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山で女に逢う  作者: あぐさん
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溝口

「こないなら、こっちからいく」


 溝口はいっこうに動き出さない小次郎にしびれを切らして、自ら前に出た。

左右の手で小次郎の道着を掴もうとする。

素早い。


 小次郎はそれをいやがるように払いながら、後退する。予想したよりも溝口が俊敏であったためだ。


溝口は一年生にしてすでに主将以外には負けた事がない。将来のエース、それが溝口という男なのだ。

そんな溝口がこの高校に入学が決まったとき愛田は狂喜した。いよいよ全国で上位を狙える素材を手に入れたようなものだからだ。そこに未知数ではあるが、抜群の身体能力を誇る小次郎を入部させて共に競わせ鍛え上げる。うまくいけば全国大会での上位進出も可能である。

その期待に押されるように溝口は出る。


小次郎は円を描くように、左に回り込みながら退く。


溝口が小次郎の袖口を捉えた。


払いのけようとする小次郎の手の動きを読んだのだ。

小次郎の払いのける動きは一定で単調だった。数度、見れば覚えられる動きだった。


だけど、小次郎の次の動きは、溝口の予想外のものだった。


小次郎は掴まれていない手を、溝口の顔の前に突き出したのだ。


それで溝口の視界でもふさごうか、とでもいうように、である。


柔道にはない動きだった。それは溝口のまだ知らない動きだ。


溝口は一瞬躊躇した。顔を殴りにきたのかと思ったからだ。

だがそれは一瞬のことだ、すぐに袖口を掴んだ左手を引き、右手で小次郎の襟を掴みにいく。

その掴みにいった手が空を掻いた。


溝口は驚愕した。


小次郎が、その目前から忽然と消失したからだ。

袖を掴んでいた自身の腕が、下方にねじられるように引かれている。


その腕の先に小次郎はいた。


身体を低く、畳に擦り付けるように屈みこんでいる。

これも柔道にはない体勢だ。

背負い投げだ。


溝口は心の中で叫んでいた。絶叫していた。


素人に負けるわけにはいかなかった。


必死に身体をずらす。その両足が空を掻く。

幸いにも小次郎の技の掛け方が甘かったのか、小次郎の背中からずり落ちるように横に逃れることが出来た。


無様に小次郎の横で四つん這いになってしまう。

小次郎は寝技にはこなかった。


やはり素人なのだと溝口は思う。


それが溝口をさらに惨めにしていた。素人の小次郎が余裕を持っている、と愛田も主将も思っただろう。

ちらり、と愛田顧問の顔を見た。愛田の表情は読めなかったが、おそらく自分に失望しているだろうと、

溝口は感じた。


溝口はゆっくりと立ち上がり、乱れている道着を正す。

落ち着いている動作に見えるが、内心は穏やかでないのは明らかだった。

その息が荒い。眼が血走っていた。


この上は、なんとしてでも小次郎を大技で仕留めなければ、面目が立たなかった。

焦りが溝口を急かしている。


溝口は前に出た。一気に小次郎を仕留めるという決意が、その身体を動かしているのだ。

左手が素早く小次郎の袖を掴む。改心の動きだった。小次郎に払いのける隙すらあたえない。


右手が小次郎の奥襟に伸びる。

素人にはかわせないと思われた。


が、溝口よりはやく小次郎の足が、溝口の軸足を刈りとった。


溝口の眼には、遠のいていく天井と、焼きつくようなライトの明かりだけが映って消えた。


唐突に白い顔の女と風になびく髪、微笑、そんなものが溝口の視界の端に浮かんだような気がした。


 ―乙女か?


溝口がそう思った瞬間、背中を畳が打つ感覚だけが響き、


「一本」


 と、愛田の声が道場に響いた。

 溝口は敗北した。



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