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山で女に逢う  作者: あぐさん
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少女との出会い

「うっし」


 思わず小次郎は声をあげて数歩さがった。

 実に礼を欠く勝利の雄叫びだった。


 足元を見下ろすと、溝口が眼を赤くして小次郎を見上げていた。


「ごめんな」


 小次郎にしてみれば、素直に謝っただけだった。負けたものに対する礼を欠いてしまったことが申し訳なかっただけだ。


 言った途端、溝口の顔がみるみる紅潮していくのが分かった。

 無様に負けた挙句、小馬鹿にされたのだと感じたのだろう。

 小次郎がしまった、と思ったときは、もう遅かった。

 溝口の右手が小次郎の足を掴んで、怒りにまかせて引いてきた。引き倒して殴りつける気なのだ。

もはやこれは試合ではなかった。


ならば。

小次郎は思った。

ならばどうするか。


愛田の制止する声よりも早く、小次郎は掴まれた足をそのまま跳ね上げていた。

弧を描きながらそれは、溝口の顔面に吸い込まれていく。

溝口の身体はそのまま横に崩れ落ちていく。その眼はすでに白眼を剥いていた。その鼻が曲がっているのが分かる。鼻が折れてしまっているのだ。


そこから、赤いすじが流れる。鼻血だった。


ああ、やりすぎた


小次郎はそう思いながら、まわりを警戒して数歩後ろにさがる。

他の部員の報復を警戒しているのだ。


「み、溝口」


言って愛田は、畳の上で四肢を弛緩させて、意識を失っている溝口に駆け寄った。

そんな中、小次郎は溝口のことよりも、どこからか自分を見る不可思議な視線に気をとられていた。それは試合中から感じていたものだった。

道場内に殺気が充満していた。他の柔道部員全員が、気色ばんで小次郎を睨んでいる。目の前で後輩をのされたのだ、当然の反応といえた。


しかし、小次郎が気にしているのは、部員達の視線ではなかった。その殺気に混じって、なにか異質な視線を感じるのである。ねっとりと、からめとるような、吸い付くような感覚だった。それは試合中から小次郎の胸を打ち続けている。


さらり、と撫で上げられたような感覚が背中を走り、小次郎は振り返った。道場の入り口、開け放たれたままのドア。その向こうに視線を移す。


その行為は、大胆にも他の部員を無視している。


ドアの枠に切り取られた情景の中に、その少女は立っていた。柔らかい肩まで伸びた髪とスカートが風になびいていた。

小次郎はおもわず息を飲んだ。その少女の容姿が、少年の心を一瞬で引きこむに十分な美しさだったからだ。肌が白い、透けるようなとはこういう肌を言うのかと思った。その潤んだような大きな瞳が小次郎の視線と交錯する。薄い桜色の唇が微笑していた。ちらりと紅い舌覗き、その上唇をなめたように見えた。

絵にも描けない美しさ、とはこういったものなのだろうか。


強い風が吹き、少女のスカートをはためかせ、その形のいい白いふとももが、小次郎の網膜に焼きついた。


そこに思わず視線を集中させてしまってから、しまったと視線を外す。すけべ心を少女に見透かされたと思ったからだ。


「おい、お前どこを見てる」


 部員の一人が咎めるように、そう言った。

 女の脚に見とれていることを指摘されたのかと驚いた。だが、そう言った部員はドアの外の風景など眼中にはないようだった。我に返った小次郎は、倒れた溝口を無視していることを言っているのだと気付く。

 小次郎はあわてて昏倒する溝口に駆け寄った。

 近寄ると「う、あう」と呻きながら、溝口は意識を取り戻した。


「すみません。足を掴まれたので、とっさにやってしまいました。この人、大丈夫ですか?」


 小次郎は愛田にそう訊きながらも、ドアの向こうが気になっていた。


 ―まだ、あの女子はこっちを見ているのだろうか。


 溝口の横にしゃがみこんでいた愛田が、小次郎を見上げた。


「大丈夫だ、とはいいがたいな。鼻がこの通り折れている。それに謝るなら溝口に言え」

 責めるような口調だった。怒らないのは先に手を出したのが溝口であると、分かっているからなのだろう。

 愛田は続けて、


「大丈夫か、溝口。立てるか?」

と訊いた。


傷ついた部員を心配する優しい教師がそこにいた。

「大丈夫です」と言いながら、よろよろと溝口は立ち上がった。自分の鼻が折れていることに気付いていないのだ。

周りの部員達は、今にも飛びかかりそうな勢いで小次郎を囲んでいる。両手を構えている部員までいた。

「とりあえず病院につれて行く、崎は今日の所は帰れ。それとお前ら―」

 そう言って愛田は、殺気立つ部員達を睨みつけ、


「頭を冷やせ、崎に手を出すなよ。練習しろ。後藤、後はまかせた」

 と一喝した。


 後藤というのは主将のことだ。

 長身の男が部員と小次郎の間に割って入ると、部員達はしぶしぶ散っていく。

 小次郎はその長身の男―おそらくは後藤主将、に頭を下げ、道着を脱いで制服に着替える。着替えながらドアの外を見たが、そこに少女はすでにいなかった。


 そこにはモデルを失った絵画のように、ドアの枠に切り取られた校舎の壁だけが残っている。

 小次郎はそれを残念に思ったが、すぐに気を取り直した。この高校の制服を着ていたからには、うちの生徒には違いないのだ。上級生であれ、小次郎と同じ一年生であれ、探そうと思えば、すぐに見つけることは出来るはずだ。問題があるとすれば、あれだけの美人なのだから、つきあっている男ぐらいはいるだろうな、ということであった。


そしてその思いの通り、再会はすぐに訪れることとなる。


崎小次郎。高校入学三週間目のことだった。


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