感情が小次郎の中に湧きあがる。

小次郎はしばらくその場にたたずんでいた。じゃあいったい彼女はどこにいるのだろうか。

 そんな小次郎の背後から、声を掛けるものがあった。


「おい」

 残念ながら男の声である。

 あわてて振り向いた小次郎の前に、立っていた男には見覚えがあった。

 後藤。柔道部主将。

 それが肩書きの男だ。


 一番会いたくない男だった。


 溝口との試合の時、他の部員を制止させたのはこの男である。ある意味、礼を言ってもいい男ではある。だけど、あの時、一番鋭く小次郎に殺気を送ってきていたのは、他のだれでもない、この後藤だ。部員を制止させたのは、主将という立場からに違いないのだ。


「なんでしょうか?」

 愛想笑いを浮かべながら訊く。

小次郎は、我ながらわざとらしい笑みだなと思う。しかも思わず身構えてしまっている。これでは笑みの意味もないだろう。

「そうかまえるなよ」

 上級生の余裕をみせて、後藤が言った。

「は、はあ」

 と、小次郎が構えを解いた瞬間、後藤が動いた。完全に狙っていたといえる疾さだった。

 一瞬で胸倉を掴まれ、どん、と壁に叩きつけられる。

「ぐえ」

 と背中を打ち、くの字に前屈みになった所に、上から後藤の腕が伸びる。それは蛇のように小次郎の首に巻きついた。


 ぐい、と立ったまま小次郎の喉―気管が絞められる。

 正面から脇の下に、小次郎の頭部を抱え込むような体勢だ。

 チョークだ。しかもフロントからだった。


小次郎の左拳が、後藤の下腹部へと動き出す前に、首を絞める力が緩んだ。

小次郎も慌てて攻撃しようとした腕を止める。

締め上げていた腕を完全にほどいて、後藤は半歩ほど後ろにさがった。


 げほげほ、と咳き込みながら小次郎は顔を上げる。


「隙が多いな」

 つぶやく後藤に、小次郎は、

「何がしたいんだ、あんたは」

 と言って、喉に手を当てた。

 まったくもって、その通りであった。


「それに、あの体勢で、後、数秒いたら。けほ。倒れてるのは後藤さんだったんですよ。けほ」

 一応、上級生だと思い出し、言葉使いが丁寧になった。

「すまん。呼び止めたのは首を絞めたかったからという訳ではないんだ」

「じゃあ、なんで絞めたんですか」

「敗れた後輩の仇討ちといった所だ。溝口の件については、俺がお前を絞め落としたといえば、部員も納得するだろう」


「……」

 確かに、今のでチャラにしてくれるのであれば、それでもいいか、とも思う。いきなり柔道部員数人に帰り道を待ち伏せされて、乱闘騒ぎになるよりはずっといい。そのくらいの殺気があの時の部員からは漂っていたし、実際、何度か帰り道で部員が小次郎を待っていることがあった。

その度に、小次郎は別の道から逃れていたのだった。


「わかりました。そういうことだったら、お礼をいわないといけないですね。ありがとうございます」

 そう言って、さっさと逃げようとした所へ、

「まて、本題はこれからだ」

 と後藤が呼び止めた。

「本題とは?」

 しぶしぶそう言って振り返る。

 後藤の顔は真剣だった。


「溝口を知らないか?」


 小次郎にしてみれば、予想外の問いだった。


「溝口ですか? ええと、数日前に謝罪に行った時に会いましたけど、どうかしたんですか?」

「実は、溝口が部活に出ていないんだ」

「ああ、全治一ヶ月ということなんで、その間は休みなんじゃあ?」

「いや、確かに投げたり投げられたりという実戦は無理だが、ランニングであるとか鼻に負荷がかからないような運動であれば、もう可能なはずだ。実際、体育の授業には出ているはずだ」


 ふーむ、と小次郎は考え、


「それじゃあ、ただ、サボってるだけかもしれませんね」

 と言った。


「溝口はサボるような男ではなかったからな、練習も人一倍やる奴だった。だから心配しているんだ」

 後輩の事を心底思いやる、先輩がそこにいた。


 小次郎を取り囲んだ部員を制止させた男。それは、力だけで部員達の上に君臨しているだけではないのだ。後藤を見る部員達の眼、そこには確かに恐れもあった。絶対にこの人には敵わないという思いだ。しかし、それ以上に小次郎が感じたのは、主将を尊敬し心酔する部員達の感情であった。

後藤は心で部員達を束ねているのだ。


「僕には溝口が部活に来ない訳はわかりませんよ」

「そうか」

「それじゃあ僕はこれで」

 そう言って小次郎はさっさと踵を返した。

「ああ、それと。溝口がお前との再戦を望んでいるそうだ、どこかで襲ってきたら柔道部に早く帰って来いと伝えてくれ」


 部員の襲撃は回避出来そうだが、溝口には狙われることになったようだった。

 実に面倒くさいことになったといえる。


 振り返り「どうにかなりませんか?」と訊くと、「どうにもならんな、溝口は納得するまで来るだろうな」と回答が帰ってきた。

 こじろうは、はああと大きく溜息をついた。


 ―なんで、そんな奴と闘わせたんだよ、愛田は。


 まさか、こうなることを予測していたわけではないだろうと、気を落ち着かせておいて、小次郎は、後藤に頭を下げ立ち去ろうとした。


「それと、もうひとつ訊きたいんだが」

 と、またしても背後からの後藤の問いであった。

 なんですかと、振り返ると先ほどとは打って変わった後藤の表情が待ち構えていた。

 いいにくそうに眼を逸らしている。

 なんとなく、小次郎は聞きたくなくなった。いやな予感がぷんぷんと漂っている。


「一年生のことなんだが―」

 小次郎の気持ちなどお構いなしに、後藤はしゃべりだした。

「一年にな。あれだ、とんでもない美人がいるんだが、お前知ってるか?」

 頬を紅くして後藤が言った。


 部員を心酔させる主将といえども、恋はするのだ。


「さあ、僕もそんな美人なら知り合いになりたいですが、今の所は知り合っていませんね」

 小次郎はそう答えながら、なるほど、と思った。

 可愛い子なら小次郎のクラスにもいる。だけど、だけれども。とんでもない美人となれば別だ。美人だってどんな高校にも一人はいるかもしれない。しかし、とんでもない美人となればさらに別だ。この国の高校には一人しかいないだろう。あの美少女ことだ。


 ―そうか、あの子は一年生だったのか。


 小次郎はあからさまにがっかりする後藤を残して、その場を立ち去った。

 長居は無用であった。


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